エリア11――旧日本。
五年前、当時は友好関係にあった神聖ブリタニア帝国が突如として侵攻を開始し、抗戦やむなく約一ヶ月で日本は降伏。ブリタニアの属領へと落ち、国名を剥奪された代わりに「エリア11」という記号が与えられ、日本人は「ナンバーズ」となりブリタニアの支配を受けることに相成った。
なぜブリタニアが日本に攻め込んだのか――その理由はいまだ分かっていない。皇帝の気まぐれとも、当時ブリタニアではまだ実戦投入されていなかった人形起動兵器であるナイトメアフレームの実験場として日本が選ばれたのだとも噂された。
事実、ナイトメアフレームの驚異的な力により日本は短期決戦に持ち込まれてあっさり降伏の憂き目にあっており、その強さは証明された。そして皮肉にもブリタニアの支配を受けた日本は、経済的に以前より安定したとの見方もある。しかし――支配をよしとしないレジスタンスの活動もまた活発で、この極東の地はブリタニアの属領きっての抵抗運動激しい激戦区となっており、今も争いが耐えることはない。


「本日、トウキョウ租界アカバネで起きた帝国政務機関狙いのテロ未遂事件の続報です。実行犯は無事逮捕され、容疑者の処刑に関して総督であるクロヴィス殿下は――」

テレビから流れてくるニュース番組を目に留め、は少しばかり眉を寄せて呟いた。
「クロヴィス……。クロヴィス・ラ・ブリタニア……」
帝国の第三皇子にしてエリア11の総督であるクロヴィス。
先日、そんな彼がこのカマクラゲットーで倒れ込んでいたときはまさかと思った。駆け寄ったときはただ見過ごせずに無意識で――苦しむ彼の表情を見たときにハッと気づいたのだ。クロヴィス総督だ、と。しかし、気づかないふりをした。互いのためにだ。
どこかで興味もあったのかもしれない。この日本を攻め落とした張本人の三男にして今は日本を治める彼がどんな人物であるかを。
だが――身近で接した彼は、あまりに自分の予想とは違っていた。

『できた……できたぞ!』

まるで子供のように無垢に笑っていた。この日本におよそ興味などないだろうと思っていた彼は、紅葉が見たいと激務と体調不良を押してまでカマクラまで来たという。

『――ステイ!』

あの時、彼の透き通るような浅葱色の瞳は射抜くような強さを放っていて――本当にその場に固定されたように微動だにできなかった。
怖いくらい真剣で、純粋な想い。
もともと芸術活動に力を入れている人物であることは知っていたが、まさかあそこまでとは思わなかった。

『好き、というのもあるが……唯一取り柄と言えるものだな。私にとって絵というものは』

彼が総督に就任して一年と半年ほどが経つが、いまだにこの日本は争いが耐えず――あの言葉はそんな自分を自嘲してのことだったのだろう。そう好意的に捉えてしまいたいほどに、彼は普通の青年だった。
美しいものを素直に賛辞し、絵の具で頬を汚しながら絵を描く喜びに破顔する。あの時、彼の頬を染めた朱――あの色同様にこの国を攻め落とした血塗られた一族の血が彼に流れていることを知りながら、つられて微笑まずにはいられない程の、どこか心があたたかくなる笑顔だった。
あんな美しい朱色を作り出せる人物なのだ。心根も本当にあたたかな人柄なのだろう。

しかし、それとは裏腹に今日も抵抗運動のニュースは耐えない。今、この瞬間も日本のどこかで争いは続いているだろう。
ブリタニアの支配を良しとしているわけでは決してない。五年前の戦争で失ったものだって大きかった――とはきつく眉を寄せた。
それでも。受け入れがたい現状を甘んじて受け止め、その中で穏やかに生きていたいと思うことは間違っているのだろうか?
罪を憎んで人を憎まずと言えるほど寛容にはなれなくとも、恨みで染まってしまうのはあまりに辛すぎる。

だから彼のことも――、普通の、人の心を持った人物なのだと知れただけで良かった。
それなのに、とは戸棚の上に置かれている携帯電話を見やった。
最後まで素知らぬふりを通し、彼の素性に気づいていたなど話すつもりはなかったというのに――と一人小さく首を振るう。



その頃、クロヴィスはふぅと政庁の総督執務室で天井を仰いでため息を吐いていた。
目の前に詰まれている書類は、イレヴンの処刑執行に対する調印だ。臣民であるブリタニア人と違い、ナンバーズであるイレヴンに対する法はかなり厳しいものとなっている。
例え軽い罪でも、自分のサイン一つで簡単に処刑が決まる。
たかだか書類にペンを走らせるだけだ。きれい事だけでは総督は務まらない。もう一年以上も総督を務めてきて、そろそろ感覚も麻痺してきた。
なのに酷く気疲れするのはなぜだろう――とクロヴィスは机の端に置かれているマフラーを見やった。
先日が貸してくれて、返しそびれていたものだ。またカマクラに行く口実作りのためにくすねてきたわけではない。本当に返しそびれただけだ――とクロヴィスは無意識のうちに電話の受話器へと腕を伸ばしていた。
この間まで使っていた携帯電話の番号さえ打ち込めば、そうしたら――と思うも結局は、カタ、と受話器を下ろすに終わってしまう。
ブリタニア人である自分を、それも最初から皇子だと気づいていてなお、畏れることも媚びることもなく接してくれた彼女。あの時間が嘘だったと思いたくはない。けれども彼女はもう、自分と関わることをよしとしていないかもしれない。
そうだ、これ以上どうしようというのだろう?
イレヴンと個人的な親交を深めるなど、部下も臣民も良い顔をするとは思えない。
兄妹も――特にコーネリアなど激怒の極みだろう。ナンバーズを区別するのは国是、ナンバーズはただ従えればいいだけの存在だと説教されるに決まっている。
シュナイゼルやオデュッセウスは「仲良くするのはとても良いことだけど」と前置きしたうえで苦笑いを漏らすだろう。
ああ、ユーフェミア辺りならば分かってくれるだろうか?
そう言えば、ルルーシュはエリア11にいたころイレヴンの友人もいたらしいが――と遠く祖国の兄妹たちを思い浮かべてふとクロヴィスは暗い顔をした。
今は亡き弟と妹、ルルーシュとナナリー。彼らは戦前のここエリア11へと疎開をし、激戦のどさくさで助けることのできないまま行方不明――死亡扱いとなってしまった。可愛い弟と妹の死に人知れず涙を流したことは、今も鮮明に思い出せる。どんな思いを抱えて死んだのかと思うと、今なお胸が苦しくてたまらない。
ルルーシュは歳こそ離れていたものの、幼いながらに賢く将来が楽しみな弟だった。周りからは自分の将来に邪魔となりそうな出来のいい弟を危険視する声もあったが、そんなものは関係なく、可愛がっていたつもりだ。
そんな彼の亡くなった地――このエリア11を早く安定させ、ルルーシュとナナリーの魂に安らぎを捧げたいという思いも自分の心内に確かにあるというのに現実はそう上手くはいかない。
テロリストの鎮圧。軍部の掌握。内政官の監督等々自分の手には余ることばかりだ。
「……
こんな弱音を吐いても、彼女なら慰めるようにして笑ってくれる気がして――そんな風に思ってしまう自分の甘えた性格が時折いやになるが、振り切れるほど強くもなれない。
これではシュナイゼルや同い年の妹にまた叱咤されてしまうな、とクロヴィスは執務室の窓の外に置いてある紅葉の盆栽に視線を移した。
一面の焼け付くような朱――、鉢植えなどではない、本物の紅葉はそれこそ世界にこんな美しいものがあったのかとすら思えるほどに素晴らしいものだった。
このエリア11は本来、もっともっと美しい国なのだろう。
なのに、この一年であげた具体的な成果を羅列せよと言われたら返事に窮してしまう。シュナイゼル辺りなどそろそろ呆れて「クロヴィスにはちょっと荷が重すぎたようだね」などと苦笑いを零しながらお役ご免を宣言してくる可能性だってある。
……」
せめて、素直な気持ちを相談できる友人がいれば。そんな気の置けない側近を持てなかった自分も自分であるが、周りの部下たちはみな皇子である自分とはやはり距離を置いていて政務の相談など気軽にできやしない。
ましてや愚痴など――、心の中に溜めるばかりで。
ゴクッ、と静寂の執務室に響き渡るほど盛大に喉を鳴らすと、クロヴィスは意を決して電話の受話器を取り、数回の深呼吸ののちに自分の使っていた携帯電話の番号を打ち込んだ。最後の数字を震えながら押すとすぐに機械的な呼び出し音が鳴り始め、口から心臓が飛び出るのではないかというほど胸の音がうるさく身体中にこだまする。
しかしながら5回、10回と鳴っても相手が出ることはなく、それでもクロヴィスは待った。
その場にいないのかもしれない。取るのを躊躇しているのかもしれない。けれども――待って待って、20回ほど呼び出し音を聴いていると、一瞬錯覚のようにその音が途切れてクロヴィスは一旦息を詰めると電話口にむかって大声をあげた。
――!?」
その向こうで、つ、と相手が息をのんだ気配が伝うもクロヴィスは安堵して声をかけた。
「良かった、通じないかと思ってしまったよ」
「……殿下……」
しかし戸惑うようなか細い声が返ってきて、クロヴィスは露骨に眉を寄せた。
「そんな敬称いらない! ……君に付けて欲しくないんだ」
「ですが……」
「言っただろう? 私はただのクロヴィスだと。君の前では普通でいたいんだ、あの時、君が私にそう接してくれたように」
泣きそうなほどに必死に伝えれば、が息を漏らして困惑している様子がありありと分かった。
居心地の悪い沈黙が続く。
このまま切られてしまったらどうすれば――と嫌な早鐘を打つ心臓の音を聴いてどれくらいの時間が過ぎただろう? 一瞬にも永遠にも思えた沈黙の後、ふう、とため息のようなものがから伝った。
「……本当に、あなたワガママね。――クロヴィス」
「あ……!」
呆れたような声とともに囁かれて、ぱあっと光が差すようにクロヴィスは笑った。
「あ、ああ、そうさ。私はクロヴィス・ラ・ブリタニアだからな」
「まったく、男爵の比じゃないわね……皇子さまなんて」
の苦笑いに笑みで返し、胸がつまって喋れないでいるとどうかしたのかとが訊いてきてクロヴィスはハッとした。
「いや、その……今日は」
連日のイレヴンのテロとその処理ついてうんざりしかけた、などいくら何でも愚痴るのに躊躇してしまう。
「あ、いや……どうも疲れているから、の薬を飲めば治るかと思ったんだが」
「苦いとか不味いとか言ってたのに」
「元は美しい植物なのだろう? ならば耐えられる」
くす、とが笑って、クロヴィスも自然笑みを浮かべて口元を綻ばせた。
「そうね、黄精に整腸作用のある植物を加えるとか……色々あるけど」
「黄精?」
「ユリよ、小さな花で可愛いからあなたも気に入ると思う。でも、クロヴィス」
「ん……?」
「一番はやっぱりちゃんと眠ること。激務だとは思うけど……もう良い時間だし、ちゃんと寝て?」
気遣うような声が聞こえてきて、クロヴィスは瞬きをする。
ふと時計に目をやれば既に時間は十時を回っていてサッと青ざめた。
「す、すまないこんな遅くに……! 時間の感覚がどうも麻痺してしまっていて」
「ううん。……じゃあ、ゆっくり身体休めてね」
「ああ。……では、また」
少しばかり探るように言ってみればは笑って頷いてくれ、クロヴィスはホッと胸をなで下ろして受話器を置いた。
はは、と自然笑みが漏れてくる。
椅子の背もたれに思い切りもたれ掛かって天井を仰ぎ、額に腕を翳して表情を緩ませる。
これだけのことでこんなに心が軽くなるとは――と思いつつ、パッと椅子から立ち上がった。
総督官邸まで戻るのはいささか面倒だが、ちゃんと帰ってちゃんと寝よう、とそのままクロヴィスは執務室を後にした。


一方のの方は――、切れた携帯をジッと見つめ黙していた。
ただのクロヴィス。――彼がブリタニアの皇子である現実は無くせないと分かっていても、彼と話しているとどこか心地いい。まるで人種や立場の違いなどないかのように感じてしまう。
そう思うことはきっと悪いことではないと思いたい。
都合のいい解釈でも、こうしてお互いのしがらみを越えてコミュニケーションを図ることは大事なことでもあるだろう――と結局は彼からの電話をとってしまった自分に言い聞かせつつ、はそっと携帯を棚の上に戻した。

その数日後。
ーーー!!」
けたたましく携帯の呼び鈴が鳴ったかと思えば切羽詰まって泣きつくような声がいきなり耳を犯しては瞠目した。
「ク、クロヴィス何が――」
「紅葉が! 私の紅葉が、紅葉の葉がなくなっていたんだ、今朝執務室に入ったら……!」
本当に泣いているのだろうか。掠れた声を耳に入れながらは訳が分からず首を捻った。
「な、なんの事? クロヴィスの紅葉って」
「盆栽だよ、鉢植えの紅葉なんだ、小さい」
動揺からか説明すらたどたどしい声を聞きながら、なんとなく察したは「ああ」と苦笑いを浮かべた。鉢植えの紅葉が散ってしまったということなのだろう。
「冬だからね。自然なことだと思うけど」
「な、ならば平気なのか!?」
「うん、大丈夫。冬を越したらまた葉は出るし、秋になれば色づくから」
そうして一頻りクロヴィスを宥めて電話を切り、は肩を竦めつつ自嘲気味に小さく笑った。
憎むとかブリタニア人とか、考えること自体どうでもよくなってしまう。
あんな人――、恨むことすらきっとバカバカしいことなのだ。











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