――「仙台の冬」。
 描き上がった絵に、予定通りそう名を付けた。「春」「夏」「秋」よりも格段に上の仕上がりになった。
 仙台に越してきて初めて、いま住んでいる場所と、そして隣にいた人を心から強く意識した――。



 季節はもう初春。青葉城西に入学してあっと言う間だった一年という月日が経とうとしている。
 その締めくくりとも言うべき3月の下旬には県民大会がある。むろんバレー部が出場するものだ。
 だいたいが3月の第三もしくは第四の週末をメインに行われており、今年の場合は春休み開始直後の週末だった。

 そんな県民大会の最終日を前にして、及川は試合帰りのバスの中で携帯を睨みながら、む、と唇を尖らせていた。

”ごめんなさい、いま東京にいるの”

 なるべく鬱陶しくならないように、だがテンション高めに試合の日程をに送ったらそんな返信が来たことが及川の表情の主な原因である。
 は三学期に入って、いままで以上に絵に熱中しているように見えた。及川自身、大きなコンクールが年度末にあって常に最優秀を狙っているとは以前にから聞いた覚えがうっすらあったため、ソレに集中していたのだろうとは思っていた。
 曰く、文化祭の時に欠けていた「冬」の絵を描いていたらしい。一緒に光のページェントを見入った時に思いついた絵のようで、思わず「あ、俺の絵だったりしてー」と言ってみたらきっぱりと否定された。
 自信がある、と言っていたはその言葉の通りいままで取れていなかった最優秀を受賞したらしく、いま東京に出向いているのは美術館に飾られた自身の絵を確認に行くためらしい。
「これだから天才むかつく……!」
 ケッ、と悪態を吐いてみるが、気にくわない理由がもう一つあった。

”上野の美術館で、ひとつ年下の男の子に会ったんだけど、びっくりした。及川くんの声にそっくりなの! 及川くんかと思っちゃった”

 珍しくから「いまなにしてるの?」系の質問に対する返信が来たと思ったら少し興奮気味のそんな中身で「ハァ!?」とバスの中にも関わらずうっかり不機嫌な声を漏らしてしまった。
 多少イラッとしつつ、のメールの内容には触れず勢いだけで文字を打って速攻で送り返した。

”俺、明日準決勝で勝ったら決勝なんだけど”
”頑張ってね”

 するとこちらの「苛ついてます」アピールは伝わらなかったのか意に介していないのか、そんな一言が返ってきた。
 まあ別にいいいけど。と肩を落としつつも唇を尖らせる。たぶんは自分のバレーに興味があるわけではないだろうし。仮に試合を見に来てくれたとして、うっかり牛島を気に入られでもしたら目も当てられないし。
 牛島自体はやっぱり宮城どころか全国でもトップクラスのスパイカーであることは腹が立つが認めざるを得ないし、腹立つけど。と考えていると本格的に胸が悪くなってきて及川は気を紛らわせるために窓の外を見た。


 ――東京。
 が及川にメールを送る少し前。

 は上野の美術館に赴いていた。
 3月下旬を目処に、毎年その年で一番大きなコンクールの結果発表がある。その中学・高校生部門の油絵の最優秀賞をは中一の時から狙っていたのだが、いつも最高で優秀賞止まりであった。
 最低でも中学のうちにトップを取りたかったのに、少し遅れてしまった――と「最優秀」と書かれた自分の絵を見上げた。
 ――”仙台の冬”と名付けた、にとっては「仙台の四季」の一番最後を締める作品である。が、仙台をモチーフとして全面に押し出した絵をコンクールに出したのも、それで賞を取ったのも初めてのことだ。
 今回はいける自信があったが、本当に良かった。と胸を撫で下ろしているとふいに背後から声がかかった。
さん……ですか?」
 聞き覚えのある声に反射的に瞳が大きく見開いた。――ここにいるはずないのに。と、理解しつつもその「声」の主の姿を勝手に想像して口からは小さな呟きが漏れた。
「及川くん……?」
 そうして振り返った先には、及川と同じくらい長身の柔らかい雰囲気の少年がいた。
 あ、とが人違いに慌てると、眼前の彼もどこか慌てたように言った。
「あ、すみません、いきなり声をかけて。その……俺、あなたの絵が好きで」
 受賞おめでとうございます、と柔らかく笑った声が本当に及川に似ていて、は内心驚きつつも笑った。
「ありがとうございます」
「俺、実は公開初日にも来たんです。この作品……本当に感銘を受けました。なんていうか、風景画なのに、もっとこう……いままでさんの絵で感じたことのない、感情的な温かみがあるというか……」
 少年はそうしてどこをどう気に入ったのかを説明してくれ、も聞きながら自分の絵をもう一度見上げた。
 もしも。最優秀を取った理由が技術的なことではなくプラスアルファが付加されたものだとしたら。あの時――及川の笑顔にかかった雪がとても綺麗だと思えたから。数年前の雪の日には笑顔をなくしていた少年が、目の前で笑っていたのが嬉しくて。自分の周りの光景がいっそう煌めくような錯覚さえ覚えた。
 なんて、いくら自己分析しても本当のところは分からないが。と、はそのまま少年と何となく話をしながら美術館をあとにした。
 ひとつ年下であるという少年はがもしも仙台に越さなければ入学していただろう中学校に通っているらしく、ついつい話し込んでしまい。一人になってようやくメールが何件も溜まっていることに気づいた。
 そのほとんどが及川からで、メールを読んでいると先ほどの少年の声と及川の声が脳裏でオーバーラップして「いま何してんの?」とリアルタイムで受信したのも相まって及川にそっくりな声の少年に会ったことを伝えた。
 すれば明日は準決勝、勝てば決勝だと言われ――、しばらく東京に留まる予定だったにはどうしようもなく、頑張ってという返事を返した。

 翌日、及川は試合の結果を知らせては来なかった。
 だから、何となくは結果を察した。
 からも聞くことはなく、一週間近く経って。負けた。いつ帰ってくるの? と、用事のついでのように結果を知らせてくれた。
 始業式直前まで戻らないと返事をすると、よく意味の分からない絵文字の返信が来た。が、及川のメールは往々にして解読が難しく、気にしても仕方がない。
 返信頻度が極端に低いという岩泉の気持ちも分かる気がする――、とやや苦く笑いながらメールを眺めつつ、そのまま東京の祖父母宅で過ごして新学期は始業式。

 青葉城西に入学してもう一年か、と登校して一番に掲示板に張り出されていたクラス割りを見て自身の新しいクラスを確認したは二年生用の階へとあがってクラスに入った。
 黒板には出席番号がランダムに席順として書かれており、名簿から自身の出席番号を確認して席も確認する。中央の列の最後尾だ。
 席について一度クラスを一望する。一年目は中学の同級生でもあった岩泉が一緒だったが、今回は見知った顔がいないな。とぼんやりと雑音を耳に入れていると、不意に前の席に人影が現れた。席の主だろう。
 顔を上げると、すとんと前の席に座ったその人物の大きな背中で一気に視界が覆われては少し頬を引きつらせた。かなりの長身のようだ。――これはもしかして黒板が見えないのでは、と感じているとそれを察したかどうかは分からないが、前の席に座った人物がの方へ振り返った。
「あ、もしかして前見えない?」
 短髪の、きっとオシャレでそうしているのだろうなという気配のする独特の雰囲気を持った少年だった。
「え、と……。う、うん、ちょっと。背、高いんだね」
「じゃあ俺の席と変わる? 黒板見えないと大変デショ」
「え……でも」
「俺も最後尾だとラッキーだし、お互い様」
 あっけらかんとそう言われて、は戸惑いつつも言葉に甘えることにした。やはり黒板が見えないのは辛い。ありがとう、と言いつつ立てば少年の方も立ち上がって机に乗せていたらしきバッグを掴み、あ、とは互いの席を交換しつつ少年のバッグに目線を送った。
「もしかして、バレー部? バレー部のバッグだよね」
 少年が持っていたのはにとっては見慣れた白とペールグリーンの青葉城西男子バレー部特有のバッグで、少年も後ろの席に腰を下ろして頷いた。
「うん。俺、花巻貴大。よろしく、さん」
 花巻、と名乗った少年がそう言っては目を丸めたが。有名人だから知ってる、とどこかで聞いたような台詞を持ち前の切れ長の瞳を微動だにせずに淡々と言いくだされ、そっか、と肩を竦めた。
 にしても、先ほど立ち上がった時の感じ。もしかしたらこの少年――花巻は及川よりも背が高いのかもしれない。バレー部に部員が何人いてどういうメンバーが揃っているのかはまったく知らないが、やっぱり身長の高い人が集うスポーツなのだなと感じつつも「よろしくね」と返した。
 新学期ということは新一年生も入ってくるということで、今年もまた去年と同じように一年生の女生徒によって「2年にカッコイイ先輩がいる」と大きな騒ぎになっていたが、同じようにひと月も経てば少しは収まるだろう。
 と及川は相変わらずではあったものの、携帯の番号を交換して以降は連絡ごとに関してはスムーズになった。
 放課後勉強おしえて、や、一緒に帰ろう、等々細々と連絡をくれ、は時間が合った場合は行動を共にしていた。
 雑談メールの頻度も相変わらず高く、メールでも喜怒哀楽が激しいというよりは感情表現の豊かなことが伝わる文面であったが、さすがに付き合いも長くなればとしてはあまり気にならなかった。
 だが。時おり、本当にこの人と同一人物なのだろうか……と、相も変わらず女の子に囲まれては隙のない笑顔で対応している及川を見かけて自分でも混乱しそうな瞬間があった。
 日常というオフステージでさえもステージにあがっているように自らを造っているように見えるのは、及川なりの人付き合いの術なのだろうか?
 別に、”こっち”の及川が造り物だと言う気はないが。と、6月も迫った日の放課後。今日も今日とて差し入れ類を渡されている及川の笑みを横目でみつつ部活に赴いて励み、いつも通り日が暮れてくる。
 少し早いがそろそろ帰ろうかな、とは時計を見やった。7時過ぎだ。バレー部はインターハイ予選が迫っているし、いまの時間は及川は元より部全体がまだ練習中のはずだ。
 そのまま帰宅して夕食を済ませてから机に向かって勉強をしていると、10時を過ぎた辺りで携帯がメールの受信を知らせた。
 開いてみると「お知らせです!」と装飾されたタイトルのメールに画像が添付されているのが分かった。及川からだ。
 何だろう、と思いつつ開いたメールは、インターハイ予選の日時・会場等々の載ったプリントの写メだった。何なんだろう。と再度思いつつ日付を確認する。6月の第一土曜、日曜、そして月曜の3日間をかけ仙台体育館で行われる、と記載されており少しだけ頬が引きつった。
 ――6月の第一日曜は、一年に二度あるフランス語の検定試験のオーラル部門が控えている。今日いつもより早く帰宅して机に向かっている理由もそれだ。
 半年前に受けた試験で落ちているため、今回は受かりたいし何よりここで落ちたらまた半年後だ。
 と、自身のスケジュールを浮かべつつ机に置いていた青城カラーのマグカップを手にとってコーヒーに口を付けた。及川は見に来て欲しいと言っているわけではないし。でもたぶん、いままでずっと結果的に誘いを断っているから「お知らせ」だと言葉を濁している気もするし。
 ただ一つ確実なことは。返信をしないときっと拗ねられる。――と、にわかに頭が痛んできて、は「練習遅くまでお疲れさま。頑張ってね」とあえて核心には触れないような内容の返信を短く送った。
 とはいえ。試合は丸一日やっているわけではないし、頑張れば調整できるかな……とジッと青葉城西のユニフォームカラーのマグカップを見つめ、息を吐いて机に戻す。ふ、と一度深呼吸をして先ほどよりも集中して机に向かった。

 そして6月4日。土曜日。
 ――結局、来てしまった。とは大会開始前の午前中に最寄り駅から仙台市体育館を目指していた。
 青葉城西の生徒であるし、一応は制服を着て、うっかりスケッチブックまで抱えてきてしまった。バレーの試合など滅多に見る機会はないし、もしかしたらものすごくいい練習になるかもしれないし。と、ギュッと大きなスケッチブックを抱えて歩いていくこと数分。美術部のにはあまり縁のない仙台市の体育館が見えてきた。
 及川のくれたプリントの情報によると、バレーの会場は第一競技場。メインの会場だろうし、中に入れば分かるかな、と道沿いからそれなりに賑わっている会場に入りエントランスに向かおうとしていると、ちょうど反対側から歓声のようなものがあがった。
 何だろう、と視線をそちらにやると、大勢の彩り豊かな制服に囲まれた、見知ったジャージを着た長身の少年がいた。

「及川さーん、これ受け取ってくださーい!」
「わあ、わざわざありがとう」
「及川さん、あの、写真一緒にとってもらってもいいですか!」
「モチロン」

 さすがには一瞬固まってしまった。が、相変わらずだな、と肩を竦めつつそのままエントランスへ入る。
 案内によると第一競技場は奥にあるらしい。玄関ホールを抜け様々なジャージの群れを横切っていると、正面から何やらキョロキョロしている青葉城西のジャージが見えて「あ」とは声をかけた。
「岩泉くん」
「ん? おう、じゃねえか。来たのか」
 うん、と頷くと声をかけた相手――岩泉はキョロキョロ視線を巡らせていた行動そのままにこう聞いてきた。
「及川のヤツ見なかったか?」
 は目を瞬かせる。少しだけ目線を外してから、頬にかかった髪を耳にかけながらつい今しがた見たことをそのまま答えた。
「入り口のところで、女の子に囲まれてた」
「は――ッ!?」
「及川くんって試合会場でも人気なんだね……」
「あ……いや。あんの……クソボゲが……!」
 岩泉はよほど腹に据えかねていたのか腕まくりをして今にも殴りかかりそうなモーションを見せつつ眉を釣り上げた。連れ戻しに行く気なのだろう。
「じゃあ私、うえで見てるね。頑張ってね」
「お、おう」
 そのままは第一競技場へ向かい、二階の客席へと上がった。案内図によればバレーコートは3面、つまり3試合同時に行われるということだろうが、どのコートで青葉城西が試合をするかまでは分からない。

「あ、岩ちゃん。やっほー!」
「遅ぇんだよグズ及川!」

 一方、に背を向け気合いを入れて大股開きでエントランスへ向かっていた岩泉は、一歩早く荷物を抱えて現れた及川のいつものヘラヘラした笑みに青筋を立ててがなりつけていた。
 ごめんごめんそんな怒んないでよ。と、呑気な様子になお苛立ちが募りつつ、先ほどに会ったことを言おうか考える。――そして、初日だし平気だろう。と判断した岩泉はギロリと及川を睨み上げた。
「さっき、ここでに会ったぞ」
「――は?」
「”及川くん、女の子に囲まれてたよ””試合会場でも人気者なんだね”だってよ」
 正確にどう言われたかは覚えていなかったが、言われたニュアンスをそのまま伝えれば、ピタ、と及川は歩みを止めた。
「なんでちゃんがいんのさ……!」
「知るかよ! おめーが誘ったんじゃねえのか?」
「誘ったけど! けど、なんか試験がどうのとか言ってたし……。俺もしかしてなんか誤解されちゃってた??」
「誤解もなんも、おめーは通常運転だろーが」
 うぐ、と及川が若干焦ったように携帯を取りだしたのを見て、岩泉は今度はグーで背中をどついた。
「いった!」
「バレーに集中しろボゲ!」
「けど……ッ」
「安心しろ。は1ミリもお前のことなんざ気にしちゃいねえしいつも通りだった」
「それはそれでヒドイよね!?」
 そうして真顔で突っ込めば、数秒ののちにむくれたような表情を見せた及川に岩泉はため息を吐いて「ほら行くぞ」と先を急がせる。青葉城西はシード校。今日やるのは一戦のみだ。



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