『救命士として頼りにしとるで? ヒヨコ時代とは違うことをしっかり見せてくれや……!』
『俺はなぁ……、見込みないヤツ呼び寄せるほどお人好しとちゃうで?』
『今度こそお前をあの空へ連れてったる、絶対や! せやからちゃんと付いてくるんやぞ、ええな!?』


嶋本に呼ばれて、救命士有資格者としてこの関空キッキュー班へとやってきた。
かつて自分に引導を渡し、そうして再び自分の前にレスキューマンへの道を示してくれた自身の師。
鬼のような人だとかつては恐れていたものの、決して部下からの評判は悪くない。例えば兵悟にしても大羽にしても一言目には「軍曹は酷い!」などと愚痴るが最後には「だけど凄いんだ」等々と彼の隊長ぶりを賞賛する形で話を締めるのだ。
故に、彼が実は自分に除隊を宣言したあともずっと気にかけててくれ、共にレスキューするためにこうして救難士として自らの元へと呼び寄せ再びチャンスをくれたのではないか? と考えるのはさすがに買いかぶりすぎだろうか?
「くぉら星野っ! 何へばっとんねん! 母ちゃん恋しいならいつでも横浜帰ってええでー!?」
うん、買いかぶりだよな。と走り込みに息を切らせる自分へといつもの罵倒を飛ばす嶋本の声を耳に入れながら星野は乾いた笑みを荒い息と共に漏らした。
けれども関空に来たばかりの頃よりは確実に体力も筋力もアップしている。ヘリからのリペリング降下も問題なくすんなりとクリアできている。いつ本番が来ても、準備はキッチリとできているはずだ。
今度こそ――、今度こそ失敗はできない。
かつて緊迫した場面になると必ず冷静さを欠いて取り乱していたような真似は二度と許されないのだ。
自身にそういうクセがあると知ってから、「絶対に失敗出来ない」と自分でプレッシャーをかけてしまう前に一呼吸置こうと何度も何度もシミュレーションし続けてきた。
自信もある。
今度こそ、拒絶されたくない。
嶋本やこの関空基地の仲間と共に、羽田の同期達がいつも向かう場所へと行きたい。だから――! と気合いと緊張を湛えたまま日々は過ぎ、ついにその日は何の前触れもなく突然とやってきた。
五月も後半に差し掛かろうという良く晴れた日、午前中いつものようにパソコンに向かって発注処理に追われている時だった。
基地にけたたましく海難通報が鳴り響き、嶋本を始め救難士たちが緊張の色を表情ににじませる中で応対していた専門官が嶋本の方を向いてこう告げた。
「五管本部からキッキューに出動要請だ。明石海峡から播磨灘へ沖合約10キロの地点で漁船が意図不明の旋回を続けているという通報が神戸本部に入った。該船は無線にも応じず、接触を試みた漁船は衝突して航行不備。現在近場にいた小型巡視船が現場へと向かっているとのことだ」
「――該船の乗組員の数は?」
「地元漁連の話によると、どうやら一人らしい」
「ちゅーことは、イタズラや冷やかし目的やないっちゅーことやな……」
専門官の話を聞いて一人ごちた嶋本は思案顔を浮かべて考え込むような仕草を見せた。
そんな班長の様子を見ながら星野も考える。自分は救難士・救命士である前に航海士だ。だからこそ船は、操舵を放棄した際には一定の法則を持って動き続ける事を良く知っている。つまり、該船が無線に応じず不可解な旋回を続けているということは何らかのアクシデントによって操舵士が操舵不能状態に陥ったという可能性が高いだろう。となると――、突発的な病気や怪我である可能性はなお高い。
ならば――と星野が自分なりに対処方法を考えるより先にくるりと嶋本がこちらへ向き直って強い視線を送ってきた。
「――星野!」
「は、はいッ!」
「俺と来い! すぐにベルで出発や!」
ドクッ、と心音がざわめく。状況から嶋本が救命士である自分を指名するのが最善だと判断したのは当然のことだ。
だが、あまりに急なことでとっさに反応が遅れてしまった。嶋本は動けなかった自身を置いて颯爽と事務室を飛び出ていき、ハッとした星野も慌ててその後を追う。
ウエットスーツに着替えてエプロンへ出ると、ベル212は既に離陸スタンバイをしており――星野の頭を一瞬だけ既視感が過ぎっていく。
現場へ向かうためにバタバタと急くようにしてヘリに乗り込むトッキューの姿。――もう自分はあの空には行けない、と隔絶された世界の出来事のように虚しく見上げた光景。
だがそれも自覚できないほど瞬間的なもので、星野は嶋本と共にいっそ眩しいほどに白いベル212に飛び乗って離陸を待った。
ジリジリと二枚のローターの奏でる羽音が加速し、エンジンが低く唸り――、ブワッ、と垂直離陸したあとに空中を前へと泳ぐように飛び立つ感覚はヘリコプター独特のものだ。
空が――少しだけ近くなる。
「初めての空に感動しとる場合やないで?」
「え、あ……」
努めて無のまま空を眺めていると、不意に嶋本がそんな風に言ってきて星野はぶるりと唇を震わせた。
そうだ。自分は今、飛んでいるのだ。そしてこれは練習ではなく本番なのだ、と意識するといつもの「クセ」がまた現れそうになって自身に心底恐怖した。
いけない。深呼吸を――と懸命に息を吸おうと試みると、どうやら今の会話を聞いていたらしき操縦席からの声が突如としてインカムに割って入ってきた。
「そうか、星野は初出動か! ――ならイッチョ景気づけだ!」
え……? と疑問に思う暇は恐らくなかった。次の瞬間には後部シートに思い切り無防備な背中を打ち付けていたからだ。
緩やかに高度を上げていたはずのヘリは突如として角度をあげて上昇し、次いで胃が混ぜっ返されるほどの勢いで急旋回して――、引きつけを起こしかけた星野の耳にインカムを通じて副操縦士の怒声が響いてくる。
「機長ーー!! 何してんすか、安全運転、安全運転!」
すると更にインカム越しにケラケラ笑う機長の声が響き、ヘリは穏やかさを取り戻した。
だというのに、不意打ちを食らった心臓はドクドクと嫌な音を立ててまだ治まらない。顔面蒼白気味で脂汗を浮かせる星野の脳は、すぐ近くで溜め息を吐いた嶋本の気配さえ認識できるか否かというギリギリ状態だった。
「勘弁したってくださいよー、ただでさえ212は揺れるっちゅーのに」
「なんだぁ? この二枚羽の良さが分からんたぁ班長はピューマ派かい? フランスかぶれか?」
「なんでやねん! ボンジュールとかよう言わへんわ! 保大じゃロシア語選択じゃ! カサッカ派や!」
そんなコントじみたやりとりを続ける嶋本と機長に「班長も機長も黙ってください!」と諫める副操縦士の声が飛び――、ようやく星野は「ハァ」と大きく息を吐いた。
気づけば今の衝撃のせいで例の「クセ」はどこかへ吹き飛んでいた。――本番前だというのに全くこの人たちは、と嶋本や機長を見据えて苦笑いさえ滲んでくる。
これが場数をこなしたベテランというものなのか、はたまたただの性格なのか。考えているうちに現場が近づき、やがて播磨灘を眼下に臨んだあたりで機長が巡視船を目視したと嶋本に告げ、「どうするよ?」と指示を請うと嶋本はインカムを押さえてキュッと表情を引き締めた。
「俺が先に降下して、次に星野を降ろします。ヘリは俺が指示するまで上空に待機しててください」
「了ー解!」
今日は天気がいい。海も――穏やかだ。ホバリングに入ろうとしている操縦席とホイストマンとのやりとりを耳に入れながら、星野はどこか奇妙な感覚で今から降下しようとしている海と巡視船を見つめた。
訓練では既に何度も見た光景だというのに、まるで違う。
「嶋本班長……」
「ん……?」
「みんなは、ずっとこの光景を見てきたんですね……」
もはや違えてしまったと諦めていた同期達の進んだ道、彼らの見てきた世界。それをようやく今、共有できたような気がして受ける感情は言葉では言い表せないほど奇妙だった。
「――お前もすぐ来るんやぞ。ええな?」
降下の直前、嶋本は念を押すような励ますような声と視線を星野に残し、鮮やかに巡視船へと降りていく。その光景を目でしっかりと見据える星野の心情は、意外なほど落ち着いていた。
――かつて、ヒヨコ時代に失態を犯し命さえ危ういような状況に陥ったことさえあるリペリング降下。
あの時は過呼吸スレスレで、周りの声など何も聞こえなくて、自分がどうやって降下したのかすらも良く覚えていない。
だけども今は、ちゃんと意識がある――と星野はホイストマンの指示をしっかりと聞きながらヘリのステップに足をかけた。
嶋本のオレンジがハッキリと見える。表情は見えないが、自分がちゃんと出来るかハラハラしているに違いない。
大丈夫だ、と意を決して星野は何度も訓練でそうしたように出来うる限り落ち着いてヘリから飛び立った。目線を下げるとまるで巡視船が止まっているかのような錯覚に陥るほど降下目標地点である船尾デッキが微動だにせず、パイロットの熟練具合を嫌と言うほど感じながら星野は着船と同時に素早くロープを自身の身から離脱させた。
「――着! 離脱ッ!」
けれども発した声は自身でもみっともないほど上擦っていて、やはり緊張はしているんだな、と乾いた唇をぺろりと舐めていると嶋本が労うようにして肩を叩いてくれた。
ともかく降下はクリアしたのだから、まずは船長を捜さなくては――と嶋本と目線だけで言い交わして駆け出そうとするより先に数名の部下を伴って紺色の制服を着込んでいる船長らしき人物の姿が眼前に現れ――、星野は大きく目を見開いた。
珍しい、女性の船長だったのだ。そう言えば神戸の小型巡視船に女性船長が就任したという話は耳に入れていた覚えがあるな、などと考えていると嶋本がまず彼女に向かって挨拶をした。
「班長の嶋本です! 該船の状況ですが――」
「あ、はい! 止めようとした民間船は航行不能状態に陥ってこっちとしても打つ手なしでして……、どうしますか?」
星野も無言で嶋本を見やった。上空から暴走する該船の様子は見えていたし嶋本も当然目にしていたはずだ。どうする気だろう? と思う間もなく彼は間髪入れずこう強く言い放つ。
「巡視船は該船に強行接舷してください! 俺と星野が飛び移って該船を停止させ……要救助者を確保します!」
途端、周りにいた乗員達がざわついた。
あの踊り狂う該船に接舷? 無茶だ、という声を耳に入れ星野も頬を引きつらせる。が――彼がやれると言う限りは「やれる」し「やる」のだろう。
事実、やれるのか? と念を押した船長に彼はやれると力強く宣言した。
「ほな、接舷は任せましたよ!」
言いながら嶋本は駆け出し、星野も慌ててその背を追い船首デッキを目指す。ちらりと海原に目をやると水しぶきを上げ波をうねらせながら暴走を続けている漁船が目視でき――星野は無意識のうちにゴクリと息を呑んだ。あんな船に脇から近付いて接舷――更に飛び移るとなればもはや命がけだ。一瞬のひるみが即、命に関わる。技量より何よりここで試されるのは度胸だ。おそらく、自分に一番足りていないもの、と意識してしまい星野の額にじんわりと汗が滲んだ。
「俺は飛び移ったら船を停止させる。お前は要救助者を確保せえ、ええな?」
「――は、はい!」
言われて返事をしたものの、柵を握りしめる手が止めようもなく震えた。
これが――正真正銘の本番。
大丈夫だ、今度こそ、大丈夫なんだ――絶対に失敗は出来ない。出来ないんだ。あまり考えすぎるな。プレッシャーを感じたらまた失敗してしまう――と身体に響く心臓の音だけが強くなってついに周りの音さえ聞こえなくなるのではないかと恐怖した直前。
「お前、トッキュー辞めて一体何しとったんや?」
確かに嶋本の声が耳に届いて、え、と星野は一度瞬きをした。
「救命士の資格取るため筋力落としてまで勉強三昧やったんやろ!? あの船には俺やない、救命士を待っとる人がおるんやぞ!」
ドクッ、と高く鼓動が脈打って、星野は大きく目を見開いた。
――そうだ。やっと気づいたんだ。救命士の資格を取ったのは、真田に言われたからではない。自分で選んだんだと。もう一度レスキューするために、この先に待つ人を助けるために、自分が望んだのだ。
ここで自分が失敗したら、自分だけじゃない。自分の助けを待つ人の命まで失われてしまうかもしれないのだ。
そんな思い、絶対にしたくない。絶対に――と星野は自身を叱咤するように血が滲むほど強く唇を噛みしめ、受けるプレッシャーをどうにか逃がそうと足掻いた。
風圧が痛いほどに頬にかかって、船首デッキには割られた海面から飛び散る飛沫が絶えず跳ね返ってくる。柵を握りしめていなければ飛ばされるほどのスピードだ。
暴走を続ける漁船の進路には一定の法則があり、それを読んで巡視船は一気に漁船へと近付いた。
――お前なら絶対やれる! 潮風に紛れて、嶋本の声が聞こえた気がした。
接舷から移乗までのタイムリミットは長くても3秒ほどしかない。
迫る該船を見据えて嶋本も星野もなお下半身に力を入れ目一杯柵を握りしめた。接舷の衝撃で海に投げ出されないためだ。
接触まであと2秒――、1秒。
グワッ、と身体が持ち上げられるような浮遊感と同時に巡視船が該船の腹に乗り上げる。迷っている間も考えている間もない。
「今やッ!」
嶋本の叫びと共に、星野は柵を蹴って飛び上がった。しかしながら着地目標は動いており――、思い切り目算とズレてバランスを崩し、ゴン! と勢いよく頭を打ってしまってその場にうずくまってしまう。
「はよ立て!」
「は、はい!」
しかし痛いだのと言っている暇はない。嶋本の後を追うように操舵室に駆け込み、要救助者を捜す。すると舵のそばに中年の男性が額に脂汗を浮かべたまま苦悶の表情で倒れ込んでおり、すぐに駆け寄った星野は大丈夫かと声をかけた。
反応はある。しかし痛みで上手く言葉が発せられない状態にあるらしい。
彼はたどたどしい口調で吐き気と頭痛、腹痛を訴え――直ぐさま状況を理解した星野は船を操舵している嶋本の方を見上げた。
「急性虫垂炎」
「は……?」
「――の可能性が高いと思います。班長! 直ぐに病院へ移送しないと……!」
もはや星野の頭にプレッシャーや恐怖という言葉はなかった。やるべき事は一刻も早く彼を病院へと連れて行くこと。
ヘリからワイヤーストレッチャーを降ろしてもらい、自らと共に要救助者を吊り上げてもらってヘリへと戻った星野はすぐさま痛がる要救助者の患部を冷やして酸素マスクを当てた。
「機長、関空に戻って救急車に繋ぐには時間がかかりすぎます! 近場に着陸出来るような場所のある総合病院はありませんか!?」
「いや、ねぇな。……一番近場の民間ヘリポートに着陸許可をもらう。消防に連絡してそこに救急車呼んで待機してもらうってのが一番はえーだろ、いいか?」
「――はい! お願いします!」
そうして機長に指示を出し、嶋本の吊り上げを待ってベル212はその場を離脱、速度をあげてヘリポートへと向かった。程なくして見えてきたヘリポートには白い救急車が一台待機しているのがハッキリと見え、212が着陸するや否や担架を手に救急隊が駆け込んでくる。
「救命士の方は――」
「私です、私が現場に着いた時には既に極度の腹痛で漁船を操舵できない状態にありました。炎症部位の冷却措置を施しましたが一刻も早く病院で措置を……!」
「分かりました。あとはこちらで引き継ぎます」
「お願いします」
急くようにして要救助者を救急車に乗せ替え、救急隊の救命士に状況を説明して引き継ぎ作業を終え――、ふぅ、と息を吐いて星野はヘリへと戻った。そうして再び浮上を開始したヘリの中で汗を拭っていると、嶋本が頬杖をつきながら感心したように声をかけてくる。
「なんや、えらい落ち着いとったな。ほんま、心配して損したわ」
言われて星野は思わずキョトンとした表情を晒した。
そう言えばそうだ、と思い至って思わずはにかんでしまう。
「漁船に飛び移る前までは死にそうなくらい緊張してたんですけど……班長に"要救助者は救命士を待っとる"って言われて腹が据わったんです。実際、患者さん前にしたら緊張なんてすっかり忘れてましたし」
そうだ――、自分は一体なにを恐がり、なにに緊張していたのだろうという程に集中して落ち着いて行動できた。
出来たんだよな……と噛みしめるようにして窓から空を見上げる。透けるような青空だ。
どこか遠く、懐かしいような気分になって星野は少し口元を緩めた。
「俺、たぶん昔は前ばかり見てたんです。見えないほど遠くばかり見てて……嶋本教官の出す課題は全然こなせないのにメグルには先行かれちゃうし、勝手に負けた気がして足元見えてなくて怖かったのかもなって思います」
子供の頃から闇雲に追っていた真田という存在。一番にならなくては、真田に認めてもらわなくては、とそればかりで意識だけが先走り空回りをしていたあの頃は、真田に認められなくては今まで生きてきた意味すらない気がして、怖くて、周りが見えなくて必死だった。レスキューも何もかも真田に続く手段でしかなかった。
でも――、と星野はゆるく笑みを湛えたまま嶋本を見やる。
「この空……単に憧れじゃなくて、俺を必要としてくれてる人がいるんだって思ったら恐怖より先に絶対やらなきゃって意識を強く持てたことは……班長のおかげですね」
嶋本が見捨てず関空に呼んでくれて、「要救助者はお前を待ってる」と言ってくれてようやく分かった。
レスキューとは自分の力を誇示する場所ではない、助けを待つ人のために自分の持てる力を冷静に使うことなのだ、と。
ありがとうございます、と笑って言うと彼は照れたように視線を泳がせて小さく「アホ」と呟いた。
何だか唇が震えている。
ひょっとして泣いてるんですか? と突っ込もうとしたところで急にヘリが急旋回をし――星野はもとより乗員全てがシートに横倒し状態となった。
「なッ……!?」
「祝・初出動成功の曲芸飛行だ! イヤッホォーー!!」
またも暴走操縦を始めた機長に星野の笑みなど一瞬で吹き飛んだのは言うまでもない。
「ハハハー! 俺は212でヘリの限界に挑戦するぜー! 目指せ打倒・ニンジャだ!」
「何言ってんすか機長ーー! 無理ですから! 安全第一! ――もういい、アイハブコントロール!!」
終いには操縦席で機長と副操縦士が操縦桿の取り合いを始め、星野たちは顔面蒼白のままヘリに揺さぶられつつ取りあえず無事関空のエプロンに降り立った。
しかしながらパイロット二名以外は全員ヘリ酔いでフラフラとヘリを降り――、嶋本に至っては「あかん、……俺もう……あかん……」と譫言のように呟きながら千鳥足気味で基地の方に向かい、星野もそんな班長を助けてやれるほどの余裕はなく。
「気持ちわる……っ」
なんぼ救命士でも自身のヘリ酔いまでは治せないか、などと苦笑いを浮かべつつふと足を止めた。
先ほど救急隊に引き継いでもらった男性は、もう病院で手術を終えただろうか――?
きっと無事だよな。大丈夫だよな? と考える手がわけもなく震えてきて、自身の両手に目線を落とした。

『すっげー星野君!!』

すると、風が一陣過ぎ去って――ふいに兵悟の声が聞こえた気がして星野はハッと顔を上げた。

『ほんまじゃあ! ようやったのう!』
『カッコイイーーッ!!!』

追憶の光景が鮮やかに脳裏を過ぎ去っていく。それは、トッキューを諦めたあの日――同期のみんなで行った最初で最後のレスキューでのことだ。
あの日、偶然だったが初めてこの手で誰かの役に立つことができたのだ、と同期達のくれた笑みを浮かべながら唇を噛みしめる星野の頬が抑えようもなく熱を持って震えてくる。
まぎれもなく、あの日々はかけがえのない現実だった。真田を追うために重ねた空想のような時間の中で、彼らと過ごした日々こそが今の自分に繋がっていたのだ。
星野の瞳から溢れた止めどない涙の理由は、あの日とは違う、満ち足りた喜びと僅かばかりの感傷だった。

――俺は、トッキューへの道を失ったんじゃない。
――救命士として、再びレスキューするという道を手に入れたんだ。

頬を伝う涙を風がさらい、星野は誘われるように空を見上げた。
まるで流した涙を吸い取ったかのように澄み切った青が目にしみて、再び目元を震わせる。
もう、あの日のような空虚な空はそこにはない。
この空をどこまでも行きたい。行こう。行くんだ――と肩の「救急救命士」のワッペンを握りしめ、しばし涙が乾くまでずっと空を見つめ続けた。
***
関西空港海上保安航空基地、機動救難班。
班長の嶋本を中心に、救命士の星野や腕自慢の救難士たちによって構成された空飛ぶレスキュー隊である。
「トッキューには負けへんで!」がすっかり口癖となった班長のしごきに耐え、日々実力を増していく救難士たちは要請があれば五管区のどこへでも出動していく。

「キッキュー出動カカレ!」
「はいっ!」

今日も鳴り響いた海難通報を受け、彼らはオレンジを翻して一目散に基地を駆け出るとヘリへと飛び乗った。
そして彼らを乗せたヘリは今日も現場へ向かうため空へと飛び立っていく。

遠く、どこまでも青い――あの空へ。














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