シュナイゼルはアヴァロンで中華連邦の領空付近を飛んでいた。
私室のソファに座り、常と変わらぬ憂い顔を浮かべるのみのシュナイゼルを控えていたカノンは辛辣そうな顔で見やるのみ。すると、どこか色のない弱々しい声でシュナイゼルはカノンへと語りかけた。
「カノン……、君は、いつも私に何も言わず汚れ役を買ってでてくれていたね」
「殿下……?」
「知っているんだよ、君が……マリアンヌ后妃暗殺を秘密裏に誘導していたことを。マリアンヌ后妃をよく思わない人間はそれこそ山のようにいたからね。そして、私は知りながら黙認した」
ハッとしたカノンにシュナイゼルは静かに笑いかける。
「君はいつも私の望むことを察し、私に替わって手を汚し続けてきてくれた。済まないと言うべきかありがとうと言えばいいのか。言葉が……みつからない」
「──私はブリタニアではなく、殿下ただお一人に忠誠を誓った身です。ですから、一切の責任は殿下にはございません。全ては私の独断、ですからどうか私の身柄をブリタニアに──」
「いや、いいんだよ。実行しなかったというだけで、私には明確な殺意はあったんだ。マリアンヌにも、父にも……」
赤い、真紅のワインが注がれたグラスを傾けながらシュナイゼルはそっと瞳を閉じた。
恐らくもう、あれが最後だった。自らが赤に染めた、白く透き通る透明な水のようだった異母妹の姿を瞼の裏に浮かべながら思う。これで良かったのだ、と。自分とのことは悪い夢だと思って忘れ、幸せに暮らしてくれればいい──と。我ながらどうかしている。どんなことがあろうと彼女だけは手放すまいと誓っていたというのに、今も狂おしいほど彼女を求める心は変わらないというのに、ひどく胸が空虚だ。
父の死でようやく悟り知ったからだろうか。自分でも気づかないうちに自分の心内にあった僅かな期待は無意味なことなのだ、と。所詮自分という存在は誰からも愛されることはない。どれほど足掻こうが真に欲するものなど何一つ手にはできないのだ──、とワインを喉に流し込んでいると私室に機械的な呼び出し音が鳴り響いてシュナイゼルは瞳を開ける。
通信受信音だ。立ち上がって端末の所まで行くのが煩わしかったシュナイゼルはソファに設置されている遠隔操作ボタンに手をかけた。
「ほう、ロイヤルプライベート……か」
そうして映像を部屋全体に大きく投射させる。すると、そこには見事な黒髪を湛えた強い瞳が特徴的な少年がいた。
「お久しぶりです、シュナイゼル兄上」
「やあ、ルルーシュ。生きていたそうだね、ナナリーも無事なのかい? 嬉しいよ、とっくに死んだものだと思っていたのだから」
「ええ、地獄の果てから舞い戻ってまいりました。あなたを──殺すために」
通信相手がルルーシュであるだろうことを予測していたシュナイゼルは驚いた様子を見せず、尊大な表情で睨み付けてくる成長した弟の姿をいなすようにいつもの憂い顔を浮かべた。
「ほう。私は君に対しては常にいい兄であろうと努めたつもりだよ、その私を殺そうとは……悲しいね」
「あなたは──ッ! 俺の母さんの、マリアンヌ后妃殺害の真相を知っているはずだ! でなければ俺は──」
「早合点でクロヴィスや父上を殺したことを後悔しているのかい?」
「ッ、クロヴィスが日本でやっていたことを知っているのかシュナイゼル!? コーネリアのことも! 反乱の見せしめのように一つのゲットーの民間人を皆殺しなど日常茶飯事。こんな腐った連中、死んだ方が世界のためだろう!」
「──まあ、コーネリアはブリタニアの国是に忠実な性分だから、しょうがないかな」
「だったら俺はブリタニアをぶっ壊す!」
「哀しいね、ルルーシュ。父上は君の身を案じてエリア11へ君を疎開させたというのに。そしてそんな反発心を育てて戻ってきた君に甘んじて殺されたとは、実に報われない」
「母さんを守れずに何が俺の身を案じただ!? ──それに俺はシャルルを殺してなどいない。あなたはいい道化でしたよ兄上……アヴァロンを降りて単身帰国したのが運の尽きでしたね」
「私のせいにするつもり、か。けれどルルーシュ、私がその気になれば逆転のチェックメイトはそう難しくはないんだよ」
「おや負け惜しみですか?」
「いいや。ただ──その気があまりないというだけだ」
自分の言葉に一喜一憂するルルーシュの表情を面白そうに、だが冷め切って見やってからシュナイゼルは操作ボタンに手をかけようとした。これ以上無意味な会話を続ける気はなかったからだ。
「待てッ! 母さんの死は──」
「ああ、マリアンヌ后妃を殺したのは私だよ」
殿下、と焦った表情を浮かべるカノンを手で制止してシュナイゼルはもう一度ルルーシュを見やった。

「これで満足かい? ルルーシュ」

そうして一方的に切られた通信モニターを見やって、ルルーシュは一人歯噛みしていた。
「あなたはいつだってそうだ、そうやって人を見下して……!」
八年前、母親を何者かに殺された。その悲しみが癒えるのを待つ間もなくエリア11──当時まだ日本であった地に送られ、まもなく日本はブリタニアと交戦状態に陥った。そんな中、命からがら生き延びてかの地に住んでいたブリタニアの貴族に匿われ、生き抜いた。
表向き死亡扱いにしたのは、暗殺の危機から逃れるためだ。自分一人であればそれも怖くはなかったが、妹のナナリーの無事を思えばそうせざるを得なかった。
そして恨んだ。母を守れなかっただけではなく自分とナナリーをこんな境遇に陥れた父を。いつか必ず自分たちを不幸にした全てに復讐すると誓って七年──最初の転機はクロヴィスだった。

『我が母上の死について知っていることを全て話せ』
『何を言っているんだいルルーシュ。皇族が関わってるなんてあくまで噂だろう? 私ではなく姉上や兄上に訊いてくれよ。それより──』
『ならば死ね』

自身が生きていたことに驚きを隠せなかったクロヴィスを手にかけた。実に簡単なことだった。芸術以外には能のないクロヴィスの治める政庁の警備などザルもいいところ。忍び込むのも、証拠を残さずクロヴィスを始末するのも容易い。
それに圧政から解放されたかつての日本人はクロヴィスの死を喜びこそすれ悲しむ者はいなかった。次の総督であるコーネリアがクロヴィス以上の圧政を敷いたのは皮肉以外の何者でもなかったが、副総督であるユーフェミアが正式に総督に昇任すれば少しはエリア11の状態も良くなるだろう。
あとは──あとは、母の無念を晴らせればそれで良かった。
それで良かったというのに。
「ルルーシュ、入るよ?」
深い思考に沈んでいると、ドアの外から声をかけられてルルーシュは姿勢を正した。
入ってきたのは長兄のオデュッセウスである。
「落ち着いたかい? 君も大分ショックを受けているとは思うけど……ちゃんと食事はとってくれよ。私は君が生きてくれていただけで嬉しいのだから」
「はい、ありがとうございます。兄上」
「それにしても、私は今だ信じられないよ。シュナイゼルがまさか父上を……などと」
心底辛そうなオデュッセウスに合わせ、ルルーシュも「俺もです」とうなだれる。
単身ブリタニア本国に戻ったルルーシュはまずオデュッセウスと連絡をとり、保護してもらっていた。
ルルーシュが生きていたことを何より喜んだオデュッセウスは喜んでルルーシュを受け入れ、すぐに皆に知らせようとしたがルルーシュはそれを止めた。
狙われているかもしれないから知られたくはない、と。今までそうして身を隠してきたのだから、と。
オデュッセウスは考えすぎだと言っていたが、取りあえずはルルーシュの言うとおり匿うことを承諾してくれた。
そして頃合いを見て父であるシャルルのよく訪れているというアリエス離宮──元はルルーシュの住んでいたその宮で二人してシャルルに面会に赴いたところ、広間で絶命しているシャルルとの悲劇の再会となったのだ。
「兄上はどうされるおつもりですか? アヴァロンは、コーネリア姉上に追わせると?」
「いや……もう一度シュナイゼルと話をしようと思っているんだ。いくら私でも、今回ばかりはコーネリアに任せっきりにはできないよ」
「その事ですが兄上……俺、さっき話をしたんです。勝手かとは思ったんですが、シュナイゼル兄上と」
言ってルルーシュはつい今し方シュナイゼルと通信をしていた端末を弄った。オデュッセウスには分からないように巧みに編集し、再生ボタンを押す。

「ああ、マリアンヌ后妃を殺したのは私だよ」

ルルーシュは陰鬱な表情を浮かべてオデュッセウスを見やった。
「俺、兄上が母さんの死について何か知らないか訊きたくて……そしたら、こんな……」
オデュッセウスは通信のシュナイゼルの声を聴いて愕然としていたが、ルルーシュは思った。本人がこう言っている以上、シュナイゼルは何かしらマリアンヌの死の真相について知っているだろう、と。
殺すにしてもそれを突き止めてからでないと──と思いつつ口の端をあげる。
皇帝暗殺の犯人について、シュナイゼルはこれ以上ない隠れ蓑となってくれた。
こうもあっさりこっちの思惑に引っかかるとは、聡明だということだけは認めていたシュナイゼルも随分と鈍ったものだと思う。
ただ一つ、誤算があったとすればそれは──と考えてルルーシュは首を振るった。

『いつか、このような日が来ると思っておった……』
『ふざけるなッ! お前は母さんを守れず、俺とナナリーを見捨てた! それを──』

アリエスの離宮でシャルルと交わした最期の言葉。
美しく掃除の行き届いた離宮──、マリアンヌの肖像画をただ見つめていたシャルルの姿。
幼少の頃より思い描き憎んできたはずの父の姿とは、どこか違っていた。

『我が幻想は現実となった……もう、この世に未練などない。マリアンヌの待つ場所へ……行くとしよう』
『待て、せめて母さんの死について知っていることを吐いて死ね……!』
『あやつが、シュナイゼルが知っておる。おそらくな。ルルーシュ……ブリタニアは、お前に譲る。わしの、全てを……』

殺意はあった。銃は向けた。しかし、あれはほぼ自殺に近かった。
シャルルはずっとあの場所でいつ訪れるとも限らない自分を待っていたという。そうして自分が壊すと決めたブリタニアをあっさり譲ると言った。
その後はもう──密かにオデュッセウスの元に戻り、オデュッセウスと共にアリエス離宮を訪れてさも第一発見者のように振る舞った。
同時に自身が生きていたことを公表し、失っていた皇籍をも取り戻したのだ。
後はシュナイゼルさえ始末してしまえば、全てが──終わる。そう、それでいいのだ。
今までずっと虚像の人生を生きてきた。死を偽り、名前を偽り、経歴を偽って。だがそれももう終わりだ。
もうじき、自分の真の人生が始まるのだ──とルルーシュは強い目をして口の端をあげた。










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