――ウソ!? ベニーランド行ったことないなんヤバいよ! 今度一緒に行こ! お風呂からあがってメールを開いたら、及川からそんなメールが届いていた。 ベニーランド、とは仙台では知れた遊園地で、にとっては偶に足を運ぶ動物園の隣にあるテーマパークという認識だった。が、そんなに驚かれるほどみんな行っているのだろうか。という疑問と、あんな学校そばのメジャースポットに及川と出かけるのは考えただけでちょっと面倒かな、とその事自体は及川のせいではないため本人には多少申し訳なく思いつつ及川のメールにあまり深い意味があるとも思えず。そもそもお互いに部活で「今度」を見つけるのは難しいだろうという旨の返事を返して携帯を閉じた。 ともかく、来年は受験が控えているし自分は自分の事に集中しようと思う。取り敢えずお盆までの2週間の集中講座に今は集中して、と考えつつはふと上京した日に受信した一通のメールの事を思い浮かべた。 意外な差出人からのメール。――差出人の名は鳳長太郎。春に上野の美術館で出会った、いまは氷帝学園高等部に通う一年生だ。彼も絵が好きで、自分の絵を好きだと言ってくれた事、仙台に越していなければ自身が通う予定であった氷帝学園の生徒という事など意気投合して連絡先を交換し、たまにメールをする仲になっていた。それに――とは少し頬を染めた。初めて鳳の声を聞いた瞬間、及川だと勘違いをしてしまった。そのくらい鳳の声と及川の声は瓜二つで、彼と話しているとなんとも奇妙な気がしたものだ。 その鳳から、氷帝学園を見に来ませんかと連絡があった。もっと言えば、紹介したい人物がいるのだという。鳳の所属するテニス部の一つ先輩で二年にして部長兼生徒会長でもあるというその人物も絵画に一家言を持っているらしく、鳳が自分の事を話したら興味を持ってくれたらしい。 8月上旬は鳳はインターハイで忙しいらしいが、インターハイが終われば部活自体が自由参加になるということで、部活も含め学校見学を兼ねてどうかとの誘いには二つ返事をした。今さら通わなかった学園を知ってもどうにもならないが、やはり興味はあるしきっと自分にとってプラスになることだと感じたからだ。 それに、いずれにせよ部活風景はいいスケッチ練習になるだろうし、楽しみだな――と、そのまま忙しい日々を過ごしてお盆開け。は鳳との待ち合わせ場所である氷帝学園高等部の正門前に向かった。 すると、校門のところにジャージ姿の見知った影があって「あ」とが声を上げる前に相手の方が気づいたのかこちらに向かって手を振ってきた。 「さーん!」 「鳳くん……」 そうして気持ち足早になったの方へ駆けてきてくれた人物――鳳はそばに来るやいなや笑顔で挨拶をしてくれた。 「お久しぶりです。お暑いところをわざわざ来ていただいてありがとうございます」 「ううん、こちらこそ。お招きありがとう」 ――相も変わらず、声だけは及川とそっくりだ。と、内心驚きつつ、背格好さえも及川に似た鳳を見上げ、は鳳の背後の校門へも目配せした。 「だけど、部外者の私が入っちゃって大丈夫なの?」 「平気ですよ。跡部さんに……、あ、うちの部長兼生徒会長なんですけど、ちゃんと話を通しましたから」 「そ、そっか……。えっと、鳳くんはこれから部活、なんだよね?」 「はい。自主練なので、軽めにやる予定です。跡部さん、あとで少し顔を出すと言っていたのでその時に紹介しますね」 「うん。にしても、氷帝テニス部って強いんだね。インターハイに出たんでしょう?」 「はい。全国制覇には届きませんでしたが……、俺が言うのもなんですけど、ウチのテニス部は強いですよ。インターハイで三年生が引退されて、今後はますます俺たちで盛り立てていかないと、と気持ちを新たにしたところです」 「頑張ってるんだね」 そんな話をしつつ、学園に足を踏み入れる。さすがに首都の私立校。大きな校庭には緑がたくさん植えられており、中庭の奥にはまるでシンボルのような噴水が爽やかに景色を彩ってた。目に映る西洋風の豪奢な建物の一つ一つをカフェやシアターだと説明する鳳の声を聞きながら、は感嘆の声を漏らすとともに青葉城西との明らかな環境の違いを一瞬にして感じ取ってしまった。 むろん青葉城西だって標準以上に設備投資された私立であるし、気に入ってはいるが。と巡らせていると、スタンドが見えてきた。鳳曰く、テニスコートだという。 「ス、スタンド付き……」 思わず目を見張ってしまう。今日はお盆明けで家族旅行などに出ている部員も多いらしく、自主練という事を抜きにしても部員が少ないようで、好きな席で自由に見ていてくれという鳳の言葉に従ってはスタンドにあがった。 眼下には三面のハードコートが広がっており、そのうち二面を使って部員がラリーをしている。 コート側に入った鳳は練習している部員たちに声をかけてからボール籠を引いて空いているコートに入った。そうしてサーブ練習を始めた鳳を見て、はあまりに予想外の威力に瞠目した。 テニス部の練習は北川第一でも青葉城西でも定期的に見ている。それゆえ、彼の選手としてのレベルの高さがそのサーブだけで理解できてしまったのだ。――さすが全国区の部活だな、と思いつつふと脳裏に及川の姿が浮かんでくる。だってそうだろう。及川とそっくりな声で及川に似た背格好の人物が強烈なサーブを打っているのだ。 今日も及川は一人でサーブ練習に励んでいるのだろうか。と浮かんだのはきっと自明の理だと思う。 ――及川徹という人間に最初に抱いた感情は間違いなくプラスのものだった。と少しだけ遠い昔の、まだ及川の名前も知らなかった頃の記憶をは蘇らせた。 彼の人となりなど全く知らない頃から、誰よりも熱心にバレーに打ち込んでいた事は知っていた。だから今も、それがあるから。それがあるから……と深く考え込みそうになったところでハッとする。 もしも、の話があったとして。もしも、父の転勤がなければ。あるいは東京に残る事を選んでいれば。自分はごく自然にこの場に馴染んでいたかもしれない。けれどもそうすれば――自分はきっとあの「仙台の冬」は描けなかった、とあの日に及川と共に見た雪空の光景が勝手に蘇ってきてハッとは首をふるった。 少し絵を描いて落ち着こう。と、持参したスケッチブックを広げて筆を走らせる。そうして黙々と描いていればいつものペースが戻ってきて、気持ちのいい打撃音を聞いているのにもすっかり慣れた頃。 「部長!」 「ちわーっす!」 コートから声があがってはパッと顔をあげた。見ると、コートサイドに制服姿の少年が立っていて、鳳が頭を下げながら近づいていくのが見えた。 そうして言葉を交わした2人が揃ってスタンドを見上げてきて目が合い――、え、と一瞬はおののく。 そうこうしているうちに2人がスタンド側に歩いてきて鳳が軽く手招きしたものだからも戸惑いつつ側まで降りていった。すると鳳がニコッと笑ってこう言った。 「紹介しますね、こちらテニス部部長で氷帝学園生徒会長の跡部景吾さんです」 としては反射的に自分も自己紹介するしかない。 「は、はじめまして。です」 「跡部さん、こちらが先日お話ししたさんです」 「ああ。俺様の氷帝学園に入り損ねたってのはお前か、あーん?」 すれば制服姿の少年――跡部に尊大な物言いで言われて、ぴく、との頬がしなった。 「あ、跡部さん!」 「ま、この俺様がわざわざ来てやったんだ。コートで立ち話でもねえだろ。カフェテリアに移動するぞ。鳳、お前はさっさと着替えてこい」 「あ、はい。分かりました。では……少し失礼しますね」 目の前で繰り広げられる光景にはあっけに取られて少々対応に遅れつつも言われるままにコートから移動せざるを得ない。そのまま流れに任せて跡部についていき、先ほど鳳にも教えてもらったカフェが入っているという建物に移動した。 「わー……!」 そうして足を踏み入れれば、まるでヨーロッパのクラシックカフェにでも迷い込んだような空間が広がっておりは素直に感嘆の息を吐いた。これが校内とはとても信じられない。 「二階が喫茶スペースになってる。俺様の高等部進級に際して作らせた憩いの場だ」 「え、作らせ……?」 「食とティータイムは日常生活を営むうえでの基本だからな」 ――そういう問題ではない。とはとても追いつかない疑問を脳内でのみ訴え、二階にあがってとりあえず席についた。無難にコーヒーを頼んだとは違い、跡部は紅茶にスコーンという典型的なクリームティーを頼んでおり、どことなくイギリス好きなのかな、と感じて微笑む。 「紅茶党なんだね」 「コーヒーが嫌いなわけじゃねえ」 「クリームティー……、イギリスだと定番なんだよね。うちも父がクリームティーには目がなくて、メニューにあったら必ず頼んでるの」 「ああ、お前の父親はイギリスで博士号をとったんだったな」 「――え!?」 なぜそれを知っているのか。という驚きで目を見開いたに対し、跡部は何を驚いていると言いたげに少し目を見開いた。 聞けば、跡部はあまり詳しく自身のことは話さなかったものの自身もイギリス出身であるという納得の答えをくれ、それをきっかけとして氷帝の留学関係の強みなどについて熱心に話を聞いていると制服に着替えた鳳が「お待たせしました」とやってきて改めて3人でテーブルを囲んだ。 「さんは、休みの間は東京で絵や語学の勉強をされているんですよね」 「うん。今年は絵というより受験対策をしてたの。来年、受験生になるから」 「美大を受験されるんですか?」 「ううん。芸大が第一志望。もし中等部から氷帝に通ってたら、高校からパリに行ってエコール・デ・ボザールを受けたかったんだけど……」 言えば、なんだ、と跡部がの方へと視線を流した。 「高校からパリに行く予定だったってんなら、現状はずいぶん遅れてんじゃねえの、あーん?」 そのものズバリを言われては苦笑いを漏らした。 小学校中学年の時、父のメインラボを仙台に移すことが決まった。単身赴任あるいはの中学受験を睨んでだけ東京に残す等々両親も悩んだようだったが、結局家族で仙台に越すことが決まった。 自身も悩んだが、どの道、あの当時のには全部を自己判断で決めるのは不可能だった。ただ、東京を離れることで受ける不利益は分かっていたつもりだ。最終的に自分の志望通りの道に行けるよう将来の予定を練り直して、追いつくための努力は惜しんでいない自負もある。 というような事を説明すれば、ふ、と跡部が不敵な笑みをもらした。 「で、芸大に受かってどうするつもりだ?」 「内部選抜で残ってパリ・ボザールに留学したいなって思ってるの。そしてそのまま……、実力でパリに残りたい」 「ほう、言うじゃねえの。そこまで言うってんならフランス語は喋れんだろうな?」 「ま、まだまだ……だけど。ある程度は」 「フ、ウチに来てりゃフランス語のカリキュラムも留学制度も整ってた。余計な回り道で人生無駄にしねえようにせいぜい精進するんだな」 初対面の人間にこの言い様。たぶんこの人、元から素でこんな人なんだろうな、とが頬を引きつらせていると鳳が焦ったように割って入った。 「い、いくら何でもご家族の転勤なら仕方ないじゃないですか! 小学生だったのならなおさらです。それに……俺はさんさんの”仙台の冬”にとても感銘を受けました。あれって氷帝に来てたら描けなかった絵ですよね?」 ね、と鳳がフォローついでに言うものだからドキッとの胸が脈打った。やっぱり、あまりに彼の声は及川に似ている。 「跡部さんもあの絵をご覧になったって言ってたじゃないですか」 「ま、確かに賞賛に値する絵だったが。それはただの結果論じゃねえか」 言い合う二人を見つつ、は思う。もしも自分や両親の選択が違っていたら。自分は氷帝学園の生徒として、いまこの場にいたかもしれない。そうなれば彼らとは同級生や先輩後輩という関係だったのだろう。 けれども。――たとえ結果論でも、氷帝に通っていれば「仙台の冬」を描くことはなかった。あれは今までで一番大きな賞をとった最高傑作でもある。得意としている風景画だが、あのキャンバスの外側には及川がいたのだ……との脳裏にはあの冬の日の光景が蘇った。 最初に抱いたプラスの感情とは裏腹に、きっと及川とはお互いに傷つけあってしまう間柄なのだと少しだけ失望した。でもきっとそれ以上に相性も良かったと思い直して――。描き損ねいていた「冬」の絵を埋めたと同時に、初めて仙台に来た意味を見つけたような、そんな気がしたのだ。 もしも仙台に越していなければ、及川と会うこともなかったのだな。なんて過ぎらせてしまって少しだけ目を見開く。考えても詮無いことだ。いずれ自分が進む道は一つ。いまはそこへ行くための通過点でしかない。と思い直していたところでふと携帯の震える音が響いた。 のものではなく、ハッと顔をあげると跡部が制服のポケットから携帯電話を取り出して耳にあてるのが映った。 「はい。ええ、もう着てますよ。……わかりました。いまから向かいます」 誰かからの呼び出しだろうか? と何となく思っていると、跡部が携帯を切って立ち上がった。 「俺様はこれから学長とミーティングだ。もう行くぞ」 「あ、はい。お疲れ様です」 「おいお前。お前のセンスは悪かねえ。これからもせいぜい精進しな」 「え……? あ、ありがと」 去り際まで上から目線というよりはひたすら尊大な物言いで去っていった跡部に半ば唖然としていると、隣で鳳が苦笑いを漏らす気配が伝った。 「すみません、うちの部長……ちょっと独特で」 「う、ううん」 「でも本当に凄い人なんですよ、跡部さんは。テニスも学問も素晴らしくて、俺、尊敬してるんです!」 鳳は、フォローではなく、本当に心からそう思っているような物言いで、素直な子だな、とは素直に感心した。及川と同じ声でこんな素直なセリフが聞けるなんて、と少し気を抜けばやっぱり及川の顔が浮かんできて内心焦っているとなお鳳は続けた。 「さんの絵も跡部さんはけっこう見てるみたいで、今日だって跡部さんはあなたに会うのを楽しみにしてたみたいなんですけど……」 そうして今度こそフォローするように言われては少し肩を竦める。 「仙台の冬、褒めてくれてたもんね」 「あの絵、本当に素晴らしかったです! さんなら芸大も現役でぜったいに受かると思います。俺、応援してます!」 「ありがとう」 「それに……、俺もちょっと受験を考えてるんです」 そうして鳳は思ってもみなかった言葉を続けて、はさすがに瞠目した。 鳳も絵を学ぶつもりなのか……と、鳳の腕は知らないながらに思っていると、学部は同じであるが鳳は建築に興味があるらしく。 もしもお互いに受かれば今度こそ先輩後輩ですね。などと話す鳳との雑談もそこそには今日の礼を言うと帰路についた。 その夜、はお盆明けに東京での用事のために祖父母の家に留まっていた父に今日の出来事を話した。 「そうか……。ちょうど父さんの転勤が決まった頃、イギリスの跡部財閥がご子息の帰国のために都内の中学に投資しようとしているって話を小耳に挟んだ事があったんだよ。イギリスではあそこの子息はパブリックスクールに行くだろうって見てたから情報としては確実ではなかったんだけど……結局、その通りだったということだね」 「跡部財閥……」 「うん、日本にも多方面に投資してる世界規模のグループだね。氷帝学園は国際関係に力を入れようとしていたし、きっと利害が一致したんだろうね。は……それで氷帝に行っていれば良かったと思ったのかな?」 「ううん。行ってれば……プラスにはなったと思うけど……」 「父さんは、を仙台に連れて行くって決めた時から後々不利にならないよう勉強も語学も少し厳しめにさせてきたつもりだから、東京に残っていれば得られなかったこともあると思うよ」 「うん……。ただ、すっごく氷帝が華やかでびっくりしちゃったの。通ってても馴染めたかな……って」 ふぅ、と息を吐くと父ははははと軽く笑った。 けれども今日だって鳳たちとは違和感なく話せたし、きっと慣れだろうと思う。これから先、絵画の世界で生きていくなら今日見たような世界に慣れなくてはならないし、と考えていると「そうだ」と父から声があがった。 「今日あったミーティングで付き合いのある教授に聞かれたんだけど、の中学の同級生にバレー部でセッターをしてた子がいただろう?」 「――え!?」 「その教授が言うには体育専門学群の人が次世代のセッター候補を探してるらしくてね。話のついでに宮城のバレー事情について聞かれたから、の同級生にセッターで有望な選手がいたことをチラッと話したんだよ。北川第一はバレー部がとても強かったようだからね」 ――及川のことだ。と、悟るも話がかなり漠然としており首をひねっていると父はなお続けた。 「そしたらその教授、宮城だったら白鳥沢ですねって言って、体専に白鳥沢のセッターを注視するように伝えておくなんて言ってたけど……はなにか知ってるかい?」 「う、うーん……。たぶん、そのセッターって及川くんのことだと思う」 「え……?」 「及川徹くんっていう同級生の子なんだけど、中学三年の時にベストセッター賞を取ったの。県内では有名な選手みたいだけど……でも白鳥沢じゃないよ。青城に進学して、今も同じ学校なの」 少し苦笑いを漏らしながら言うと、そうか、と父は漏らした。もとより雑談ついでだったらしいが、でも。やはり宮城で優秀な選手というのは、イコール白鳥沢の選手になるのだな。と否が応でも感じた。 そうして改めて思う。及川はなぜ白鳥沢に行かなかったのだろう? と。牛島を倒すため、などとは言っていたが。 それこそ自分と氷帝学園のケースと違い、及川は本人がその気なら白鳥沢には行けたのでは。と感じるもそれ以上考えても意味のないことで、は父との話もそこそこに切り上げて自分の勉強に入った。夏の課題は父に聞くまでもなく自力でなんとかなりそうな内容だ。 及川はもう済ませてしまっただろうか。とそんなことを浮かべた。なんだか随分と長い間会っていないような気がする。 彼は今日から遠征で、それが済めばあとは夏休みが終わるまで軽めの練習で楽になる、というメールが今朝きたばかりだというのに。 でも。いくら練習が楽でも、及川は結局体育館に残ってきっとずっと練習するのだからちっとも楽などできないのに。と、いつものように一人体育館でサーブ練習に明け暮れる及川を浮かべて、ふふ、とは口元を緩めた。 |