一方のは、スタンドにあがって「わあ」と見下ろした会場の光景に息を呑んでいた。
 試合は既にどのコートでも始まっている。
 それにしても色とりどりの横断幕だ、とズラリと会場に下げられた個性豊かな横断幕を一望していて「あ」と青葉城西の、まさにユニフォームと同じ青みがかったグリーンの横断幕を遠くに見つけて「しまった」と肩を竦めた。逆サイドに来てしまったらしい。
 ――が、ここからでも見えないわけでもないし、そもそも青葉城西の試合はまだのようであるし、おそらくあのエリアにはバレー部員やその家族が大勢いるのだろうし何となく自分には場違いな気がする。と何となく目線を青城側から間近のコートに向け、眼下を見下ろした。
 カラフルな色のユニフォームが多い中、試合をしている二つのチームのうちのひとつは真っ黒だ。異彩を放っていると言っていい。が、その中の一人は鮮やかなオレンジ色のユニフォームに身を包んでおり、自然と目が惹きつけられる。この位置からでも分かる、小柄な選手だ。
 確か守備専門のリベロというポジションは識別のために一人だけ色が違う。というようなことを体育の授業で習ったような……と考えつつ追っていると、黒いチームの対戦相手がスパイクを打ち、オレンジを纏ったリベロが稲妻のような速さで反応して見事に拾い上げ「ワッ」と会場が沸いた。
「すっげええ、さすがスーパーリベロ!」
「千鳥山のベストリベロ賞のヤツだろ? 相変わらずすげえ反射!」
 もその動きに、ゴクリ、と息を呑んでいた。ボールはセッターに綺麗に返り、黒いチームは攻撃を繋げている。
 が、それよりも。リベロとはあんなに派手な動きをするのか――、と一瞬で小さいオレンジ色の選手に興味を抱いた。
 これはいい練習になるのでは。と、うずうずしつつギュッとスケッチブックを握りしめる。――しまった。カメラを忘れた。と思ったのは彼が二度目のスーパーレシーブを決めた時だ。
 いまスケッチブックを広げるのはもったいない。少し観察していよう。と長引いた第一セットを見守って第二セット目に入った序盤。

「キャーーー、及川さーーーん!」
「及川せんぱーい、ナイッサー!!」

 青葉城西の試合が始まったのか、の位置の逆サイドからそんな歓声があがった。さすがにそちらに目線を移せば、いつもの練習通りのサーブを繰り出す及川が遠目に映って相手側は為す術もなくエースを許し、ますます歓声があがった。

「いいぞいいぞトオル! おせおせトオル! もーいーっぽん!」

 自校とはいえ、想像以上の盛り上がりだな、とは目を瞬かせた。少なくとも美術部の自分には縁のなかった盛り上がりだ。
 やはりあのエリアには立ち入れない気がする……と若干疎外感を感じていると、そばからも大きな歓声があがった。ハッとして間近のコートに視線を戻す。すればまたオレンジのリベロがスーパーレシーブを決めたようで、周りからも感嘆の息が漏れていた。
「ほんとにいいリベロだなー」
「あいつまだ一年だってよ」
「一年!?」
 難しいレシーブをあげたことがよほど嬉しいのか、オレンジを纏った少年は、ニ、と歯を見せて笑っておりもつられるように笑った。素人が見ても分かる凄さだ。動きも凄いし、バレーがこれほどスケッチし甲斐がありそうな競技だったとは、とやや興奮気味に試合を見つめた。
 ――及川はおそらく、今回もピンチサーバーで出ているのだろう。女性の歓声が桁違いの量で聞こえるため、及川がいつコートに入ったか、何をしたかはそれだけでだいたい伝ってくる。
 青葉城西の試合も気にならないわけではないが。もう少しこのリベロを観察していたい……との欲求が勝って、は結局眼前のチームの試合が終わるまで見届けた。試合は長引いたが黒い方が勝って次の日へとコマを進めたようだ。
 青葉城西は、と奥のコートを見やるとちょうどコート中央に整列して選手達が握手を交わしており、あまりの早さに驚いてスコアボードを見やれば圧勝で3回戦行きを決めたようだ。
 あまり観られなかったが取りあえず良かった。と胸を撫で下ろしつつ近場の席に座ってスケッチブックを広げる。最近、自分比で絵を描く時間がかなり少なかった。その分を勉強にあてていたためだ。だから少しフラストレーションが溜まっている、と先ほど観た「スーパーリベロ」を記憶のままに数点描いてみた。
 サッカー部やテニス部へはよくスケッチにしに出向いているが、バレー部の練習をスケッチしに行ったことは今までに一度もない。そのせいか凄く新鮮だ……! としばし熱中して描き終え、ハッとする。
 すっかり頭から明日の試験のことが抜け出ていた。帰って勉強しなければ、と自省して立ち上がると一階ロビーへと降りていく。すればまだたくさんの学校の生徒が残ってごった返しており、何となくはキョロキョロと辺りを見渡した。
 すると、ロビーの一角に真っ黒なジャージを着込んだ異質な集団がいて「あ」とは目を見開いて呟く。
「さっきのスーパーリベロの人……!」
 その中にひときわ小柄な幼い顔立ちの少年がいて、先ほどオレンジ色のユニフォームを着ていたリベロだと悟り、つい視線を向けてしまった。どこの高校の生徒だろうか? もう一度あのプレイを見てみたいかも。と思うも、明日は試験。帰って勉強しなくては、と足早に会場を去り、その後はきっちり気持ちを切り替えて自身の試験に集中した。
 そうして何とか試験も乗り切り、月曜日――、は後ろの席の花巻が欠席しているのを見てバレー部が最終日まで勝ち上がったことを知った。
 優勝したら及川はきっと連絡をくれるはず……と思うも、午後になっても携帯は一向に鳴らず、ダメだったのかも、と悟る。
 案の定、翌日に登校してきた花巻が決勝で白鳥沢に敗戦したことを肩を竦めながら語ってくれた。甘党らしい彼は朝練後はカロリー補給のためかスイーツを頬張っている事が多く、今日もシュークリームを携えている。
「最近じゃウチと白鳥沢がだいたい決勝で、結局、白鳥沢が優勝みたいなのがパターンになってんだよね」
「そ、そっか……。ほんとに強いんだね、白鳥沢って」
「白鳥沢ってより、ウシワカ? あ、そこのエースなんだけど。中学の頃から一人抜けててさ、俺らの代じゃほぼ毎回白鳥沢VS北川第一って中学が決勝やってて毎回白鳥沢だったわ」
「そ、そう……」
「北一って及川の……ってさすがに知ってるデショ、及川徹。アイツの出身校で、毎回火花散らしててさ。俺はてっきり及川は白鳥沢に進むモンだと思ってたけど、まあまさかの青城でさ。この調子じゃ来年以降も勢力図は中学ん時のまんまってかウシワカVS及川っぽいんだよね、客観的に見てさ」
 花巻はそう淡々と言い下して、は曖昧に相づちを打った。いま現在チームメイトの花巻が及川の過去をこう語るとは、バレー選手の中では及川は県内では有名な存在だったのだろう。
 そういえば、と中学の頃に及川や岩泉と進路について話した事をふと浮かべる。あの時、自分は彼らに白鳥沢に行かないのかと訊いた覚えがある。及川は全力で否定していたが、目の前の花巻もそう思っていたということは、強い選手がより強い場所へ行くのは自然の流れなのだろう。
 牛島といえば……と、の脳裏に去年の暮れに及川が言いかけた台詞が浮かんだ。
ちゃんにさ、話したいと思ってたんだけど』
『いいや。また今度話そ。いまウシワカの顔とか思い出したくもないしね』
 あれ以降、及川は自分に一度も牛島の話をしていない。悪態以外で、だが。
 それが気になる、という訳ではなかったが、なんとなくその日の放課後には第三体育館に寄ってみた。
 正門から比較的近い特別教室棟とずっと奥にある第三体育館は離れており、わざわざ足を向けなければ及川が居残り練習をしているかどうかは分からない。そういう物理的な理由もあり、は中学の頃よりは格段に体育館を訪れる機会が減っていた。
 たぶん、わざわざ中に入らなければ様子が窺えないというのも一因だろうな。と、明かりの漏れている体育館の入り口から中に入って聞き慣れた打撃音が聞こえてきて思う。
 靴を脱いであがって一番近くのコート入り口ドアに手をかけるこの瞬間はいつもちょっと緊張する。と、無意識に小さく喉を鳴らしてドアを開くと、いつも通り、及川が大きな体育館を一人で支配してサーブを打っていた。
「! ちゃん」
 及川のいるエンドラインからの開けた入り口は見えやすい位置にあるため、及川もすぐ気づいたのだろう。こちらを向いて汗を散らせながら笑った。
「どうしたの、珍しいね」
「うん……ちょっと」
「もうちょっと待っててもらえる?」
 言われては頷き壁際に寄って、ボール籠から新たなボールを手にする及川を見守った。
 数日前、彼はこのサーブをあの大歓声の中で打っていたのだ――と思うも、すっかり目の前のスーパーリベロに夢中になって同時進行していた青葉城西の試合はほぼ見られていない。
 しかしあのリベロはどこの学校の生徒だったのだろうか。決勝に残ったのが青葉城西と白鳥沢ということは、もちろん負けてしまったということで。
 と考え込んでいると、籠を空にした及川があがると言ったためにもボール拾いを手伝い、二人して体育館をあとにした。
 部室棟の前で着がえに向かった及川を待ち、揃って人影のすっかり消えた学校を出てバス停に向かう。
ちゃんさ、この前の土曜……試合見に来てくれてたんだって?」
 そしてバスに乗り、椅子に座りながら及川がそんな話を切りだしてきて「え」とは目を見開きつつ、ああ、と納得した。おそらく岩泉が自分に会ったと話したのだろう。
「うん。ちょっとだけ時間作って行ってみたの」
「そ……そっか。どうだった……?」
 及川はどことなく目をそらしがちに、及川にしては珍しく控えめに訊いてきては首を傾げたものの、もしかしたら及川ならあのリベロを知っているかもしれないとバッグに入れていたスケッチブックを取りだしてみた。
「あのね……すっごく上手なリベロの人がいたの」
「――は?」
 リベロ? と、とまったく予想だにしない答えだったのか及川は目を丸め、うん、とはスケッチブックを開く。
「”スーパーリベロ”って会場の誰かが言ってて……ほんとに大げさじゃないくらい凄い選手だったよ」
「え。なに、ちゃんなに観てたの……? リベロ? ウチの?」
「ううん。学校はどこか分からないけど……その選手はオレンジのユニフォームだった」
 この人、と描いたページを見せると、及川はいったん絵をまじまじと見据えて考え込む仕草を見せた。
「んー……、見覚えあるようなないような……」
「確か……千鳥山……? ベストリベロ賞の人、とか周りの人が言ってたけど……」
「千鳥山、って……中学の強豪だよ……。あ、でも、そっか。うん、なんか対戦した覚えある……。あれ、もしかして俺がセッター賞とったときのベストリベロ……?」
 うーん、と考え込んだ及川は記憶を手繰るように一人ごち、そうしてハッとしたように瞬きすると、クルッと首を回しての方に顔を向け不審げな色を瞳に浮かべた。
「ていうか、ちゃんなにしてんの? このリベロ観てたの? なんで絵まで描いてんの?」
「え……」
「もしかして当てつけ?」
「え……? あ、当てつけ……?」
「……だって……」
 するとバツの悪そうに唇を尖らせて目をそらされ、は何のことかさっぱり分からずに首を傾げるも「ううん」と否定した。
「このリベロの選手の動きがすっごくスケッチ練習し甲斐がありそうだったからつい夢中になっちゃって……。どんなスパイクでも拾っちゃうんだもん、リベロって凄いんだね……!」
「……ふーん……そう」
 そうして少しだけその光景を思い出して興奮気味に伝えると、あからさまに面白くなさそうな表情をされ、は「しまった」と自省した。
「あ、あのね……その、私、青城とは逆サイドの席に行っちゃってね……それで」
「それで……? 移動しないで違う学校観てたんだ」
「お、及川くんがプレイしてたのは分かったよ……! その、凄い声援だったし……、私、ちょっと圧倒されちゃって」
 言えば脳裏に及川へ向けられていた圧倒的な歓声が蘇ってきて少し肩を竦めると、及川は2,3度瞬きをしてから、そう、と呟いた。
「ま、ピンサーだったから出番はそう多くはなかったんだけどさ。でも緒戦だったし、サーブだけでかなり点とったんだよ?」
「うん。応援は聞こえてたから知ってる。サーブしてるところも観た。でも、私、サーブはいつも観てるから……」
 さっきも観たばっかりだし、と続けると及川は「んー」と目線を流してから、なぜかニコッと笑った。
「だよね。ちゃんはずーっと及川さんのサーブ観てるんだから今さらだよね。うん。けど……今度はちゃんと観ててよね。まだ俺のセットアップは観たことないんだし」
「え……、う、うん」
 なぜだか分からないが機嫌は直ったらしい。と感じ、も及川の笑みに合わせるように笑った。
 それにしてもさー、と及川は話を変えるように背もたれに体重をかけて天井を見上げた。
「飛雄のヤツ、なんかいま”コート上の王様”とか呼ばれてんだってさ。インハイ予選でたまたま他校の一年が話してんの聞いて……、アイツ、どんだけ上手くなってんだろうね」
 そうして辛いのか悔しいのか、それとも渇望なのか良く分からない色を瞳に浮かべて顔を歪めている。
「俺だってそんな二つ名みたいなの付けられた事ないのに……。やっぱ天才ってそういうモノなんだよネ」
「コート上の王様……。あの影山くんが……」
「あんなちっこい飛雄が”王様”ってさー。飛雄のくせに生意気ってか腹立つ。――やっぱ、俺のいた頃より凄くなってんだろうね」
「そ、そりゃ……及川くんが北一のバレー部引退して2年経ってるんだし、影山くんはいま最終学年なんだし……」
「ソレって2年前の俺より凄くなってる可能性アリってこと!?」
 そうして及川は歪めていた顔を更に引きつらせて地団駄を踏んだ。――相も変わらず、彼の心の中には常に影山飛雄の存在があるのだろう。来年は彼も高校に上がってくるのだし、尚さら気にしているのかもしれない。
 けれどもあの影山が”王様”。いまいちピンとこない、とは自分の見知っている影山の姿を浮かべた。あどけない、まだほんの幼い少年のままの姿だ。
『あざっす!』
『あの、及川さん。サーブ教えてください!』
『及川さんいるなら、俺も青城考えます』
 とはいえ。あれは彼が12歳やそこらだった時の話で。きっと大きくなっているんだろうな、と思うもやはり想像がつかない。
 来年、彼は青葉城西へ入ってくるのだろうか? それとも別の高校へ行くのか。
 いずれにしても、来年は”天才”の彼が高校にあがってきて、及川はおそらく正セッターを務めるだろう最終学年。牛島は相変わらずのエーススパイカーで――。きっと来年は及川にとってタフな年になるのだろうな、と思うと少し不安に感じてはまだブツブツと考え込んでいる及川の横顔をそっと見上げた。



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