「24勝23敗……、まあ今日はこの辺で勘弁しといてあげてもいいよ岩ちゃん?」
「おめー息あがってんぞ、あんま無理すんじゃねえよ」
「そっちこそゼーゼー言ってるじゃん。ま、キリもいいし25勝目までやってもいいけど」
「24勝24敗タイになるのが見え見えだけどな」

 及川VS岩泉の腕相撲対決。24勝目を掴んだ及川が岩泉を見据えれば、岩泉もそう言い返してきて、ふ、と及川は笑った。
 うっかり単純に楽しんでしまった。と、あはは、と笑っていると「なに笑ってんだボゲ」といつも通りにがなる岩泉の声を聞き流しながら汗を拭う。
 そして、ふぅ、と息を吐いてハッとあることに気づいた。身長計の方を見やれば先ほどまでいたはずのの姿が見あたらない。
「あれ、ちゃんは?」
「あいつ3時までだったから、休憩入るか美術室戻るかしたんだろ」
「なにソレ聞いてないんだけど!?」
「聞かれてねーよ」
 むぅ、と及川は唇を尖らせる。話したいことが色々あったのに。とは口には出さず、代わりにため息を吐いて机に突っ伏した。
ちゃんて俺に冷たいと思わない?」
「フツーだろ」
 ボソッと小さく呟くと、さも鬱陶しいと言わんばかりの適当な返事が返ってきた。――別にでなくとも話を聞いてくれる女の子なんて、たくさんいるんだけど。でも。きっと「天才」という存在が自分にとって鬼門だって分かっていても。それでも……と突っ伏した先で考え込んでいると、ゴン、と後頭部に何かを置かれた衝撃が伝った。
「いった。……なに?」
「景品だ。ホレ。岩泉一に勝ててオメデトウゴザイマス賞」
 顔を上げるとラッピングされた箱が目の前に置かれていた。
「一個だけなの? 俺、24回勝ったんだけど。――いたッ、すぐ暴力に訴えるのやめてよ岩ちゃん」
 冗談めかして手を差し出せば叩かれて、及川は払いのけられた手を大げさにさすった。そうしてちらりと壁時計を見やる。すっかり一時間ほど居座ってしまった。さすがに戻らないと文句を言われそうだ。
 一般公開は5時までだし、あと一時間くらいきっちり働きますか。と、及川は立ち上がって椅子の背に引っかけていたジャケットを羽織った。
「じゃーね、岩ちゃん。コレありがと」
 そうして貰った景品をありがたく受け取って岩泉のクラスをあとにして自分のクラスに戻れば「遅い!」と一喝されたあげくにこき使われて無事に公開時間は終了した。
 そうして期待通りなのか期待以上だったのか、総売上をニヤニヤしながら数えている文化委員を横目に制服に着替えにいけば、何となく全員で後夜祭を見ようという話になる。
 片づけは明日に持ち越しで、これから2時間かけて後夜祭が行われる。主にステージでの軽音部やダンス部が中心となったライブ形式だ。その後はメイングラウンドで締めに花火を打ち上げるらしいが、なにぶん及川にとっても初めての文化祭でどういうものかは分からない。
 第一体育館の横に設置された特設ステージの前には既にけっこうなギャラリーで埋まっていて、とても椅子に座れそうにはない。周りも「人多いねー」とそれぞれ呟き、立って見ようということになり、なんとなくその辺に立ってステージを見ていると、クラスメイトの一人が一般公開閉店前に仕入れたと思しきたこ焼きと焼きそばを大量に抱えてやってきた。
 みんなちょうどお腹が空いてきた頃で、歓声をあげてそれぞれ摘みあった。そして始まった後夜祭は、さすがにそれぞれツボを抑えており、ヒットチャートの曲を次々に披露して暮れゆく空間を存分に盛り上げていた。
 及川も一緒に盛り上がりながらふと思う。――バレーしたいな、と。この時間、オフでもないのにバレーをしていないのはどうにも感覚が狂う。
 いまから体育館を使って練習したらさすがに不味いだろうか。などと考えつつ、小休止中に数人でゴミを捨てに行った先でふと及川は特別教室棟を見上げ、目を見開いた。
 三階の一番角の教室――美術室の明かりが付いていたのだ。
「ごめん、俺ちょっと抜けるね」
 きっとだ。と悟った及川は一緒にいたクラスメイトにそう告げて彼らから離れた。まさか消し忘れというオチはないだろう。
 後夜祭は強制参加ではないが、校舎に残っている物好きな生徒はそういないはずだ。校舎の中に入ればいっそ不気味なほどシンとしていて、及川は非常用のぼんやりとした明かりを頼りに三階へあがって美術室に向かった。
 コンコン、と取りあえずノックをして中に入ればそこにいたのは案の定で、自分の作品の前だろう場所に立っていたが驚いた顔でこちらを凝視した。取りあえず及川は笑って手を振ってみる。
「や。ここだけ明かりついてたから気になっちゃってさ」
「及川くん……」
「後夜祭、見ないの?」
 言えば、は少し考え込むような仕草を見せた。答えあぐねているのかもしれない。が、及川は何となく、さきほど「バレーがしたい」と感じた自分と同じ気持ちで彼女はここにいるんだろうと理解した。
 違うとすれば、それをためらわず実行しちゃうところかな、と少し肩を竦めつつ近づくとは目線を自身の作品の方へ戻した。
「ちょっと考え事してたの。もう一作、作品を追加したいんだけど……どういう絵にしようかな、って」
「ああ、”冬”? 冬だけ描いてなかったもんね」
「え……!?」
 昼間に見たの作品は三つ。春、夏、秋がテーマだった事を思い返して言えばは驚いたような声をあげ、「あれ」と及川は瞬きをした。
「先輩たちから俺が昼間に来たこと、聞いてない?」
「え……き、聞いてないけど。そっか、来てくれてたんだ」
「うん。ちょうどお昼前に来たんだけど、ちゃんいなかったんだよね」
「お昼はちょっと早めに休憩とってたの。12時過ぎには戻ってきたけど……」
「あ、じゃあ入れ違いだったね」
 話をしつつも、は再度自らの絵の方に視線を向けた。――そういえば、と思う。実際のところ、がどれほどの頻度で自分のサーブ練習を見に来ていたかは知らない。でも、は自分が再三「声をかけてくれ」と言うまで一度も声をかけてくれたことはなかった。
 ということは。彼女にとっては「声をかけない」という選択肢の方が正しいのだろうか、と思案しつつ訊いてみる。
「俺……、お邪魔デスカ……?」
 するとはハッとしたようにこちらを見上げて、ううん、と首を振った。
「そんなことないよ。ごめんなさい。なかなか冬のイメージが浮かばなくって考え込んじゃって」
「冬になってから考えればいいのに」
 言えば、は「そうだね」と小さく笑った。窓の外からは後夜祭で盛り上がる生徒達の声と音楽が聞こえてくる。
ちゃん、戻んないの? クラスの子とか心配しない?」
「一応、岩泉くんに美術室に行くって伝えてきたし、そのまま帰るかもって言ってあるから大丈夫」
「……なんで岩ちゃんなの……」
「? 目の前にいたからだけど……」
 なぜそんなことを訊くのだと言わんばかりの表情で答えられ、及川はさすがに言葉に詰まった。は首を傾げつつも、そうだ、と思いついたように見上げてきた。
「及川くん、岩泉くんと何戦くらい腕相撲やってたの?」
 私、途中で抜けちゃったから。と続けたに及川はハッとしてブイサインを作ってみせる。
「24勝23敗で俺の勝ち越しエンド!」
「わ、50戦近くもやったんだ……! みんな及川くんが強い事に驚いてたみたいだね。岩泉くん、すっごく強いから」
「えー、そんなに意外かなー。俺、そんなに弱そう?」
 及川自身は自分の腕力にある程度の自信を持っているため、やや茶化すようにして軽く息を吐きつつ言った。割とけっこう心外である。やはりこれだけ顔がイイとひ弱に見られてしまうのだろうか。などと考えていると、ううん、とは首を振った。
「私は中一の時から及川くんのサーブ見てて、及川くんのパワーが凄いのは知ってたから」
 ふ、と小さく微笑まれて、及川は少し目を丸めたあとに、ふ、と目元を緩めた。
「そうだよね! ちゃん、及川さんの追っかけみたいなモンだもんね!」
「……うん、もうそれでいい……」
「呆れたように言わないで!」
 すればが頬を引きつらせて色のない声で呟き、及川は慌てて突っ込んだ。――がバレーにあまり興味がなさそうなのは知っているが。でも、だったらどうして……、と考えあぐねていると「景品、見てみた?」と問われて、ああ、と向き直る。あの後、制服に着替えた時に開けてみたが、明らかに岩泉自身が選んだのだろうと丸分かりのゴジラのプラモデルが入っていた。岩泉は幼少の頃からゴジラの大ファンだ。きっと勝者ゼロだった場合は景品は岩泉の持ち物となっていたのだろう。公私混同もいいところだ、と及川はあまりの分かり易さにいっそ笑ったが、いくら幼なじみといえど岩泉とは趣味や好みまでは共有しておらず、すぐにプレゼントすべき相手の顔が浮かんだ。
「中身プラモデルでさ、せっかく貰ったんだし……、甥っ子にあげるつもり」
「及川くん、甥っ子いるんだ。年の離れた兄姉がいるんだね」
「うん。まあ、たまに甥っ子の面倒見てるからニワカ兄気分も味わってるけどね。ちゃんは?」
「私は一人っ子。だから兄弟のいる人、ちょっと羨ましい」
「生まれた瞬間から弟だと、逆に一人がイイナって思ったりもするけどね」
 のマイペースぶりは確かに一人っ子のソレだろうなと及川は瞬時に納得した。――飛雄もそうだっけ。ウシワカもそうなのかも。いやまさか、天才は一人っ子なんて法則は、あるわけないか。と及川は自嘲気味に肩を揺らした。
 自分がソレを持って生まれなかったことの理由を探してもなんにもならないのに。と、の絵を見やる。
 自分がもしバレー選手でなく、画家とか目指してたら。彼女を脅威に感じて排除しようなどと思っていたのだろうか。と、小さく眉を寄せる。全くの畑違いのいまですら、そのことを脅威に思うことがあるのに。
 ――やっぱり、そばにいると苦い思いも思い出してしまう。
「及川くん……?」
 よほど変な顔をしていたのか案じるように見上げられて、及川は笑ってみせた。離れていると、話したくなるのだから自分でもどうしようもない。ほんと、厄介。と心の中で呟きつつ「あのさ」と窓の外に目配せした。
「もうすぐ、グラウンドで花火がはじまるよね」
「あ……そう、だね。7時半からだっけ……」
 は美術室内の壁時計に目線をやって及川もつられて見た。19時15分だ。特設ステージの方も終盤だろう。
「見にいこ?」
「え……?」
「せっかくなんだしさ、もったいないよ?」
「う、……うん。そうだね」
 はあまり乗り気でないといった具合に頷き、嫌なのかな、と及川が唇を少しだけ尖らせていると携帯の震える音が響いた。
 及川の携帯ではない。のだろう。脇に置いていたらしきバッグから取りだして操作している。
「はい! ……うん。まだ美術室だけど。え、花火? ちょうどよかった。いまね、及川くんと一緒にいるんだけど」
 ん……? と及川が眉を寄せた時には、の口元は緩んでいた。
「うん。岩泉くんも一緒に見ない? ……え、大丈夫だよ。じゃあ特別教室棟の入り口のところで待ってるね」
 そうして電話を切ったらしき彼女は「岩泉くんからだった」と既に聞いていれば分かる情報を提供してくれた。
「岩ちゃん……、なんで……」
「私がこっちに来たっきり帰ってこないから心配してくれたみたい」
 そうではなく、なぜ岩泉がの携帯番号を知っているのかという意図は全く伝わらなかったようだ。
 けど、聞いたところでどうせクラスメイトだからとかそんなありふれた理由に決まっているし。全然気にしてなんかない。全然別に……と思うもムッとした表情が表に出たのかが首を捻ったため「なんでもない」と慌てて取り繕う。
「岩泉くん待たせちゃうかもしれないし、出ようか?」
「……。そうだね」
 さっきは微妙な反応だっただというのに、今度は嬉しそうだ。何なんだろう。と思いつつ電気を消して入り口に向かう。すると岩泉は既にいて、は「靴を持ってくる」と小走りで下駄箱のある一般教室棟の方へ向かった。
 すかさず及川は岩泉の方を向いた。
「なんで岩ちゃんがちゃんの連絡先知ってんのさ?」
「は? なんで、って……。あ、中学ん時、たまたまアイツに勉強教わる事になって、それで入り用だったからだな」
「なに、そんな前からなの!?」
「クラスメイトだったんだぞ! 知りたきゃおめーも自分で聞きゃいいだろうがよ」
「……。なんか断られそうでヤダ」
 ボソッと呟くと、ハァ? と岩泉はさも面倒くさいと言いたげな顔をした。実はからは話の流れの中で何度も「携帯あまり使わない」「メールあんまり得意じゃない」等々の、深く考えれば牽制じみた事を言われている。――たぶん自分はけっこうメールとか送ってしまう方だし、返信なかったら凹みそうだし。というかメールスルーは岩泉相手ですら普通に凹むし。慣れてるけど。でも凹むし。と考え込んでいるとが「お待たせ」と戻ってきた。
「それじゃ、行くとしますか」
 及川が率先して歩き出し、賑わっているらしきグラウンドの方へ歩いていく。この時間に制服の生徒がこれほどの数いるのはやはり違和感がある。いつものこの時間は熱心な部活動でさえ通常練習は終わっているし、バレー部だってぼちぼち帰り始める頃で、その後の最後まで残っているのは本当に限られた生徒だけだ。
「岩ちゃん、後夜祭のあとって体育館使ってもいいと思う?」
「は……? お前、これから練習するつもりなのか?」
「だって、今日ぜんぜん練習できてないし」
 呆れたような声を受けつつ及川は空を見上げた。だって、今日の試合はいい感じだったし。はやくボールに触りたいのだ。
 グラウンドに出れば、既にたくさんの生徒達が打ち上げ開始を待っている様子が見えた。
 遠巻きにグラウンドを見下ろしつつ、ブルッ、と及川は夜風に身を震わせた。
「寒っ……!」
「もう11月だもんね」
 話しているうちに第一弾が点火されたらしく、グラウンドの真上をパッと華やかな光が覆って生徒達からは歓声が上がった。次いで次々と打ち上げられる花火はなかなかに本格的だ。
「綺麗だねー……!」
「高校の文化祭でこんなんやれるんだな。北一じゃ考えられねえな」
 打ち上げられては花開き、散っていく光の屑を観ていたら余計に急かされるような気持ちになってきた。早くバレーがしたい。ボールに触りたい。コートに立ちたい。
 おそらく、体育館を使っても咎められはしないはずだ。が、いまそれを躊躇わず実行する事はやっぱり自分には無理かな。と、パッと夜空に咲いた華の眩しさに及川は目を窄めた。たぶんそれは彼女と……そしてアイツらと自分の最大の違い。と過ぎらせて見やったの頬が花火に照らされて及川は少しだけ眉を寄せつつも頬を緩めた。よそう。考えても仕方ない。
 明日の朝練も絶対いつも通り一番乗りだ、と思い直してもう一度及川は夜空を仰いだ。



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