翌朝、は朝刊の地元スポーツ情報の載っているページを探してめくった。バレーの中総体の記事を見るためだ。
「あ……!」
 すると、”北川第一、惜しくも破れる”と小さな見出しが目に飛び込んできて直ぐに文章を追った。
 北川第一がストレートで負けた事、チームの司令塔である影山を第1セットでベンチに下げた戦略への批判、あとは優勝校を讃える記事で、昨日及川が言っていた話以上の情報は得られなかった。が、セッターをめぐって一悶着あっただろうという事だけは確認できた。
 昨日の及川を見るに、きっとよほどのことがあったのだろう。あの影山が……と、が記憶の中の小さくていつも嬉しそうにバレーボールに触れていた影山の姿を浮かべていると、テーブルに置いていた携帯が震えた。メールの受信を知らせるものだ。
 開けば及川からのいわゆる「おはようメール」で思わず首を捻ってしまう。そうこうしている間にもう一通のメールを受信し、むろんそれも及川からで、いつ仙台に戻るのかを問う文面だった。
 始業式の一週間前には戻ると返事をすれば、じゃあ戻ったら一緒に夏の宿題をやろうというメールが派手なデコレーションと共に来て、は一瞬固まった。――いくら何でも休暇が終わる寸前まで夏の課題を全て放置はないだろう。きっと答え合わせとか最終確認とかだろうな、と解釈してOKの返事をした。
 岩泉も一緒に来るのかな、などと考えつつ東京行きのためのパッキングをしていると、しばらくして再び携帯のメール受信ランプが光っている事に気づいた。
 また及川からかなと開いてみると差出人は意外な人で、の両まぶたが大きく持ち上がった。

 一方の青葉城西バレー部も夏休みに入れば強化合宿と言う名の集中練習が入ってくる。基本は3,4日ほど学校に泊まり込んでの強化合宿であるが、時おり遠方へも宿泊込みで出かける。
 休みもまだ序盤の時期、青葉城西バレー部はレギュラー・ベンチ及び数人の有力選手のみ泊まり込みで5日間の合宿を行っていた。むろん他の部員も通常練習には参加するため、合宿参加組にとっては練習時間が強制的に伸びる事、逃げ出したくとも帰れない事以外はいつもと同じだ。

「オイこらクソ及川! 一人でメシ盛ってんじゃねーよ!」
「えー、だって俺、岩ちゃんより5センチ以上も大きいし食べ盛りだし」
「身長関係あるかボゲ!!」
「あるよ! それに今日の超美味しいカレー作ったの主に俺だしね!」

 夕食時に繰り広げられるいつもの光景を他の部員はもはや空気のように扱っていた。
 青葉城西は私立ゆえに昼食だけは学食の厄介になれるものの、朝夕は自分たちで用意せねばならず、得手不得手に関わらず炊事は強制作業だ。
 及川は「得手」の側なのか仕切りたがりの性格がそうさせるのかいつも率先して食事の用意をし、先輩陣に滞りなく食事が行き渡ったあとに岩泉と悶着を起こすなど例年通りすぎて今さら誰も興味を抱かないというのが現状だ。
 が――。
「及川さんて……こう言うのもなんですけど、随分イメージと違う人ですよね。俺、中学の頃に北一の試合を何度か見たんですけど、もっとクールな人かと……」
 ボソッと目の前でそんな事を呟かれて吹き出したのは花巻だ。
「ちょっと! 矢巾聞こえてんだけど!?」
「――は、はい! すみません!」
 及川の耳にもその少年――矢巾の呟きが届いたらしく花巻は肩を揺らすも、花巻の隣に腰を下ろしていた松川が「まあまあ」と諌めた。
「あんま後釜クンびびらせんなよ。夢壊されてかわいそうだろ」
「それな。女バレと同じパターンな。どんなイケメンかと思いきや実態はコレという」
「マッキーさりげに悪口挟んでくるのやめてくれる」
 結局、及川は盛りに盛った白米の3分の1程度は岩泉に渡したらしく、それでも大盛りのカレーライスを片手にツッコミを入れながら花巻の斜め前にいた矢巾の隣に腰を下ろした。
 その矢巾は中学時代に同じセッターである及川に、やはりある種の憧れのようなものを抱いていたらしいが……と、花巻は少しばかり肩を竦めた。
 及川は自分たちにとってもむろん有名人であり、入部当初は「ああ、あのベストセッター賞の及川徹」と遠くの存在を見る目で見ていたが、県内でも一、二を争う実力者であった彼は予想に反して酷く子供じみた性格だった。と、本人に伝えればむくれるだろうから言わないが、そもそもむくれると予想がつくあたりが子供っぽい、と一人で少し肩を揺らす。
 しかしながらあれでいて外面は良く、あの容姿と人当たりの良さに群がる女子は後を絶たず……そのことは少なからず部員のやっかみと、及川ならしょうがない、という相反する感情を買っていたが、なにせ実態はアレである。何かと行動を共にすることも多い女子バレー部の面々には早々に本性がバレ、彼女らの及川への感情は憧れから既に珍獣を見守るような目に変わっており、図らずも及川への男子部員の妬み嫉みというものはだいぶ緩和されたという結果を与えている。
 とはいえ、と花巻は考えた。及川は基本的に外面がいい。本性、と言ってもこの場にもしも岩泉がいなければ彼はいたって普通の態度だったはずで、そしてそれが及川の素であるのか見せかけなのかは自分たちには分からない。セッターというポジションに自ら好んでついているだけあってコミュニケーション能力に長け、社交的であるが、ある程度は仲良くなったという自覚のある今ですら、「及川徹」という人物がどのような人間であるかと真面目に問われたら、自分は返事に窮してしまうだろう。
 もしかすると、及川には岩泉にさえ見せていないような一面があるのでは、と疑問に思うことが時おりある、と何気なく及川の方に目線を送っていると先方は気づいたのかキョトンとしたのちにヘラッと笑われピースサインをされて花巻は苦笑いを漏らした。

 寝食の場所は武道場の隣の簡易宿泊施設を利用しており、部屋割りはおおよそ学年別となっていて部員としてもその辺りは気が楽であった。
 及川たちの四人部屋もいつもの四人であり、夕食が済み風呂も済んで及川は自身の布団の上に寝転がってメールを打っていた。
 ――合宿、超疲れる! 閉め切った体育館やばいよ。暑い。
 ほぼ無意識でゴテゴテとデコレーションしてそんなメールを送ってみると、珍しく送った相手であるからリアルタイムで返事が来て及川は目を見張った。労いの言葉と東京も暑いという返事に、及川はさらなる返事を送る。
 ――俺、ディズニーランド行きたいなー。
 我ながらなんの脈絡もないと思ったものの、「東京」で連想できる単語は東京タワーや来年開業予定のスカイツリーくらいのもので、仙台と東京なんてそう離れてないのに随分と遠く離れている気がするな、なんて思っているとから返事が来た。
 ――いま人いっぱいだしきっと暑いよ。でも及川くんってミッキーのカチューシャとか似合いそうだね。
 う、と及川は思わず赤面した。自分と違っていっさい顔文字もデコレーションもないシンプルな文章だが、たぶん、コレって自分がランドにいるところを浮かべてくれたってことだし。でも、これって素で言ってるんだよな、とやや目を泳がせつつ携帯画面を高速でタップした。
 ――だよね俺もそう思う! けどディズニーランド遠いし、こっちにはベニーランドあるしね!
 きっとほぼ反射的にメールを打っている自分のことを、用事がなければメールしないタイプのは不思議に感じているかもしれない。実際、岩泉ほどではないが自分が一方的にメールを送りつけているだけということもしょっちゅうだし、と過ぎらせているとまたも携帯はメールの受信を知らせて震えた。
 ――学校の近くの遊園地、だよね? 私、一度も行ったことないな……。
 動物園はあるんだけど。と続いていた文章を見るや否や及川は目を剥いた。ベニーランドとは仙台に住むお子様、いや老若男女必ず一度は行っているだろう鉄板のスポットだ。少なくとも及川にとってはそういう認識の場所だ。そんな場所に行ったことがないとは。本当にこの子、仙台市民なのか? と脳内で突っ込みつつピンとある考えが過った。
 ――”ウソ!? ベニーランド行ったことないなんヤバいよ! 今度一緒に行こ!”
 なんて自然な返事なんだ。と思いつつ、打って送信する瞬間に及川は躊躇した。――べ、別に深い意図はない。本当にこう思っただけだし、全然意味なんてない。などと考えている自分の面倒さに口をへの字に曲げつつ、エイ、と思い切って送信ボタンを押した。
 が。無駄に脈拍が速くなりつつ携帯を握りしめてしばらく。今日は珍しくすぐに来ていた返信が途切れ、及川は思わず声をあげた。
「ここで返信ナシ!?」
 すれば他の三人が勢いよく振り返るも、及川の視界にその姿は映らなかった。――別に変なこと書いてないし。もうけっこう前とはいえ、年末に一緒に出かけた時はだって楽しそうにしていたし。たぶん、お風呂とか入りに行っちゃってメール読んでないだけに決まってる。絶対そうだ。
 そんな事を考えてジッと携帯を睨み続けるも一向に携帯は震えず、加えてこうしている時間というのは普段より何倍も長く感じるもので、及川はついに携帯を握って上半身を起こした。いっそ電話すればいい、とそのまま立ち上がろうとするもののグッと思いとどまる。――電話して問いただすのもなんか違う気がするし。今ならまだ、いつものように全然違う話題のメール送って誤魔化せるし。そうだそうしよう。いまメール途切れさせたら気まずいし、それが一番。と思って新規メール画面を立ち上げるも、全く文面が浮かばずにため息を吐いて及川はそれを破棄した。
 はこういう返事が必要そうな問いかけには絶対に返事をくれる。だから、どう答えてくれるか知りたい。――ハァ、ともう一度ため息を吐いて及川はボスっと再び布団に横になった。いっそ寝てしまおうか。そうすれば朝までには返事が来ているだろう。と、そのままウトウトしてどれくらい経っただろうか。ぶるっと携帯が震えてぱちっと及川は目を見開いた。
 ――うーん、お互い平日は部活だし、及川くんは週末も部活だし時間見つけるの難しいんじゃないかな……。
 そうだけどそうじゃない。と、「今度」に焦点をあてたようなの返事に及川は思い切り脳内でツッコミを入れた。というか、もしかしてやんわり断られてる? ていうかコレが熟考した結果? それともお風呂だった? そんなツッコミで頭を埋め尽くしていると、急に後頭部に衝撃が加わり「ぶっ!」と及川の喉から反射的に声が漏れた。
「さっきからウゼェ! 顔もウゼェし独り言ウゼェ! 寝るなら寝ろ!」
「さすがにヒドイよ!?」
 岩泉から枕を投げつけられたのだと後追いで気づいて抗議しつつ、ハァ、とため息を吐く。周りをみれば、松川はすでに寝ているし、花巻はイヤホンで音楽を聴きながら何やら身体を揺らしている。
 ほんとこいつら自由だよな、と人に言えた義理ではないことを浮かべながら及川はそっと布団に横になった。目を閉じれば急に聴覚が冴えて、うっすら花巻の聴いている曲が漏れて及川の耳にも届いた。――この曲、そうだ以前にとゲームセンターに行った時に踊った曲だ。
 どんな歌詞だっけ。洋楽だから、意味なんて完全には把握してない。確か、この世にはふた通りの人間しかいないとかなんとか。と考えているうちに本格的に眠気が襲ってきて、及川はそのまま瞳を閉じた。



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