クロヴィスは例によって苛々しながら執務机と睨めっこをしていた。 年の瀬が近付くにつれ、犯罪というのは増加傾向にある。そのほとんどが軽犯罪であるが、犯したのがイレヴンとなればかなりの重罪として処理されるのだ。ましてテロともなれば死刑は免れず――執行承認の印を押していくだけでも一苦労である。 「はぁ……」 総督職にはクリスマスや正月などないに等しい。それでもクロヴィスは深い息を一つ吐いて窓際の紅葉に目をやると、ふ、と一人微笑んだ。 と出会ってからちょうど一年が経った。 自分でも不思議に思う、本来ならば従えるべきイレヴンである彼女にこれほど敬意を持って惹かれていることを。けれども、例え奇妙だと揶揄されようともクロヴィスはそんな自分の気持ちを否定する気は少しもなかった。 『まるで火のように強い色。思ひの色。情熱の証――』 誕生日に彼女からもらったあの言葉は今も毎日のように思い出しては噛みしめるように頭で復唱している。だからといって、なにも自分の中にある罪の意識から目を背けようとしているわけではない。 ただ、あの言葉との笑顔がスッと自分の中に入ってきて自分の中で活力になっていることはまぎれもない事実だ。 上げられてくる報告を聞き、山のような書類に目を通して判を押していくくらいしか出来ないお飾り総督だと自覚しているが、自分は自分のペースで結果を出していければいいのだ。焦らず、自分なりのペースでいい。 目下の目標はこの目の前にある犯罪件数を少しでも減らしてこのエリアの治安をあげ、植民エリアで最高レベルの衛星エリアに昇格させること。目の端に映る真紅を確認しつつ、クロヴィスは表情を引き締めて再びデスクに向き直った。 そうして公務に励むクロヴィスを良く思わない配下のものも当然いた。 直接のキッカケになったのはクロヴィスがバースデーパーティにを招いたことである。 クロヴィスは基本的に部下の細部にまで目をやり管理するほどの能力はなく、また本人もそれぞれの役職を担う役人に任せきりとなっているためクロヴィスの治世というのは一部の高官が権力を振りかざすという典型的な「摂政政治」に近い状態に陥っていた。クロヴィスという皇子を玉座に飾り付けておいた上で、それぞれの役人がそれぞれの思惑で動くことでどうにかまとまりを保ってきたのだ。だというのに、クロヴィスが頑ななまでに我を通して政庁にイレヴンを招き入れたことで政界・軍界ともに大きく揺れた。 クロヴィス・ラ・ブリタニア――つまり「皇族」に忠誠を誓い、ブリタニアこそ最高の民族だと謳う純血派はイレヴンをブリタニア人と同等に扱ったクロヴィスに疑惑の目を向け、そして一方でこんな勢力もいた。 「クロヴィス殿下はイレヴンの猿に骨抜きにされているようで」 「まあ、殿下もまだ若い身であるし……。元々治世には優れぬお方だ、どうということもないだろう」 そんな不穏な空気を察し、真にクロヴィスを案じていたのは軍のトップであるバトレーのみだった。 ややあってクロヴィスが体調を崩した際、クロヴィスが主治医の薬よりもに診てもらいたいと零した時にバトレーはそれとなく注意を促した。 「殿下……、殿下が殿をお気に召しているのはよく存じているのですが……。その、イレヴンの彼女にあまり入れ込みすぎては混乱になるおそれも……」 「なんだ、なにが言いたいんだこんな時に」 体調のせいか不機嫌な顔をして執務机と睨み合うクロヴィスに恐れを成しつつ、バトレーは自身を勇気づけるように一つ咳払いをする。 「いっそ、それほど殿がお気に召したのならば世話役としてお側に呼んではいかがでしょう? それなら、どこからも文句は――」 しかしそのバトレーの発言にカッと目を見開いたクロヴィスはバトレーの言葉を遮るように机に手を付いて立ち上がると、切れ長の瞳を吊り上げてバトレーを睨み上げた。 「なんだそれは! を奴隷のように扱えとでも言うつもりか!?」 「い、いえ……しかし」 「いいかバトレー、二度とを侮辱するような発言は許さんぞ!」 そこまで声を荒げるとクロヴィスは立ち眩んだのかよろけるようにして椅子に座り、案じたバトレーが歩み寄るも再び一蹴されてしまう。 「構うな! 返事が先だ」 「――イ、イエス、ユア・ハイネス」 クロヴィスの怒りは人間としては当然のことだ。総督であるクロヴィスの元にイレヴンであるを付けるということは慰み者扱いになるということだからだ。 幼少からクロヴィスの成長を見守ってきたバトレーにとって、クロヴィスが一人間として真っ当な感性を持った人物に育ったことは喜ばしいことでもあったが、ブリタニアの皇族として総督として、割り切ることのできないクロヴィスの器量には不安も抱いていた。 そんな優しさや短慮な所もクロヴィスを畏れながらも息子同然に思っているバトレーにしてみたら愛しい部分であったが、いずれは将来の皇帝の座を兄のシュナイゼルやオデュッセウスと争っていく立場と思えばマイナス要素にしかならず――心労が絶えることはない。 いっそいつか彼がに男爵であると嘘を付いたように、皇子ではなくせめて貴族であれば――まだ救われていたかもしれない、と人知れずため息を吐いた。 の周りでもまた、同様の波紋は広がっていた。 その日も変わらず、は自宅の診療室で初老の女性を診ていた。 「大したことはないんだけど、なんだか身体がだるくて食欲もないんだけど……どんなもんかね?」 「そうですね……、少し熱っぽいようですし」 話をしつつ、は薬を選んでいく。 「ケイヒを多めに入れておきましょうか……あとはマオウ、ショウキョウ……。これを飲んでゆっくり寝ればすぐに回復しますよ」 そうして生薬を調合して渡すと、老女は「ところで」と話を切り替えて神妙な顔をした。 「ちゃん、あんた……ブリタニア人の知り合いでもいるのかい?」 「え……?」 「なんでも背の高い青年と一緒にいるところを見たって人間が複数いてね」 どうなの? とせっつかれては歯切れの悪い曖昧な返事をした。すると女性は露骨に困り顔で溜め息を吐く。 「名誉ブリタニア人にでもなってこのカマクラを出て行かれたら困ってしまうよ。あんたもご両親から継いだ商売なんだし、そんなことはしないと信じてるけど」 「そんな……、ここを出る気も名誉ブリタニア人になる気もありません」 「だったら良いんだけどね。……じゃあ、お世話さま」 老女が帰り、ふぅ、とは息を吐く。 元々、ここは保守的な土地だ。加えて余所者であり現日本を支配してるブリタニア人と現地人である自分が共にいれば自然良くない噂は広がるだろう。 裏切り者――、とまでは言われないにしても、良い見方をされるはずもない。 ブリタニアとの戦争で両親を失い、独りとなった。ブリタニアを恨んでいないわけではない。けれども、そのブリタニアの皇子は誰よりも純粋で、繊細で、どうしても放っておけなくて。 どうしても、突き放せない。 「――クロヴィス」 仕事を終え、はそっと居間に置いてあった携帯電話を手にとってクロヴィスの名を呟いた。 不毛だと互いに分かっていたことだろう。こんな関係に未来はない、と。 近付けば近付くほど、その現実から目を背けていたかったのかもしれない。その証左に、二人でいるときは互いに互いはただの"個"だった。 ただのクロヴィスであり、ただの。 そんな屁理屈じみた言い分が通るなど互いに思ってはいなかったが、それでも、その気持ちは純粋に正直な本音だった。 「、ーー!」 暇を見つけてはカマクラに遊びにきていたクロヴィスは既にすっかりカマクラにも慣れ、上機嫌で野山に分け入って遅れ気味のの方を振り返った。 見ると和装のは歩きにくそうに岩に足をかけて懸命に歩いている。 「大丈夫かい?」 少し戻ったクロヴィスがに手を差し伸べ、が手を取るとクロヴィスはグイッ、と彼女の身体を引き上げた。トン、と自然にはクロヴィスの胸に手を付いて微笑む。 「ありがとう」 しかし初めて会った時はカマクラの険しい道に倒れていたクロヴィスだというのに、とすっかり荒道に慣れたクロヴィスの様子にが驚きを見せるとクロヴィスは肩を竦めた。 「あの時は体調不良だっただけさ。いくら私に体力がないとは言えこれくらいは……」 すると、ふとの肩越しに紫色の珍しい花が映って「あ」と声をあげたクロヴィスは小走りでそこに近寄ると身を屈めた。 「鮮やかな色だな……、この花は?」 「ああ、トリカブト」 「トリカブト、か……。この花も薬になるのかい?」 目線だけを後ろにやったクロヴィスの隣に、そっとも丁寧に腰を落とした。 「うん、強心剤とか鎮静剤として使うことがあるかな。――でも」 解毒剤もない程の毒にもなる。――との言葉をは飲み込んだ。 でも? と訊き返してきたクロヴィスに「ううん」と首を振るう。クロヴィスは気にするそぶりもなく興味深げに花を突いている。そんな彼を見ては一瞬こんな事を考えてしまった。 ――もし、自分だったら薬と偽って彼を毒殺するなど容易いこと。 直後、自らの考えには恐怖した。今更ながら気づいたのだ。彼はそういう事が起こってもおかしくはない立場なのだ、と。今なお多くの日本人から恨まれているブリタニアの第三皇子――、それが彼なのだ。 「? ……?」 気づいたときには無意識にクロヴィスの服の裾を握りしめていて、ははっと我に返った。 「あ、ごめんなさい」 パッと手を離すとクロヴィスは怪訝そうに眉を捻った。 こうして見ていると、とても彼が「総督殿下」だとは思えないというのに。だからこそ、ふと現実に現実に返ったように思い出す事実が怖い。彼は彼なりに頑張っているとは言え、彼はシュナイゼルなどと違ってどうあっても人の上に立つことに向かない性質だというのが分かり切っているからだ。だから――。 「、君は以前……このカマクラは日本の中心だったと言っていただろう?」 「え? ああ、ええ」 沈み込んで考えていると不意にそんな風に言われ、相づちを打つとクロヴィスはさらにこう訊いてきた。 「なぜ、過去形なんだい? ブリタニアのエリアとなる前はこの国の首都はトウキョウだっただろう?」 「うーん……端的に言えばよくあるクーデターなんだけど」 「そう、か。内戦か……」 「でも、どこの国でもままあることだし、そういう時代もあって今があるんだから……」 この地が国の中心だったのはもう遠い昔の話で、その後の国の歩みを大ざっぱに説明するとクロヴィスは、ふう、と息を吐いて憂うように天を仰いだ。 「どうやれば争いというものはなくなるのだろうな。このエリアをもっと豊かにして、どんな人間でも飢えることのない生活を保障すれば良いのだろうか?」 「それは……理想的な話だけど、難しいんじゃないかな」 適当な相づちではなく、やんわりといなしたに、むぅ、とクロヴィスは頬を膨らませる。 「昔、こういう話をシュナイゼル兄上にしたら同じようなことを言われたよ。"クロヴィス、それはとてもいい話だけど、過去の歴史の中でマルキシズムを実現しようとした国の末路を知っているのかい?"とね」 さすがにも苦笑いを浮かべたのち、そうね、と風に揺れた髪を手で押さえながら言った。 「でも、日本だけは唯一共産主義が成功する国なんじゃないか……って言われたこともあったみたいなの。だけど、確かに豊かになれば今みたいなテロも減るとは思うけど……ゼロではないと思う」 ここがブリタニアの一部である限り。との言葉はは飲み込んだ。 おそらく、どれほど国が豊かになっても「日本」を取り戻そうと試みる人間がいなくなるはずがない。それは日本人である自分にはよく分かる――とは唇を噛みしめた。 クロヴィスは、常に危険な立場だ。もしもクロヴィスがその立場ゆえに傷つくようなことがあれば、自分は例え犯人が日本人であれ非難するだろう。内心で喜ぶ日本人がいるだろうことも分かっているが――それでも、例え非国民のように言われても、きっとそうしてしまう。 ブリタニアの味方をするつもりはないというのに。 けれども、目の前の彼はブリタニアの第三皇子で――。 「……?」 今更何を考えているのだろう、とは首を振るった、不毛なのは分かっていたはずだ。分かっていたはずだというのに、今まで彼を振りきれなかった。 ――ねえクロヴィス、どうしてあなたはクロヴィスなの? まるでシェイクスピアの戯曲のような疑問を浮かべた自分には失笑した。 けれども、彼に名を捨てて欲しいとは思わない。自分も、捨てようとは思わない。 外から見て対等でなくても構わない。 今のままで構わないから――、と目を伏せていると、そっとクロヴィスに抱き寄せられる気配がした。 その仕草があまりに自然で――、けれどもこうして寄り添うことが自然になっても、それ以上はお互いに触れようとしない。 まるで警告のように――、これ以上はダメなのだと互いの中の緋色が告げていた。 |