――8月下旬。
 天気は晴れ。適度に雲がかかっており焼け付くような暑さはなく、比較的過ごしやすい日になりそうだ。
 そんな晩夏の朝、通気性のいい軽やかなワンピースに身を包んだは一泊用の荷物を携えて舞浜駅を目指していた。

 というのも、数週間前に約束したの氷帝時代の美術部の部長である香坂美咲と彼女と交際している向日、それに鳳と自分という4人でのダブルデートのためだ。
 幸運にもオフィシャルホテルが取れたらしく、としても美咲と泊まりがけで遊ぶのは初めてで楽しみにしていた。
 向日に会うのは――、そうだ、鳳の最後のインターハイの際に帰国した時以来だ。あの時は会場が神戸で、向日と宍戸それに芥川という幼なじみトリオは忍足とともに大阪の忍足家に泊まり込んで会場に通っていたのだ。
 一緒に来ていた寿葉が自分と同様にホテル宿泊だったのもいま思い返せば懐かしい。とゆらゆらと電車に揺られ、舞浜駅で降りれば、隣接するリゾートゲートウェイ・ステーションの前では既に鳳が待っており笑顔で手を振ってくれた。
「せんぱーい!」
「こんにちは、鳳くん」
 どうやら向日たちはまだのようだ。久々に見る鳳の姿に頬を緩めながら近づきつつ、そうだ、とは鳳を見上げた。
「家族旅行はどうだった?」
「はい、久々にのんびり過ごせて楽しかったです。けど……」
「けど?」
「俺、先輩に早く会いたくて。だから今日をとても楽しみにしてたんです」
 へへへ、ととろけるような笑顔で言われて、つ、とは少しだけ頬を染めた。鳳は今日も相変わらずだ。
「ぶ、部長たちは……まだかな?」
「はい。お二人ともまだみたいですね。……あ」
 少し目線を逸らしがちに話を変えれば、鳳は越しに目線を遠くに投げてハッとしたように目を瞬かせた。つられても振り返る。
 すると、数年ぶりに見る向日が美咲と共に歩いてきていて、同じ電車だったのかな、と感じつつ笑った。
「部長、それに向日くん、お久しぶり」
「おう、おひさ」
「香坂先輩、お久しぶりです!」
「久しぶりー、鳳君。と上手くいってるみたいで安心しちゃったよ。ほんと良かった」
「おかげさまで……、ありがとうございます」
 それぞれ挨拶をし、鳳は「へへ」と美咲の言葉にはにかんで、も少々気恥ずかしかったもののうっすら頬を緩めた。
 ともかくまずは荷物を預けに行こうと舞浜駅にある専用のホテルサービスカウンターにてプレチェックインを行った。荷物はそのままホテルの部屋までスタッフが運んでくれるというシステムだ。むろん、ホテルで再度チェックインする必要はなく部屋に直行できる。
 ルームキーは美咲と向日がそれぞれ預かり、チケット類も購入してさっそく4人で電車に乗って目的地へと足を向けた。
「私、ランドに行くの久々かも……。部長たちはよく行ってるの?」
「しょっちゅうじゃないけど、岳人がテーマパーク好きだからねえ……。未だに富士急日帰りデートとかしたりするよ」
 三半規管が強くないととても岳人とは付き合えない、などと笑って話す美咲の声に耳を傾けていると、あっと言う間に目的地だ。
 ランドは明日のお楽しみということで、今日はシーの方への入園である。
「写真撮って貰おうぜ!」
 入園して真っ先に、昂揚気味の向日がキャストのカメラマンに写真を撮って貰うため並んでいる列を指して言った。
「そうだね、せっかくだし4人で撮ってもらっちゃお」
「そのあとカチューシャとか買い行こうぜ!」
 向日と美咲が手慣れたように率先して先導し、と鳳は付いていく他ない。
 写真は取りあえず向日の携帯を使ってあとで全員に転送するということでまとまり、手際よく集合写真を撮って貰う。やはりプロの腕か写りが良く、テンションも上がってくるというものだ。
 そのまま小さなショップに寄り、夢の国気分を盛り上げるための装飾品を向日が率先して物色した。
「俺はコレな」
 真っ先に彼が手にしたのはメインキャラクターの耳が模してあるカチューシャだ。さっそく試着した向日は自信ありげに、ニ、と笑った。
 大きな黒い耳をあしらったカチューシャは予想よりも遙かに向日に似合っており、わ、と三人で口を揃えて感嘆の声をあげる。
「岳人すごい似合ってる!」
「よくお似合いですよ、向日さん」
「本当、向日くんすっごく似合ってる」
 三人から褒められ気分がいいのか、へへ、と笑った向日はキャラクターの恋人であるヒロインの大きな赤いリボンの付いた耳を模したカチューシャを美咲に手渡した。
「んじゃお前はコレな」
「んー、なんかいまいち似合う気しないんだけど」
 手渡されたカチューシャを懐疑的に見つつも試着する美咲をが見守っていると、どことなくおずおずとした鳳が声をかけてきた。
「先輩は付けられないんですか?」
「え……!?」
「きっとお似合いだと思いますよ……!」
 にとっては突拍子もない発言で、一瞬キョトンとしてしまった。付ける予定は全くなかったため反応に困って逡巡していると、謙遜とは裏腹に向日と対になるカチューシャを付けこなした美咲がまるで背中を押すように明るい声で言った。
「そうだよ、せっかくなんだしもつけなよ。そうだ、明日コレとのやつ交換しようよ!」
「え……」
 だから違うのにしよう、と美咲はカチューシャを物色しつつ白くてふわふわした土台ににピンクの大きなリボンのついたカチューシャを手渡してきた。
「これなんかどう? 可愛くない?」
「う、うん。可愛いけど……」
「ちょっと付けてみて!」
 笑顔で念を押され、は戸惑いつつもふわふわしたそのカチューシャをそっと頭に付けてみる。とたん、鳳の声が跳ねた。
「か、可愛いです……先輩、可愛い……!」
「あ……ありがとう」
「ほんと似合うー! よし、じゃあそれで決まりだね!」
 うっすら頬を染めて痛く感じ入っている様子の鳳を見やっているうちに購入は決定事項となり、そうこうしているウチに向日から悪戯っぽい声があがった。
「超レアなの見つけたぜ! 鳳、お前コレな!」
 その手には、垂れ下がった犬の耳を模したようなカチューシャが握ってある。
「ほれ、付けてみそ」
 差し出された鳳は仮にも先輩の要求を無下には出来なかったのだろう。受け取った鳳がやや渋々といった具合に頭に付けた途端、向日は転げるように笑った。
「お前、これで今日は俺のペットな! どうせお前元から犬っぽいしちょうどいいだろ! ぎゃははは!」
 曰く、そのカチューシャのキャラクターは向日の付けているメインキャラクターのペットで普段は売られていないものらしい。
 笑い転げる向日を美咲が嗜める横で、は困惑気味の鳳を見上げた。
「でも鳳くん、すっごく似合ってるよ」
 背の高い鳳に垂れ下がった耳というのは何とも可愛らしく、絵的にも微笑ましい。すれば鳳はやや苦笑いのようなものを浮かべた。
「そう……ですか? でもちょっと複雑です……」
 そうして鳳は向日の方に視線を送って肩を竦めている。
 背の高い鳳を向日が昔から目の敵にしていた、というのはも聞いた覚えがある。が、今となっては向日もだいぶ身長が伸びたし……むろん二人の仲が悪いということは決してないのだが。とそのままそれぞれカチューシャを購入したのち、は持ち前の写真の腕を披露して皆のインパーク姿をいくつかカメラに収めた。
 そうしていよいよ行動開始である。まずは向日が先導して手慣れたように人気アトラクションのファストパスを発行してから効率よく回っていく。
 シーはランドよりはデート向けの作りでもあり、モチーフが西洋でもあるためや鳳にとっては見慣れた風景とも言えるが、いろいろなものが混ざったテーマパークはまた違う楽しさがあるものだ。
「先輩、喉渇きませんか?」
「ううん、平気、ありがとう」
 8月も下旬とはいえ気温はまだまだ高く、気遣ってくれる鳳に笑みを返しているとさっそく向日から横やりが入る。
「俺は渇いたぞ」
「え……!? あ……はい、じゃあ俺買ってきますね」
「お、悪ぃな。んじゃ俺コーラな」
「ちょっと岳人! 自分で行きなよ」
「ちぇ、いーじゃん別にー」
 そうして軽く言い合いが始まり、結局は全員揃って何か飲もうという運びになり一息入れた。
 美咲と向日はさすがに幼なじみかつ同級生といった具合でテンポの良い会話を飽きることなく楽しんでおり、は素直に仲の良さそうな様子を微笑ましく思った。
 このような雰囲気は自分たちにはないかもしれない、とちらりと鳳を見上げるといつものようにふわりと柔らかく微笑んでくれて、はドキッとしつつも同じように微笑み返す。
 買い食いにも忙しない向日のおかげで昼を回ってもみな空腹は覚えなかったが、それでも一度ゆっくりランチタイムを取って夕食までは別行動をしようということになった。
「先輩、どこか行きたいところありますか……?」
「んー……海が見たいな」
 問いかけてくれた鳳に、スケッチブック持ってきてないけど……と零しつつ答えると鳳は笑って頷いての手を取って歩き出した。
「鳳くん、園内のこと詳しい? ランドとかシーによく来てた?」
「たまには。でも、詳しいわけじゃないです。頻繁に来ていたのは子供の頃で、デートでは初めてですから」
 すると鳳はそんな風に言って、は少し目を見開いたものの「ふふ」と小さく笑った。
 小さい頃の鳳はきっと瞳を輝かせて楽しんでいたのだろうな、と想像して微笑ましくなるも、それを鳳に告げればきっと心外そうにするのだろうから口を噤みつつ眩しい太陽に目を窄める。
 アメリカをモチーフにしたエリアをぶらぶら歩きつつ鳳に手を引かれるままにアトラクションの走っている高架下へと階段を伝って降りると、見晴らしのいい景色が広がって「わあ」とは感嘆した。
 いくつもベンチが連なっているが先ほどまでの雑踏はウソだったかのように人影がない。
 座ろうと促す鳳に頷いて、もベンチに腰を下ろして、ふ、と息を吐いた。
「やっぱりスケッチブック持ってくれば良かったかな……」
 ダブルデートということでさすがに自重したが、やはりちょっと残念に感じて未練がましく手で作った枠越しに目の前に広がる「夢の国」を見やっていると、そっと鳳が肩を抱き寄せてきた。そして右手をスッと髪に絡ませてきての胸が少しだけ高く鳴る。
「鳳く――」
「そのカチューシャ、ほんとによくお似合いです」
「あ、ありがとう……」
「可愛いです先輩、すごく可愛い」
 言って、髪に軽く唇を寄せられてなおさらの胸がドキッと高鳴った。
 いくら人気がないといっても、ここは日本であるし、いつもヨーロッパでしているような事はしないと思うが――とドキドキしつつも抱き寄せられるままにも鳳の胸に身体を預ける。
「先輩とこうしてゆっくりするの……本当に久々な気がします」
「そ、そう、かな……」
「そうですよ。日本にいる時の方が遠いなんて……」
 鳳はやや切なげな表情を滲ませ、ちゅ、とさらに唇が額に触れて指と指が絡んで、は頬が熱を持つのが自分でもはっきり分かった。
 こんな風に触れ合うことにはすっかり慣れたと思っていたというのに。いつもと違う場所だからか、それとも久々のデートがそうさせるのか、いつも以上にドキドキして、でももちろんいやではなく。はすっかり鳳の胸に体重を預けて心地よさにうっとり瞳を閉じた。
 パリに戻ったら今度は二人でパリのランドに出向いてみるのもいいかもしれない、などと考えつつかなりの時間をその場で過ごしてからたちはアトラクション巡りを再開した。
 グリーティングに出てきたキャラクターに会うたびに可愛くて近くまで寄っているとその都度鳳が微笑ましげな優しい目線をくれ、終いには知らないうちにシャッターを切られていた。
「先輩とお揃いです」
 そして鳳はの付けていたカチューシャのモチーフになっているキャラとを収めた写真を見せてくれ、あまり写真を撮られるのが得意でないとしては一瞬戸惑ってしまった。が、あまりに鳳がニコニコ嬉しそうだったため何も言えず、カメラの中のキャラクターと自分を見つめて苦笑いを漏らした。
 そうこうしているうちにすっかり日が暮れ、夕食の時間が近づいてくる。夕食は事前に美咲がレストランに予約をしてくれており、6時半にレストラン近くで待ち合わせということになっている。
「あ、来た来た。ー!」
 地中海の、特にイタリアはヴェネチアをモデルに作られたエリアの橋のたもとで手を振る美咲が目に入り、と鳳は気持ち早歩きでその場へ向かった。
「すみません香坂先輩、向日さん。お待たせしちゃいましたか?」
「平気だよー。ちょうどね、いまゴンドラ乗ってきたんだよね」
 美咲が明るく笑い、4人揃ったところでレストランに向かう。
「予約してるからそんなに待たないで大丈夫だと思うんだよね」
「俺、腹減った」
「私も。はしゃぎ過ぎちゃった」
 先導する美咲についていけば雰囲気の良いイタリアンレストランで、美咲は手慣れた様子でキャストに人数と予約している旨を伝えていた。
 こうしてちゃきちゃき仕切っていくところはさすが部長の部長たるゆえんだろう。鳳も高等部時代は部長だったが、美咲は年期が入っているし――などと中等部から変わらない美咲の様子に笑みを浮かべつつしばし待っていると希望したテラス席が空いたようで案内された。
 向日が奥側の席がいいと希望しため、向日に対面する形で美咲が奥の席に行く。すると鳳がごく自然に美咲の席の椅子を引いた。
「どうぞ、香坂先輩」
「え……!? あ、ありがとう鳳君」
「いえ。先輩もどうぞ」
「ありがとう」
 ついで美咲の隣の席の椅子を鳳が引いてくれ、も笑って腰を下ろした。
 すると向日が後ろ手で手を組んで眉を寄せ、呟く。
「キザったらしいヤツだな相変わらず」
 悪態をつく向日に鳳は困ったように肩を竦めながら席につき、皆でメニューを開いてまずはドリンクを見ていく。
ってパリに住んでもう長いしワインとか詳しいでしょ? ね、どれがいいと思う?」
「え……?」
「あ、スパークリングワインあるし食前酒に頼んじゃおうか」
 そうして美咲が笑いながら提案してきてはハッとした。美咲もハッとしたのか目を瞬かせ、揃って鳳の方を見やる。すると鳳は察したのか肩を竦めて笑った。
「俺のことは気にしないで、皆さんどうぞ飲んでください。せっかくなんですから」
「そう……? じゃあそうしちゃおっかな。岳人もスパークリングワイン飲む?」
「この間、跡部んちで飲んだシャンパンってヤツすんげー不味かったぜ。似たようなヤツなんだろ?」
 宍戸とか吐きだしてたしな、と続けた向日にはさすがに苦笑いを浮かべた。おそらく慣れない味だったのだろうな、と場面を想像しつつ跡部家のシャンパンとこのメニューにあるスパークリングワインは味がかなり違うことを伝えて結局3人ともそれを頼むこととなった。
 そうして料理に合わせてワインを選ぼうという運びになり――ワインリストを眺めるもイタリアワインに関しては日本では未成年の鳳が一番知識があり、最終的に鳳のアドバイスで選ぶこととなってしまった。
「ほんとにゴメンね……! 鳳君が成人したらワインおごるね!」
「そんな、気にしないでください。先輩たちが楽しんでくれれば俺も嬉しいですから」
 結局、ボトルで赤ワインを頼むことにして4人ともコース料理に決め、最初に運ばれてきた3人分のスパークリングワインとソフトドリンクで乾杯した。
 軽い口当たりの甘めのスパークリングワインは向日も気に入ったようで、は笑顔になった向日を見てホッとしつつ美咲と顔を見合わせて笑った。
と鳳君って普段はどんなところでお食事してるの? やっぱりパリだし本場のフランス料理が多かったりする?」
「うーん……、二人でフランス料理はほとんどないかな」
「先輩にイギリスに来ていただく事の方が多かったので食事は色々です。ロンドンには色々なレストランがあるんですが……その、選ぶのはなかなか難しくて」
 鳳はイギリスの食事情をズバリは言わず言葉を濁したが、美咲も何となく悟ったのか「そっか」と苦笑いを漏らしていた。
「部長たちは?」
「私たちも色々だよ。ファストフードから和洋中とほんと色々。でもたまに雰囲気いいところで食事したりもするんだよね」
 今日もそうだね、と言う美咲に向日がスパークリングワインに口をつけつつ眉を寄せた。
「この前、宍戸とジローとメシ食った時にその手の話したらすんげー反論されたぞ。堅苦しい食事とか信じられねえってよ」
「し、宍戸さんはこういう場所をあまり好まれてませんから……」
 さりげなく鳳がフォローし、も懐かしく中等部時代を思い出した。氷帝学園というのはとにかく跡部の趣味を全面に押し出したイベントも多く、その中にはいわゆる上流階級じみたイベントもふんだんに織り込まれており、その都度宍戸が地団駄を踏んでいたことはも見知っていることだ。
 にとっては中学時代の思い出を共有した友人と過ごす時間というのは想像以上に貴重で、美味しく食事を食べすすめつつ思い出話に花を咲かせた。
 夜景の綺麗なロケーションでロマンチックな雰囲気に浸るよりもすっかりお喋りに夢中になってしまい、デザートまで食べ終えてほろ酔い気分のままレストランを後にした。
「美味しかったね」
「ね。夜景も綺麗だったし」
「夜景見ねえで喋り倒してただろ」
 突っ込む向日を美咲が小突く横でが笑っていると、鳳がさりげなくの腰を抱いた。
「大丈夫ですか……?」
「え……」
「酔ってません?」
「だ、大丈夫だよ、平気」
 やや心配そうな鳳にそう答えつつも少しだけ鳳にもたれて体重を預け、4人して今日の締めとばかりに既に始まっているパレードとその後の花火を見に行き、その時ばかりはしばしロマンチックなムードに浸ってすっかり更けた夜を楽しんだ。
 花火が終わる頃にはほろ酔い気分も覚め、人混みを掻き分けるようにしてシーを後にし、電車に乗ってホテルまで戻る。既にチェックインは済ませてあるため、直接部屋へ行けるのだ。
「わあ、カワイイ……!」
 ランドとは目と鼻の先にあるホテルを前にした途端、まるで夢の続きのような華やかさにと美咲の声が跳ねた。
「写真撮ろうぜ写真!」
 向日も同様にはしゃいで一通り写真を撮ってからエントランスに入るも想像以上の可愛さと豪奢さに「可愛いね!」とさらに言い合いながら部屋へと向かいつつ、美咲と向日がそれぞれルームキーを取りだして番号を確認していた。部屋は隣同士だ。
 そして部屋の前まで行くと、美咲は明るく向日に声をかけた。

「それじゃまた明日ね」
「おう、じゃーな!」

 美咲は右側の、向日は左側の部屋にカードキーを差してドアを開け「え!?」と一人戸惑っていたのは鳳だ。
「え……あの……」
「じゃあ鳳くん、また明日ね」
 ニコッと笑ったは美咲の背を追って部屋に消え、「なにチンタラしてんだよ」と向日に急かされた鳳は取りあえず部屋に入らざるを得ない。
 すれば、予想に違わず随所にキャラクターをあしらったファンシーな室内が目に飛び込んできて向日がはしゃぎ声をあげた。むろん午前中に預けた向日と鳳の荷物もちゃんと部屋に届けてある。
 楽しそうな向日を見つつ、こんな可愛らしい部屋を目の前にしたがいま隣の部屋でどんな表情をしているか見たかった……と鳳は目線を隣の部屋の壁にやりながら「あの」と向日に声をかけた。
「なんだよ。あ、風呂なら俺が先だからな! お前は後な!」
「い、いえ……そうじゃなくて」
 ドサッ、とソファに腰掛けた向日に目線を送りつつ鳳はグッと拳を握る。
「向日さんは……その、香坂先輩と同じ部屋でなくて良かったんですか?」
 そうして思い切って言ってみれば、向日の瞳が大きく見開かれた。なぜそんなことを聞くのだと言わんばかりの顔に鳳はたじろいでしまう。――仮にも二人は付き合っているわけで。彼らがいつから交際しているかは知らないが、まさかいわゆる男女関係はまだ、ということはきっとないはずで。
 ならばなぜそんな反応するのだろう。と感じていると、あー、と向日は頭に手をやった。
「いや、俺はあいつと来たきゃまたいつでも来れるし」
「え……」
「美咲がさんと旅行できるってこの先もそうはねえだろ? だからあいつが喜んでんだからそれでいいんだって」
 そうして、ははは、と軽く笑う向日を見て鳳の頬がカッと赤く染まった。――反射的に自分を恥じたのだ。自分がと同室がいいとそればかりに気がいって、美咲とが二人の時間を楽しんでいることに少しも思いが至らなかった。
 情けない……、そう思うと同時に向日の懐の大きさを鳳は思い知った。きっと美咲も向日のそんなところを好んでいるのだろう。
 思い起こせば氷帝時代から人一倍仲間思いだったのだ、この人は――、と懐かしい気持ちも蘇らせて鳳は強く頷いた。
「向日さん、俺……お風呂沸かしてきますね!」
「お、おう。悪いな」
 思えば自分も向日と親睦を深める機会は中学の頃でさえなかったのだ。今日はいいチャンスかもしれない、と笑みを浮かべつつ鳳はバスルームへ向かった。

 一方、その頃の美咲とはひとしきり可愛らしい部屋ではしゃいだあとはホテルのラウンジに出向き、カクテルを傾けて会話に花を咲かせていた。
 ラウンジの内装はビクトリア朝風に造られており、何とも豪奢な様子を美咲は痛く気に入った様子だ。
はこういう風景って見慣れてるでしょ?」
「んー……、そうだね。でもすっごく素敵。お部屋もすっごく可愛いし、ほんとに来て良かった」
 ふふ、と笑ってカクテルに口を付けると、「でもさ」と美咲が肩を竦めた。
「鳳君、と部屋が分かれちゃって不満そうだったよね。なんか悪いことしちゃったかな」
「え!? そ、そんなことないよ……大丈夫だよ」
「だといいんだけど」
 言われては少しだけ頬を染めた。鳳とあんな可愛い部屋に泊まれたらそれはそれで素敵だったと思うが……夏の旅行を顧みる限り、たぶんぜったいそういうコトになるし、隣の部屋に向日たちがいるのにさすがにそれは。と口籠もっていると美咲はなお楽しそうに言った。
「鳳君、ものすごく紳士的なんだね。ヨーロッパ風が身に付いちゃったのかもしれないけど、ずっとのことエスコートしててステキだった」
「え……? そ、そうかな」
「そうだよー! 子供の頃の鳳君知ってるから、今日はすっかり大人になっちゃったなーって感心しちゃった。岳人だとこうはいかない」
「で、でも部長と向日くん、すっごく仲良いみたいだし楽しそうだったよ」
「まあ付き合い長いしね……その分、鳳君みたいな事はしないけど」
 美咲は肩を竦めて笑ったが、それでも心底楽しそうな笑顔で、は彼女と向日の交際がとても上手くいっているのだということを確信して微笑んだ。

 その後も話は尽きることなくたちがほろ酔い気分で会話に花を咲かせている頃――。

 向日のあとに風呂を済ませた鳳は、バスローブを羽織って部屋に戻り目を瞬かせていた。
「あ……」
 備え付けのパジャマを身に着けた向日がソファに横たわって寝息を立てていたのだ。
 疲れたのかな、と思いつつ鳳はそっと向日に歩み寄った。
「向日さん、風邪ひいちゃいますよ」
「んー……」
 向日は半分寝ぼけた状態らしく生返事をし、鳳は肩を竦める。放っておいたら風邪をひくかもしれないし、かといってソファで寝るのも良くないだろう。既に23時近いしこのままでは朝まで起きない可能性も高い。
 しょうがないな、と鳳は少しだけ苦笑いを漏らして屈むと、ベッドまで向日を運ぼうと鳳よりはだいぶ小さな身体をひょいと抱き抱えあげた。

「んあ……?」

 ふわりと身体が浮く感覚を覚えた向日は薄ぼんやりと目を開けた。すると靄がかかったような視界の中で、こちらを見下ろした鳳がにっこり笑った様子が伝ってうっかり白昼夢を見ているような心地に陥ってしまう。
 いわゆる「お姫様だっこ」をされてるのが理解できたが、憤るより先に別の感覚が沸いてきたのだ。少女漫画を読んでヒロインに感情移入してしまった時のような感覚だ。
 ――うっわ、俺、女子中学生だったらコイツのファンクラブ氷帝に創立してたわ……。
 ――そんでもって抜け駆け禁止の紳士協定結んで……ってさんいんだからダメじゃん。
 そんな寝ぼけているとしか思えない思考が過ぎっているうちにベッドに下ろされて丁寧に掛け布団をかけられ、向日は重い瞼には逆らえずにそのまま目を閉じると再び夢の世界に帰っていった。
 そして、翌朝……。
「あれ、なんで俺ベッドで寝てんだ……?」
 ベッドに入った記憶がない、と起きて一番に困惑していると先に目覚めていたらしき鳳がこう言ってきた。
「向日さん、ソファで寝ていたので勝手だとは思ったんですけどベッドまで運んだんです」
「は……!?」
「いくら夏といっても風邪ひくかもしれないと思ったので……」
 やや言いにくそうに言葉を濁す鳳に、カッと向日の体温が上がった。つまり、昨夜の自分は鳳に抱き抱えられるなりしてベッドまで移動したということだ。
「くそくそ! ちょっとばかしデカイからってガキ扱いしやがって!」
 やっぱ見下されてるみたいで気分良くねえ、とひとしきりがなって何とか気持ちを落ち着かせ、すぐに顔を洗って着がえて準備をする。
 そのまま部屋を出て隣の部屋のたちと合流し、朝食を済まてチェックアウトをすれば今日は朝からランド三昧である。

 そうして4人揃ってアトラクションをこなしたり、時おり分かれてそれぞれの時間を楽しんだりしているとあっと言う間に閉園時間が近づいてきた。

「楽しかったねー!」
「おい鳳、ランド出てもそのカチューシャ付けとけよ」
「また岳人はそんなことばっか」
 人混みを掻き分けつつそんな話で盛り上がりながら何とか電車に乗り、新木場までは鳳達と行動を共にした。
 が、家が比較的同エリア内の他の三人と有明住まいのとではこの後の道行きが違っており、改めて3人に別れを告げようとしていると先に鳳の方が口を開いた。
「それでは向日さん、香坂先輩。俺は彼女を送っていきますのでここで失礼します」
 え……とが反応する前に「おう」と向日が応えた。
「じゃーな」
「じゃあまたね、、鳳君」
「あ……うん。また連絡するね」
 とっさにが声をかけると、美咲は手を振ってから向日に並んでそのままたちに背を向けた。
「俺たちも行きましょうか」
「う、うん……。でも鳳くん、遅くなっちゃうよ」
「構いませんよ。先輩を一人で帰す方が心配です」
 言われては苦笑いを滲ませつつも鳳と共にりんかい線に乗り、国際展示場を目指す。
「楽しかったね……! ホテルも素敵だったし、夕べラウンジで部長とお喋りしてたんだけど……閉店時間になってもまだ話足りなくて部屋でもずっと話してたの」
「そうなんですね。俺たちは……というか向日さんはチェックインしてすぐにお風呂に入られて、俺がシャワーを浴びて戻った時にはもう寝てました」
「そっか……」
「でも、久々……というか初めて向日さんとゆっくり向き合う機会が持ててとても良かったと思ってます」
 駅を出てから自宅への道を手を繋いで歩きつつそんな話をして、ふふ、とがゆるく笑っていると「でも……」と鳳は遠くを見つつ小さく言った。
「俺は……できればもう一泊したかったです。二人で」
「え……」
「今から……じゃ、ダメ……ですよね?」
 キュッと手に力を込められ、控えめだが熱っぽく言われてカッとの頬が熱を持った。――周りにホテルはいろいろあるし、もう一泊することは可能であるが。でも。
「で、でも……今日帰るって言ってあるし……」
 少し俯きがちに答えると、鳳が小さく肩を竦めた気配が伝った。
「ですよね……。すみません、無茶言って」
「う、ううん。でも……私は週末にパリに帰るけど鳳くんがパリに来てくれたらしばらくの間は一緒だから」
「はい。俺……楽しみです」
「うん、私も」
 そうして家の門の前まで来てそっと鳳の手を離すとは鳳を見上げた。
「送ってくれてありがとう。気を付けて帰ってね」
「はい。では……また」
 鳳は……、おそらく少し物足りなさを感じているのだろうなという表情を滲ませたが、すぐにいつも通り柔らかく笑ってくれても頷いて手を振って門の中へと入った。
 鳳と二人きりだったら、きっとそれはとても楽しかったのだろう。けれども美咲や向日たちと過ごせて本当に楽しかったと思う。
 これから先このような機会が持てるかは分からないのだし、本当に行って良かった……と微笑みながらはそっと玄関のドアを開けた。



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