年明けて一月下旬――玄関のノック音が響いて、は玄関へと赴くと引き戸タイプになっているドアを音を立てて開いた。
「メリークリスマス! アーンドハッピーニューイヤー!!」
すると上機嫌で手をかざして笑う長身の青年がいて、思わず苦笑いを漏らしてしまう。
「あけましておめでとう。……久しぶりね、クロヴィス」
「嬉しいよ、ようやく君に会えて!」
すると青年――クロヴィスは昂揚気味のままに肩を抱き寄せ、背を屈めたかと思うと頬に唇を寄せてきてはバッと身をよじった。
「やッ――!?」
するとクロヴィスはきょとんとしたのち、ああ、と思い付いたように苦笑いを浮かべた。
「すまない、ついクセで。……イレヴンにはこの手の習慣はないのだったな」
ハグとキス――ブリタニア人としては単なる挨拶に過ぎないのだろう。しかしにとっては不意打ちで心臓が跳ね――が、他意のなさそうなクロヴィスを見ていると細かいことに拘るのはどうでもよくなってクス、と笑みを零した。
電話でのやりとりは続けていたとクロヴィスだが、こうして直に会うのは二度目のことだ。
ゆっくり休みが取れたから会いに行きたい、とクロヴィスに言われたが承諾し会うこととなったのだが、相変わらず帽子程度の軽い変装で周りも気にしていなさそうなクロヴィスには少々不安になってくる。
「一人で来たの? 護衛の人とかは?」
「バトレーにはカマクラへ行くと伝えてきた。それに、このエリアには皇族専用のルートが山のようにあるんだ……そう心配はいらないよ」
「だと……いいんだけど」
ふう、とため息をつきつつはクロヴィスたっての願いでカマクラ観光へと繰り出し、街中を散策した。
細い路地を抜け、石畳でつづられた寺院の裏参道をゆるりと歩いていくとクロヴィスはまるで子供のように忙しなくキョロキョロと辺りを見渡しては「あれは何だ? これは?」とを質問攻めにする。その一つ一つに丁寧に答え、やがて鶴岡八幡宮へと続く若宮大路に出ると脇にはずらりと並んだ桜の木々が二人を迎えてくれた。
、この木は何だ?」
「桜。春になるとね、紅葉と同じくらい綺麗よ」
ふぅん、と呟いて興味深げに今は寂しげな桜の枝をクロヴィスが見上げる。
「どれもこれも、ブリタニアでは見られないものばかりだな」
感心したようにクロヴィスがしみじみと言って、その唇から漏れる白い息を眺めつつは歩道にある石椅子に腰を下ろした。
「クロヴィス……、一つ訊いてもいい?」
「なんだい?」
「気に障ったらごめんなさい。私……あなたがこの日本に興味があったなんてあまり思ってなかったの。だから初めて会った時、無理を押してまで紅葉を見に来たことが凄く意外で……、なにか理由でもあるの?」
するとクロヴィスは目を瞬かせて、ああ、と頷きながらの隣に腰を下ろした。
「確かにこのエリアについて私は疎かったと思う。だから、そんな私を見越してか呆れてか……すぐ上の兄上と同い年の妹が誕生日にある物を贈ってくれたんだ」
なんだったと思う? と問われては首を捻った。皇族間のプレゼントなど想像も付かず唸っているとクロヴィスが笑みを漏らす。
「それがなんと、紅葉の盆栽だったのさ」
「え――!?」
予想だにしなかった答えにが目を丸めると、ははは、とクロヴィスは明るい声を立てた。
「驚いただろう? 私も驚いたさ。他の兄妹は郷愁にかられている私を慰めてくれたというのに、兄上と妹だけは"一度実際に紅葉を見ておいで"なんて叱咤してくれた。驚いたけど、日に日に美しく色づいていく紅葉を見ていたら本物が見たくてたまらずに……あの日はカマクラに足を運んだんだ」
そして君と出会った――と続けられて、も薄く笑う。
「そうなの……。前に散っちゃったって嘆いてた盆栽がそれ?」
「ああ」
「そっか……。誕生日に紅葉か……すぐ上のお兄さまってシュナイゼル宰相殿下よね? 聡明な方だと聞いているけど、本当に思慮深い方なのね」
「……そう、だな。ああ、兄上はとても素晴らしいお方だよ」
シュナイゼル、という名前にクロヴィスが少し仄暗い反応をしたことが気にかかっただが、受け流してそこには触れずに続けた。
「同い年の妹さんは……。ごめんなさい、不勉強で分からなくて」
「ああ、いいんだ。彼女は……あまり公には出ていないから知らなくても無理はない。けれど、とても美しい姫だよ」
妹の話題を出せばクロヴィスの表情に優しさが戻り、彼は手にしていたスケッチブックを広げて何やら絵を描き始めた。
黙々と描き続ける様子を見ていると、やがて白い画面に現れたのは長い髪を湛えた儚げな雰囲気の女性だった。
「こんな感じだろうか……」
「わあ、本当に綺麗な人なのね。……クロヴィスに似てる、って兄妹だもの、当然かな」
描かれた絵とクロヴィスを見比べて、特に前髪の辺りがそっくりだと感心していると「そうか?」とクロヴィスは首を傾げた。そうしてどこか遠い目をして懐かしむように視線をスケッチブックへと向け、でも、と呟く。
「妹と兄上が並んでいるのを見て、我ながらおかしいと感じたんだが……絵になっていたんだ。とても美しくて、兄上の瞳が見たこともないほど優しくて、兄妹というよりは恋人のような」
クロヴィスの視線の先には遠い祖国の兄と妹の姿でも映っていたのだろうか――、しかし、言葉の内容があまりに突拍子もなくては目を瞠った。
「あの……恋人って、お二人は兄妹なのよね? 血を分けた」
「あ! ああ、何を言っているんだろうな私は……。深い意味はないんだ、そう感じたというだけだから」
苦笑いを浮かべながら照れくさそうに髪を弄るクロヴィスを見て、兄妹が多いとそういうこともあるのだろうか、とは薄ぼんやり思った。皇宮の、彼を取り巻く環境など遠すぎて想像もできないことだ。
兄妹、家族――それすらも今の自分には遠いことだ、とは緩く眉を歪めた。
?」
淡い、ブルーがかったエメラルドグリーンの瞳が探るように覗き込んできてはハッとした。とても美しい色だ。自分たち日本人にはあり得ない瞳の色。この日本を支配するブリタニア人たる特徴。
そのブリタニア人の、彼は皇子なのだ――と改めて考えそうになったは軽く首を振るい、ベンチから立ち上がって歩き始めた。
参道の桜並木を抜ければ、いよいよ鶴岡八幡宮本殿の鳥居が見えてくる。
「ス、ストップ……! 待て待て」
後ろから息切れの声が聞こえてきてはため息を吐いた。石畳の階段に悲鳴をあげるクロヴィスの情けない声だ。よほど体力がないのか、少しでも坂や階段が続くとクロヴィスはあっという間に息を切らせてしまう。
こんな姿――、ブリタニアの臣民が見たらどう思うのだろう。込み上げてくる笑みは侮蔑したものではなく、本当に微笑ましく思う柔らかなものだった。
「ほらほら、頑張って」
彼より数段先に行って振り返ると、クロヴィスは荒い息をしながらもむっとしたような挑戦的な瞳で懸命にあとを付いてきた。
石段を登り終わり、本宮を前にして後ろを振り返ったの身体をぶわっと強い風が吹き抜けていく。
この場から見下ろすと、いかにカマクラという街がここを中心に作られているかがよく分かる。その昔、確かに世の中心だったカマクラは兄弟親族が互いに血を流して作り上げた覇道でもある――とぼんやり思っていると、ようやく追いついてきたクロヴィスが隣に立って同じようにカマクラの街を振り返ってゴクリと喉を鳴らした。

「はぁ……」

息を整えながらクロヴィスは感嘆の声を漏らした。
先ほど通ってきた参道を中心にして左右に栄える街。まるでこの場に立ってこのカマクラを見下ろしていると、自分が世界の覇権を握っているかのような錯覚に陥ってしまう。
いや、実際このカマクラのみならず日本の命運は他ならぬ自分自身が握っているのだが――と考えるクロヴィスの髪を強い風が巻き上げて吹き抜けていく。その刺すような冷たさに頬を震わせ、じっと街を眺めるクロヴィスの瞳にふと懐かしい笑顔が過ぎった。
まだこの地がエリア11ではなく日本として存在していた頃。この地に生きていた弟と妹の姿だ。クロヴィスはほんの僅かに瞳を伏せた。
「五年前……17歳の時に、この地で弟と妹を亡くした。日本に彼らが来ていたことは知っているかい?」
独り言のように呟くと、隣では小さく頷いてくれた。
「助けられなかったことは今も悔やんでいるんだ。だからエリア11の総督就任が決まった時、この地を平定して彼らの冥福を祈ろうとも思ったんだが……なかなか上手くいかない」
ぼんやりとカマクラの街を見下ろしながら乾いた声で呟くと、は若干目線をさげて冷たい風に髪を踊らせた。
「仲の良いご弟妹だったのね」
「ああ、弟は小生意気だったけど……可愛がっていたつもりだよ」
懐かしい弟――ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアのことを浮かべながら、はは、と笑みを零せば隣でが不意に凍るような堅い声で呟いた。
「――偶然ね」
瞬間、クロヴィスは笑みを消す。視線をの方へ向けると彼女は一瞬こちらを見やってからカマクラの街へと視線を移した。
「私も五年前……17の時に、両親を亡くしたの。あの、ブリタニアとの戦争で」
の黒髪が踊り、クロヴィスは射抜かれたように固まった。瞠目しつつ穏やかさが消え失せた彼女の横顔をしばし見つめてると、彼女はほどなくしていつもの穏やかな笑みを浮かべて笑いかけてくる。
「同じね。あの戦争で私たち、大切なものを失ったんだから」
その笑みにどう応えればいいのか、クロヴィスの頭は答えを弾き出すことが出来なかった。
同じ――、と笑う彼女のそれは本当に本心なのだろうか? イレヴンからすれば当時友好国だったブリタニアが突然侵略を開始したのは驚愕以外の何者でもなかっただろう。力で奪われ、力で従わされ、当然の権利さえも失って――、それでも笑えるというのだろうか? それは自分とて弟と妹を失った。彼らを死なせたイレヴンを恨みもした。けれども、宣戦布告をしたのは他ならぬブリタニアだ。
「それは……本心なのかい?」
「え……?」
「君は、ブリタニアを恨んではいないのか?」
きっと自分が今にも泣き出しそうな顔をしているなど、クロヴィスには想像もつかないだろう。は大きく目を見開くと、どこか寂しそうに視線を横に流した。
「分からない」
「分からない……?」
「うん、二人が戦死した時は辛かったし、憎んでもいたと思うけど……。今はここが植民エリアで私たちがナンバーズって現状は変わらないし、恨み続けるのは辛いから」
そうしては、ふふ、と笑う。
「どんな人かと思ってたの、ブリタニアの皇子さまで、総督を務めるあなたのこと」
……」
「そんな顔しないで、あなたの事はとても好きだから」
心配そうにが見上げてきて、クロヴィスはハッとして目の端をグイッと拭った。少し涙が滲んでいたらしい。
ブリタニア人とイレヴン。支配する者とされる者。横たわる溝が大きくとも今は――そんなしがらみなどなく、個々としての二人があるだけだ、とクロヴィスも頷いた。
けれども、それでもやはりこのエリア11を少しでも良い環境に整えたいとは思う。ブリタニアの支配から解き放つことはできないが、その中で最良の道を作ることは自分にもできるはずなのだから。
「私の腕前は大したことがないと、総督になって思い知ることばかりだが……、それでもきっと近い内にこのエリアを衛星エリアしてみせよう」
小さいが、強い声でクロヴィスは呟いた。衛星エリア、とはブリタニアの植民地ランクの最上位である。今は途上エリアに位置しているエリア11を衛星エリアに格上げすることができれば、植民地とはいえかなりの自由と自治権がその地には与えられることになっている。そうすれば、きっと元通りとはいかずとも今より良い環境になるはずだ。
「クロヴィス……」
「君の街も、もとの美しい街に戻してみせる。すぐに、とは言えないが」
シュナイゼルだったら――きっと断言して尚かつ実現してしまうのだろうなどと心内で思って情けなくもなったクロヴィスだが、それでも強い風に煽られながらカマクラの街を一望し晴れやかな気持ちで言った。
風に揺れる裾を押さえ、は陽溜まりのような笑みを浮かべて頷いてくれた。


エリア11の総督に就任しこのエリアに来てからというもの、ずっと祖国への郷愁にかられる日々だった。
帰りたい。帰って皇宮でずっと絵を描いていたい。その繰り返し。
今もその想いが完全に消え去った訳ではないが――、去年の誕生日以来、少しは前進できたと自負している、とクロヴィスはトウキョウ租界とゲットーの境目を通るネリマ石神井川から悠然と咲き誇る満開の桜を見上げて表情を綻ばせた。
季節はもうすっかり春。
なんて美しいのだろう、と素直に思う。桜はエリア11を象徴する花でブリタニア内部には嫌う人間もいるようだが、美しいものは素直に美しい。このエリアの美しさに気付けたのは――きっと良いことだったと信じたいと考えつつ、表情を引き締める。
臣下の者が皇族用のマントを着させてくれ、クロヴィスは一旦瞳を閉じるとキ、と前を向いて並ぶカメラへと視線を送った。

「帝国臣民の皆さん、そしてイレヴンの方々。私は今、これまでにないほどの感動で胸が満たされています。見てください、この満開の桜を! 言葉を失うほどに美しい! 私の預かるエリアはこれほどまでに美しいものだと改めて感じ、今日より明日をより良き日としていくために皆さんも私に協力して頂きたいと願いつつ総督の言葉にかえさせてもらいます」

春の視察のコメント――、メディアの前では常に「強く気高い帝国の第三皇子」を演じることを決めている。虚像であっても、シュナイゼルのような才覚のない自分はそうすることでしか臣民を引っ張っていくことができないからだ。
もっとも、そんな自分のやり方に不満を漏らす人間もいるし、大多数のイレヴンからしたら自分の言葉全てが鬱陶しいのだろうと分かっているのだが――と思いつつクロヴィスはマントが外されて楽になった身体でふぅとため息をつき、もう一度桜を見上げた。
風に舞う花びらは、やはり美しくてすぐにクロヴィスの顔には笑みが戻った。


「クロヴィスったら……」


カマクラの自宅でクロヴィスの会見映像を観ていたは軽く苦笑いを浮かべて肩を揺らしていた。
彼を知らないころは何て演出過剰な人間なんだろうと疑問さえ抱いていたが、素の彼を知った今となっては普段とのあまりのギャップに自然笑みが出てくるのを止める術がない。本人としては真面目に凛々しい皇子を演出しているつもりなのだろうから、笑ってしまうと失礼なのかもしれないが、それでも普段のクロヴィスからはあまりにかけ離れていてどうも変な気分になってしまう。
それに――少しばかり総督としての彼は変わった。
こんな風に、植民エリアである日本のものを褒めることはなかったというのに今では積極的に日本の風景や歴史建造物の視察にも力を入れている様子だ。

『それでもきっと近い内にこのエリアを衛星エリアしてみせよう。君の街も、もとの美しい街に戻してみせる』

いつか鶴岡八幡宮でああ言ってくれたクロヴィス。あの言葉は素直に嬉しく思った。ブリタニア人であり、皇子である彼が日本のためにできる最大のことでもあるだろう。
しかし、あまりに統治エリアに入れ込みすぎるのは当のブリタニア人の反感を買ったりしないのだろうか?
日本人にしても、テロ活動をするような過激な独立派はクロヴィスがどれほど日本を思いやっても伝わりはしないのでは――。そう思うと、彼の進退が不安になってはギュッと胸のあたりで手を握りしめた。
日本人の自分がいくら懸念しても、どれほど彼と親しくなろうとも、彼は雲の上の人物。住む世界さえ違っていると言っても過言ではない。そんな人を守るなんて出来はしないのに――そもそも、日本人の自分がブリタニア人の彼をこれほど案じていることさえおかしなことなのだろうか? と錯綜する胸の想いにはそっと小さく首を振るった。


の懸念通り――、ここ最近のクロヴィスの日本びいきぶりを面白く思わないブリタニア人というものは存在した。
その一方で、好都合と思うものもいたことは――現時点では誰も知る由もなかった。











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