新学期が始まり、青葉城西高校の3年生は自由登校となって学校全体が少し寂しくなった。
 が――、それもつかの間。二月に入ればすぐにソワソワと活気づいてくる。
 理由は――そう、バレンタインデーである。たかだかバレンタイン、されどバレンタイン。盛り上がる理由は北川第一出身の生徒であれば痛いほど身に染みて理解していた。そう――及川徹の存在だ。
 バレンタイン商戦も本格的となった1月下旬。それとなく及川の好みをリサーチに来る女生徒の姿をは数え切れないほど見ていた。
 理由は後ろの席に座る花巻である。岩泉と同じクラスの時もそうであったが、及川と近しい人間は及川について質問攻めにされるという運命から逃れられないらしく。あまり物事に動じない花巻も2月に入る頃にはやってくる女生徒の姿を目に留めてはゲッソリした顔を浮かべるようになっていた。
「今年はあいつ、主将だからな……。当日が思いやられるわ」
 ついには愚痴りだした花巻の声に耳を傾ければ、及川のファンは彼が主将になって露出が増えたことでますます増えているらしく、当日は他校からも女生徒が押し寄せるだろうという話だった。
「そ……そう」
「ま、俺もバレンタインは楽しみではあるんだけど」
「花巻くん、甘いもの好きだもんね」
「ん。この時期限定チョコってのもあるから毎週月曜はデパートはしごして物色してんだよね」
「そうなんだ。自分用に買うのも楽しそうだよね」
「まァね。バレンタイン限定のチョコシューとかもあったりしてさ、マジで特設会場キケンだよ」
「限定チョコシューか……確かについ欲しくなっちゃいそう」
 花巻くんシュークリーム好きだもんね。と言えば花巻は、二、と目を細めた。
「コレくれちゃった子には一発で落ちちゃう自信あるわ俺」
 そうして少しだけ笑みが戻った花巻の顔を見て、ふふ、とも笑った。
 その脳裏で考える。自身も北川第一出身であるため、バレンタインの大騒ぎはおぼろげながら覚えている。そもそもバレンタインに限らず及川が女の子からのプレゼントを抱えているなど日常茶飯事であるし――と浮かべつつ少しばかり顔をしかめた。
 女の子が好きな人にチョコを贈る日。となってはいるものの、及川はおそらく数え切れないほどのチョコを当日受け取るわけで。どうにも自分がチョコを渡す必要性を感じられない。
 そもそもが家のバレンタインといえば、父が花束を抱えて帰宅し母にプレゼントを渡し――そのままバレンタインディナーに繰り出すのが常となっている。イギリス時代に培った習慣らしく、家のバレンタインは本場のそれだ。
 仙台に越してきて以降は自身も両親のバレンタインディナーに便乗していたが、今年は遠慮しようかと考えていた程度で特にプランはない。
 だからバレンタインにチョコレートを買うということにいまいちピンと来ない。が、及川はどう考えているのだろう?
 とはいえ、大騒ぎがほぼ決定事項である当日に及川とゆっくり話が出来るとは思えず。あまり気にしなくていいのかな、と気持ちを切り替えた。

 2月も二週目に入ればいよいよバレンタインまであと数日と迫り、女子生徒のみならず男子生徒もどこかソワソワしてくるのが常だ。
 その2月は第二金曜日。男子バレー部レギュラー陣とベンチ数名は土日に入っている一泊二日での遠征を前にして少しばかり居残り練習をこなし、あまり遅くならない時間帯に揃って引き揚げて部室にて着替えていた。
「及川、ちょっと質問いいか?」
「なに松つん」
「”及川君てミルクチョコとビターチョコどっちが好きかな?”」
「あー……。どっちかというとミルクだね」
「分かった。そう伝えとく」
 淡々と進められた話に、これまた淡々と話に加わったのは花巻だ。
「ったく、毎年毎年とばっちり受ける俺らって何なんだって話だわな」
「そんなに妬まないでよマッキー。マッキーなら岩ちゃんよりは貰えると思っ――あいたッ!」
「いちいち人を引き合いに出すんじゃねーよクソ及川!」
 着がえずに部誌を書いていたらしき岩泉がノートを及川の背に投げつけ、言い合いを始めた二人の横で「でもさ」と花巻が小さく笑った。
「俺、今年はちょっとイイカンジかなって思ってる子がいるんだよね」
 すると、ピタ、と全員の挙動が停止して全員が花巻を注視する。
「なんだよ花巻、一人でリア充生活に突入する気とは聞き捨てならねぇな」
「マッキーにイイカンジの子って……そんな子いたっけ? 誰? クラスの子?」
 ん、と頷く花巻の後ろでは後輩の一人である矢巾も聞き耳を立てており、及川も床に落ちた部誌を拾い上げて岩泉に渡しつつ花巻を見やった。が――。
「美術部のってコ。前からイイナって思ってたけど修学旅行以降なんかイイカンジなんだよね。有名人だし、お前らも知ってると思うけどさ」
 バサッ、と及川は花巻がの名を口にした段階で日誌を手から零していた。さすがの岩泉も固まった気配が及川に伝い、盛り上がる周りとは一気に温度差が生じてしまう。
 裏腹に、ああ、と身を乗り出したのは矢巾だ。
「知ってます知ってます、美術部の先輩! かわいいですよね、俺も一度声かけたことありますよ」
「お、さすが矢巾クン。女子情報鋭いね」
 彼は他校の女子マネージャー情報まで網羅しているほどの猛者で、松川が突っ込みを入れる横で及川は矢巾に鋭い視線を向けた。
「――で、何て声かけたの矢巾」
「え? あー……、たまたま特別教室棟ですれ違った時に”絵、お上手ですよね。いつも見てます”って言ってみたんですけど」
「それで?」
「”ありがとう”って笑ってくれて……、そこで会話は終わりました」
「ブハッ! 相手にされてねーじゃん」
 及川が突っ込むより先に松川が声をあげて部室は笑い声に包まれる。
 でも、と矢巾はめげずに言葉を繋いだ。
「なんか、良いとこのお嬢さん、ってカンジがいいですよねあの先輩」
「そうそう、ほんわかしてて癒し系っての?」
 頷いた花巻が「なあ」と視線を岩泉に送り、岩泉は一瞬しかめっ面をしたものの、数秒後には真面目な顔をして頷いた。
「まあ、そうだな。普通にかわいいべな」
 だろ? と盛り上がる横でついに我慢の限界に達した及川が盛大に地団駄を踏んだ。
「岩ちゃんまでなに言っちゃってんの!? 正気!?」
 すると少しだけ空気が張りつめたものの、少しの間を置いて「ああ」と矢巾が思いついたような声をあげつつ肩を竦めた。
「及川さん、クール系の美人がタイプですもんね……」
「好みじゃないからって、いまの言い分はヒデーだろ。モテ男度し難しだな」
 松川に至っては呑気にネクタイを結びながら言って、そうじゃねぇし、と及川は歯ぎしりをしつつ事の発端となった花巻を睨み上げるようにして拳を握りしめた。
「だいたいマッキー、彼女とイイカンジとかマッキーには悪いけどそれ盛大な勘違いだから! あり得ないから!」
「は……?」
「あの子、超超超カッコいいカレシいるしね!!!」
 部室中に響き渡った大声に、シン、と一瞬みなは静まり返る。全員が目を見開き、あのさ、と最初に口を開いたのは花巻だ。
「なんでお前がそんな事知ってるワケ?」
「えッ……、それは……その」
 すれば及川は一瞬答えを躊躇した。正直に答えるか否か。迷っている間に先に答えたのは岩泉だ。
「あー……、その、な。俺ら同じ中学出身なんだよな」
「え、さんて北川第一!?」
「ああ。俺はクラスも一緒だった」
 岩泉は核心に触れていないせいかどこか目を逸らしがちに答え、花巻は「そうか」と肩を落としている。
「じゃあ、中学のときからそのカレシってのと付き合ってるって事か」
 ――そうだよ。とはさすがにウソであるため及川は声を張れず、「とにかく」と鞄を掴んで言い放った。
「お嬢ぽいとか癒し系とか、よく知りもしないで勝手なこと言うのやめてよね! じゃあねお疲れ!」
「え……ちょ、及川?」
「先帰る!」
 そのまま部室の外に出て、目指したのは特別教室棟だ。はまだ美術室にいるだろう。
 ――普段、自分はモテているという自負はこれ以上ないほどあったが、に関してはあまり意識したことがなかった。は絵の虫だし、男子に告白されたなどという話も聞かないし。
 でも、自分が知らないだけでひょっとしてにも色々その手の話があったのだろうか? と、む、と頬を膨らませる。
 ――いやいや別に気にしてないし。ほんとぜんぜん気にしてないし。ていうかあんな絵の虫のに付け入る隙なんてあるわけないのにとんだ身の程知らず。とイライラしつつ八つ当たり気味な思考をしてハッとする。
 そもそも。だ。そもそも、そんなの恋人は何を隠そうこの自分だ。そうだ、は自分こと及川徹が大好きなのだから何を心配することもないではないか。と、特別教室棟に辿り着いた頃には及川は落ち着いており、案の定まだ電気の付いている美術室に足早に近づいてノックをした。そうして明るく扉を開ける。
「ハァイ! 愛しのカレシが迎えにきたよ!」
 いつも通りピースサインをすると、驚いたような顔をしたあとに笑うが奥の方の椅子に座っていた。
「及川くん……、どうしたの? はやいね」
「明日から遠征だからちょっとはやく切り上げたんだよね」
「そっか……。もうちょっと待ってもらってもいい?」
「モッチロン!」
 ニコッと笑いかければ、も頷いてキャンバスのほうへと視線を戻した。及川もそばの椅子に腰を下ろして携帯を取り出しつつ邪魔をしないように作業が一段落するのを待つ。

 一方のバレー部部室では――。
 ひとしきり及川の様子のおかしさが話題になったものの「あいつはいつもおかしい」と結論付けられ早々に忘れられ、「花巻ドンマイ」等々慰めの言葉を花巻にかけたのちに松川や矢巾たちも部室を出、当の花巻は日誌に追われている岩泉に付き合って残っていた。
 岩泉は花巻のことを必要以上に案じたが、のことは良くある「ちょっといいな」と思っていた程度らしく「なんだカレシ持ちか」と切り替えたようでホッと胸を撫で下ろしていた。
 花巻はいま現在はパラパラと過去の練習試合のスコア表を眺めており、岩泉はふと手を止めて花巻を見上げた。
「悪ぃな花巻。付き合わせちまって」
「いいって別に。けど……こうして歴代のスコアとか見てっと、ウチの得点源って及川のサーブに偏りすぎてんの丸分かりな」
「あんま言いたかねーけど……ま、すげーかんなアイツ」
「スパイカーの俺らよりよっぽど強烈なスパイク打つしな。今じゃチームメイトだけどさ、中学の頃は北一のバケモンって俺らの中じゃそんなあだ名だったぜアイツ」
「ま、試合中はな。逆に普段はガキそのものだけどな」
「それな。矢巾なんか及川に憧れてたらしいけどショック受けてたもんな、入部直後」
 話しながらも岩泉は手を動かし、日誌を書き終えると二人でスコア表を見やりながらしばし試合内容について語り合ったのちに部室をあとにした。
「明日、7時に正門前だったよな」
「ああ。盛岡だからこっからは2時間半ってトコだな」
「つーか寒くね?」
「二月だかんな」
 そうして話しながら校舎を道沿いに正門のほうへ歩いていると、ちょうど対面側を正門に向けて歩く影が過ぎって、二人はぴたりと足を止めた。
 見覚えのある影だ。正体を悟って、岩泉は思わず頭を抱えた。――及川とである。しかも手を繋いでいる。
 及川が部室を出たあと、を迎えに行くのだとは岩泉には容易に想像が付いていた。が。なにもこのタイミングで――とちらりと花巻を見上げると、完全にあっけに取られていた。
 さすがにかける言葉に詰まって岩泉が黙していると、二人の影が正門の外へ消えた辺りで花巻がぼそりと言った。
「……”超超超カッコいいカレシ”って、自分の事かよ……」
「……スマン……」
 なぜ自分が謝らねばならないのかまったく理不尽に感じた岩泉だったが、いたたまれず思わず口にしてしまった。
「なに、もしかして北一の時から?」
「いや……しらねえ」
「いやまあ、及川はカノジョいるんだろうなってのは感じてたけどさ……。よりによって……さんもそんなそぶりは――」
 そこまで言って花巻は考え込む仕草を見せた。そうして10秒ほど黙りこくった後、彼は合点がいったというような顔をした。
「ああ、あったわ。いま考えればありまくりだったわ」
「は、花巻……」
「つーか及川ってさ……クールビューティがタイプだったんじゃねえの? グラビアとかだいたいソレ系がイイとか言ってんじゃんいつも」
「……しらねえ……」
 ただでさえ寒い二月の風が突っ立っているとますます寒く感じて、岩泉は何をどう言えばいいのか皆目見当も付かず途方に暮れていると「なあ」と花巻がぼそりと口を開いた。
「バス、一本あとので帰らね?」
「おう」
「あ、けど俺腹減ったわ。歩いてラーメンでも食いにいかね?」
「おう」
 いたたまれない、という思いで岩泉は花巻に従った。取りあえず明日顔を合わせたら一発ぶん殴ってやる。と及川にとってこの上なく理不尽だろう事を浮かべつつ、そのまま正門を出てひたすら歩いていった。



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