――クリスマス・イブ。

 午前中、は仙台を目指す車内にいた。
 というのも23日からの連休を使って家族旅行を計画していた家だったが、イブと重なったことで上手く宿が取れずに一泊だけの旅行と相成ったのだ。
 旅行先の山形は銀山温泉は風情のある場所でとしても日程さえ違っていたらもっとゆっくりしたいところだったが、今回ばかりは24日に仙台に帰れることにホッとしていた。なぜならば及川と会う時間が取れるからで……とは後部座席から運転席に声をかけた。
「何時くらいに家に着くかな……?」
「12時には着くと思うよ」
「そっか。ありがと」
 両親に、ほんのちょっとだけ早めに帰りたい、と伝えたら彼らはなにも聞かず承諾してくれた。が、きっと理由は悟られているだろうな。などと考えると少々気恥ずかしい気もしたが、今はともかく及川のことが気がかりだ。
 一昨日の冬至の夜に突然訪ねてきた及川。帰り道で偶然、中学の後輩である影山飛雄に会ったという。――及川の影山に向かう感情が複雑さを極めている事はもうずっと昔から知っている。そしてこれから先、2人がバレーを続けていく限りは彼らの関係はどう足掻こうにも完全には断ち切れないということも、だ。
 及川にとっての影山は後輩であることと同時に、脅威の天才。
 けれども影山にとっての及川は――と考えるの脳裏に浮かぶのは、いつだって及川を慕い真っ直ぐ追っていく大きな瞳を湛えた中学時代の影山の姿だ。
 北川第一にいた頃は一度も噛み合わなかっただろう2人。彼らは今後も縺れたままなのだろうか? 部外者であるに出来ることはなく、気になるのは及川自身の事だけだ。
 及川は物事を引きずるタイプではないが、影山に関しては例外なだけに気になる。――と12時ぴったりに家に辿り着いたは急いで外出の準備をして家を出た。

 クリスマスはぜったいにベニーランドがいい! と譲らなかった及川に根負けして今日のデートはベニーランドだ。

 12時過ぎには部活が終わるという及川は青葉城西から直接行った方が近いということで、はいったん仙台駅に出て一人でバスに揺られつつ待ち合わせ場所であるベニーランドのバス停前広場を目指した。
 13時半前には着くかな、と腕時計を見る。だいたい13時半を目安にとの約束だったため何とか間に合いそうだと息を吐きつつジッと窓の外を見ていると目的地が近づき、下車する人に従ってもバスを降りて辺りを見渡した。
 人混みの中から及川を見つけるのは容易い。人より頭一つ二つ飛び出た長身であるし、何より及川自身の華やかさはどこにいても目立つ――と思うより先に及川のほうがを見つけたのかこちらに向けて手を振っているのが見えた。
ちゃーん! こっちこっち!」
「及川くん……!」
 防寒のためか制服っぽく見せないようにするためか、キャラメル色の短めのダッフルコートをきっちり着込んだ姿は一見学校帰りには見えず、何よりいつも通りの笑顔の及川を見てはホッと胸を撫で下ろした。
「ごめんなさい、待った?」
「ヘーキヘーキ。行こ!」
 言って及川はさも当然のようにの手を取り、う、とは頬を撓らせた。すれば「なに」と及川が口をへの字に曲げる。
「そんな気にしなくても、今日はほとんどカップルだけだからウチの生徒がいたって大丈夫だよ」
「う、うん……」
 やはり。学校の近辺で及川と2人でいることには未だに無意識に身構えてしまうのはもはやどうしようもない。
「温泉、どうだった?」
「う、うん。楽しかったよ。うっすら雪が積もってて景色もすっごく綺麗で寒かったけどずっと絵を描いてて飽きなかった」
「良いよね、温泉。俺も温泉でのーんびりしたい!」
「え……」
「そのうち絶対二人で行こうね!」
「え……、う、うん」
 満面の笑みで言われては取りあえず頷くと、「やった!」と及川は明るい声で言った。ともあれ、元気そうで良かった、と見えてきた入り口をくぐる。今日はカップルは入場料フリーというのも及川が是が非でも行きたがった理由でもある。
「わー、やっぱりカップルばっかりだねえ」
 いたって上機嫌な及川は本当にテーマパークが好きなのかもしれない。ともすればいつも以上にはしゃいでいるように見えた。
 さっそくのりもの券を購入して、及川に手を引かれてコーヒーカップの列に並んだ。
「ていうか、ちゃんて絶叫マシーン系平気?」
「う、うーん……苦手ではないけど……」
「俺めちゃめちゃ好きだから。覚悟しといてよね!」
 ニ、と及川が笑って、う、とはおののいた。――分かってはいたが、及川と遊園地に来て静かな時間が流れるわけがない。と、さっそくコーヒーカップで破天荒運転を繰り出す及川には必死で着いていく。
 三半規管は強いと自負しているが、及川のテンションについていくのは容易ではなく。けれども日頃のストレス発散とばかりに笑顔ではしゃぐ及川を見ているのは楽しくて、あっという間に閉館時間が近づいてきた。
「あーもう、髪ボサボサー」
 最後のアトラクションにと選んだ八木山サイクロンから下り、及川は満足そうに笑いながら髪に手をやった。及川の髪は天然で跳ねており普段からなかなか思い通りにはまとまらないらしいが、確かに普段の部活後よりも遙かに乱れている。とはいえ人のことを言えた義理ではないかな、とも髪に手をやった。
「ほんと……」
 ただでさえ天然パーマの髪だというのに風で乱されてさぞや不格好だろうと手櫛で整えつつ笑う。
「でもすっごく楽しかった」
「うん。これでちゃんも立派な仙台っ子だね!」
「え……え、と」
「あ、なにそのビミョーな反応。やっぱり東京っ子のままでいたいワケ?」
 そのまま手を繋いで園を後にし、バスに乗って仙台駅へと戻れば夕暮れ時の繁華街は華やかなネオンで彩られていた。
 早めに夕飯を済ませようという意見で一致して、その辺りの空いていそうなピッツェリアにでも入ることにした。なにせ直前までデートできるかすら不明だった有り様でディナーの予約などできているはずもなく、時間が押せばどこも満席になるだろうことは簡単に予測できたからだ。
 それに今日に限ってはベニーランドを優先させたため及川は制服。自身もショートパンツにヒールのないブーツとあまり高級な場所に出入りするには憚られるスタイルで。
 来年はお互い18歳になるし、ディナーを予約するのも良いかもしれないと話しつつ入ったピザ屋でピザに舌鼓を打ってから店を出た。
 夜のメインイベントと言えばやはりイルミネーションであり、光のページェントに向かう途中でコーヒーを購入して寒空の下を手を繋いで歩いた。
「すごい人……!」
「イブだもんねぇ」
 イルミネーションのメイン通りは流れに沿って歩くのがやっとな程の盛況ぶりで、たちはそのままゆるゆるとイルミネーションの煌めきの中を歩いていく。それでもこうやってくっついて歩いているだけでもには楽しくて、ふふ、と無意識に微笑んでいると及川がどうかしたのかと聞いてきた。
「ううん。及川くんとこんなに長く一緒にいたのって久しぶりだな……って思って」
 すると、ああ、と及川は肩を竦めた。
「新人戦前で練習ばっかだったし、その前の試験期間はずーっと岩ちゃんがくっついてたからねぇ」
「それは別に……。というか、あれはどっちかというと及川くんがくっついて来たんじゃ……」
「なに言ってんの!? いくら岩ちゃんでもマンツーで勉強とかダメに決まってんじゃん!」
「でも中学の時からそうしてたんだし……」
「それはそれなの!」
 そして、むー、と唇を尖らせる及川を見ては苦笑いに変えた。
 一年前は、こうして一年後のクリスマスを及川と二人で過ごすことになるとは想像すらしていなかった。
 ならば来年はどうなのだろう? 来年、及川はどんな進路を選んでいるのか――。
 けれどもどのような進路を選んだとしても、結局、自分たちの道は違えてしまう。と、過ぎった考えを振り切るようにギュッと及川の腕を握りしめてしまい、ハッとしたのは及川が笑った気配が伝ったからだ。
「なに、ちゃんてばそんなに及川さんと離れたくないの?」
 明るく笑う冗談か本気か分からない声は付き合う前から少しも変わっていない。――そうだよ、と答えてそれが現実になるならどれほどいいか。と頷く声が雑踏に溶けていく。
 そのまま流れに身を任せて、イルミネーションも終わりに近づいたところでたちは右折して住宅街へと入った。もうここまで来れば歩いて帰った方が近いからだ。
 時刻はもう8時を過ぎていて、何だかんだあっという間で楽しかったことを話しているうちに自宅が見えてきた。
 及川と共に門の前まで行き、礼を言って別れようとしていると「あれ?」と及川が視線を家のほうへ投げた。
「真っ暗だね……。家の人いないのかな」
 は、ああ、と同じように家のほうに目線を送ってから及川を見上げた。
「お父さんとお母さん、クリスマスディナーに出かけてるの」
「――え!? え、じゃあいま、ていうか今日はずっと家に誰もいなかったの!?」
「うん。私は及川くんと出かけるし、お母さん達もお昼過ぎから出かけるって言ってて……もうすぐ帰ってくると思うけど」
 そうして改めて時間を確認しつつ腕時計に目線を落とせば、及川は硬直したあとに少し項垂れてやや頭を抱えるようにして何かを考え込んだあとに首を振るった。
「お、及川くん……?」
「あ、うん。ゴメン、なんでもない」
 そのまま及川はをギュッと抱きしめてきて、ふ、と頭上で息を吐いた。
「じゃあ、次に会えるのは年が明けてから?」
 及川は週明けに今年最後の遠征練習試合が入っているらしく、2泊かけて県外に行くという。入れ替わりでは東京に帰省するために仙台に戻るのは年を越してからだ。
「そう、だね……」
「そっか。ねえちゃん、東京で――」
 及川は何かを言いかけて口を噤み、が顔を上げると逡巡したように口籠もってから「ま、いいや」とニコッと笑った。


 ――新年。
 日付変更とほぼ同時に、の携帯には及川からの写メールが届いた。
 開いてみれば、及川のドアップと及川のピースサインの犠牲になり顔が見切れた岩泉、その間から顔を出した松川と花巻の自撮り画像が目に飛び込んできた。4人で初詣に出向いたのだろう。
 相変わらずの様子が微笑ましくては少し笑った。元気が出たと言ってもいい。そう、は新年早々気落ちしていたのだ。
 というのも去年を締めくくった最後のニュースが、フランス大使館から試験管理局経由で届いたフランス語のレベル認定試験の結果だったのだ。残念ながら僅差で不合格というものであり、わざわざ東京まで出向いて試験を受けたは去年で一番といっていいほど落ち込んだ。
 一番点数の低かった項目はライティング。さっそく克服すべく年末からフランス語の勉強漬けであったが――、自身は英語をフランス語よりも得意としており、これはおそらく一生変わることはない。
 というのも、幼少時は英仏と並行して緩く学んでいたが、仙台に越すことが決まって以降は父親が英語をメインに強制的に切り替えたからだ。
 母国語が日本語の人間が、まだ未熟な他言語二つを同時習得するのはそう容易い事ではない。英語がある程度のレベルに達してから再び並行学習するようになったフランス語はどうしても英語に一歩劣る。
 そのおかげで英語は父のように英国のトップアカデミーに入れる基準は既にクリア出来ているのだから、父の方針には感謝はしている。
 が――。

『次に会うときはフランス語で話ができることを楽しみにしているよ』

 ギュッとは膝を抱えた。そうして考える。
 半年後、再受験して合格して、そのまた半年後に次のレベルに受かって……。うん、問題ない。まだ時間はあるのだし。
 一年後には大学受験が控えているし、それを突破して……内部選考でも勝ち残って。それから。と、この腕一本で勝ち進まなければならない道の遠さにうっかり怯んで「いけない」とは首を振った。
 勝ち残っていかないと。と身を引き締めてフランス語まみれで元旦を過ごした翌日は昼頃。の携帯が震えた。見れば知らない番号からで、は出ることをやや戸惑ったものの何となく出なければいけない気がして受信ボタンを押した。
「はい……」
「ああ、俺だ」
 ――詐欺かな、と聞き慣れないが妙に耳に残る声に「どちら様」と聞こうとした直前。声の主はこう言った。
「跡部景吾だ。まさか俺様を忘れたわけじゃねえだろうな、アーン?」
 は眉を寄せたものの、ピンと来る。氷帝学園の生徒会長で去年に鳳長太郎が会わせてくれた人物だ。
「ああ、あの……氷帝の……だよね? あれ、でも、どうして携帯番号――」
「鳳に聞いた。ちょっとお前に用があってな」
「え……」
 突然の電話に、あまりにも突拍子のない言葉が続き――は目を見開きつつギュッと手を握りしめた。

 一方その頃、仙台。
 さっそく正月は二日目から練習始めのバレー部は朝から新年の挨拶とともに稽古始めと称してごく基本的な練習をこなし、身を引き締めて今年も打倒・白鳥沢を部長である及川が宣言しつつ午後には練習を終えて引き揚げた。
 さすがにレギュラー陣は練習に顔を出したものの、仙台を離れている部員も多く、出席率は半々といった具合だった。
 特に寄り道することもなく地元駅まで戻り、及川は岩泉と二人で住宅街を家に向けて歩いていた。
ちゃんさー、いま東京にいるんだよね」
「そうか」
「東京といえば明後日から始まるよね、春高」
「なんだ、のヤツ春高観に行くつもりなのか?」
 いいな、と岩泉が羨ましげに呟いたところで「なワケないじゃん!」と及川はがなる。
「俺の試合だって来ないのに春高行ってたら俺がびっくりだよ!」
「あー……、けどまァ。この時期に春高ってまだ慣れねぇよな」
「だね。そのおかげで俺の主将就任も数ヶ月遅れちゃったし」
「逆に言や俺たちもそんだけ長くバレーできるって事だけどな」
「そりゃ春高行ければそうだけどさ。春高ってめちゃくちゃ取材入るし全国ネットだし、この及川さんが出なくて誰が出るって感じなのにさー……って、ナニ?」
「おめーはテレビに映るためにバレーやってんのか!?」
「テレビが俺をほっとかないんだからしょうがないじゃん!」
「お前、年末やってたバレー特集覚えてるよな? 宮城代表で映ったのはおめーじゃなくてウシワカだったじゃねえか」
 放置されてんぞ、と突っ込まれて及川はショックを隠さず表情に出す。
「思い出させないで! あれ俺の中では無かったことになってるんだから!」
 とりとめもないそんなやりとりを交わしながら、ふぅ、と及川は息を吐いた。春の高校バレーは一昨年までは3月開催であったが、去年から3年生も大会に出られるようにと一月開催に変更されたという経緯がある。
 それに伴い3年生の引退が伸び、公式戦に出られるチャンスが増えたと言っていい。が。
「結局さぁ、お茶の間の皆さんもウシワカばっかで飽きてると思うんだよね! インハイもウシワカ、国体もウシワカ、春高もウシワカでうんざりなんだけど俺」
「お前がかよ。てか国体の宮城代表は最初から白鳥沢じゃねーか、諦めろや」
「不公平じゃん!! 県選抜チームだったら絶対俺が代表なのに!」
「100歩譲っておめーが選ばれたとしても、どうせウシワカも選ばれんぞ」
「それはイヤ!! ていうか岩ちゃん、俺がウシワカ抑えて選ばれてやるとか言えないワケ!?」
「ああ!? ――無茶苦茶言うなよクソ及川」
 すれば、ギロッと睨まれた上にドスの利いた低い声で凄まれて「う」と及川は口籠もった。――「個」で牛島に勝てないという暗黙の了解のようなものが自分たちの間にはあって、岩泉は既にそれを受け入れていて、及川はクレームを上げることさえ叶わない。
 もちろんその暗黙の了解を自分も受け入れてはいるのだが――。と、抗うように一度グッと拳を握りしめてから、ハァ、と息を吐く。
「岩ちゃん……、先生から聞いた? 先生、金田一に推薦出したって」
「ああ。ま、うちは長身の選手いねーから当然だな。ついでに金田一がどんなヤツだったかチラッと聞かれたぞ」
「ふーん。じゃあ飛雄のことは?」
 そしてチラッと岩泉を見やると、岩泉は顔をしかめて口籠もった。それを及川は肯定と受け取る。
 岩泉が監督に影山のことをどう答えたかは知らない。聞くつもりもないが、岩泉は少なくとも影山の才能は素直に告げただろう。
「飛雄さ、推薦蹴ったらしいよ」
「は? マジかよ。……ってまあ、金田一も来るんじゃそうかもな」
「――白鳥沢に行くってサ」
 及川は影山に会ったことも影山が一般受験で白鳥沢を受けようとしていることもいっさいを隠してその一言だけを告げた。
 さすがに岩泉は驚いたように表情を張り付かせていたが、「そうか」と少し間を置いて頷いた。
「ま、良かったじゃねえか」
「なにが」
「お前の凹ましたい相手その1とその2が手を組むってんだ。まとめてぶっ潰せば済むだろ」
 すれば彼は真顔で真っ直ぐそう言って、及川も、ふ、と笑った。
「――そうだね」
 簡単な話だ。彼らは倒すべき宿敵で、いつか凹ませてやるという意思に変わりはない。それが負け続けてきた自分たちが誓ったことであり、「個」に勝てなくてもチーム一丸となれば勝てると信じているからこそ今もバレーを続けているのだ。
 その先に見える景色なんて――いまは考えられない。考えちゃいけない気すらする。

『白鳥沢に、牛島くんに勝ったら……そのあと及川くんはどうするの?』

 いまは考えられない。考えちゃいけない。考えるな――と及川は無意識に過ぎった考えすら気づかないままにスッと前を見据えた。



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