Human Touch






「全国中学生テニストーナメント、関東大会新人戦試合会場……」

はふと、目の前に掲げてある看板の文字を機械的に読み上げた。
大きく書かれた文字をマジマジと見つめ、ああと呟く。

「そっか……運動部は今、新人戦真っ最中だもんね」

美術部の私には関係ないけど、と思いつつ通り過ぎようか否か一瞬思案する。
土曜の昼下がり、切れた画材を買いに家を出るには出たが特に急いでるという訳ではない。

よく晴れた空に秋風が心地よく吹き抜け、会場となっている公園の周りの木々がまるで中へと誘うようにサワサワと揺れた。

奥からは木々の穏やかなざわめきに似つかわしくない歓声が聞こえる。

(そういえばウチのテニス部って強いんだっけ…誰か勝ち上がってるかな)
そんな事を思って木々に誘われるままにはその歓声の渦へと少し足を進めた。
「あ、スケッチブック置いて来たんだった……」
買い物に出てきたのだから当然と言えば当然だが、不覚に思い一瞬足を止める。
スポーツはいいデッサンの練習となるのに、これでは何も出来ない。
軽く溜息を吐きつつも『arena・tennis・court』と英語で書かれた門をくぐれば、そこはまるで別世界のような熱気に包まれていては度肝を抜かされた。

「うぉぉ、銀華ぁーーーーー!!」
「城成! 城成! 城成!」

ぐるりとコートフェンスの周りを囲み、熱心に応援する人々の横を通りながらその迫力に息を呑む。
(うわぁ凄い、さすが関東大会……)
このような体育会系のノリに慣れないにとっては全てが新鮮で珍しい。

「30−0!」

と、今の場所より一寸離れた所から審判のコールと共にギャラリーの沸く声が聞こえた。
思わずコールの響いた方を向く。
「中央コートの方……?」 

この公園の奥には中央に一面のテニスコート、周りに観戦席の設けてある何ともVIP待遇なコートが一つある。
そこでも試合をしてるのだと思い、は中央一面のコートへと向かう事にした。


「いっけぇーーー!」

甲高い応援の元へたどり着いて観客席を見渡すと、試合をしている学校のテニス部らしき中学生達と小学生と思われる子ども達がコートに熱い視線を注ぎ一心不乱に声援を送っていた。

それにつられてもコートへと視線を移す。

ハッ!という力強い掛け声と共に繰り出されるサーブ。
刹那、衝撃音と共に相手コートにテニスボールが叩き付けられた。

「ゲーム、サーバー! チェンジコート!」

コールと共にまた歓声が上がる。
コートを移動しながら今のゲームを取ったらしい選手は夢中で応援してくれている少年達に笑いながら親指を立てた。

はただ呆然とその場に立ちつくしていた。
次のゲームが始まって暫くすると、思い出したように慌てて両手で四角の枠を作り、コートを見つめた。

枠越しの世界がキラキラと輝いて見える。





その後、予定していた買い物もせずに帰宅したはドサリと自室のベットに身を投げると、昼間そうしたように両手を掲げて枠を作り天上を眺めた。
「凄かったなぁ……あの人」
まるで白昼夢でも見ていたかのように試合が終わった後もその場に立ちつくしていた事は、今思い出せばみっともない。
(どんな感じだっけ……)
パッと起きあがり、机の上のスケッチブックを開くと軽く筆を走らせる。
「うーん……想像で描くって難しい、か」
自らが描いた絵を見下ろして軽くため息をつく。
「どこの誰、なんだろ」
明後日学校でテニス部にダメ元で聞いてみようかな、などと考えては暫くスケッチブックを眺めていた。


月曜の朝、いつもどおりの時刻に学校に着いたは幾分硬い顔で廊下を歩きながら自分の教室へ向かった。
(どうしようか……)
頭の中で数十回、どうしようという文字を描きながら教室のドアを開く。
真っ先に窓側の後ろの席に座っている人物が目に入ったが、取りあえず自分の席に荷物を降ろしに行く。
ドサっと荷物を降ろすと「よし!」と心で掛け声をかけ、スッと息を吸い込むとは窓側の後ろの席へと緊張気味に足を進めた。
「おはよう、宍戸くん」
「ん? おう」
頬杖を付いて外を眺めていた長髪の少年は、の声に反応してこちらに向き直った。
彼の名は宍戸亮。
氷帝学園テニス部のレギュラーである。
結構なマンモス校であるこの学校で、珍しく一年の頃からクラスが同じという事もありと宍戸は割と親しい仲だった。
空いていた宍戸の前の席に座ると、あのね、とは話し始めた。
「一昨日、関東大会だったでしょ? テニスの試合会場が家の近所でたまたま見に行ったんだけど」
「マジか!? 凄かっただろ? 跡部が結構良い所までいったからなぁ」
「え、と……氷帝の試合は見られなかったんだけど」
そういえば自分の学校の試合は見てなかったとがバツの悪そうな顔色を浮かべる。
「そーかよ、で?」
「あ、あのね……ちょっと聞きたいことがある、んだけど」
宍戸から目をそらすとは視線を泳がせた。
「何だよ?」
聞き返されて返答に詰まる。
どう言えばいいのか――うーんと小さく唸りながら口ごもるに宍戸は少々苛立ちを覚えた様子で眉間に皺を寄せた。
「何だよ、さっさと言えよオラ!」
短気のきらいかある宍戸は、持ち前の長い髪をうねらせて少し口調を荒げる。
宍戸の勢いに押されては押し返すように声を上げた。
「し、知りたい選手がいるの!」

「……知りたい選手?」
「そう、一昨日中央コートで試合してたんだけど……コールちゃんと耳に入ってこなかったし、スコアボードも見忘れちゃって」
「どんな用かと思えば……それで、何か特徴は?」
くだらねぇと言いたげの宍戸だったが一応の質問には付き合う。
「えっと……確かユニフォームは赤のノースリーブ。結構ギャラリーいたし、すぐ試合終わっちゃったから強い学校の選手なんじゃないかな」
「ああ、そりゃ千葉の六角中だな」
速攻で答えた宍戸には目を見開いた。
まさかこんなに直ぐ返事が来るとは思っていなかったからだ。
「六角……?」
「あそこのジャージ、激ダサだからな。ジャージのダサさは山吹と張るぜ。それにノースリーブのユニフォームなんざあの学校くらいだっつーの」
「そっ、か。六角か……ありがとう。何て選手かな?」
「んなこと俺が知るか!」
パッと笑顔を作ったに宍戸が再び食ってかかる。
再び勢いに押されて引き気味のを見ながら宍戸はあ〜と思いだしたように口を開いた。
「お前そいつに一目惚れでもしたのかよ? 六角つったら佐伯とかだろ……くだらねー」
吐き捨てるように呟いた宍戸の予想外な台詞には慌てて首を横に振った。
「違う違う! そんなんじゃなくて……で、佐伯って言うのかな?」
「しらねーよ。……そいつの特徴は?」
くだらないと言いつつも、面倒見の良い部分もある宍戸は暫くの質問に付き合う気らしい。
もうーんと唸って、何とか特徴を話していく。

「長身で、もの凄く豪快なサーブ決めてた。ほら、宍戸くんの後輩に凄いサーブ打つ子いるじゃない? ……えっと」
「鳳?」
「そうそう! その鳳くんくらい迫力あるサーブ打ってて」
「あー……じゃあ佐伯は違うな。そういや六角にでかくてパワー型の強い一年がいるって噂聞いた事があるな……そいつか? 天根とか言ってやたら長いラケット使うヤツ」
宍戸は記憶の糸をたぐり寄せるようにして眉間に軽い皺を刻んでいる。
「や、ラケットは普通だった……それに多分二年生だと思う」
「多分、て……俺は関東の個人選手全員覚えてる訳じゃねーんだから長身でビッグサーバーってだけじゃ判らねぇよ。六角は強豪だし少しは覚えちゃいるが」
机に置いていたペットボトルを手に取りながら宍戸は呆れたようにの顔を見た。
は苦笑しつつ、脳裏に一昨日見た選手を浮かべる。

周りの風景、相手の選手、ギャラリー――それらはハッキリとは思い出せなかったがその分鮮明にその選手のことは覚えていた。
長身から繰り出されるサーブも、しなる筋肉も、飛び散る汗と同じくらいキラキラしていた表情も。

「えっと、黒髪の短髪を立てた髪型で、いかにもスポーツマンて感じでね……ちょっとウチのテニス部レギュラーにはいないタイプで」
「悪かったな!」
浮かんだ選手の特徴をつらつらと語るに、宍戸は飲んでいたスポーツドリンクを口から離すとすかさず横やりを入れた。
だがレギュラーの面々を思い浮かべると自分でも当たらずも遠からずだと思い、チッと舌を打つ。
(しかし短髪のスポーツマンタイプだぁ……?)
宍戸は知る限りの六角中のメンバーを思い浮かべた。
(佐伯、は長身じゃねーし。何度か会った事あるんだがなぁ……顧問はジジイ位しかハッキリ覚えてねっつーの。長身…黒髪、短髪…長身、ビッグサーバー……)
あ!と宍戸の口から思わず間抜けな声が漏れた。
「え?何、もしかして分かった!?」
「ああ……いたような気がするそんなヤツ。えっと、確か名前は」
期待からか先程より明るい目をするを見つめながら宍戸は必死に記憶の糸をたぐり寄せた。
「確か……黒、なんとか」
コメカミに手を当てて何とか名前を捻り出そうとする。
「黒……そう、思いだした黒羽だ! 黒羽春風!!」
「黒、羽……春風?」
おう、と宍戸はスッキリしたような表情で軽く首を縦に振った。
不思議なもので一旦名前を思い出すと自然姿形までハッキリと思い出せる。
「俺は直接試合したことはねーけど、黒羽がかなり背ぇ高かったのは覚えてる。ま、絶対合ってるって自信はないけどな」
「そっかぁ……うん、そんな気がする。なんか春風って感じがピッタリだったし」
は思わず微笑んだ。選手の試合後の風が吹き抜けたような爽やかな笑顔を思い出したのだ。

「ありがと、宍戸くん」
「別に。で、黒羽の名前知ってどうするんだ?」
再びペットボトルに口を付けながら聞いてくる宍戸にはちょっと困ったような表情を浮かべた。
「んー……どうもしないよ、ただ知りたかっただけだし。テニスの公式試合見たの初めてで、会場の熱気も凄くて……その人のプレイに凄く引き込まれちゃって、なんか絵になるって言うのかな? 凄く、描いてみたいなぁって思って」
「はぁ……絵?」
ポカンと口を開けた後、ククっと宍戸は喉で声を押し殺して笑った。
「おま……何かと思えば絵かよ。アホらし」
「……悪かったわね」
自分はテニスバカのくせにとが口を尖らせると、ま、お前らしいけどなと宍戸は笑いながらフォローした。
「でもよ、テニスの絵が描きたいならウチのテニス部描けば良いんじゃねーのか?」
「……いや、私にも選ぶ権利ってものが」
「あぁ!? 大体お前、偶にスケッチブック持って練習見てるじゃねーか。あれは何なんだよ!」
「あれはスケッチ練習! 今まで人をちゃんとした絵で描いてみようと思った事ないんだけど……黒羽くんを見て描いてみたいって思ったの! こんな気持ちになったの初めてで、だから」
短気の気のある宍戸だ。このままじゃ口論になりかねないと判断したのだろうが宍戸から視線を逸らすと、フン、と鼻を鳴らしながら宍戸は長く垂れた髪を掻き上げた。
その仕草が目についたのか、は宍戸の髪を見つめながら何気なく言った。

「宍戸くんさ……そんな長い髪で邪魔じゃない?」
ピクっと宍戸の眉が動く。
「あ? 次は俺の髪に文句言おうってのか!?」
「い、いやそうじゃなくて短い方が動きやすいんじゃないかなーって思って。長いのも躍動感が出て絵にはなると思うんだけど、スポーツするならやっぱり」
「ウルセー! 大体お前の目は節穴なんだよ! 黒羽のテニスは描く価値があって俺のテニスはダメだとでも言いたいのか!? え!」
軽く青筋を立てる宍戸に、そんなことは言っていないとは内心苦笑いを漏らしたことだろう。
だが取りあえず不味いと判断したのか、ごめんと2、3度謝った。 

まだ何か言いたげな宍戸だったが、丁度始業を知らせるチャイムと共に教師が教室に入って来た為これ幸いとばかりには席を立った。
「ありがとね宍戸くん」
そう言って自分の席に向かう。
席に着くと隣の席の友達が話しかけてきた。
ちゃんよく宍戸くんと話せるね……怖くない?」

「んー……慣れてるしね、口悪いだけで怖くはないよ」
そうかなー?といぶかしげな友人に苦笑いを返しながら授業の準備をすると、教科書を開いては黒板の方に向き直った。
(宍戸くん、モテるみたいだけど近寄りがたい雰囲気だからなぁ……)
一年の最初の頃は自分もそう思っていたことを懐かしく思う。
ふと先程の宍戸の言葉を思いだし、は宍戸のプレイを思い浮かべた。
(上手いけど……なんか描きたいと思えるプレイじゃないんだよね)
黒羽という少年のプレイを見たときの、その空間をそのまま切り取りたいと思えるような高揚感が宍戸のプレイからは感じ取られた事がない。
(いや……でも凄いプレイヤーらしい跡部くんのプレイ見てもイマイチ絵にしたいとは思えないし、好みの問題かな。練習と試合じゃ違うかもしれないし、向日くんのプレイなんかすっごい良い絵になるとは思うんだけどね……)
そこまで考えると、は授業に集中しようと雑念を払ってシャープペンを握り直した。








ー! ちょっとこれ見てくれる?」
呼ばれては動かしていた手を止めた。
顔を上げると明るい顔をしたショートカットの快活そうな少女が瞳に映る。
差し出されたスケッチブックを手に取って、は首を捻った。
「サッカー部……?」

「うん、昨日一年生つれて行って来たんだ。みんな上手いから気抜けなくて」
へー、とパラパラとスケッチブックに目を通すにショートカットの少女は添削してくれるよう色鉛筆を差し出した。
「良いんじゃない? 難しいカットやってるのね」
言いながらサラサラとデッサンの狂いを分かりやすく修正してみせるに少女は肩を竦める。
……って人物描くの嫌い?」
「んー……どうして?」
「だって私一度もキャンバスに描いてるの見た事ないし。これだけデッサン出来るのにどうして?」
「基本的な技術は欲しいからね……ピカソなんか小さい頃から完璧なデッサン力が備わってて――」
「もう! 答えになってないよ!」
横から聞こえてくる質問を流しながらサラサラと鉛筆を動かしていたは、一通り修正し終わると出来たよ、とスケッチブックを隣の友人に渡した。
そして、一端間をおいて若干声のトーンを落とす。

「……大変そうだから」
「え?」
「風景や静物が対象だと気持ちを入れやすいけど、人物相手だとそう簡単にいかないでしょ? 特定の人を描く訳だし、相手あってのことだし」
言いながらは手で四角の枠を作ると、片目を瞑ってみせた。
開いた窓から外の風景をぼんやり見つめながら、あの日の少年のプレイを思い出していると眼前の少女は、確かに、と相づちを打った。。
「エネルギーはいるかもね……あ、じゃ私今日も一年連れて外出てくるから」
「分かった。頑張ってね、部長」
「ヘヘッ、部長って慣れないなぁ……よーし、一年生、集合!」
少女は照れ笑いを浮かべると踵を返して元気よく声を上げた。
はその明るい声を聞いて微笑むと、再び自分のスケッチブックへと向かった。

あれからは暇さえあえばスケッチブックに向かい、宍戸から聞いた黒羽という少年のプレイ姿を描いていた。

描きながらつい先程部長に言われた言葉を思い出す。
(……考えてみれば人物画描きたいなんて思ったの、初めてなのよね)
特に人物画が苦手だという事はなかっただが、キャンバス等に描くちゃんとした絵はもっぱら風景画、抽象画、それに静物画ばかりだった。
キャンバスに向かうと、はその対象の事だけをずっと考えて描き上げるようにしている。
そうまでしてわざわざ人物だけを描く事にあまり魅力を感じなかったからだ。
そして風景画が得意という事もあり、コンクールなどに出品するのは大抵風景画だった。
そんな自分に「人物画を描きたい」と思わせる何かが黒羽のテニスにはあったのだと、は思っていた。
(一度見ただけの人をちゃんと描く、て方が無理なのかな)
ちっとも上手くいかない自分の絵を見て顔をしかめる。
先程、図らずも部長と話したとおり人物画ばかりは自分の一方的な思いでは良い絵にはなり得ない。
(そもそも、私はこの人を知らない……名前だって合ってるかどうか分からないし、ちゃんと描くつもりなら私は……)
そうして考え込んでいると、不意に窓際から声がした。

「何やってんだお前……」
は鉛筆を止め顔を上げる。視界にラケットを担ぐ宍戸の姿があった。
「宍戸くん。あれ、部活は?」
「今日は休みだから今から自主練すんだよ」
美術室は部室棟からテニスコートへと向かう途中にある。
通りかかった宍戸は開いていた窓からに声をかけたのだ。
最近よく練習見に来てるけどよ、描いてるのは黒羽の絵なんだろ?」
「うん」
「んじゃ意味ねーじゃん」
「そんな事……テニスの感じは掴めるし。でも、何か違うのよね。てか全然違う、テニス部見ながら関東大会思いだして描いてるんだけど全然上手くいかない」
ハァ、とため息をつくに宍戸は顰めっ面をする。そして何を思ったかいきなりヒュッとラケット先をに向けてきた。
「激ダサだな!」
目の前にラケットを突き出されて流石には目を丸めた。
「ここでウジウジしてても拉致あかねーだろ。この前が机に置いてたラフスケッチ見たけど、ありゃ黒羽に間違いねーよ」
「宍戸く……」
「描きたいんだろ!?」
真っ直ぐとした視線がに刺さる。
「千葉の、六角中の黒羽春風! 分かったか!?」
そこまで言うと宍戸はラケットを引っ込め、じゃーなとテニスコートの方へと向かった。

(宍戸くん……)

去っていく宍戸の背を見つめながらはギュッと右手を握りしめた。
宍戸の言わんとしていた事は直ぐに分かった。
自分が本当に黒羽の絵を描きたいなら、何をすべきかもは分かっていた。
(ウジウジしてても拉致あかねーよ、か……)
言われた言葉を噛みしめるようにして瞳をつぶる。

宍戸のラケットを突き出してきた時の勇めるような視線を思い出しながらは心で強く頷いた。










今まで書いた中で一番長いお話になりますが…、
最後まで付き合っていただけると幸いです。



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