兄と呼ばれ、増幅していた痛みの正体。それが何なのか分からないまま夢中で彼女を抱いた。
愛している、と口からついて出た無意識に近い自分の言葉をシュナイゼルはあれから時間が経って後追いのように実感していた。
増していた痛みは、もはや妹ではなく一人の女性として彼女を愛していたからだと。理解してしまえばまるでチェックまでの一局を完全に読み切ったかように目の前の靄が晴れ、疑問を抱く余地さえなかった。
そうだ、きっとそうだったのだ。あの十年以上まえの夜、泉のほとりで妖精のようだったに見惚れた時から。
だというのに──彼女の方はより一層畏怖の念を自分に向けるようになったとさえ感じられる。元々自分に抱かれるだけの人形だとどこかで諦め割り切っていた彼女は再び疑心を胸に蘇らせ、身構えるようになったのだ。
どれほど愛しても、愛される見込みは無きに等しいと思えてしまうほどには自分を受け入れる気配はなく──シュナイゼルは鬱屈した日々を送った。
それでも接し方が変われば対応も変わるはずだと信じ、何よりシュナイゼル自身女の扱いには長けていると自負していることもあり時が経てば変わるだろうと楽観視していたが、相変わらずはシュナイゼルとは必要以上言葉を交わそうともしなければ笑顔すら見せることはなかった。
しかし、共に過ごす時間だけは少しずつ増えていく。にしてみれば自分が望むから逆らわずそばにいる、というのを理解していたシュナイゼルだが、それでも共にいられるのは嬉しいことだった。
たわいのない話──公務のこと、人には決して零すことのない愚痴めいた話も、彼女は黙って聞いてくれた。聞き流している、と言った方が正解かもしれなかったが、ほとんど返事をしてくれずとも時折小さく変化する表情から聞いているのは伝わった。
特に公務のことは、一つ一つに微細だが反応を示していた。元々、物覚えはいい質なのだろう。自分の部屋を初めて訪れた時も迷路のような皇宮内のルートを一度教えただけで完全に覚えておりひどく感心したものだった──と、シュナイゼルは「うちの姫さまは勉学の虫」だと自慢していたライブラ離宮付きの教師の表現もあながち過剰ではなかったことを思い知ってそのうちに自分の元でいくつか施政公務に携わらせてみようかとも考えていた。
……君はもうすぐクロヴィスが本国を出立することを知っているかい?」
ある夜、行為が終わって互いに息を整えたあとに何気なく話しかけてみると、は小さく頷いた。
「エリア11の総督に就任すると……帝国放送でも観ましたし、臣下のものが話しているのも聞きました」
「そうなんだよ。それで来週末にクロヴィスの出立を祝って大々的に舞踏会が開かれるんだが……私には同伴者が必要でね」
「そう、でしょうね」
「君がなってくれないかい?」
どこか薄ぼんやりとして話を聞いていたらしきはその一言に、え、と唇を動かして上半身を起こした。
「あ……でも、私……」
「どこかの公爵家令嬢に頼むと良からぬ噂を立てられる恐れがあるからね。君だとその点は申し分ない。それにそろそろ皇女として社交の場に出ても良いんじゃないかな?」
は俯く。これまで身体虚弱を理由にほぼ公の場に顔を出すことはなかっただが、今も危ういとはいえ以前よりも体力はついてきている──とは言えそれを理由にすれば自分に脅され陵辱された所為だと一層恨まれる恐れもあったためシュナイゼルは余計なことは口にせず、あくまで穏やかに誘った。
「クロヴィスと君は同じ年に生まれた兄妹だ。顔を出せばクロヴィスも喜ぶと思うよ」
「……ダンス」
「ん……?」
「私、たぶん、踊れません」
目を伏せて口籠もるにシュナイゼルは僅かばかり目を瞠る。
「たぶん?」
「あ、その……こういうものだと習いはしましたけど、躬行してみたこはなくて」
一定以上の身分と生まれれば社交ダンスは必須教養のようなものである。も教わりはしたが、身体の弱さゆえに外に出ても恥ずかしくない程度に鍛えるまでには至っていないということだろう。
はは、とシュナイゼルは軽い笑みを零した。
「だったら私が教えよう。それでいいかな?」
の口元に手を添えて確認すると、は視線をそらしたものの頷いた。が、相変わらずにこりともしてくれない。それどころか嫌がっているともとれる表情だったが、今はこれで良しとしようとシュナイゼルも小さく頷いた。

弱肉強食を国是とするブリタニアは、しばしば皇帝シャルルの命令で他国を占領統治していた。
そのエリアを番号で割り振り、各エリアは主に皇族のものが統治するシステムとなっている。
今回エリア11──旧日本の総督へと就任する帝国第三皇子、クロヴィス・ラ・ブリタニアの出立祝い準備を進める皇宮内はいつもに増して活気づいていた。

「うん、上手いよ。その調子だ」
公務の済んだ夜、シュナイゼルは自室でにダンスの指導をしていた。手をとり腰をとり音楽に身を委ねても相変わらずは浮かない表情をしている。
しかし身のこなしは存外軽く、知識だけ、と謙遜しつつもある程度はこなせる辺りは流石は我が妹──と考えてしまったシュナイゼルは内心苦笑を漏らした。結局は、彼女が妹であるという事実は決して変えられないというのに。
……」
動きを止め、思考を掻き消すようにの腰を引き寄せて口づけようとすればは一瞬目を見開いて避けるように顔を背けた。
「今日は……」
金曜ではないから言いなりにはならない。と口をつぐんだは続けたかったのだろう。
はっきりとした拒絶だった。
自らの意志ではない、脅されているから兄に抱かれているに過ぎないと。シュナイゼルに寄せる感情にそれ以上のものはなく、だから契約に反する行為は受け付けない、と。
それでも強引に口づけ、無理やりに抱くことはそう難しいことではなかったが、今はシュナイゼルにはそんな意志はなかった。
哀しげにのプラチナ・ブロンドを撫で、切り替えたようにシュナイゼルは穏やかに笑う。
「そうだ、君に似合いそうなドレスを見立てていてね。楽しみにしててくれよ」
「え……? あの、ドレスくらいいくらでも──」
「君は私のパートナーだ。コーディネイトくらいさせて欲しいものだね」
肩を竦めてみせると、は頑なに抵抗する理由もないと思ったのか大人しく頷いていた。

大きくデコルテの開いた深い青のイブニングドレス。大粒のダイヤをふんだんに使用した豪奢なネックレス。結い上げた髪にパールをあしらった飾りを付けさせを飾り立てさせたシュナイゼルは満足そうに微笑んだ。
「うん、綺麗だ。やはり君は母上に似たんだね、透明で可憐……まさに月夜の水面のようだよ」
事実、血管の浮き出るほどに白いの身体に深い青のドレスはコントラストがよく映え、シンプルなデザインのドレスを豪奢な装飾品は上品に引き立てていた。何よりの透けるほど銀に近いプラチナ・ブロンドの前髪は長めで、が動くたびに揺れて図らずも夜の水面のような清涼感を醸し出していた。並んで立つシュナイゼルの白を基調とした皇族らしい装飾をあしらった燕尾服とも絶妙に合っている。
しかしながらは少々顔をしかめていた。母に似ている──と称されるのは、例え誉め言葉であっても、にとって嬉しいことではなかったのだ。母のことは愛しているが、愛しているからこそ、あのように父の愛だけを求めて病に伏してしまった母と似ていると言われるのはどこか恐ろしかった。
そんな母の血が自分の中にも──と深い思考に陥りそうになったところで、シュナイゼルが「行こうか」と促してきてはハッとする。
今日はクロヴィスのための舞踏会──、兄妹たちとさえ顔を合わせたことなど数えるほどしかないというのに、公の場に出るのは初めてに近い。とはいえ皇族としてそれなりの教養だけは身に付けさせられてきたのだから大丈夫とは思うものの、やはり胸は早鐘を打つ。それでも想像よりもずっと平常心を保っていられるのは、シュナイゼルがついてくれている所為だろうか?
この兄と、神に背くような為さぬ関係に陥りながら──と考えると倒れそうなほどの目眩がを襲ったが、今は懸命に振り切って平常心を保った。
やがて大広間に近付き、扉の奥からは華やかに賑わう声が聞こえてきた所でシュナイゼルが歩みを止め、も立ち止まった。
「お手をどうぞ、お姫さま?」
言って左手を差し出すシュナイゼルの優雅な仕草には一瞬辛そうに眉を寄せた。優雅で華麗で、ブリタニアの白きカリスマと称されるシュナイゼル。そんな彼に見惚れるほど優美な微笑みを向けられて、喜ばない女などブリタニア中を探してもそうはいないだろう。
「……はい」
もし、妹でなければ。いや、ただの妹でいさせてくれれば自分も嬉しくその手を取り、心から喜んだだろうと思いながらそっとシュナイゼルの左手に自身の右手を乗せた。
シュナイゼルが守衛に目配せすると、扉の両脇に立っていた守衛達は同時に扉を押して二人の前に広間への空間を作ってくれた。
シュナイゼルに従って中へと歩き入ると、一斉に周りの視線がとシュナイゼルに注がれる。
「まあシュナイゼル第二皇子さまがお見えだわ。あら……お隣の方は」
「まさか……」
「第三皇女殿下? まあ、ライブラ離宮の后妃さまのお若い頃によく似ておられること」
遠巻きに聞こえる花や蝶の声を耳に入れつつ、は臣下のものたちの礼を受けながら広間の中心へと歩いていった。やがてシュナイゼルはこちらに向かって礼をしている男性の前で立ち止まり、それに伴ってもシュナイゼルから手を離した。
「やあ、カノン」
シュナイゼルの目線の先に立っていたのは細身の柔らかい雰囲気の青年だった。シュナイゼルには劣るもののけっこうな長身である。容姿も美しい顔立ちと称して外れてはいないが、まるで女性のような化粧を薄くとはいえ施していては首を捻る。
ああ、とシュナイゼルがに向き直る。
「紹介するよ、私の側近を務めてくれているカノン・マルディーニ伯爵だ」
「あ……はい、お初にお目にかかります。・ル・ブリタニアです、以後お見知りおきを」
カノンと呼ばれた青年は一礼をし、の方に歩み寄ると中性的で親しみやすそうな笑みを浮かべた。
「あなたが第三皇女殿下ですのね、噂はシュナイゼル殿下の方からたびたび……なるほど、お美しい方だわ」
「カノン」
「あら殿下、ご自慢の妹君だというのは本当でしょう? お会いできて、光栄です」
カノンは冗談めかしてシュナイゼルの制止をやり過ごし、紳士的な態度で婦人めいた笑みを零している。
はというと、他に挨拶をしてくる、というシュナイゼルに頷きつつも少々あっけにとられていた。眼前の青年の明らかな女言葉、施された化粧。目を瞬かせていると気づいたらしきカノンが軽くウインクをしてきた。
「殿下は変わり者がお好きなんです。もう古い付き合いで公私ともに親しくさせていただいてるんですよ」
「そ、そう……ですか」
変わり者が好き、というカノンの言葉に深い意味はなかったのかもしれない。しかし、どこか人を見通しているようなカノンの瞳はシュナイゼルに好かれている自分も変わり者、そもそも妹を愛するシュナイゼル自身が変わっていると軽く指摘されたような気がして背中に冷や汗のようなものが流れた。が、それは一瞬のことで、すぐに始まったワルツの音によってその場は華やかな社交の場へと様変わりをする。
カノノは柔らかい仕草でへと手を差し出した。
「私と踊っていただけますか? 皇女殿下」
「──はい、マルディーニ伯爵」
「カノンとお呼び下さい、殿下」
頷いたの手を取ったカノンは、ふふ、と笑い優しくをリードした。
少々緊張していただがそれもすぐに解け、流れるワルツに身を任せた。
揺れるカノンの赤みがかった淡いブラウンの髪はサラリとしていて、緑に程近い碧眼も透き通るように美しく、女性めいた化粧など施さなくとも本来彼は綺麗な青年なのだと感じられる。何よりとしては相手がシュナイゼルでないことで言い表しようのない安堵感に満たされ、自然笑みを浮かべてステップを踏んでいた。
皇女はこのような場では目立つ存在だ。それが第二皇子の同伴で現れた普段は社交の場に姿を見せない皇女となれば格段に人々の興味を引き、とカノンは来客の視線を一身に集めていた。
それでもカノンが物怖じした様子を見せないのは変わり者ゆえだろうか?
のそばを離れたシュナイゼルも観衆に従い、ちらりと遠巻きにとカノンを見やっていた。
憂うというよりは哀しげに二人を見たのは、が自分といるときには決して見せようとしない笑みを浮かべていたからだろうか?
踊るはそんな兄の視線など露知らず、曲が終わると拍手の中でカノンに手を握られたまま少々息を乱して胸を上下させていた。
「大丈夫ですか? ごめんなさい、少し乱暴すぎたかしら?」
「いいえ、平気です。ただ、私の体力が足りないだけなので」
案ずるカノンの手を離しながらが微笑んでいると、二人の傍に複数の男性が近付いてきた。あら、と呟いて臣下の礼をとったカノンにが振り返ると瞳に映ったのは髭を湛えた30代前半と思しき男性ととそう歳の違わぬだろう青年の姿。
「オデュッセウス兄さま……!」
「やあ、。久しぶりだね」
長兄のオデュッセウスの姿を確認するやいなや、はパッと笑った。幼少のころから度々の住むライブラの離宮を訪れては何かと気遣ってくれていたオデュッセウスはのとって唯一"兄"と呼び慕うのに値する存在であり、安堵感を与えてくれる。
優しげに笑うオデュッセウスの横で煌びやかな衣装に身を包んだ青年にもは声をかけた。
「ク、クロヴィス……兄さま、この度はエリア11総督へのご就任、おめでとうございます」
「ありがとう。君も元気そうで安心したよ」
「い、いえ……」
青年──同い年の兄であるクロヴィスに対するの対応がぎこちなくなるのは緊張のせいもあったが、何より以前離宮に忍び入りをしていたクロヴィスの本意がには掴めていないためだった。
片やオデュッセウスは、うんうん、と頷いてそっとの頬を撫でた。
「随分と顔色がよくなったね。シュナイゼルからは何も聞いていなかったから君を同伴して現れたときには驚いたが……外に出られるようになって私も嬉しいよ」
は曖昧な笑みを浮かべる。自分を外へと強引に連れだしたのは他ならぬシュナイゼルだが、そのシュナイゼルに自分は──と思うといたたまれず、他の兄妹に挨拶をしてくると告げてその場を離れた。
公の場に出た以上、他の皇族を無視するわけにもいかない。まずは長女のギネヴィアに挨拶を済ませ、次女であるコーネリアを探すは後ろから可愛らしい声に呼び止められた。
お姉さま!」
「え……?」
「やっとお会いできた! 私、ユーフェミア・リ・ブリタニアです」
振り返ると、一三歳くらいの愛らしい少女がドレスの裾を持ち上げて可愛らしくお辞儀をしている。のすぐ下の妹──とはいえ十歳近く歳の離れた第四皇女のユーフェミアだ。確か直に顔を見るのは彼女が赤ん坊のころ以来だ、と思いつつは笑みを浮かべる。
「大きくなったのね、ユーフェミア。ところで──」
「ユフィ!」
が背を屈めてユーフェミアに問いかけようとしたところで、一際突き刺すような声が二人の間に割って入った。見ると、うねる髪を見事にまとめた艶やかな女性がこちらへ歩いてきていて、あ、とは彼女に向き直る。
「姉上……、ご無沙汰しております。もうじき姉上も新たなエリアを開くべく出兵なさると聞き及び……武運長久を及ばずながらお祈りしています」
の探していたユーフェミアの同腹の姉、コーネリアだ。コーネリアは持ち前の鋭い視線を更に鋭くしてうむ、と頷いた。
「気持ちはありがたく受け取っておく。それよりユフィ、あまり走り回るな、はしたない」
ユーフェミアへと語りかけたコーネリアの口調、表情は打って変わって露骨に緩み、同腹の妹を溺愛している様子がまざまざと伺える。コーネリアはブリタニア切っての女傑であり、ブリタニアの国是にもっとも忠実な軍人であり皇族でもある。そういう部分はにとってはどこか恐ろしくもあり、これ以上かける言葉に詰まっていると聞き慣れた声が三人へとかけられた。
「こうも麗しい花が三輪も咲いていると、つい目移りしてしまうね」
もコーネリアもユーフェミアもパッとそちらへと目線を映す。
「兄上……」
「やあコーネリア。戦場の女神は着飾ると更に輝きが増すようだね」
「か、からかわないでください」
兄──シュナイゼルに誉められコーネリアは恥じらうように視線を泳がせた。シュナイゼルはいつも通り穏やかな笑みを浮かべたままユーフェミアも誉める。
「ユフィももう立派なレディだね。日に日に綺麗になってとても眩しいよ」
えへへ、とユーフェミアが笑う横では呆れたような目線をシュナイゼルに送っていた。しかしながら、妹を讃える兄の言葉を素直に喜べる二人が羨ましいとも感じつつ目を伏せていると絶妙とも言えるタイミングで流れていた音楽が切り替わった。
目線をあげるとオーケストラの方へシュナイゼルが手で合図をしており、指示を送ったのだと理解している間にシュナイゼルはに向き直って手を差し伸べてきた。
「私と踊っていただけるかな? 姫」
身体に、コーネリアとユーフェミア、その他の痛いほどの視線が自分に向けられたのを感じては困惑した。
「あ……」
「悲しいね、カノンは受け入れて私は拒否するつもりなのかい?」
あくまでシュナイゼルは微笑みながら強引にの手を引くと耳打ち気味にごく小さい声で囁く。
「みんなが見ているんだよ、
脅しに近い台詞を受け、はハッとした。そうして今更ながらに気づいた。──今日は、金曜の夜だ。自身がシュナイゼルの人形と化す禁忌の日。気づいた事実に絶望さえ覚えつつもは素直にシュナイゼルに従った。
言葉とは裏腹にシュナイゼルのリードは優しく、浮かべる笑みも優しげで本当にただ自分と踊りたかっただけなのかもしれない。しかし、何も大衆に見せつける形で自分を引き寄せる真似は止めて欲しかった。ちらりと流れる風景からコーネリアを探せば、やはり不審そうな顔色を浮かべてこちらを見ている。とても仲の良い兄妹だとほほえましく受け取ってくれている感じはしない。
恐ろしい──と半ば青ざめながらステップを踏むの耳に、やけに大きく観衆のうわさ話が聞こえてきた。まるで在りし日の皇帝陛下と第四后妃様を見ているようだ、と。
そっとシュナイゼルに視線をおくると、ふ、とシュナイゼルは微笑んだ。母の最も愛した男性──父の面影を宿した人。そして父に全てを捧げた母に瓜二つだと言われる自分。
こうして母も父に向き合っていたころがあったのだろうか、と考えることさえには恐ろしかった。
この人は兄であって父ではない。自分も、母ではない。似てなどいない──似ていいはずがない。
いっそ夢か幻であったら良かったのに。眼前にいるのが父で、自分が母で──母は父に愛されていて、そうしたら──とぐるぐると巡る思考のようには意識が白むのを感じた。それはちょうど音楽の終了と同時で、わ、と周りからは悲鳴のような声が一斉にあがる。
「……あ……」
意識を失ったのは一瞬のことだったのだろう。シュナイゼルの腕に抱き留められたは大丈夫かと案ずるシュナイゼルに小さく頷いた。
「すみません、急に立ち眩んで……」
ダンスに集中していなかったせいだと顔をあげると、そうか、と憂い顔を浮かべるシュナイゼルはそのままの手を離そうとはせずは困惑する。皆が見ているのに、と先程シュナイゼルに言われたことと同じことを過ぎらせると、シュナイゼルは名残惜しむようにの手の甲にキスを落とした。
「ちょ、と……兄上──」
「そろそろお開きにして、部屋へ行こうか」
まるでとは裏腹に、周りに見せつけているようなシュナイゼルの行動には愕然とした。この場では兄妹でいなければならないことを分かっているのだろうか? それとも、宰相ゆえに何をしても文句は言われないと自負しているのか。シュナイゼルはの肩を抱くと、オデュッセウスにだけ体調の悪い彼女を休ませてくると告げ舞踏会広間を後にした。
妹を同伴して舞踏会に顔を出し、妹を誘って会場を出る──確かに倒れかけた自分を介抱して連れ出す兄とも取れるかもしれないが、おかしな目で見る人間もいないともかぎらない。感の良さそうなコーネリア辺りは疑いを持ってこちらを見ているかもしれないと思うものの、シュナイゼルに抗う術もなくはそのまま宰相府のシュナイゼルの自室へと足を進めることとなる。
ダンスの練習をしていた時とは違い、今日は拒めない。部屋に入るなりの髪に手をやって器用に装飾品を外しながら解いた髪に指を絡ませ、性急に口づけてきたシュナイゼルをは甘んじて受け止めた。
「んっ……! んぅ」
シュナイゼルはそのままパールの装飾品をテーブルに置くと、そばのソファに押しつけるようにしてを組み敷き、首筋に顔を埋めながらダイヤのネックレスを外した。
「あ、にうえ………どうして」
「ッ、自ら着飾った花を自ら手折りたくなった……それだけだよ」
なぜこんな場所で、と続けようとしたを察したのか、昂ったような荒い吐息混じりにシュナイゼルはそう答えた。
その言葉で、はシュナイゼルがほぼ故意犯であることを確信した。クロヴィスの出立祝いを今日に決めたのはおそらくシュナイゼルだ。自分好みに着飾らせ、あんな風に人前で危うい真似をしたあと、こうして自分を抱く算段がついていたに違いない。そうだ、そのためにドレスを用意させたのだろう。君にドレスを贈りたい、と言われたときに気づくべきだったのだ。
でも──、本来ならシュナイゼルはもっとスマートにこなしたはず。こんな性急に、なぜ、と思考を巡らすことさえ許されないほどの激しさに次第にも飲み込まれてしまう。
「や、も……あッ──!」
なぜ、こんなことになったのだろう?
どこで何を間違えたのか──母上、母上──と抑えようもない声をあられもなく漏らしながら母の姿を浮かべるの脳裏に自分でも気づかないほどの刹那に誰かが過ぎった。
黒く長い髪。皇帝の最愛の女性──マリアンヌ。そして──。










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