ナンバーズは区別するもの。ブリタニア人はナンバーズより上の存在で、そんなブリタニア人を統治するのは皇族の役目だ。 ゆえに皇族とはカーストの最上級にいる存在であり、皇族にとってナンバーズは、奴隷にも等しい存在。 「私はなにもイレヴンを優遇しろと言っているわけではない。ただ、労働に見合う報酬をと……! 生活水準の底上げを図れば自然と治安も向上していくのではないか? 現に他の衛星レベルのエリアはそうであろう!?」 「しかし殿下……、それを実行すれば臣民のほうからも自分たちの賃金をあげろと不満が出るのは必至でして」 「ッ、では私が直接民に訴えればどこからも文句は出まい」 「い、いけません殿下……! そう殿下が表立ってナンバーズの立場に立たれれば臣民の不信を招きます。引いては恐れながら国是にも抵触するもので――」 「だったらどうしろと言うのだ!」 名ばかりの会議で意見を挟んでみてもことごとく却下されるのみで、クロヴィスは苛立ちから強くテーブルを叩いて声を荒げた。 臣たちは自分に逆らえない、逆らわないものの自分の意見を通すこともなく、総督である自分という存在はお飾り以外の何者でもないことを思い知らされる。 こんな時、兄のシュナイゼルだったら――と考える自分にさえ嫌気がさしてクロヴィスは手で顎を支えるとぷいとそっぽを向いた。 ――クロヴィス殿下はイレヴンの女にたぶらかされている。 誕生日パーティにを招いて以降、そんなしがない噂が広まっていることはクロヴィスも知っていた。 けれども自分はイレヴンを贔屓しているわけではないし、まして臣民をないがしろにしているわけでもない。 ただ総督として、正しいと思ったことを言っているだけだ。 そうだ、正しいと思うのに――自分は何か間違っているのだろうか? ナンバーズを区別するのがブリタニアの国是だと分かっている。だから、ブリタニア人で皇子たる自分にとっては友人ではなく奴隷のように扱うのが本来の姿で――。 けれども、そんなことはもはや無理だ。 彼女を一人の人間として尊敬しているし、既に誰よりも大切な存在になってしまっている。 それが間違っているのだろうか? ナンバーズに惹かれてはいけないなどと、誰が決めたと言うのだ。誰が――。 「……」 もういっそ全てを投げ出してしまおうか。総督も辞して、皇位継承権さえ返上して。そうすればもう自分は皇子ではなくなる。 けれど、そんなことをすれば――、母は悲しむだろう。何より、そんなことをされてもは喜んではくれないだろう。 自分に出来ることは、せめていつか彼女と約束したように、彼女の故郷を元の美しい街に戻してやることくらいだ。 なのに――その約束を果たそうと足掻いてみても、部下は賛同してはくれず。結局は不甲斐ない自分にやるせなさを覚えるだけ。 そうして癒しを求めてまたに甘えてしまうだろう甘い自分を正すこともできず、所詮自分はただの第三皇子という気楽な立場に甘えているだけのお飾り総督だといやでも自覚してしまう。 「……」 けれども、何が変えられるのだろう? いずれは第三皇子として確固たる地位を築き、進められるままに貴族家の娘を幾人か妃にしなければならない身だ。 自分の本当に望むものは――、穏やかな時間の中で、絵を描いて、彼女が笑ってそばにいてくれることだけだというのに。 『クロヴィス……』 暗い思考に陥りそうになったところで、柔らかいの声が耳に届いた気がしてクロヴィスはうっすらと微笑んだ。 彼女の存在は、まるで道しるべのように宿った灯火だ。どれほど遠くても、いつも近くに感じられる。まるで、地平線の彼方からでも一目で分かるシグナルのように。 けれどもそれは――、決して交わることを許されない、警告の色だ。 「殿下――ッ!」 白んだ意識の先でクロヴィスは部下の声を遠くに聞いた。 視界がブラックアウトして――、病に倒れたのだと知ったのはそれから数日経ってのことだった。 「殿下……」 バトレーは総督官邸の私室で眠っているクロヴィスを心配そうな表情で見つめていた。 医者はただの風邪だという。高かった熱も収まり、病状は大分良くなっていたが体調が戻らずに休ませている状態だ。 しかしながら総督府にクロヴィスが赴けずとも公務が滞るということもなく――、クロヴィスの調印が必要な書類がやや溜まっている程度であまり施政に支障のない現状は喜ぶべきなのか悲しむべきなのか。 元々、総督業などクロヴィスに向いていないことは百も承知していた。 幼少の頃から帝王学などよりも絵画を好み、花や木を愛でる方が向いている繊細な人物だった。他人を従え、厳しく振る舞い続けることは難しい人だ。 けれども第三皇子という立場上、公務を嫌って好き勝手に過ごすことは許されず――よりにもよってエリア11などという激戦区を任されることとなってしまった。 自分は将軍として少しでもクロヴィスの役に立てればと尽力しているが――、やはり、自分も器ではないのだろう。クロヴィスにとって近しい臣ゆえにエリア11に将軍として付き従ってきただけで、思うような成果はあげられていない。 クロヴィスにとって、おそらく総督業はこちらが思う以上のストレスとなっているのだろう。 彼がより良い施政を目指して尽力すれば尽力するほど空回りをしていることは――よく分かっているつもりだ。 「――ッ……」 ふと、クロヴィスが苦しげな息を漏らしてバトレーはパッと身を乗り出した。 医者を呼ぼうとする前にクロヴィスの手が何かを求めるようにして虚空に伸ばされる。 「…………ッ、……!」 呻くような声を聞いて、バトレーは思わず顔を歪めた。 医者の出す大量の薬を嫌って選り好みをしてしまうのはクロヴィスのよくないクセだが、こうも彼がいま求めているものを見せられるとどうしようもない心情になってしまう。 ――・。 おそらく今、クロヴィスがもっとも信頼している人間だ。 は穏やかで物腰も柔らかく、バトレーとしても彼女を好ましくは思っていた。もしも彼女がブリタニア人であったらクロヴィスの望む形で彼女を彼のそばに置いておけるよう尽力しただろう。 けれども、彼女はイレヴンなのだ。 既に出会ってしまったことを後悔しても詮無いことではあるが、これ以上は関わらない方が互いのため。 しかし――、彼女を前にしたクロヴィスが本当に彼女を必要としていることが痛いほど感じられるのもまた事実で、ひどく心苦しい。 「殿下……」 「……ッ」 苦しげに息を漏らす彼はまどろみの中で彼女を求めているのだろうか? ここずっとこの調子で彼女を求め、見ているのが辛い程だ。見て見ぬふりなど――きっと限界がある。 諦めろ、と諭したところで素直に受け入れるクロヴィスでないことは幼少の頃から見ていて分かっているつもりである。何よりクロヴィスが求めているなら「イエス、ユア・ハイネス」以外に返事はないのだ。 限界を感じたバトレーはすぐさまカマクラに赴き、クロヴィスの元へ来てくれるように頭を下げた。 官邸に足を踏み入れることには躊躇した様子を見せたものの、体調の優れないクロヴィスを放っておくことはできなかったのだろう。直ぐさま用意をして共にトウキョウへと戻ってきた。 クロヴィスの部屋では医師が指示を出す側で、侍女が寝汗をかいたクロヴィスの身体を清めている。そんな様子を見ては、クロヴィス、とごく小さい声で呟いた。 「すみません、カルテを見せてもらえますか」 そして彼女は臆することなく医師に向かって言った。戸惑いを見せる医師がバトレーに目線を送ったため、バトレーは頷いてやった。 医師はにカルテを手渡し、受け取って礼を言いつつ目を通すにバトレーも歩み寄る。 「殿下は、出された薬さえ拒否されている状態で……殿の薬ならもしや、と思ったのだが」 「そうですか……困った皇子さまですね、相変わらず」 カルテを読んでクロヴィスの症状がそう重くないことを悟ったのだろうか。憔悴気味だったは穏やかさを取り戻して表情に苦笑いを滲ませるとそっとベッドの方へ歩み寄った。 バトレーはさり気なく侍女に下がるように命じて、遠巻きに二人の様子を見守る。 「クロヴィス、クロヴィス……」 はそっとベッドの縁に腰掛けて、大きなベッドで息を乱すクロヴィスの額に張り付いた髪を払うようにして声をかけた。 「ん……」 「大丈夫……?」 その声にクロヴィスはハッとしたのか、瞳を開いて驚いたような表情を浮かべた。 「……?」 「気分はどう?」 「……? 、なのかい?」 「ええ、私よ」 確認するように手を伸ばしたクロヴィスの手をそっと包み込んでは苦笑した。するとクロヴィスはホッと安堵したように表情を緩める。 「君に、会いたいと思っていたんだ。ずっと……君の夢を、見ていた」 「でもお薬を拒否するのは感心しないわね」 「……ッ、いたッ、いたッ!!」 はお仕置きとばかりに少し強くクロヴィスの手を握ってからパッと離した。 バトレーはあっけに取られてしまう。第三皇子にあんな態度――、実の兄妹であるコーネリアや母である后妃すらしたことはないだろう。 クロヴィスは力ない瞳でを見上げて漏らした。 「みな、私を心配しすぎてやたら薬漬けにされて……気分が優れないんだよ」 「うん……」 「それに君の薬なら、すぐに良くなる気がして……」 「新薬の方が効きはいいのに」 「だが、私は……美しい植物の方が飲んでいて効く気がする」 なんともクロヴィスらしい言い分に聞いているバトレーも呆れつつ納得するしかない。 は一旦医師の所に行って自身の処方を説明したのち、持参してきたバッグから独特の芳香を放つ生薬を取り出してクロヴィスの元へと持っていった。 「自宅じゃないから、ちゃんと調合して煎じられないんだけど……」 「ん……、これは、なにで出来ているんだい?」 紙にくるまった顆粒薬と水を受け取って身体を起こしたクロヴィスが、生薬独特の芳香に眉を寄せつつを見やった。 「一番多く入ってるのはシャクヤク。――ほら、"花の宰相"って呼ばれてる花だって以前説明したでしょう?」 「ああ……、兄上を思い起こさせて苦手だと言った覚えがある」 「あとは、オウギとかナツメとか……」 「ナツメ……、ああ、あの可愛らしい赤い実か」 自身が口にするものを想像できると安堵するのだろうか。の説明にクロヴィスは口元を緩めると、一気に顆粒を口に含んでから水を飲み、ゴクリと喉を鳴らした。 しかし、それでも苦みがあったのだろう。眉間に皺を寄せて口元を拭っている。 「主治医の先生から出されたお薬も、食事のあとにちゃんと飲んでね?」 がそう言うとクロヴィスはイヤそうな顔をしたが、「ね?」と念を押されて渋々頷いていた。 これにはバトレーもホッと胸をなで下ろす。 クロヴィスは再びベッドへと身を沈め、不安げにを見上げていた。 「私が公務に復帰できるまで……、ここにいて欲しい――というのは無理かい?」 「……診療所、急に何日も空けられないから。ごめんなさい」 「そう、か……。いや、すまない。ありがとう、来てくれて」 せめて自分が眠るまではそばにいて欲しい、というクロヴィスの要求にはは頷き、クロヴィスが瞳を閉じてからしばらくしてバトレーの元へと歩み寄り頭をさげた。 「では、私はこれで失礼致します。五日分ほど、お薬を置いていきますので彼が目覚めたら渡してください」 そうして差し出された薬を受け取り、バトレーは歯がゆさから去ろうとするを止めた。 「無理を承知で――殿下の望み通り、しばし官邸に留まってはくれぬだろうか? その方が殿下の回復もきっと早い」 するとは困惑気味の表情をしばし浮かべたあと、小さく首を振るった。 「彼が病床に伏せっていると聞いて……あまり後先考えずに来てしまいましたけど、私がここにいては殿下の進退に良くない影響が出ると思うんです」 「し、しかし……」 「本当は、こうして会うのも良くないと分かってはいるのですが……。出来れば、殿下にはこのまま私から遠ざかって、もうお会いしないように……カマクラへは来ないようにして頂きたく思っています」 そうして切なそうな表情で言い下すを見て、バトレーはかける言葉に詰まった。 彼女とて自分の立場が分からないはずがない。こんな総督官邸などに連れてこられて、場違いに思うのも当然だろう。しかし、それでも来てくれたのは純粋にクロヴィス本人を案じてのことなのだ――とバトレーは悟った。 そして彼女は暗にクロヴィスにそれとなく自分から遠ざけてくれるよう伝えてくれと言っていることもバトレーは悟り、いよいよ返答に困った。 そんなこと、言えるはずもない。 恐れ多い以前に、恐らく今のクロヴィスの心の支えである彼女をクロヴィスから取り上げるなど――自分には到底無理だ。 「――私は臣下の身。殿下のなさることに口出しはできぬ立場にいるもので」 苦し紛れにそう言うと、は少し目を伏せて小さな息を漏らした。 そんな彼女をターミナルまで送って――、目が覚めたクロヴィスはやはり彼女が帰ってしまった事実に落胆するのだろうか、とぼんやり思っていた。 |