翌日――。
 朝一番でロンドン郊外のウィンザー城を見学し、午後はおおよその生徒が楽しみにしている班での自由行動だ。
 とはいえスケジュールの駆け足感は否めず、はウィンザー城の庭に一日留まって絵を描いていたい強烈なフラストレーションに襲われたがどうしようもなく、せめて写真だけはとシャッターを切れるだけ切った。
 そうして午後の班行動――、生徒達はピカデリー・サーカスにて解散及び集合となっており、たちもバスを降りるや否やさっそく班で集まり、二手に分かれる。
「じゃ、14時半にエロスの像前な」
「おう」
 現在時刻は13時過ぎ。ロンドンで唯一自分たちで選べるランチとあって、班内はアフタヌーンティー派とパブ派に分かれたのだ。
 アフタヌーンティーを推したのは花巻で、ともう一人の女生徒が同意し、他の3人はパブでフィッシュ&チップスというこれまた王道を選んだ。
 自身も父親にお勧めのティールーム等々を聞いてリストアップしていたが、花巻は花巻でかなり調べてきたようで、既に花巻の「高くても行ってみたい」という場所にたちも同意していた。
 ピカデリー・サーカス周辺ということで花巻が調べてきた場所はの父親がいくつか教えてくれたものの中の一つであり、のメモには「老舗社交場だった。現在は超高級ホテル」と記されてあった。つまり服装に気を遣った方が気持ちよく過ごせる場所ということになる。とはいえ、女子の制服はともかくも男子はジャケットにローファーだ。花巻はやや奇抜な配色の青城制服を良く着こなしており、長身も相まって一端の紳士に見える。きちんとしているし大丈夫だろう、とピカデリー・サーカスからは目と鼻の先のホテルに向かった。
「グッドアフタヌーン、レディ」
 入り口には正装したポーターが構えておりドアを引いてくれ、の前にいた班メイトの女生徒が露骨に動揺したのが見えた。
 にしても慣れているわけはなく、挨拶をしつつ中に入れば一面豪奢なエントランスが見えて「すごッ!」と言いかけた班メイトがハッとしたように口元を押さえた。
「しゃ、写真って撮っていいのかな?」
「いいんじゃないかな……」
 そうして小声で聞いてきた彼女に応えつつ、ちらりと花巻を見た。花巻によれば夜はバーになる場所でアフタヌーンティーができるらしい。
 それらしき場所に歩いていけば気づいたスタッフがやってきて、花巻の喉から普段の淡々とした声にやや緊張を交えたような音が漏れた。
「よ、予約している者ですが……!」
「お名前よろしいですか?」
「ハナマキです」
「少々お待ち下さい」
 そうして確認に行ったのか背を向けたスタッフを見届けてから、の隣にいた女生徒が声を目一杯殺しつつ拳を握りしめた。
「花巻すごい英語ペラペラじゃん!」
 花巻もまんざらでもなかったのか淡々とピースサインで応え、がそのやりとりを微笑ましく眺めているとスタッフが先導に来て3人は席へと案内された。
 とたん、まるでベルサイユ宮殿のような煌びやかな空間が現れての目の前の彼女が小さく悲鳴をあげた。
「うちら場違いじゃない? ねえ場違いじゃないの!?」
「だ、大丈夫だよ……」
 気後れしているらしき様子をなだめつつ、客もまばらな中でテーブルに付いた。オーダーは3人ともあらかじめ決めていた。シャンパンの付いていないタイプのアフタヌーンティーだ。
 オーダーを終えてほっと一息つきつつ、BGMにはピアノの生演奏という贅沢な空間に、ふふ、とは笑みを零した。
 こういう場所、及川だったら好むだろうか? ものすごくはしゃいでしまうのか、それともスマートにこなしてしまうのか。
 考えていると、三段重ねのプレートという典型的なアフタヌーンティースタイルでサンドイッチ類とスイーツがサーブされ、さすがに3人のテンションが上がった。
 次いで紅茶、別プレートでスコーンが提供されて花巻は東北の少年らしい白い頬をうっすら染めた。表情は変わらなかったがよほど感激しているのが見て取れるようだ。
 いそいそと携帯を取り出し、写真を撮っている。
 紅茶、もうちょっと蒸らした方がいいかな? などと話しつつもう一人の女子が携帯を操作している花巻に何をしているのか聞いた。すると花巻は一言こう答えた。
「LINE」
「誰に? てか携帯使えなくない?」
「及川。あ、それに俺、海外パケホ入ってきたから使い放題」
「マジかよ。てか及川君に送ってもあっち受信できないんじゃないの」
 ん、と頷く花巻を見つつ、は急に及川の名が出て内心ドキリとした。そのまま何となく花巻を見やっていると間髪入れず返事が来たのか、あれ、と花巻は瞬きをした。
「速攻で既読になった。アイツどこいるんだ。……ってスタバかよ! ロンドンに来てまで!」
 花巻は及川の所在地を聞いたのか否か、取りあえず及川がスターバックスにて携帯を使える状態にあるという情報が伝った。何気なくはそのまま花巻を見やる。
「どのクラスも今ごろそれぞれランチだもんね。及川くんの班ってスタバでご飯なのかな」
「そうかもね。ていうか、なにやってんのか訊かれたからホテルでアフタヌーンティーって返事したらこの有り様だよ」
 すれば花巻はやや呆れたように淡々と言いつつ携帯画面をこちらに向けた。するとそこには怒っているようなキャラクターのスタンプと「マッキーずるい!」という文字が書かれており、は思わず口元を押さえた。ずるい、とはどういう意味合いなのか――。
「えー、及川君ってこういうカンジなんだー! そんなに甘い物好きなんだね、意外だけどカワイくない?」
「いや可愛くは断じてない」
 おおむね好意的に受け取ったらしい班メイトに花巻は淡々と切り返し、は苦笑いを浮かべた。
 ともあれせっかくのアフタヌーンティーを堪能しようと食事に移る。プレートは下から食べていくのが本来のマナーだとかスコーンはどう切るのかとか話しつつ食べ進め、3人とも本場のスコーンとクロテッドクリームに痛く感動してたっぷり一時間以上かけてのティータイムを堪能した。
 そしてホテルを出て約束の14時半にピカデリー・サーカスはエロスの像前で他の3人と落ち合い、眼前の地下鉄駅へと向かう。貸し切りバスで行動していた達にとっては初めての体験だ。駅内に入るだけでもちくいちテンションが上がるのは致し方ない事だろう。
「ちょ、この発券機見てよ日本語表示あるんだけど!」
「マジかよ。せっかく俺の英語力が火を噴くところだったってのに」
「じゃあ英語バージョンで買えよ」
 発券機を前にしてもこの盛り上がりようで、やはりなんでもないこと自体が酷く刺激的なのだと克明に告げている。
「花巻、行き先の値段どれ?」
「ゾーン2」
「オッケ」
 一人一人買っていき、花巻の番になると彼は本当に英語が得意なのか日本語切り替えのタップを押さずそのまま英語で切符を買った。もそのままでゾーン2の切符を買い、べーカールー線な、と言う花巻の言葉通りに茶色のべーカールー線乗り場を目指す。行き先はアビー・ロード。ビートルズファンなら誰もが知っている聖地の一つだ。
 今回、既にめぼしい観光地はクラス単位で回っており班行動の行き先はなかなか決まらずにいた。17時にはピカデリー・サーカスに戻らなければならなず、あまり欲張った行動は出来ない。当然、遠くには行くなとお達しがあるわけで最終的にアイディアがまとまらなかったところに花巻が「完全に俺の趣味だけど」と淡々と切り出した。
 その一つがアビー・ロードだったわけであるが、かなり知名度の高い観光地ということと、音楽の授業でビートルズに触れた経験から全員が知っておりすぐに目的地の一つとしてまとまった。
 目的は――「アレ」だろうな。とにしても花巻がアビー・ロードで何をしたいかは聞くまでもなかったが、案の定だった。と、最寄り駅で降りて目的地が見えてきて小さく笑った。
 それはアビー・ロードの横断歩道でビートルズのアルバム「Abbey Road」と同じ図で写真を撮るという、ここを訪れた観光客ならほぼ全員がやっていることである。案の定、けっこうな観光客でごった返しておりはさりげなく言った。
「私、写真撮るね」
 5人では完全にアルバムと一緒というわけにはいかないが、許容範囲だろう。それにけっこうな交通量と観光客でごった返すこの場では横断歩道を長くは占領できない。
 何より自分は写真も得意だし、とサッとデジカメを取り出すと班のメンバーも素直に応じた。
 そうしては撮りやすい場所にスタンバイし、しばし観光客の途切れと車の流れを見ながら待つこと何分だっただろうか。誰とはなしに順番待ちをしていた中での班の番が来て、車の流れが途切れたタイミングではみんなにゴーサインを出した。
 彼らはスタンバイの間に打ち合わせでもしていたのか全員が横断歩道のそれぞれの目的地に走り、はシャッターを押した。そうして全員が横断歩道を渡りきり、ホッと息を吐く。
「おー、バッチリ。それっぽい」
「ありがとうさん」
 デジカメ画面を見せて笑い合いつつ、取りあえず周辺の写真も撮りながら少し歩いた。
 良く見渡すとけっこうな高級住宅街のようで、広い一軒家も建ち並んでいる。その風景一つ一つが英国らしさを感じさせ、はまたもうずうずと絵を描きたい衝動にかられたが何とか抑え込んで風景をしっかりと脳裏とカメラに収めた。
 そうして早々に次の目的地に向かう。次は――これも花巻の提案であるが、ベーカーストリートと決まっていた。むろんアビー・ロードに負けず劣らず知名度の高い、シャーロック・ホームズの舞台であるが、こちらは色々な媒体のおかげで更に班内で認知度が高くすぐに決まった。
 にしてもコナン・ドイルは父親に読まされていた影響もあり興味深い場所だ。
 花巻調べによればアビー・ロードからベーカー・ストリートへはバスが便利ということで、地下鉄よりも安価でロンドンらしい二階建てのバスに乗りたいという全員の希望も相まってバスを使用することに決まった。
 ただ、問題は切符を直接ドライバーから買わなければならないという点であり――。
さん、悪いけど頼んだわ」
 花巻にそう投げられて、は少し頬を引きつらせたものの、やってきたバスのドライバーに目的地を告げて値段を聞き出し滞りなく乗車をした。
 むろん全員で二階に上がってバスを堪能し、ベーカーストリート駅に着いたのが16:00。ゆっくりしている時間はない。が、駅に着いた途端に目に映ったホームズの銅像でやはり班のテンションは上がり、時間はないが取りあえずシャーロック・ホームズ博物館まで行ってみようという運びになった。
 着けばむろん、いや、予想以上の長蛇の列で……全員が中に入るのは無理だと悟る。が、建物や雰囲気はドラマ、映画、アニメーションを問わず誰もが一度は見たことのある光景で、列を入り口に向かって歩きながら皆いそいそと建物だけでもと写真に収めた。そうして誰ともなく呟き出す。
「中に入りたいのに時間がない。諦めが悪いのは僕の悪いクセ」
「それ刑事ドラマじゃねーか。しかも国産」
「バーロー! 俺だって諦めたかねーよ!」
「それアニメじゃんバーロー!」
「やれやれ、時間がないよワトソン君」
「やっと本家キタ!!」
 妙なテンションで盛り上がる男子陣をは微笑ましく見つめ、今ごろ及川はどこで何をしているのだろう。と、そんな事が気にかかった。
 ともかくあまり浸っている時間がないということで16時30分にはベーカーストリート駅に戻り、地下鉄に入ったら入ったで一面のホームズ仕様にまたも撮影会が始まって、ひとしきり撮り終えるとピカデリー・サーカスに戻った。
 17時を前にしてピカデリー・サーカスに着いたと同時に花巻の携帯が鳴ったようで、画面を確認した花巻の表情が珍しく歪み、男子陣も「どうした?」と首を捻った。
 聞けば、いまはマクドナルドにいるという及川からのLINEだったらしく。添付されていた写真を花巻が無言でみなに向けた途端、男子陣の顔が歪み、女子からは悲鳴があがった。
 も「わ……」と少しだけ目を丸めた。――どうやら及川の班は長蛇の列を並ぶ覚悟で手早くスターバックスで昼食を済ませ、シャーロック・ホームズ博物館に行ったようで、写真にはホームズの帽子を被ってマントを羽織り、パイプを携えてこれ以上ないほど、普段の岩泉やいまの男子陣の言葉を借りれば「その顔腹立つ」「ウザイ」と形容される表情をした及川が映っていた。
「及川くん、すっごく似合ってる……」
 ついポロッと言えば、他の女子2人がすごい勢いで賛同し、男子からは舌打ちが聞こえた。ような気がした。
「及川くんの班って博物館行ったんだね。ニアミスだったのかな」
「だね。腹立つから既読スルーするわ」
「花巻くんも似合いそうだよね、この帽子とマント」
 そんな事を話しつつも、花巻は律儀に及川に返信をしたようだった。この辺り、いつも返信をしないらしい岩泉とは違うところなのかもしれない。と感じつつは微笑んだ。
 少しだけ及川の様子を知ることができて嬉しい。なんて、少し前までは数日及川と会わないなど普通のことだったというのに。好きだと自覚したせいなのか。それとも「付き合って」いるせいか。
 これから先を思うと、この感情は厄介なのかもしれないな。と思いつつ、隣の花巻と雑談を続けながら他の班が戻ってくるのをしばし待った。

 ロンドン4日目の朝――。
 青葉城西の生徒達は朝食を済ませるとバスにてキングス・クロス駅に向かった。
 そこでかの有名な「プラットホーム9と4分の3線」を見学した後に、隣のセント・パンクラス駅に移動した。同駅はユーロスター国際列車の発着駅となっている。今日はこれからパリへ移動するのだ。
 はセント・パンクラス駅の外観の美しさにすっかり見惚れてしまい、近い将来きっとまたロンドンに来ようと誓ってユーロスターに乗った。
 パリへは一度、まだ仙台へ越す前に家族旅行で行ったことがある。あの時は漠然といずれ自分はここに戻ってくるのだと思ったが……、予定よりもだいぶ遅れた。しかも修学旅行とは、と肩を竦める。
 もしも東京に残って氷帝学園に進学していたら。きっと今ごろ、高校はパリで――と過ぎらせてしまい小さく首を振るう。
 選べなかった道の方が良かった、なんて無意味な後悔はしないよう努めてきたつもりだ。これから進む道がベストだったと言い切れるように絶対にしてやる。と、強く思う心とは裏腹に一つ気がかりがあった。
 他でもない、及川のことだ。及川に出会わなければ、きっと「仙台の冬」は描けなかっただろう。けれども、及川にさえ出会わなければいまの厄介な感情を抱えずに済んだのでは……などと考えるも、それこそ無意味な事だ。仙台に越すことを決めた瞬間から、及川に出会わない道なんてなかったのだから。
「パリ、楽しみだねー!」
 ふと隣の席から声をかけられて、はハッと意識を戻した。
「う、うん」
 そうしてスケジュール表を見たり、撮った写真を見せ合ったりしつつ車内でランチも済ませればあっという間に3時間弱が過ぎて午後2時前にはパリはノルド駅に着いた。
 出発前から身の回りの手荷物に注意するよう再三言われていた通り、ノルド駅はあまり雰囲気が良くない。
 感動のパリ、という雰囲気は味わえないままみな急いで待っていた貸し切りバスに乗り、そのまま今日のメインであるベルサイユ宮殿に向かった。
 学校側はパリ中心部にホテルを用意できなかったのか、それとも治安の問題か、ベルサイユにホテルを取っており、生徒達はいったんホテルで荷物を下ろしてからベルサイユ宮殿へと向かった。
 フランスとイギリスは海を挟んで隣国同士とはいえ、やはり国が変われば風景もガラッと変わる。建築物は華やかで丸みを帯びたアール・ヌーヴォーが至る所に散見され、庭の造形はナチュラルなブリティッシュではなく幾何学的なフランス式がたびたび目に付いた。
 ベルサイユ宮殿はそんなフランス式庭園の代表格であるが――宮殿見学ではなくスケッチをして過ごしますなどという勝手が許されるわけもなく。も自分の班のメンバーと共に宮殿内を見学する。執務室、寝室等々想像を絶する豪華な世界に女生徒は歓声をあげ、男子生徒も感心しきりでカメラを構えていた。
 その悲鳴はいわゆる「鏡の間」で最高潮を迎え、の隣を歩いていた花巻が淡々と言い下した。
「こんな豪華な城建ててからたったの100年後にブルボン朝は革命で終わりとか、諸行無常だよね」
「そうだね」
 相も変わらずな様子の花巻に相づちを打って、も少し思いを馳せた。いまは観光客の絶えないフランスでも随一の観光名所であるベルサイユ宮殿だが、最盛期のサロンの華やかさ、革命、戦後の調印など様々な歴史の流れを見てきた場所でもある。
 ――権利は自分の力で勝ち取る場所、それがフランスだ。この場所で自分はいずれ生きていくのだ。と、うっかり険しい表情をしそうになり、ハッとしては肩を竦めた。
 ベルサイユ宮殿からホテルは徒歩圏内で、見学を終えたクラスから順々にホテルに帰っていく。むろんここでも男女別であるため、途中で男子と別れ、たちは自分達のホテルに戻ってチェックインを済ませると部屋で一息ついた。
 この界隈はどう見ても高級住宅街。治安も良さそうだ。まだ外も明るいし、ちょっと外まで散歩……という自由は当然許されるはずもなく、生徒達はホテルで夕食を取ってその日はそのまま就寝した。



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