Pledge






『さよなら、黒羽くん』

おぼつかない景色の中、その声だけがやけに大きく響いていた。
危うげに揺れた瞳がそのまま前を向いて俺に背を向ける。

ちょ、ちょっと待て……!


ーーー!!」
遠ざかる背中に手を伸ばした所で、視界によく見慣れた天井が映った。
それを理解するのに数秒ほどかかり、ぼやけた頭のまま身体を起こすと手を額にやってホッと息を吐く。
「夢か……」
なんつー夢だと瞬間気が滅入る。
が、所詮夢だと切り替えて部屋の窓を開けると気持ちのいい風が入り込んできた。
「良い天気だなぁ」
窓から覗く澄んだ空を見上げながら、腕を振り上げて伸びをすると顔を洗いに部屋を出る。


三月十四日、晴れ。
太陽も真上に昇ろうかという頃、あれから家を出た俺は東京へ向かう電車に揺られていた。

青空は世界中どこでも変わらないモンだって思うが大都会のビルに囲まれた下から覗く空は気の所為かよどんで見え、やっぱ地元の空が最高だよな、と人ごみを掻き分けながら思う。
相変わらず人の多い東京。上京するたびに驚かされる。
まだ会社とか学校終わってねぇ時間なのによ、と顔を顰めるも今は俺もその大勢の内の一人に数えられる訳だ。


「氷帝、氷帝……と」

流石に都心から少し離れると騒々しさは薄れる。

「相変わらずでけぇ学校だな」

ここへ来たのは五月の合同練習以来だな、と俺は六角の倍以上ありそうな校舎を一望して氷帝の立派な校門の前に立った。

六角はつい先日卒業式を終えて俺達はもう春休みに入っていた。
氷帝はまだ終わってねえから……その、なんだ、に会いに来たんだけどやっぱちゃんと連絡しとくべきだったかな。
校門の前で待ってりゃつかまるかと思ってたが甘かったかもしれねぇ。
私服でここに立ってるのはかなり目立つらしく、さっきからチラチラと下校を始めた生徒達がこっちに視線を送ってくる。

時折すげー豪華な外車が止まったかと思えば「お帰りなさいませ、ぼっちゃま」とか言って秀ジイみたいなのが迎え出て来たりして、だんだん俺はここに立っているのが場違いな気がしてきた。
どうなってんだこの学校。庶民の理解の範疇を越えている。
そもそもあの跡部んちなんか「あとベッキンガム宮殿」とか呼ばれてるらしいし、想像すらできねぇ。
頭を抱え込むも、いつまでもここに立って校内を窺っているのは流石にマズイ。

「どうすっかな……」

腕組みして何とか妙案を捻り出そうとする。
が、そう上手くいかねぇかとため息の一つもつこうとしていると校舎の方から見覚えのある背格好が目に入ってきて俺は思わず目を凝らした。

誰だっけ……、テニス部だよな、あのおかっぱ頭。

跡部、じゃねぇ。
芥川、は癖っ毛だっけか。

「っと……向日!」

勢いで俺は思い出した名前を口に出した。
直ぐ傍まで来ていた向日が怪訝そうに眉を寄せる。

「あ? 何だお前……あ、六角の」
「黒羽だ」

向日も俺の顔を忘れてなかったらしく、俺は名乗りがてら校門をくぐって向日の所まで歩いた。
「六角の生徒がウチに何の用だ?」
同時に鋭い視線で睨まれる。
というよりは睨み上げられた。
まぁ変に思われて当然だよな。
でも知ってるヤツに会えただけでも幸運だ、とちょっと言いづらい気もしたが俺は向日に訊いてみる事にした。
「あのさ……って知ってるか?」
? ……ああ宍戸と同じクラスの」
相づちを打って向日がそれがどうしたというような表情を作る。
ってか宍戸と同じクラスってのはそんなに有名なのかと驚くも、俺はなおも訊いた。
「そいつ探してんだけど、授業終わったとか分かるか?」
「さあ、知らねぇ」
「……そうか」
まいったな。
流石に校舎に入っていく訳にはいかねーし。
「お前、ここでずっと待ってたのか?」
「ん? ああ…」
「ケータイかけりゃいいじゃん」
さも当然のように提案した向日に一瞬キョトンとする。
「……俺携帯持ってねぇ」
「はぁ? マジかよ!」
俺の答えに向日は一瞬目を見開くとケラケラ笑い出した。
そんなに珍いのか。
俺の周りじゃ携帯持ってるヤツの方が少ないんだがな。
「わりぃわりぃ」
一通り笑い終わった向日が目尻の涙を拭う。
「仕方ねぇな、俺のケータイ貸してやるよ。さんだっけ?」
そう言うと向日はおもむろに携帯を取り出して何やら操作し始めた。
ピッと指で音を鳴らして当たり前のように携帯を耳に当てる。
ちょっと待て、連絡取ってくれるのはありがたいが何で向日がの携帯にかけられるんだ?
向日と仲良いなんて聞いた覚えは――!
「あ、宍戸? もう授業終わったよな? ……さんってまだ教室残ってる? おー、ちょっと代わってくれ」
……そういう事か。
「ほら」
自嘲気味に苦笑いを浮かべていると、向日が携帯を差し出してきた。
早く取れという視線に礼を言って受け取る。
慣れない手付きで携帯を耳にやると、聞こえてきたのはよく見知った声。
「もしもし……」
か? 俺、黒羽だけど」
少し硬い声の相手に話しかけると一瞬息が詰まっていたのが携帯越しに伝わってきた。
「……え? え!? 何で、だって向日くんって……えぇ!?」
相当ビックリしたらしく、携帯の向こうで慌てている様子が目に浮かぶ。
「校門の所で向日に会ってさ、携帯貸してもらったんだ」
「校門って……氷帝に来てるの?」
「ああ」
「何で……テニス部で何かあるの?」
「いや、待ってたんだ」
連絡もナシに急に来た俺が悪いんだけど、そりゃねーだろと一瞬顔を引きつらせる。
「もう授業終わったんだろ?」
「う、うん……今校門にいるんだよね?」
「ああ」
「分かった、すぐ行くから!」
じゃあと言うとは携帯を切った。
「サンキュ、助かったぜ」
借りていた携帯を折りたたんで向日に返す。
「お前さぁ、高校でもテニス続けるのか?」
受け取って携帯をしまうと向日がそんな事を訊いてきた。
「ああ、そのつもりだけど?」
「六角のテニス部って同じ高校に進んだりすんの?」
「まあ、だいたいはな」
「へぇ……じゃあ」
俺の返事に向日は思いっきり挑戦的な目をしてきて、宣戦布告か?と一瞬身構える。
「あの天根とかいう長ラケットの二年に伝えとけ。高校上がってきたら絶対ブチのめしてやるってな」
俺じゃなくてダビデかい。
そういや五月の練習でテニス部相手に勝ち抜き戦やってたからなアイツ、目ぇ付けられてんのか。
「それとケータイくらい買え」
そう言い残してじゃーなと手を振ると向日は校門を出た。

その背を見送って、再び校内へ視線を移す。
校門の壁に寄りかかって少しすると校舎の方からの声が聞こえた。

「黒羽くーん……!」

俺の姿が目に入ったらしく声を上げるとパタパタとかけてきた。
「よっ」
笑顔を浮かべるに自然俺も笑みを返す。
のこの笑顔好きだな……、俺に会うとはこれ以上ないくらい幸せそうで嬉しそうに笑う。
俺がこんな表情させてるんだと思うと、言い表しようのないくらい満ち足りた気分になる。

「六角はもう卒業式済んだんだっけ?」
「ああ、二日前にな。氷帝は?」
「二十日だからもう少し」

校門に突っ立ってる訳にもいかないんで俺達は取りあえず氷帝を出て並んで歩いた。

「後数週間したら綺麗だろうなぁ……」

通学路の脇に植えてある桜の木の枝に手を翳して笑いながらが指で枠を作る。
「日に日につぼみが大きくなって、先がピンクに染まってくるの見てると嬉しくならない?」
ってこういうのにめざといんだよな。
相変わらずな様子に俺も何だか嬉しくなる。
「桜が満開の頃には黒羽くん高校生かぁ……あ、高校合格おめでとう!」
桜から視線をずらし、振り返って「まだ直接言ってなかったから」とにっこり微笑みかけられて俺はの頭を一度ポンと叩いた。
「サンキュ」
不思議だよな。
と並んで見てるだけで、今はまだ殺風景な桜並木がキレイに見える。

来たはいいものの特に予定は立ててなくて、は学校帰りって事もあって結局一緒にの家へ行くことになった。

毎日電車やらバスに乗って通学って、私立ってのは面倒だよな。
俺たちは徒歩で十分な距離だからなぁ、とか談笑しながら案内された場所は何だか見覚えのある場所で俺はぐるっと辺りを見渡した。
「そうか、大会会場コートの近くだっけ?んち」
うん、とが相づちを打った瞬間、ブワっと周りの木々が激しく揺れた。
急な突風に、わ、と呟いてが髪の毛を押さえる。
「わぁ……凄いね、春風」
「え?」
「春三番くらいかな? いまの」
乱れた髪を耳にかけながらふわっと笑う
呼んだのは俺じゃなくて風の事か、と一瞬高鳴った鼓動をふと懐かしく感じた。
去年もこんな事あったよな、と思い返しながら俺の一歩前に進んだの肩を追う。
さっきとは打って変わって緩やかな風がふわりと吹いては唇に薄く笑みを浮かべた。

「この季節が来たら風が吹く度、黒羽くんの事思い出しちゃうなぁ」

その微笑みは儚げで、心底幸せそうで、また春風と春風かけてんのかよとかダビデかお前はとかツッコミ入れんのも忘れて一瞬に見とれる。

「んじゃ、俺は風が吹いたらが俺のこと考えてるって思うか」

俺も一歩踏み出してと肩を並べてそう言ったら、はピタリと足を止めた。
「……何だ?」
「いや、だから……」
俯いたの顔はほんの少し赤くて、何となく訳を察した俺は少し大げさに肩を落としてみせる。
「お前が先に言ったんだぞ」
「それは、そうだけど」
呟いて居心地悪そうに瞳を揺らしてるのを見て一度ふっと息を吐く。
大胆さと、内向きな質が見事に同居した性分を厄介だとも魅力だとも思いながら俺はスッとの手を取った。
見上げてくるに向かってニッと笑えば、もゆっくり微笑んでくれる。

こうしてるとゆったりと穏やかな空気が辺りを包んでるようで、幸せってのはこういうのを指すのかもなとかガラにもなく思って、俺たちは人通りの少ない道を歩いた。


「着いたよ」ってが言ったのと同時に表札と綺麗な家が目に入って、俺は繋いでいた手の温かさも忘れて一瞬固まった。

思えばもあの氷帝の生徒なんだよな……とかさっきの校門での事が脳裏を過ぎる。

「どうぞ?」
「あ、ああ」

硬直してた俺にが首をかしげながら中へ促す。
よく見れば普通の家で、ひょっとして緊張してんのかな俺、とか思って深く息を吸い込んだ。
「ただいまー!」
ガチャリと玄関のドアを開け、の明るい声が辺りに響いて「おじゃまします」と玄関に足を踏み入れると奥からパタパタと足音が聞こえてきた。
「おかえりなさい……あら?」
見ると中年の女の人が目に映った。
すげー美人……の母さんかな?
、お友達?」
「うん、黒羽くん」
その声にハッとして頭を下げる。
「初めまして、さんとお付き合いさせて頂いている黒羽春風と言います」
とにかくちゃんと挨拶しねーとと思って、いつかは言うだろうとかねてから数回は浮かべた覚えのある言葉をとっさに口に出した。
顔は見えなかったが、が瞬間接着剤さながらにその場に張り付いてまごついてたのが何となく伝わる。
「まぁ、あなたが黒羽くん。娘から色々話を聞いて一度会ってみたいと思ってたのよ」
上品そうな声と笑顔が降ってきて俺はすっかり見入ってしまった。
の母さんか……でもあんま似てねぇな。

「上がって?」
「ああ」

の声に相槌打っただけだってのに、やっぱ緊張してんのか声が上擦ってしまった自分がみっともねぇ。
おじゃましますと再度挨拶して靴を揃える。
俺んちともダビデ達の家とも雰囲気がまるで違う。
階段を登って部屋に俺を通すと、はカバンを置いて制服のブレザーを脱ぎ、「お茶持ってくる」つって下へ降りていった。
ハァと一つため息をつく。
ここがの部屋か……流石に片付いてて俺の部屋とは大違いだ。
ボーっと部屋を一望して傍の棚に目をやると賞状やらトロフィーやらが山ほど飾ってあるのが目に入った。

すげーな、これ全部絵で取ったヤツか?
しかも埃一つついてねぇし、ちゃんと手入れしてるんだな。

思わず部室の埃まみれになって放置してあるトロフィー等を浮かべて苦笑いを漏らす。

机の上には広げたままのスケッチブックと鉛筆立てに大量に鉛筆が立ててあって、相変わらず頑張ってんだなと俺は口元を綻ばせた。

部屋の少し奥の壁にはコルクボードがかけられていて、そこには沢山のスナップ写真が飾ってあった。
中央に俺と二人で写った写真が貼ってあって自然表情が緩む。
「これ去年亮が撮ったヤツか?」
夏に海で撮ったんだっけか。
ラケット持ったダビデやらサエ達の写真もあって、偶にが写真撮ってたのを思い出した。
写真の中のダビデ達は良い表情していて、レンズ越しに捕らえるより目で捉えて描く方が好き、なんつってたけど写真撮るのも得意なんだろうなと思う。
絵を始めたのも、確か親父さんが自然科学の研究者でよく傍らでお絵描きしてたらいつの間にかとか言ってたっけ。
だから風景画が得意なんだって笑ってて、そういうのってあるよな、と俺も強く頷いたんだ。

ふとそんな事を考えてたら別の写真が目についた。
長い髪した宍戸との写真。
正確には達だけじゃなく数人で写っていて、何やら日本じゃないような雰囲気に一昨年行ったっていう研修旅行か?と首を捻る。
運動会らしき写真は髪の短くなった宍戸とツーショットで、写真の中のはすげー楽しそうに笑ってて、マジで仲良いんだなと改めて思い知らされる。

は宍戸のことがすげー好きで、それは大事な友人としてだと分かっちゃいるけど。

それに宍戸がいなけりゃ俺はに出会えなかったかもしれねぇと思うと、何度礼を言っても足りないくらいで複雑だった。
ジッ、との隣の宍戸を見つめる。
宍戸……か。
同じ日に生まれて、同じようにテニス初めて、と出会って……似てるのかもな、俺たち。


「お待たせ」

ぼんやりと、宍戸との不思議な縁を感じながら写真を眺めてたらが紅茶とお茶請けを持って戻ってきた。
小さなテーブルにそれを降ろして、ちょうどボードの下辺りに腰を下ろすよう促す。
「どうぞ」
「サンキュ。……随分サッパリした部屋なんだな」
「ああ、うん。もう大体荷物まとめちゃったから……元はもうちょっと散らかってたんだけど」
そうか……再来週だったよな、パリに発つのは。
紅茶に口をつけながらそんな事を考える。
は何故だか居心地悪そうに視線を上下させていて、妙に思いながら見ていると俺からいくらか距離を取って腰を下ろした。
あんな風にの母さんに挨拶した後だし、部屋に二人っきりで何か意識されてんのかなとか思うも、気にせず紅茶をテーブルに戻す。

俺が今日東京に出てきたのはやっぱ理由があって。
でもタイミングってのがあるし、どうすっかななんて考えてると微妙に沈黙が続いた。

沈黙が気まずいって訳でもねーけど、この部屋に二人きりの状況でってので僅かばかり焦る。


「えっ……?」

とりあえず何か話すかと手を伸ばすと、反射的に思いっきり振り切られた。
やはりと言うか、こりゃ相当意識してるな。
「ご、ごめ……何?」
そらした左手を右手で握りしめては更に距離をとったまま強張ったようなすまなそうな顔をして見上げてきた。
「んなビクビクすんなよ。なんもしねぇって」
苦笑しながら行き場を失った手を収めると更に申し訳なさそうな顔をする。
ま、こんな反応すんのも俺にだけだと思うと微笑ましかったりもするんだが。
とった距離を縮めようとしてか、何か言いたげな表情で眉を寄せたり瞬きしながら瞳を微妙に揺らしたりしているを見てるとおかしくなって俺は自らとの距離を縮めた。
グイっとそのまま肩を抱いて引き寄せる。
目を見張るに向かってニッと笑うとも少し目元を染めて薄く笑った。


いつ頃だっけ、俺が触れるとがこんな風に赤くなるって気付いたのは。
が六角に来たばっかの頃、「俺全然興味持たれてないみたい」とかサエが冗談っぽく言ってたのを妙にハッキリ覚えてる。
それは絵を描く対象としての話だったのかもしれねぇけど、サエに興味ない女っていねぇと思ってたもんだから、意外でさ。
真っ直ぐ俺のテニスを見ててくれたのが嬉しくて、何となくといると自然と触れたくなって意識せずそうしてたんだ。
それを自覚した時とが俺にだけ頬を染めるって気付いたのは同じくらいだったと思うけど、嫌がられてる訳じゃねぇし特に気にしなかった。
ていうかって俺のこと……?とかちょっと自惚れててさ。
休みの日にがいて、テニスやって、海で騒いで、一緒に帰ったりすんの当たり前みたいになってたから、絵を描き終わったからって千葉に来なくなった時は何か物足りくてよ。
今生の別れってわけでもねーのに一向に気持ちは晴れなくて、進級してすぐ氷帝と合同練習決まった時は絶対会ってやるって決めてた。
けど意外にから連絡くれてさ。
あいつは単にコンクールの結果報告だったんだろうけど、俺はただ会いたかった。
また前みたいに一緒にいたくて、会ってみるとやっぱも俺と同じ気持ちなんだろうと思った。

『千葉と東京だし、直ぐ会えるじゃん。俺も偶には東京出てくっから』
『……うん』
そう笑って返事をしてくれた時から、新しく二人の時間を重ねてきたつもりだった。

なのに……と、何となく、今朝見た夢が脳裏に蘇る。

『フランスへ行くことにしたの。ホントは黙ってるつもりだった』

そう言われた時も真っ先にあの春先の事が過ぎって、もうあんな風に目の前からいなくなられるのは嫌だった。

がどれだけ俺を好きなのかは十分自覚しているつもりだ。
けど、目を離すと手の届かない所に行きそうで不意に怖くなる事がある。
俺を好きでも、俺より絵を優先させる気持ちがそうさせるのか、持ち前の内向きさがそう思わせるのかハッキリとは分からなねぇけど。


遠慮がちに身体を寄せてくるを、俺は少し眉を歪めて見つめた。
の身体はすげー柔らかくて、細くて、近所の子供達抱きかかえたりダチとふざけあったりはよくするけど、こうも違うもんかとしみじみ思う。

伝わってくる体温があたたかくて、その心地よさに少しの間目を閉じているとふと目を開けた先にあのスナップ写真が映った。
「あの写真さ……海外?」
ボードを見上げた俺につられてもそっちを向いて、コクリと頷く。 
「一昨年の研修旅行でドイツに行ったときに撮ったの。建物とかね、当たり前だけど日本と全然違ってて……もっとゆっくり見たかったなぁ」
「ヨーロッパって行き来簡単なんだろ?」
これからずっと見られるじゃんと言うニュアンスを含ませるとはうん、と声のトーンを落とした。
「ドイツもだけど、修学旅行で行ったハワイの海もすっごく綺麗でね……ホントに綺麗で」
「絵に描きたかった?」
「うん、それもあるけど……ああいう風景黒羽くんと一緒に見たいなぁって」
僅かに頬を染めたの予想外の台詞に俺はちょっと面食らった。
いつもの調子で絵描きたいって言うかと思ったのに。

「一緒に行きたい」じゃなく「見たい」てのが引っかかってそれとなく訊き返す。

「黒羽くんと一緒だと綺麗なものがより綺麗に見えるっていうか……」
するとは上手く言葉に出来ないけど、って言って笑う。
ついさっき氷帝からの帰り道で思った事を思い出して俺がククッと笑みを漏らしたら、が怪訝そうに眉を寄せた。
「スマン……俺も同じ事考えてたからつい」
「同じこと?」
「そ、朝日が綺麗な時とかに見せてやりてぇって思ったり、この景色見たらまた絵に描きたいって言うんだろうなーとか思ったりさ」
そういや初めてに会った時も「コイツに千葉の夕日見せてぇ」って思ったんだよな。
あの時と今の気持ちは全然違うけど、確かに俺はに惹かれていた。
あれから少しずつのこと知って、色んなことがあってさ……今みたいに何気なく同じこと考えてたって事ですげーあったかい気持ちになったり。

これからも二人で重ねていくそんな時間が、今朝の夢みたいな漠然とした不安も消し去ってくれると、そう強く思って俺は口の端を上げた。

、左手出して」
「左手……?」

そう言って抱いていた肩から手を外しスッと手を差し出すとは首を傾げながらもゆっくりと左手を伸ばしてきた。
出された手首を取ってふっと笑うとポケットの中に偲ばせていたものを取り出す。
「……え?」
そして、それをそっとの薬指にはめた。

「く、黒羽くん……これ」

サイズ合わなかったらカッコわりぃとこだったと、ホッと安堵の息を漏らして握ったままだった手首を離すと、は落ちそうなほど瞳を大きく開いて薬指を凝視した。
「ああ、安物で悪いんだけどさ」
「や、そうじゃなくて……何で」
相当驚いたのか混乱した様子で瞬きを繰り返している。
「後、これも」
俺は説明すんのも面倒で、つーか流石にちょっと照れくさかったのもあってバッグからゴソゴソと小さな包みを取り出すと半ば強引にそれをに押し付けた。
握らせた包みを受け取ってがやっと分かったというような顔つきをする。

要するにあれだ。
ホワイトデーのお返しってヤツだ。
何やっていいか全く分からなかった俺は「取りあえずマシュマロかクッキーだろ」という安易な考えに至った。
「バラの花束抱えて登場は?」とか訊いてもいねぇのにサエが言ってきたが、んな言った張本人にしか似合わないような真似は当然出来ねぇし。

「あ、ありがとう……――」
どうして?とか貰っていいの?と言いたげなを見て肩を竦める。
もくれたじゃん」
「あれは……誕生日のお祝いだし」
少し俯き気味には目を伏せた。

リストバンドにタオル、Tシャツ。
プレゼントそのものよりがそれを俺のこと考えながら選んでくれたんだろうなって事がすげー嬉しかった。
俺も、喜ぶかなとか似合いそうだとか思いながら選んだんだが……気に入らなかったんだろうか。
アクセサリーを勝手に選ぶのって地雷だよ、ってこれもサエが言ってたんだっけ。

……?」
唇が僅かに震えているのに気付いて俺はの顔を覗き込んだ。
「ごめ……ビックリして私……」
見ると目尻に涙が溜まっていて少し目を見張る。
「……嬉しい」
そう震えた声で呟くとは瞳を閉じて頬をばら色に染めた。

何でそこまで感動するんだ、安物の指輪なのによ。

つーかそんな表情すんなよ……俺益々自惚れんぞ。

もう少し高いやつ買えば良かったかな……。

そんな事を考えて気が付けば俺はを抱きしめていた。

身体のあったかさとか腕に残る柔らかい感触とか鼻を掠めるの匂いとか、全てから愛しさがこみ上げてきて夢中でに口付ける。
そのまま何度か触れるだけのキスを繰り返してたら俺の胸辺りを押さえて間合いを取っていたの腕が肩の方へと移動してきた。
「……んっ……!?」
もっと深く触れたくて僅かに開いた唇に舌を伸ばすと一瞬が強張りキュッとシャツを掴まれる。
少し引き気味だったの背中をしっかり抱いてもう片方で後頭部を捉えればそれは自然激しさを増していった。
「……っふ、――っ」
偶に漏れるのくぐもった様な甘い吐息に、じんじんと痺れが身体中に広がっていく。
俺のシャツをしっかり掴んでいたの手はいつの間には緩んでいて身体の力が抜けたのか支える手が少し重くなった。
自ずと唇が離れてそっと目を開くと、の頬は上気して赤い唇がしっとり濡れてて慌てて目線を逸らす。
「く、口ん中甘ったりぃな。さっき食ったクッキーの所為かな」
俺自身の熱を冷ますように笑い声を上げて横目でチラッとの方を見ると、まだ少し瞳をトロンとさせて、危なげで、俺は息を詰まらせた。
さよなら、と告げて危うげに揺れていた夢の中のの瞳が急にダブって、思わず存在を確かめるようにギュッとを抱いた。
無意識に逃がすまいと両腕に力が入る。
「く、黒羽くん……?」
力を込めすぎた所為か微かに苦しそうに名前を呼ばれ、ハッとして腕の力を緩める。

今、は目の前にいて、あれは所詮夢で……気にするのもバカみてぇなのに。
あんな根拠すらない懸念は時間が解決してくれるってさっき思ったばっかだってのに――もっとのこと知りたくて、俺より多く共に過ごしてきた宍戸に瞬間羨ましささえ覚えた。
焦る必要はねぇのに――こんな心もとない感情を口に出すのは苦手で、抱きしめてもおぼつかなくてもどかしさが胸を巡る。
そしてキュッとの手を握ると、俺は真っ直ぐの瞳を見つめた。
「俺はとしたい事も、してやりたい事も沢山あるんだ。だから」
ちゃんと捕まえておこうと握った手に力を込める。
「逃げんなよ」
の瞳に俺だけが映って、はちょっと困ったように首をかしげた。
「意味がよく分かんないよ」
夢見が悪かった所為だ、とか我ながらアホくさくて言えるはずはなく俺は言葉を濁すように軽くの額に唇を寄せた。
そしていつものようにポンポンとの頭を撫でる。
ちょっと間を置いてがふっと笑って、俺も何かおかしくなってきてハハッと声をたてて笑った。
しばらく二人で笑い合ってたらいっぺんに緊張が解けたようにどっと疲れが襲ってきて、カラカラだった喉に一気に紅茶の残りを流し込んだ。

「さて、どうすっか。今からどっか行くか?」

言いつつを見る。
「んー……あ、そうだ! あった、黒羽くんとしたい事!」
急に何か思い出したようにがパンと手を叩く。
「何?」
「テニス!」
「……は?」
「ね、テニスしよ!」
パッと明るい顔をするはいつもみんなに見せるの顔で。
おいおい、いきなり何言い出すんだとか突っ込むのも忘れた。
「いや、いーけど……俺ラケット持ってきてねぇし」
「私持ってる」
トントンと話を進めるは立ち上がると押入れ……いやクローゼットっつーのか?を開いて中を物色し始めた。

の動作を見つめながら氷帝のスカートって短けぇよなとかヒラヒラ揺れるプリーツから覗くスラッと伸びた足見てオヤジみたいな事思う。
白いシャツの胸元でネクタイが揺れてて、一瞬さっき感じた身体の熱が蘇ってきて俺は慌てて首を横に振るった。

そんな邪念は露ほども知らないだろうがラケット二本と数個のボールを取り出してきた。
ハイ、と渡されたラケットを手にとって感触を確かめる。
「ていうかお前、テニスできるのか?」
「……まあ、学校の授業でやる程度は」
あ、そうか。
氷帝じゃ体育でテニスやんのか。流石だな。
「へぇ、んじゃお手並み拝見といくか!」
ま、とテニスってのも悪くねぇよな。
「ところで何ができんの?」
立ち上がった俺は何着ようかなとか呟いてるに訊いてみた。
「何って、普通にラリー程度しか」
「だよな。氷帝なら何か面白い技教えてくれるんじゃねーかとか思ったけど」
氷帝テニス部の面々を浮かべつつ流石にそれはねーかと笑い返す俺にはそういえばと何かを思い出すような仕草をしてみせた。
「技か……ライジングはずっと習ってたなぁ」
「ライジング……?」
それって――。
「うん、宍戸くんが教えてくれたから」
やっぱりな。
ホントお前大好きだよな、宍戸が。
「あ、テニスの時間はテニス部が模範プレーしてくれたりコーチしたりするの。それで、三年ずっと宍戸くんに習ってたから自然と、その」
気にしてねぇのに、少し焦ったようにがフォローを入れる。
「ね、アレ教えてよ。ローリングボレー」
慌てて話題を切り替えた様子も微笑ましくて、合わせるようにほんの少し突っぱねてみせた。
「一朝一夕じゃ無理だ」
サエと違って芝居は苦手だ。
俺がワザとそう言った事をは気付いたらしく一瞬眉がピクリと動いた。
「でも……あの技、カッコ良いけどリターンされたらヤバいよね」
ちょっとカチンときたのかラケットをトントンと肩で叩きながら見上げてくる。
つーか痛いとこ突いてくるな。
「良いんだよ。取られねぇこと前提なんだし」
苦し紛れにそう言い残すと俺は一旦部屋の外へ出た。
着替えるから追い出されたってのが正解か。


「テニス久しぶりだなー……あ、手加減ナシだからね」
外の空気を吸いながら腕を伸ばすが俺の方を振り返る。
「……腕痛めてもしらねーぞ」
「そ、それは困るかな」
たく、何でこう勝負事に熱くなるんだか。
結構って負けず嫌いだと知ったのは、いつだっけか。
笑ってツンと人差し指での額を軽く弾くと、はちょっとはにかんで額を抑えた。
その左手の指輪が陽を受けて淡くオレンジ色に光って、思わず目を細める。

想いが同じであれば、こんな風にずっと一緒に歩んでいける。
例え離れていても――いつも共に成長できるさ。

そう堅く誓って俺はの手を取った。
これから色づいていくだろう初春の空が、暖かく辺りを包み込んでいった。










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