青葉城西男子バレー部は、お盆明けの県外遠征を済ませたあとは近隣高校との練習試合をメインに練習メニューを組んでいた。
 場所は青葉城西だったり相手校だったりまちまちだが、この日は青葉城西側が相手校に赴いての練習試合となっていた。
 お互い、レギュラーチーム、サブチームを出しあってそれぞれ入れ替わり戦で試合をするという半日がかりのスケジュールになったのはそこそこ付き合いのある学校同士だからである。
 それでも青葉城西は県ベスト4の強豪であり、 サブチームでセッターを務める及川は二試合どちらとも快勝で終えて上機嫌で笑みを漏らしていた。
 その隣にはまんざらでもなさげの岩泉と、相手校のユニフォームを着た選手がいる。
「及川のサーブ、コントロールもえげつなくなってんな。お前、どんだけ練習してんだ」
「それは今は企業秘密だね」
「ハジメもますますパワーバカになってるしな」
「バカは余計だバカは」
 その相手校の選手は及川や岩泉にとっては北川第一時代のチームメイトでもあった。
 進んだ高校のバレー部のレベルはそう高くもなく、強豪の北川第一でレギュラーをはっていた彼は及川たちとは違い一年の頃からスタメンで、こうしてお互いコートを挟んで試合をするというのは今日が初めての事だった。が、勝ったのは及川たちに青葉城西サブチームであり、彼は悔しさを滲ませるもお互いに気心の知れた仲だ。
 そんな軽口を叩き合って、そういえば、と彼は話題を切り替えた。
「昨日だったか、白鳥沢と練習試合したってダチから聞いたんだけどさ……試合のとき、ウシワカのやつ不在だったらしいのよ」
「――は?」
「なのに負けたーって愚痴だったんどさ、ウシワカ不在の理由がまた……なんだと思う?」
「知るか」
 白鳥沢及び牛島は及川にとっても岩泉にとっても、そもそもが北川第一にとっての宿敵でもある。牛島の名前が出た途端に及川の表情がわかりやすく歪み、岩泉でさえ眉を寄せた。が、元チームメイトならその反応すら慣れたものだろう。
「あの野郎さ……、全日本ジュニアの選抜合宿に呼ばれてんだとよ」
 しかしながら続けられた言葉は予想をはるかに上回る破壊力で、及川は文字通り目を見開いて硬直した。おそらくは隣の岩泉も似たような反応だっただろうが、感じ取っている余裕などあるわけもない。
「……なに……ウシワカ野郎が全日本ジュニア入りってニュースなわけ?」
「さあな。俺も又聞きだけどさ、白鳥沢のメンバーが言うには全日本ジュニアの監督だかコーチだかがウシワカに声かけてる大学の監督で、その縁もあって呼ばれたーみたいな話だったぞ」
 スポーツドリンク片手に語る彼は、もう既に打倒・ウシワカの第一線から引いてしまったつもりなのかもしれない。が、現役の及川にとっては心情を掻き乱すのに十分で、対抗心なのか焦燥なのか嫉妬心なのかよく分からないぐちゃぐちゃな感情が湧き上がってきた。
「ハッ、やっぱ違うよね、全国常連の大エース様ってのはさ」
 自分とあまりに違いすぎる。とはっきり口にするのはさすがに惨めすぎて、及川はただ悪態だけを声に乗せた。
「ぜったい、あいつ凹ましてやる!」
 その後、ほどなくして集合をかけられ青葉城西は専用バスに乗り込んでの帰路となったが車内の空気は重い。基本、口数の多い及川が黙り込んでいるせいだ。それは及川自身も自覚していたが、とうてい口を開く気分になどなれずにひたすら窓の外の流れる風景を腕で顎を支えつつ見ていた。
 モヤモヤするなという方が無理だろう。牛島はいつもいつも自分のはるか先を歩いていく。それはきっとバレー選手として約束された未来だ。自分には決して手に入れられないもの。と考えてしまうのがいやで、ひたすら考えないように眉間にシワを刻んで思考をそらした。
『お前はいいセッターだ。能力も十分にある。だというのに、なぜ――』
 ――うるさい。黙れ牛島。振り切ろうとしても入り込んでくる思考とひたすら戦う自分を岩泉が隣で不審げに見つめていたが、とても気づけない。
 やっぱり天才は嫌いだと思う。勝手に先へ進んで、勝手に追いついて、そして追い越していく。牛島に追いつけないどころか、きっと自分はいつか――と、脳裏に後輩の影が過った。
 いっそあいつずっと孤独な王様でいればいい。そしてそのまま、あの才能を発揮することなく消えてしまえばいいのだ。なんて、ついには影山に八つ当たりすることで思考をそらそうとするなんて。ほんと自分が一番厄介で、一番いやだ。と、及川は固く瞳を閉じた。
 ああいやだ。ほんと厄介。――はやく東京なんかから帰ってきてよ。と閉じた瞼の裏にの姿が過った。
 ――勝手に遠くに行かないでよ。そう唇を噛みながら過ぎらせた先に見えた姿が誰だったのか。及川は自分ですら気づけないように強くかぶりを振った。


『及川さん。及川さん』

 見知った声が前方から聞こえた気がして、及川は思わず眉を吊り上げた。
 ――飛雄、お前なに俺の前なんか歩いちゃってんの?
 視界にぼんやり映った影山の背を追おうとした先に、ぼうっと大きな影が過った。

『及川、なにをしている。その調子じゃいつまで経っても追いつけないぞ』

 ――牛島! 誰がお前のあとを追うなんて言ったよ。勝手に先行けよ。
 ――岩ちゃん! ねえ聞いてよ飛雄とウシワカがさ……!

 なぜか後ろに岩泉がいると確信していた及川は勢いよく後ろを振り返った。すればやはり彼はそこに居てホッと息を吐いたのも束の間。読めない表情で踵を返して歩いて行こうとして、及川は焦ってあとを追おうとする。
 ――待って岩ちゃん、どこ行くの!? 飛雄たちが……!
 そうして岩泉を追う及川の背中に、また声が届いた。

『及川くん……!』

 ピクッと及川の背がしなり、そのまま振り返る。
 ――ちゃん! ちゃん、なんでそっちにいるの? こっちにおいでよ、ねえってば。
 呼びかけは虚しく、うっすら見えたの影も牛島や影山の影も遠ざかって、及川は逆方向へと消えていく岩泉を焦って呼び止めた。
 ――岩ちゃん、どこ行くの!? 待ってよ、待ってってば!
 そして岩泉を追おうにも、追えば達から遠ざかることが分かって及川は足を止めた。岩泉に背を向けて前へ進むべきか。それとも岩泉を追えばいいのか。

『及川さん』
『及川くん』
『及川』

 動けない脳裏に影山たちの声がリフレインする。けれども前へ進めば、岩泉を見失ってしまうだろう。けれども。確実に消えていく影山たちの気配をリアルに感じて及川は動けないままに声をあげた。
 ――待てよ、牛島! 待てって……ねえちゃん、ねえってば。牛島! ちゃん……ッ、飛雄!

「飛雄……ッ!」

 そうしてカッと目を見開いた先に映ったのは見慣れた天井で、ムクッと布団から起き上がった及川は、あれ? と首をかしげた。
「……なんか夢見てた気がするんだけど……」
 忘れた。と、10秒ほど思い出そうしてみたが無理だと結論づけて一つ伸びをした。一つ分かっていることは、あまりいい夢ではなかっただろうということだ。
 きっと胸くそ悪い悪夢だったに違いない。それもこれも――。
「ま、だいたいウシワカ野郎のせいだけどな」
 起き抜けに悪態を吐いて、及川は起き上がった。昨日、練習試合で他校に赴いた際に元チームメイトから牛島が全日本ジュニアの選抜選考会に参加しているらしいと聞かされて逆上したせいだろう。本当に牛島若利という存在は、ただ存在しているだけでこちらの気分を最大限に害することができるのだから大したものだと思う。
 が、朝っぱらから牛島の顔を浮かべるなんてぞっとしない。とふるふると首を振るって思考を切り替え、及川は洗面所に行って顔を洗った。
 ふぅ、と息を吐きつつ顔をぬぐって鏡を覗けば相も変わらず整った顔の男がいて、今日も俺イケメンだなと思うことすら慣れたもので、朝食を済ませたら軽くロードワークに行こうと今日こなすスケジュールを脳裏で参照した。
 夏合宿・遠征・練習試合等々、夏休み中の特別スケジュールが終わって今日からは通常練習のみに戻る。主に練習は午後からで、自室に戻った及川は机に上に置いていた携帯を手にとってカレンダーを表示させた。
 週中にはが帰ってくる。――とやや浮かれ気味だったのもつかの間。

 ――明日って岩泉くんも来るのかな?

 が仙台に戻ってきた翌日の午前中に会う約束を取り付け、どの課題が終わってないのか等々を話しつつ、明日美術室でね、と話を締めようとしたあとの就寝前。
 からそんなメッセージが届いて及川はピシッと固まった。
「なんで岩ちゃん!?」
 脳裏に、及川さんと二人っきりがイヤってこと!? とか、岩ちゃん来ないとダメな理由ってナニ!? 等のセンテンスが疾風のごとく駆け抜けていったが、高速で返信を打ちそうになった手を及川は止めた。
 たぶん、どうせに他意などない。せいぜい、勉強は岩泉も含めた3人でやることが多かったために純粋に疑問に思っているだけだろう。
 はどうせ、こちらが思ってるほどホントは自分に興味なんて……とうっかり悟りそうになったところで及川はハッとして首を振るった。
「ナイナイ! きっとこれ照れ隠しだし! ぜんぜん気にしてないし別に!!」
 ああ、もう。本当に面倒くさい。――自分が。と、脳裏で突っ込みを入れて携帯をポスッと枕元に投げた。
 は自分からの返信がないことすら気にも留めないだろう。なんて考えれば虚しくなりそうで思考を止めて布団に入り、電気を落として瞳を閉じた。



BACK TOP NEXT