シュナイゼルは少々気分を害している今の自分をなるべく外に出さないよう努めて宰相府の廊下を歩いていた。
「どうされましたの、殿下? 浮かないお顔で」
が、宰相府の執務室へ入ると側近を務めているカノン・マルディーニが首を捻って問いかけてきて、ふ、と憂うような笑みを浮かべながら椅子へと腰掛ける。
「陛下のご意見を伺いに謁見の間へと顔を出したんだけど、生憎の留守でね」
「まあ……、ここ数日ずっと玉座からお離れになっているのですね」
「困ったものだよ、父君にも」
シュナイゼルは慣れたような、それでいてどこか諦めているような色を瞳に浮かべて自身の顎を手で支えた。
「それだけですか?」
「何がだい?」
「いえ、ここ最近ずっと殿下はお元気がないような気がしてましたもので。陛下のこと以外にも何か気がかりがおありになるんじゃないかと」
仕事の資料を揃えながら執務席のほうへ視線を流してくるカノンを見つめながらシュナイゼルは普段通り穏やかに笑った。
「考えすぎだよ、カノン。でも、そうだね……自分でも考えあぐねていることがあるにはあるんだ。例えるなら少し難易度の高いチェス・プログレムにあたった時のような感じかな」
「チェス……殿下に解けない問題などそうはないでしょう?」
「例えば詰みまで自分の読み通りじゃない一局は考えただけで破棄したくなるほど不快だけれど、逆になぜそうなったか考えざるを得ない。そして答えがでないとより気持ちの悪いものだよ」
「よく、分かりませんけど」
眉を捻るカノンに、はは、とシュナイゼルは少々自嘲気味に笑みを零した。実は自分でもよく分からない、と前置きしてカノンの持っていた資料を受け取る。
「さて、続きをやろうか。エリア13と15のことだけど──」
仕事に意識を戻しながら、シュナイゼルは胸の内のわだかまりを封印してしばし宰相としての顔を浮かべた。

父である皇帝がたびたび玉座を離れて何をしているかはだいたい予想がついている。父は──最愛の寵姫であったマリアンヌと、更にはその子供であった皇子と皇女──ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアとナナリー・ヴィ・ブリタニアを失ってからというものどこか現実が見えていない。ふらりとマリアンヌ達が住んでいたアリエスの離宮へ行ったっきり戻らなかったり、気まぐれに侵略命令を下したり。その度に自分は父の命令を忠実にこなし仕えてきたというのに──とシュナイゼルは自分の心がひどく空虚になるのを慣れたように受け止めていた。
もう、慣れているのだ。自分がどんな働きを見せても、父は自分になど興味はないのだ。何の不満ももらさず常に求められるままに優秀な皇子として宰相として仕えても、父には自分という人間など見えてはいない。
そう、慣れているのだ。だというのに時折考えてしまう。慣れている、というのは本心だったのだろうか? と。
本当に空虚なら、なぜ自分を映す鏡のように、自分と同じ思いを抱えているのではないかと勝手なシンパシーを感じていたを奪うように自分のものにしたのだ?

彼女を力づくで自分のものにして、それで彼女を自分に縛ってしまえるなら満足だったのだろうか。
いや、満足など覚えたことはない。彼女を奪って、満足を得られる時間などほんの僅か。否、それさえも偽りの悦びなのかもしれない。どこか違和感だけが募っていくような気がして、もどかしさが拭いきれない。
逢瀬を重ね続けどれほど自分に慣れても、いや慣れれば慣れるほどは自分を遠ざけている気さえするのだ。身体は重ねても言葉を交わしたことは数えるほどしかなく、幾度となく熱を共有しても冷たい関係のまま彼女はこちらを見ようとしない。現に自分に抱かれているときのは懸命にシーツや枕を握りしめ、こちらに触れようともせず、まるで今ある現実から逃避するように、ただ、甘んじて自分を受け入れているだけ。自分が彼女を縛っていられるのは、あくまで彼女の身体だけ。
それでも、時折彼女の口の端から漏れる声は鈍くシュナイゼルの心を刺激して止まなかった。
「……ぃさま、おにぃさまぁ……っ」
気を昂らせたはうわごとのように「兄」を呼んだ。数え切れないほどの逢瀬の中で、彼女が上気させた頬に涙を湛えて快楽と背徳の入り交じった表情を見せるたびにごく僅かな痛みがシュナイゼルの中で増していっていた。
今宵もそうだ。は常と変わらず固く瞳を閉じ唇を噛みしめてギュッとシーツを握りしめている。そんな彼女を熱に浮かされた身体で突き動かすたびに耐えきれない甘ったるい吐息が漏れ、煽られるように律動を速めればは熱を逃がすように大きくかぶりを振った。
「やッ……、あっ、ぁに、うえ……ッ!」
呼ばれて、シュナイゼルは思わず歯を食いしばった。
誤魔化しようのない苦みが身体に広がるも、その正体さえ自分では分からない。
……ッ」
「はっ、い……」
動きを緩め、掠れた声でシュナイゼルがを呼べば彼女は反応を示したが、うっすら開いた瞳は決してシュナイゼルに合わせようとはされなかった。
グッ、と再びシュナイゼルが苦みを紛らわせるように自身を深く埋め込むとは辛そうに柳眉を寄せて息を詰まらせる。
「あッ──!」
そんな彼女を見下ろしながらシュナイゼルも自身の熱を解放すべく息を荒げた。
「ッ、兄上っ、兄上ぇ……」
いやいやをするように首を振るの与える言葉はシュナイゼルに快楽の中で確かな痛みをもたらしていた。
兄と呼ばれるたびにひどく胸が痛む。最初は小さすぎて感じなかった痛みが、今では表情すら歪むほどの正体のない切ない痛みとなってシュナイゼルを襲っている。
なぜ、なのだろう?
なぜ──、と考えるシュナイゼルはほぼ無意識に近い状態で頑なにシーツを握りしめていたの手に自身の手を滑らせた。そうしてシーツを掴むの手を解かせ、自身の手と絡めさせればはハッとしたように瞳を開いた。
「あ、にう──」
解せないというようなの瞳と目が合ったが、シュナイゼルは気にせずもう片方の手での額にかかる髪を優しく払うとそのままそっと唇を塞いだ。
ぴく、との首筋が反応したのが伝わる。
「……ふっ……ぁ」
ゆるりと舌を絡めるとぞくりと言いようのない感情が走り、シュナイゼルはそのまま絡めた手に力を込めて感情のままにを突き上げた。

なぜ──?

白濁する意識の中で、もまた考えあぐねていた。
シュナイゼルはいつも冷たく自分を抱くだけで、こんな風に指を絡めたりなど甘やかなことは決してしなかった。ましてやキスなど──こんな優しいキスなんて一度もしなかったというのに。
ただの気まぐれなのだろうか?
なぜ──、と熱に浮かされたまま意識の奥で思考していると、そのうちにシュナイゼルは自分に覆い被さって荒い息を整えるように深い呼吸をしていた。
程なくして寝室は静寂に包まれる。いつものことだ。会話すらなく、ことが終わればそっとシュナイゼルの寝室を後にするのみ。なぜ、など考えるだけ無意味だろう。この場での自分はただ兄の好きなようにされるがままの人形にすぎない。意味のないものなのだ。シュナイゼルが何を考えていようとどうでもいい。それよりも一刻も早くこの場から立ち去りたい──と身を起こすと、後ろからシュナイゼルに腕を引かれてそのまま抱きしめられてしまった。
え? と瞬きする間にもシュナイゼルはの髪を掬い上げて愛しそうに口づけを落としている。
「兄上……?」
一体シュナイゼルが何をしたいのかが分からず身をよじろうとすると、そのまま強く抱きしめられ耳元に唇を寄せられて切なそうに囁かれた。
「君にとって、私はやはり兄なのかい?」
「え……?」
腕の力が少し弱まりが身体を捻って振り向くと、そこにはいつも浮かべている憂い顔以上に哀しげな表情を浮かべているシュナイゼルがいた。
「な、にを……兄──」
兄上、と問いかけようとした唇はシュナイゼルによって塞がれてしまう。触れるだけの、軽いキスだった。一瞬の間を置いてシュナイゼルはの上唇を甘噛みしてから離し、かすかに目を見開いて震えるに再び、今度は強く口付けた。
そのままの勢いでベッドへと押し倒されてされるがままに激しいキスを受け、ようやく解放されて「兄上」と呟きそうになればシュナイゼルはそっとの口元に手を添えて首を振った。
「兄として、ではなく……今は私を男として見てはくれないか?」
は心底愕然とした。眼前の兄が何を言っているのか理解さえできなかった。あまりに突然で、あまりに強引で。
「お、おっしゃっている意味が、わかりませ……んっ」
首筋に舌を這わせ始めたシュナイゼルに一旦の思考は途切れた。いつものどこか突き放したような冷たいものではなく、慈しむような愛撫だった。
「ぃ、や……あっ、あにうえ……」
シュナイゼルが望む以上抗うことはできないが、兄と呼ぶたびにシュナイゼルが辛そうな顔をするのではいつも通り瞳を閉じてシュナイゼルが満足するのをただ待った。
汗ばむ肌の感触が身体を滑る。
荒い吐息も、響く水音も、シュナイゼルの身体の重みも慣れたものではあるが、心から慣れたわけではない。抱きしめられて、まるで恋人のように扱われ熱を共有しながら気持ちのやり場がないままに漏れそうになる声を抑えていると、シュナイゼルの声がうわごとのように頭上から降ってきた。

「愛、しているよ……ッ、










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