及川徹は、こういう男である。

 と、周りがどう評価しようとも、及川自身は自分のどうしようもなく厄介な性質をある程度は認めていた。

 今さらどう厄介かなんて考えることすら面倒だ。
 どーせ天才じゃありませんよーだ。べー! ってあっかんべーして逃げられたらきっと楽になれるのに。
 などとどうでもいい事が浮かぶのは、きっと現実逃避というヤツだろうな――、と及川は、グシャ、と自室の机に突っ伏した。
 逃げたい。が、どう足掻いたところで逃げられない。そう、2学期最後の恐怖イベント・期末試験である。
 突っ伏した先でハッと目を見開く。ふとあることに気づいた及川はしまったとばかりに頭を抱えた。
 ――分からないところあったら電話していい? ってカンジで携帯番号聞き出すって手があった。と、いま自分の下敷きになっている数学のプリントにびっしり赤ペンを入れた張本人であるのことを過ぎらせて小さく唸る。
 ――セッターには空間認識能力が必須だよ。と、言われて以降、以前より真面目に数学の授業に取り組むようになった。とはいえ毎日部活に追われている身で完璧に授業に付いていくのは困難で、きちんと理解しているかと問われれば我ながら甚だ疑問である。
 が、少し楽しくなってきたのは確かで、こういうのを影響されてるって言うのかな? と、ム、と考え込むも、ある程度の成績をキープしておくに越したことはない。
 ただ、やっぱり自分は基本的には捻くれていて。
『え、だって……勉強する意味わからない、って。世界に出たとき困るよ……?』
 なんで天才ってさも当然のように見えもしない先まで一直線に突っ走ろうとできるの? とか、それが才能に裏付けされた自信ってヤツなのかな。とか、どうしても過ぎらせてしまう。
 自分もそうなれれば、あちら側に、天才側の人間になれるのだろうか? なんて生まれ変わりでもしなければあり得ないことをいちいち考えてしまうのは、いまに限って言えばただの現実逃避だろうな。と、及川は再びため息をついて顔をあげるともう一度机と向き合った。

 期末試験のあとには新人戦が控えている。日程はクリスマス前。あとひと月ほど先である。レギュラー陣は部活動停止期間中の活動許可を取るようであるが、ベンチ要員である自分は対象外だ。つまり、大人しく勉強しろ、という事に他ならない。
 すっかりとの勉強が定着しているらしき岩泉に便乗して、及川はこの時ばかりは本気を出して勉強した。
 試験前・期間中もロードワークやこっそりと近所の公営体育館を借りての練習もしてはいたが、それでも学校側の思惑通り勉強した。
 そして。

「終わったーー!」

 本番の期末試験最終日の最終科目の終了チャイムが鳴った瞬間、及川は思いっきり拳を天に突き上げた。
 いままでで一番自分を追い込んでやった分、開放感もひとしおだ、とその足で部室へ駆け、体育館に飛び込んだ。
 新人戦が近い。といってもピンチサーバーに使ってもらえる程度しか出番はなさそうな気がするが。せいぜいウシワカからサービスエース取ってやる。首洗って待ってろ。と機嫌がいいだけに良い方向に気合いが入った。
 他の部員も部活停止でフラストレーションが溜まっていたのか、その日の居残りはけっこうな部員が遅くまで残り、及川の同級生たち――岩泉、花巻、松川も最後まで居残る及川に付き合って揃っての帰宅と相成った。
「なあ、クリスマスの予定ってどうなってる?」
 ふとバス待ちのバス停で花巻がそんなことを呟いて、シン、と場が凍った。
「え、まさかの予定ナシ?」
 花巻が目線だけを及川に向け、及川は少し眉を寄せる。
「なんで俺を見るのさ……」
「いや、お前予定埋まってそうじゃん。数人ハシゴとか」
「人をなんだと思ってんの……。フツーになにもないよ」
「イケメンに”予定ないよ”って言い切られるとそれはそれで腹立つよな」
「松つんは俺にいったい何を望んでるの!?」
 横やりを入れてきた松川も加えて軽くそんな言い合いをしつつ、全員が予定ナシと確認するや否や、及川から「そうだ」と皆に提案した。
「じゃさ、4人でクリスマスパーティでもやる? 新人戦も終わった直後だし、県大会優勝パーティってことでさ」
「まだ優勝してねえけどな」
 花巻、松川、岩泉から一斉に突っ込まれ、「予定は優勝だからね」と突っ込み返して話を続ければ、最終的には岩泉の家に集まってパーティをやるということで落ち着いた。
 すれば悪ノリがはじまり、プレゼント交換をしようだのジャンケンで負けた人間がサンタコスして配る係だのと決め合い、次の月曜の放課後に4人で買い物に出向くこととなった。
 12月も中盤となればクリスマス商戦一本なのはどこも同じで、仙台も至る所でクリスマスを全面に押し出した広告やショーウィンドウで溢れかえっている。
 翌週の放課後、4人は仙台駅をぶらぶら歩きつつデパートを目指していた。
 やはり長身の男が4人で練り歩いていると目立ち、デパートの客層も相まっていっそう視線を集めた。既に全員が慣れている事とはいえ、心地が良いかはむろん人による。
「百貨店じゃなくて適当でよかったんじゃねえの」
 どことなく居心地悪そうに視線を巡らせた松川に「やだよ」と及川は唇を尖らせた。
「お前ら自由にしたら全員スポーツタオルとかサポーターとか買って来そうじゃん」
「いや、さすがにそれはない」
「岩泉だけだろ、そんなチョイスすんの」
 松川と花巻が反論し、すかさず岩泉が「オイ!」と突っ込んで及川は肩を揺らした。
 この時期のデパートのグランドフロアはどこもクリスマスプレゼント用品の特設会場が出来上がっている。ファンシー系から高級品まで幅広く揃っており、きっとお得な商品とやらもあるのだろう。
 が、やっぱり男4人でウィンドウショッピングする場所でもないかな。と、雑貨系のセレクトショップエリアを歩いていた及川はハッと足を止めた。
 不意に、可愛く陳列された青葉城西カラー、――正確に言えばティファニーブルー――のマグカップが目に留まったのだ。青城色のブルーと白のツートンカラー。同時にこの言葉が過ぎった。
『綺麗な色だね……!』
 この色を好きだと言った。そして、及川くんに似合ってる、と頬を緩めながら言ってくれたの声。
 ――の好物ってそういえばコーヒーだっけ。にしても、本当に青城をモデルにしたみたいな色だ。
 などとジッと立ち止まっていると「及川?」「なんかあったか?」と岩泉たちの声がして及川はハッと意識を戻した。
「なんでもないよ。そっちこそ何か見つけた?」
 少し先に行った仲間を追いつつも、さっきの商品が気になる。でも岩泉たちに見られるのはな、と思案した及川の脳裏に妙案が過ぎって、「じゃあこうしよう」と切り出してみる。
「お互い、当日までプレゼントの中身は知られたくないだろうし。いったん別れて30分後に集合ってのはどう?」
「は……?」
 3人はそれぞれ思案顔をしたが、おそらくこの提案は正解だったのだろう。すぐに「それもそうだな」と全員が同意して及川はホッと胸を撫で下ろした。
 じゃあまた後でねー、と手を振ってそれぞれが別方向に散ったのを確認して、不自然じゃないように足取りに気を付けながらさっきのコーナーに戻ってみる。そうしてもう一度、先ほどのマグカップをまじまじと見つめた。
「うわー、やっぱり青城男子バレー部ってカンジ……」
 別に深い理由なんてないケド。クリスマスなんだし、プレゼントしたくなった、という理由でも成り立つよな。というか、これぜったいにあげたい。それにちょっと自分も欲しいかも。と考えていると「プレゼントですか?」と店員の女性らしき声がして、及川はハッとすると同時にごく自然にいつもの対外用・対女性用のスマイルを浮かべた。
「カワイイなーと思ってみてたんです」
「可愛いですよね。特に女性に人気のある商品なんですよ」
「っぽいカンジしますよね。僕はなんていうか、部活のオリジナルカラーと一緒だったんで欲しいなーとか思っちゃって」
「あ、もしかして……ご使用されているバッグのお色のことですか?」
 女性はよく訓練された、しかし相手に確実に好印象を与えるだろう笑みを浮かべて少しだけ目線を及川の肩にかかっているバッグへと向けた。
 確かにそうだ、と及川は手を自身の肩にかかっているバッグに添えた。
「はい。そっくりでしょう?」
「本当に素敵なお色ですよね。こちらの商品は――」
 そうして女性は、このマグカップは普段は市場に出ているものではないこと。だいたいがペア売りだが、クリスマス用にばら売りもしている事などを説明してくれた。飾られているのはいかにもなペアだったが、彼女は自分が自分用に欲しいと言ったためにそのことも説明してくれたのだろう。
 ――ペア用を買って一緒に使おっか。は、さすがにドン引きかな。と及川なりに状況を冷静に判断し。けれどもバラで二つ買えば結局同じ事なのでは。と葛藤しつつも最終的に及川はばら売り用のものを二つ購入する事にした。
 そして。――どうしよう、と思案する。商品を入れた小さな紙バッグまでもが青城カラーで可愛らしい。これは早急に岩泉たち用のプレゼントを購入して、大きめの紙バッグをもらっていま買った商品を隠さねば。と、小さな紙バッグを二つ抱えてフロアをキョロキョロと見やる。
 シャツ。――は誰に渡るか分からない以上サイズが違うし。マフラー。――同じく似合う似合わないがあるし。もういっそ牛乳パン10個とかネタに走ってもいいのでは。
「あ、そうだ……!」
 考えあぐねた及川にハッとアイディアが浮かんだ。バレー選手は、少なくとも自分はセッターとしてこの時期は特に手の手入れが欠かせない。彼らと身体の手入れ方法までいちいち言い合っていないが、きっと似たようなものではあるだろう。ちょっとモノのいいハンドクリームにしよう。うん、無難だ。と、思いついて医療系のテナントに行き無事に商品を手に入れた瞬間にハッとした。
 ハンドクリームでは先ほどの商品を誤魔化せるほどの袋には入れてもらえないだろう。少し頬を引きつらせつつ、荷物をまとめたいので大きな袋を下さいと言って何とか事なきを得、及川は集合場所となっていた入り口の方へ向かった。
「お、きたきた」
「おせぇ。なにチンタラしてんだグズ川」
「30分ギリ前なのにその言い方は酷すぎる!」
 既に全員揃っており、自分を見るなり開口一番に文句を付けてきた岩泉に言い返して、そのまま4人揃って外へと出た。もうすっかり夕暮れ時だ。
 その足で格安量販店に向かって一番大きなサンタコス衣装を購入した。理由は及川がジャンケンに負けて見事にサンタ役をアテたからに他ならない。
「よッ、楽しみにしてるぞイケメン」
「お前イケメンだから似合うだろ、ヘーキヘーキ」
「たまにはイケメン役に立てろよ。まあ本音はどこがイケメンなのかサッパリわかんねぇけど」
「お前らありがとう楽しそうで俺嬉しい! けど俺はイケメンだけどね!」
 衣装を自分に押しつけながら棒読みで囃し立てる3人を一蹴してから、ハァ、と及川は息を吐いた。まあ、どうせ似合うだろうからいいか。と前向きに考えつつ暮れた道を歩きながら「あ」と思いついて言ってみる。
「どうせなら光のページェントでも見て帰る?」
 光のページェントとは仙台市が12月に期間限定で行っているイルミネーションで冬の風物詩でもある。ここから目と鼻の先であるため何気なく言った及川だったが、返ってきたのは目の据わった3人の男の姿だった。
「あそこいまカップルの巣窟だぞ」
「大男4人で突撃する勇気は俺にはねぇよ」
 その返事に、え、と及川はおどけてヘラッと笑ってみせた。
「俺らただの学校帰りのいたいけな美少年集団じゃーん。気にしなくて大丈夫だって!」
「そうか。じゃあ存分に楽しんできてくれ。また明日な」
「お先」
「え……!? ちょっと酷くない?」
 くるりと花巻と松川が及川に背を向けて駅の方角に歩き出し、及川が俄にショックを受けていると岩泉が「おう」と花巻たちに声をかけた。
「俺らはこっから歩いて帰るわ。じゃーな」
 すれば後ろ手で2人が手を振り、岩泉は及川の方を見上げてきた。
「どうせそのつもりだったんだろ?」
 言われて及川は、ふぅ、と息を吐く。
「まぁね。ここからなら歩いてもあんま変わんないし」
 そうして並んで自宅の方へ向けて歩き出せば、程なくしてイルミネーションで彩られた通りが見えてきた。が、当然横切るだけで素通りである。
 腹減った、などと呟く岩泉の声をぼんやり耳に入れながら、明日も晴れるかな、と澄んだ夜空を見てぼんやりと考えていると岩泉が声をかけてきた。
「お前、ずいぶんでかい紙バッグ持ってんな」
 とたん、ギクッ、と及川の肩がしなった。岩泉は幼なじみの贔屓目込みでも決して頭の回転は速い方ではないというのに妙に鋭いところがあるゆえ油断はできない。
「うん。なんかクリスマスでお客さん多いのか小さい紙袋切れてたらしくてさー」
 こうでも言わなければ、いずれ自分の選んだプレゼントを目にした岩泉は商品の小ささと紙袋のギャップに気づいてしまうだろう。まあ、気づかれたところでどうということはないのだが。と「へぇ」と適当な返事をしつつ紙バッグを不審そうに見た岩泉を見下ろしながら思った。
 ――しかし、だ。勢いで買ってしまったとはいえ、果たしてどう渡そうか。クリスマスイブは岩泉たちとパーティの約束をしているし。そもそもの連絡先すら知らないし。終業式前に学校で渡すのもなんかカッコ悪い。と考えているうちにずーんと気が沈んでくる。
 自分でも分かっているが、感情がグワッと動いたときの「こうしたい」「こう言いたい」と感じた言動を自分は自分で制御できない傾向にある。それがマイナスなことでもプラスなことでも、だ。つまるところ、後先はあまり考えていない。
 でも多分それって俺の長所だし。と心のどこかで思える程度には自分はプラス思考なのかもしれない。いや、基本的に自分は超絶プラス思考の持ち主だという自信がある。今ですら、バレーしてるときは沈着冷静だし逆に凄い、などと思っていたりするのだから相当にプラス思考で間違いない。
 マイナスに振れるのはいつだって「特定」の存在のせいだ。と、うっかり余計な存在の大きな後ろ姿も浮かべてしまい、及川は目線を鋭くした。
 そうだ。いまは取りあえずクリスマスの事は置いておいて、新人戦だ。
 ピンチサーバーで出たら。そしたらウシワカからサービスエース奪って、仮に拾われてもウシワカのスパイクぜんぶ俺が拾ってやる。覚悟しとけよ。と意識を牛島に奪われ支配されていたら相当に凶悪な顔をしていたのか、岩泉から本気で「キメェ……」とドン引きされてハッと意識を戻した。



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