八年前──、ルルーシュ達の死亡報告を受けてコーネリアたちが悲しむ横、一人上がりそうになる口の端を抑えるのに必死だったのは恐らく自分だけだろう。
むろん、その後すぐに調査させた。ルルーシュ達が本当に死亡したのか、と。結果生存は確認できず、ある程度は安堵をしていた。
しかし──クロヴィスが死んでから胸に引っかかるトゲのようなものが抜けなくなったのだ。手を下したのがもしやルルーシュではないか、という何の証拠もない想像のみが膨らんでいった。
そうして今回のカノンの調査結果があれだ。詳細を洗ってみてもルルーシュ達と目される人物の経歴は皇室とは何の関係もなかったという。当然だろう、もしも本人なら偽造しているに決まっている。
いっそエリア11にいるコーネリアかユーフェミアに調査をさせるか?
いや、彼女らはルルーシュ達とは懇意だった。生存を悦びこそすれ疎むなどはしないだろう。
そう──誰もが喜ぶはずだ、兄妹たちはもちろん、皇帝であるシャルルも。

「…………」

アヴァロン私室のソファにうなだれて、シュナイゼルは自身の愛する異母妹の名を呟いた。
おそらくこの気持ちを少しでも共有してくれるのは、彼女以外にはいないだろう。今、この場に彼女がいたらきっと強く彼女を抱きしめてやるせない思いをぶつけていたに違いない。
愛し方を間違えたと理解しながら、きっとそうするしかできない。
そうしてまた、彼女の心を自分から遠ざけてしまうと分かっていながら──きっとそうしてしまう。
皇帝となり、彼女を彼女の一番嫌がる形で手に入れてたとしても今と何ら変わりはない。自分は──誰からも必要とはされない。
分かっていたことだ。マリアンヌを消しても、ルルーシュたちがいなくなっても、それは変わらなかった。


「お久しぶりです、父上」


かつてマリアンヌの暮らしていたアリエスの離宮の広間では、飾られたマリアンヌの肖像画をシャルル・ジ・ブリタニアが豪奢な椅子に腰掛けて色のない表情で眺めていた。

「コーネリアはクロヴィスと違ってなかなか隙がなく、直接訪ねて参りました。八年前の真実と……あなたの罪の精算を求めるために」

その頃、シュナイゼルはアヴァロンをブリタニアの国境付近に留まらせ単身首都ペンドラゴンへと戻っていた。
ペンドラゴンは険しい山々に守られるようにして栄える街だ。忍び入るのにこれ以上適した場所はない。しかも──皇宮から比較的離れた場所にあるアリエスの離宮ならば尚更だった。
シャルルが離宮の警備を最小限に留めて静かにここで過ごしていることは知っているし、人知れずシャルルのいるだろう広間に行くルートも熟知している。
「父上……」
静かにアリエス離宮の広間に入ったシュナイゼルはマリアンヌの肖像画を目に留めて苦い顔をしながら、椅子に座るシャルルに背後から声をかけた。
「EUは地中海以南の領土は既に我がブリタニアに堕ちました。私の考えでは領土の半分を押さえたところでそろそろ幕を引いても良いかと思っておりますが。ご意見を伺いたく」
そうして跪き臣下の礼を取ると、まるでマリアンヌにもこうして礼をしているようで少々いたたまれない。
小さく、シャルルが返事をした。
「なんたる愚かしさよ。そのような俗事は全て……任せると言ったはずだ」
「……俗事……?」
ぴくり、とシュナイゼルの頬が撓った。少なくとも、自分は常に政務に関してはできうる限り尽くしてきたつもりだ。自ら前線に立ち、戦闘の指揮をも執ってきた。どんな形であれ列強の一角である中華連邦を半属国とし、EUを追い込んだのも自分だ。
それも全て、シャルルにとっては取るに足らないわずらわしい出来事だというのだろうか? 皇帝として向き合うべき現実の問題だというのに。
「お言葉ですが、父上……これらの事柄は皇帝であるあなたが執り行うべきことでは? それを全て私に任せると言われるのであれば──」
「"早く玉座を退いて私を皇帝にしろ"か? 実の妹を手に入れるために玉座を目指すか、シュナイゼルよ」
「──! 父上、それは」
「構わん、を妃にしたければするがよい。ただし……貴様に、玉座は……渡さん」
思わずギリ、と歯を噛みしめたシュナイゼルにはシャルルの声がどこか弱々しくなったのに気付けなかった。
「あなたが皇帝に相応しいとは私は思えない……! 少なくとも私は常に尽くしてきた、国に、民に、そして父上……あなたにも。なのになぜ……」
「なぜ? 愚かな……、お前の中に流れる血は、マリアンヌのものではない──」
「ッ、そこまで愚弄なさるか、私を──私の母や兄妹たちをも……!」
シャルルの言葉を遮って、シュナイゼルは懐の剣に手をかけた。しかし──シャルルの座る椅子に歩み寄って愕然とする。
「父、上……」
「玉座を……譲るべきものは、見つかった。これで……もう」
シャルルの纏う皇帝服にはじんわりと血が染みだし、椅子からも伝った鮮血が滴り落ちていたのだ。
「父上……!」
驚いてシュナイゼルが身体を支えるも、シャルルの瞳はシュナイゼルを見ることはなく、ただ、マリアンヌの肖像画のみに注がれていた。
「マリ、アン……ヌ……」
そうしてゆっくり瞳を閉じゆくシャルルをシュナイゼルは言葉をなくして見守るしかできることはなかった。
ふと、シャルルから手を離すと自身の白い手袋が真紅に染まっており、苦く眉を寄せる。

「ルルーシュ……なのか、やはり」

元々慣れていた──虚に近かった感傷が一気に冷えてどこか抜け殻になっていくのをシュナイゼルは感じた。
自分の存在の無意味さを空虚の中で覚えた。
それほど野心を持っていたわけではない。第二皇子としてただ与えられた宰相という役目をこなしてきただけだ。幼少の頃から変わらない、ただ、父に認めて欲しいという子供じみた感情だった。皇帝の座を真に欲したわけでもない。ただ、今の延長線上に……お前になら次の世を任せられると、いつか父の口から聞きたくて。
だが、最初からどだい無理な話だったのだ。
父が現実を顧みなくなっても玉座から退かなかったのは、いつかこんな日が来ると信じていたからだろう。自らの命を盗られてもマリアンヌの血を引く息子──ルルーシュに後を継がせる。そのための舞台装置にすぎないのだ、自分など。
マリアンヌが生きていたら、など関係ない。生きていれば、自分は今ごろ宰相ではなかっただろう。そう、宰相たるルルーシュの下につく者。そうしていずれ来るだろうルルーシュの世で、一生彼に忠誠を誓うだけの人生だったのだ。

「哀しいね……

ならば自分は、自分たちは一体何のために存在していたというのだろう? こんな国、いっそ潰えてしまえば──この虚しさも、消えるというのだろうか。


陽が大分傾きかけてきた──、このライブラ離宮のテラスに差し込む朱はどこかもの悲しく、主の儚さに似ていた。
「皇女殿下──」
臣下の者に呼ばれ、自室で本に目を通していた手を止めて話を聞く。すると、彼は予想外の用件を伝えてきた。
「面会の申し出です。シュナイゼル殿下が……」
「まさか、兄上は今……」
EUへ出兵中だったはず、と返そうとするも取りあえず廊下に顔を出すと、奥から歩いてくるのは確かにシュナイゼルその人だった。
頭をさげて下がっていく臣下を目に留めつつ、は唇に手をあてた。帰国するときは、必ず連絡をくれたシュナイゼルだというのに。それに一方的に呼びつけるのみで、この離宮に足を運ぶなどなかったはずだ。
「やあ……、久々に見ると、やはり美しい。変わらないね……君は」
一層憂うような表情を深め、シュナイゼルは微笑んでいた。いつもよりもどこか噛みしめるような口調だ。
「どうして……」
「驚いたかい? すぐ戻らなくてはならないんだけど、どうしても君の顔が見たくてね」
は戸惑ったが、取りあえずはもてなしの用意をさせようとすればシュナイゼルに止められ、仕方なしに自室に招き入れて向き合った。
黙していると、ふ、とシュナイゼルが笑う。
「そうだ、父上からお許しを頂いたよ。君を妃にしてもよい、と」
「え……?」
「だけど、君が私を愛していないのだから……仕方がないね」
穏やかな口調にどこか芯がない。が怪訝に思っていると、シュナイゼルは一つ声のトーンを落としてとんでもないことを言い出した。
「──ルルーシュが、生きていたそうだよ。
何の脈絡もない話には瞠目するしかない。いきなり何を言っているのだろう。その名を持つ弟は、八年前にエリア11で死んだはずだというのに。
「何を根拠にそのような……」
「根拠、か。まあ、そのうち分かるんじゃないかな。ただ……私も嘘だと信じたいけれど、兄上たちはお喜びになるだろうね」
おそらく、こんな話ができるのは兄妹の中では自分だけなのだろう。ルルーシュを──マリアンヌ親子を良く思っていない、というのは既に互いの暗黙の了解だ。けれども、あまりに突拍子もないことにが返事に窮していると目線の先のシュナイゼルは肩を竦めていた。
「マリアンヌ后妃は破天荒な方だった。非貴族の出でもあったし、皇族に似つかわしくない言動の数々に胸を痛めていた人々もいてね……八年前、そんな后妃を悲劇が襲った。真相は今だ闇の中だとは君も知っていると思うけど、私は知っていたんだよ。アリエス離宮襲撃の噂を」
「え──!?」
「離宮の警備増強を奏上はしなかったけどね。聞き流しただけ……。おそらく、君でもそうしただろう?」
言われて、はマリアンヌの墓標を訪れた時のことを思い出した。母を苦しめた女、と彼女の墓標を睨んだ自分。そんなことを言われてなおも言葉に詰まっているとシュナイゼルはどこか諦念したように静かに語る。
「けれどもあの日からルルーシュはブリタニアを深く憎むようになってしまった。彼の安全のためにエリア11へ疎開させた父上をもね。確かにすんなりアリエス離宮を襲える人物なんて限られてくるよね、そのもっともたるのが私たち皇族の人間だ。八年前──すでに17歳だったクロヴィスが何かしら后妃暗殺に関わっていると疑っても不思議ではない」
「まさか……、じゃあクロヴィス兄さまを殺したのはルルーシュだと?」
「……例え話、だけどね」
「兄上、どうされたのですか? なんだか、様子が……」
あまりに不可解なシュナイゼルの態度に眉を寄せながらがシュナイゼルに歩み寄ると、シュナイゼルは少しだけ満たされたように笑った。
「嬉しいね、君が私を案じてくれるとは」
しかし頬へと伸ばされかけた手にピク、と反応すれば、シュナイゼルは苦笑いを漏らしてそれ以上触れようとはせず手を降ろす。
いつも公務のときは身につけているはずの白い手袋をしていない──その事に気づいて瞳を揺らしただったが、シュナイゼルは哀しげに微笑むのみ。
「君が生まれた時のことはうっすらとだけど覚えているよ。儚げで美しかった君の母上によく似たその髪の色が印象的で……けれど、次に君に会った時、すぐに妹だとは気づかなかった」
「次に、会った……?」
「君は知らないだろうね。でも私はよく覚えているよ……バラの香る中、倒れそうな身体を警備の者に支えられて"外に出てみたかった"──と言っていた幼い少女のことを。夜闇の中で揺れるそのプラチナ・ブロンドがとても美しかった。あの夜から、君は私のたった一人の大切な女性で、大切な妹で。その二つが切り離せず……結局は耐えられずに、君を傷つけてしまった」
「あ、兄上……」
兄、と呼ぶと傷ついたような表情をするシュナイゼルは今も変わらず、しかし今更懺悔めいたことを口にするシュナイゼルをが理解できずにいるとシュナイゼルは部屋の時計に目をやって軽く息を吐いた。
「もう行かなくては。まだ、決着がついたわけではないからね」
「あ……」
「君が息災であることを祈るよ。──愛している、
抱きしめてキス──といういつものシュナイゼルの行動であればこの言葉も不思議には思わなかったかもしれない。しかしシュナイゼルはいつもの憂い顔に微笑みを乗せるだけで、消え入るように呟いてからに背を向けた。
追うことはせず、はその背を見送った。
扉の向こうに消えるシュナイゼルの大きな背中がやけに消え入りそうに見えて気にはかかったが、それ以上は、考えないようにした。
ただ、ルルーシュは生きていた、という妄言めいた言葉が気にかかって──調べようとした矢先の出来事だった。

「皇帝陛下が崩御された──!?」
「アリエスの離宮でご遺体が発見されて……」
「第一発見者はオデュッセウス殿下と、あの──」

皇宮内はシャルルの突然死一色で染まった。
クロヴィスの死からまだ一年ほどしか経ってない矢先にこの出来事。大がかりな皇族殺しの陰謀が計画されていると話は飛躍し、恐怖と畏怖もまた皇宮内を染め上げていた。
「母上……!」
そんな中、自身も動揺を隠せないは母の耳に父死去の話が入らないよう努める余裕はなく──、気づいたときには既に手遅れであった。
シャルル崩御の話が耳に入った時、母は大きく瞳を見開いたという。そして静かに父の名を呼び、静かに目を閉じた。
最期に母が見たのは、若い頃の──シュナイゼルのようだったという父の姿だったのだろうか? とは静かに涙を落とした。
報われない愛に、終焉のその瞬間まで殉じた彼女を哀れと思えばいいのか、既にこの世にいないシャルルやマリアンヌを恨めばいいのか、には分からなかった。
少なくともはっきりしていることが一つある。これで──シュナイゼルと自分を繋いでいた鎖は絶たれてしまった。これでもう、母のためにシュナイゼルと罪深い関係を続けることはない。
もう二度と、あの腕に抱かれることもない。
ようやく解放されたのだ、彼から。解放された──その事実だけは、喜ぶべきことなのだろう。
けれどもどこか感情が乾いて、嬉しい、という実感は沸かなかった。おそらく、急すぎて感情がついてきていないだけなのだ。きっともう少し時間が経てば分かるはず──、そう思いこもうとしただが、時はそれほど悠長な暇をに与えてはくれなかった。
急速にの周りは慌ただしくなる。
シャルルの死亡推定時刻は先日、シュナイゼルがこのライブラ離宮を訪ねてきた日のちょうどあの時間。あの日、アヴァロンで戻らずになぜか単身でこの皇宮に戻ってきたシュナイゼルのことはそう多くはないとは言え知っている人間は知っている。
シュナイゼルがアリエス離宮に出入りした所は誰も見ていないが、その後、皇宮を歩いているところやライブラ離宮に来たことは見咎められていたからだ。
以上の不自然さから、まずシュナイゼルにシャルル暗殺の嫌疑がかかった。今現在アヴァロンとの連絡が途絶えていることも一層それを加速させた。
「まさか……兄上が、そんな」
シュナイゼルと最後に面会したのは自分だと証言してから、は一人考え込んだ。
あの日のシュナイゼルは確かに様子がおかしかった。まるで今生の別れのような──そんな雰囲気を漂わせ消えていった彼の背中。
そうだ、あの日の彼は全てを諦めたような顔をしていた。それに何より──自分に指一本触れはしなかった。ということは、じき自分たちの契約が切れると、母が身まかると予想していたとさえ思えてくる。それにあの不自然に外された手袋は、何かで汚れたからなのかもしれない。
だが──、だが、彼が手を下したとはとても思えない。
きっと自惚れではない、彼が自ら母を死に追いやるような真似をして自分との絆を断つなど考えられない。
それに何より、彼は彼なりにシャルルを愛していた。常に認められたがっていた。それこそ母と同様に──常に父の愛を求めていたはずだ。
そんな彼が父を殺すとは思えないのだ。何より、彼ならばこんなあっさりと足のつくような真似はしないだろう。

『──ルルーシュが、生きていたそうだよ。

あの日のシュナイゼルの言葉──、いつか、マリアンヌの墓標の前ですれ違った弟の強い視線が脳裏にだぶっては思案した。

「ルルーシュ……?」










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