二学期――。
 去年のこの時期は国体でばたばたしていたが、今年は神・仙道といった去年の神奈川主力のメンバーが引退したことを受けて高頭は例年通りの海南単独での出場を決めた。高頭にしても新チームの実践の場数を少しでも増やしたい意図が見て取れ、当然の采配とも言える。

 しかし。神まで引退するとは……と新学期の昼休み「のんびりできる昼休みは慣れない」と笑う神と昼食を取りつつは思った。
「神くんが引退しちゃうなんて……、大学でバスケはやらないの?」
「うーん、多少は迷ったんだけど……オレの場合、スリーの成功率を維持するには毎日500本のシューティングが欠かせないからね。どこかで区切りを付けないと、物理的に無理だよ」
「せめてウィンターカップまでとか……」
「それだと受験に間に合わないからね」
 ははは、と神が肩を揺らす。成績優秀な部類の彼は海南大への進学ではなくもっと難関を目指すということなのだろう。にしても、と紙パックのジュースをストローで吸っていると、小さく神が笑う気配がした。
「仙道が引退するって言うからね。オレも最高の試合ができて、最高だった中で終わりにするのもいいかなって思ったんだよね」
「仙道くんも……どうして引退なんて」
 もったいない。と零すと神は肩を竦めた。
「流川に勝ち逃げしたい、ってさ」
「――え!?」
「そのためだけにぜったい全国制覇って意気込んでたらしいからね。オレはその執念負けってとこかな」
 あくまで軽く言った神には絶句した。――神と仙道は仲がいい。去年の国体で思いのほか気が合ったらしいというのはも見知っていることだ。
 とはいえ……と若干額に汗をにじませていると、あ、と神が焦ったように手を振った。
「ごめん。ちゃんがどうって言いたいんじゃないんだ。ただ……これは仙道のプライドだったんじゃないかな。天才・仙道のね」
 ふ、と笑って神が自身の顎に手を添え、は神妙に考える。
「じゃあ……もう流川くんは仙道くんにリベンジするチャンスはないのね」
「一生、ね。ま……オレは仙道の気持ちも分かるよ。それを別にしたって、オレだって得点王は抜かれたくないしさ」
 ははは、とあくまで軽く神は笑い、は少しだけ眉を寄せる。
 
 去年の国体――色んなことがあの時から動き始めた。
 もしも国体のコーチになっていなければ、流川とは付き合うどころか一生親しく口を利く機会すら持てなかっただろう。
 だが。もうそんな自分を考えられない。それに……あの国体がなかったら、神だって仙道と親しく付き合うこともなく、「最高の試合ができた」と感じることもなかったのだ。
 たぶん、全部がこうなるように進んでいて、そして過去のやり直しはできない。だからこれが正しくて、これで良かったのだ。
 いまを幸せに思う気持ちに少しだけ感傷が混じり、は高くなっていく空をそっと見上げた。


 冬――。

 神奈川県選抜予選――冬のウィンターカップは久々に海南が代表を逃し、新興勢力の緑風高校が神奈川代表を勝ち取った。そして全国でも優勝は叶わなかったものの上位まで勝ち上がり、神奈川の層の厚さと存在感を全国に見せつける結果となった。

 緑風は江ノ電沿線の裕福な私立で、徒歩圏内の近所である陵南はもとより湘北とも親しい付き合いがあるらしい。

 キャプテンを務めたマイケル沖田はNBAからも注目されている逸材というのはみなの知るところで、流川の無謀ともいえる第一志望であるノースカロライナからも誘いの声がかかっているらしく流川が「オレだって負けてねーのに」等こぼしていたのはも知っていることだ。
 しかしながら身体的ポテンシャルはハーフであるマイケルは流川より抜けているし、何より言葉の壁がないのは強みなのだろう。
 最終的にマイケルはUCLAに決めたようで、流川にしては信じられないレベルで積極的に渡米方法をマイケルから懸命に聞き出そうとしたらしいがそもそもあちらは国籍の問題もないネイティブだ。ほとんど参考にならなかった、と漏らしていたのは年明けに会った時だった。
「まあ……でも沖田くんはアメリカ国籍があるからなにかと有利だし。でも、緑風もすごいよね。克美くんなんかさっそくスカウトが目を付けてたって大ちゃんが言ってたし、さすが三井さんの後輩よね」
「……キョーミねー」
「しょ、湘北は来年、いい新人が入るかもしれないし……桜木くんももっと伸びると思うし」
 湘北は、初出場時のインターハイこそ山王を倒して話題になったが客観的な実績では全国三回戦負けである。対する海南は言わずもがな、陵南はインターハイ制覇、緑風はウィンターカップ4位という立派な成績を残し取り残されている感が否めない。
 流川個人は国体で優勝経験があるとはいえ、エース扱いされていたのは仙道であるし。湘北は宮城が引退となっていよいよガード陣が弱く絶望的だ。
 とはいえ。
「流川くんは新キャプテンなんだから。しっかりしないと……」
 取りあえず冬休みの課題を片付けるのが先だ。と雑談を切り上げては先を促した。

 そんな冬休みの最中――。
 ここ神奈川では珍しい男がどこか懐かしむように歩いていた。
 男の名は三井寿。愛知県で進学し、バスケ漬けの日々を送っている三井であるが大学は中高に比べてオフの日も長く正月休みに帰省しているのだ。
 その三井が足を向けていたのは自身の母校である武石中――卒業以来、一度も顔を出していない古巣である。
 というのも話は数日前にさかのぼる。
 ちょうど三が日も開けようというころ、自宅に湘北時代の後輩であった宮城から電話が入ったのだ。おそらく正月で自分が帰省していることを見越しての事だったのだろう。正月の挨拶に電話なんざあいつも殊勝なとこあんじゃねえか。などと思ったのが全ての間違いだった、と歩きながら三井は小さく唸る。

『アンタも少しは湘北の役に立ちたいと思うでしょ!?』

 ほぼ恐喝に近かった宮城からのそれは――、いかに来年の湘北バスケ部がヤバいかを訴えるものであった。
 今年の夏・冬ともに湘北は全国行きが叶わなかった。とはいえ湘北は元来弱小校なのだからそれでも県内での健闘は立派な成績なことに変わりはない。しかしながら宮城の懸念はそこではなかった。流川・桜木という二度とは現れないだろう素材が三年になる、そして夏には桜木もようやく元程度の選手になって活躍が見込める。彼らの最後の大会となるだろう冬の選抜にはきっと想像を超える活躍さえ望めるだろう。
 だというのに宮城が抜けたいま、肝心要のガードが弱いのだ。宮城も精いっぱい桑田を鍛えたというが、全国を戦える能力は見込めないという。それはさすがに三井も見知っていることだ。
 幸いにもシューティングガードには流川の後輩で元富ヶ丘キャプテンの吉田が育ってきて流川とのコンビネーションも良く、センターには桜木がいる。
 とにかくポイントガードさえ何とかなれば劇的に湘北は強くなる。という宮城の訴えは――武石中から誰か引っ張ってこい、というものであった。
「だからってこのオレにOB訪問要請するとはあのヤロウ……」
 ブツブツ言いつつ懐かしい武石中への道を歩いていく。自身がキャプテンとして神奈川を制したのはもう4年以上も前の事だ。そんな自分がバスケ部に顔を出したとしてどうにかなるものか。と考えている先で校門が見えてきた。
 さすがに感慨深い、などと思いつつ歩いていくと、ちょうど反対側の道からこちらを目指してくる人影がふと視界に映り――思わず三井は目を見開いた。
「――克美!?」
 その人物とは中学時代の後輩。2年前は武石中のキャプテンも務めていた克美一郎であった。声に顔をあげた克美が、「ゲッ」と反射的に声をあげた。
「三井先輩……ッ!」
「ゲッ、ってなんだよオイ。なにやってんだお前」
「先輩こそ……なにしてんですか。大学はどうしたんです?」
「いま冬休み中だ。お前、マイケルが引退して緑風のキャプテンに就任したばっかだろ? 選抜ベスト4だったからって気ぃ抜けてんじゃねえのか」
「まさか……、オレは先輩みたいにすぐ調子乗ったりしないんで」
「あ!? 相変わらずクソ生意気なヤツだなテメーは!」
「それよりどいてもらえません? オレ、バスケ部に用があるんで邪魔しないでください」
「は……!?」
 お前もか、というと「え?」と克美が目を見開いた。
 聞けばどうやら彼は彼でOB訪問に来たらしく、事情を聞いて三井は笑った。
「なんだよ、選抜ベスト4でもリクルート難航してんのか!」
「笑い事じゃないですよ……。まあうちは新興ですし、選抜で実績あげても海南とか陵南ほどの知名度は望めませんからね」
 聞けば緑風は既に秋に目ぼしい選手に推薦を出していたが、まだ色好い返事を貰えていないらしい。推薦と言えど手続きを踏まなければ入学できないのは三井も知るところであり、私立高校の推薦願書締め切りが迫っているいまOBの克美自ら直談判に行くようマネージャーである藤沢恵理から要請されたという。
「けどお前んとこみたいな金持ち校が推薦出しても来ねえような奴らがうちに来るかっつーと……正直考えられねえけどよ」
「まあ目ぼしいのは海南に行くでしょうからね。けど……湘北は流川もいるし、今年は要注意だとは思ってますけどね」
「つーか武石中はどうなんだよ。今年の3年は」
「さあ……オレが3年だった時に1年だった連中ですからね。シュートうまいのはけっこういましたけど。ガードは……どうだったかな」
「まあうちは伝統的にシュートはうめえからな」
「ですね」
 オレとか、と二人の声が見事に重なり、互いに睨み合ってからプイとそっぽを向く。
 ったくかわいくねえ、と悪態をついていると数年前までは気の遠くなるようなほどの時間を過ごした体育館が見えてきた。
 懐かしい、と感じる思いは克美も同じだったのだろう。いやでも記憶がよみがえってくる。思わずちらりと克美を見やった。
「三井先輩、三井先輩ってうるさかったよなぁお前」
「そ、そりゃ……あの頃の先輩は尊敬に値する人でしたからね」
 苦み走ったような顔をする克美に肩を揺らし、聞きなれたバッシュとボールの音がする体育館の扉に手をかける。

「チューッス!」

 すれば何事かといっせいに視線が三井達に集まり……ちらほらと「キャプテン!?」「克美先輩!」という声があがった。さすが仕方ねえか、と三井が多少の居心地の悪さを覚えていると、ジャージを見にまとった中年の男性がこちらに歩み寄ってきた。
「克美……! それに……三井か!? どうしたお前ら二人そろって」
「監督……!」
「監督……ご無沙汰してます」
 克美の声は跳ねたが、三井は自身の不義理さを重々承知しているために声色に後ろめたさが混じってしまう。
 目線まで自然と下向きになっていると、はは、と軽い笑い声が先方から漏れてきた。
「愛学に進んで頑張っているそうだな。大学バスケは大変だろうが、今もお前がバスケを続けていることを嬉しく思うよ」
「……ありがとうございます」
「ところで、何しに来たんだ?」
 さっきも聞いたが。と彼の目が三井と克美を交互に見やり、思わず三井は克美と顔を合わせる。
 へら、と先に克美のほうが笑みを浮かべた。
「いやちょっとOB訪問というか後輩の様子を見に来たらたまたま三井先輩と会っちゃって……」
 その言い分に三井はため息を吐いた。
「回りくどいんだよお前は。あー……その、監督。単刀直入に言いますが高校の後輩に頼まれてできるガードを引っ張ってこいと。誰か目ぼしいヤツいませんかね?」
「あ、ズルいですよ先輩! 監督! 緑風にも誰か人材をですね……もちろん公立と違ってうちは授業料免除等の好待遇なんで」
「オイ! その“公立”ってのは湘北のこと言ってんのか!?」
「公立は公立じゃないですか。まあ湘北ももちろん含まれてますけど。そもそもわざわざ湘北に行くメリットってなんなんです?」
「そりゃ……その」
「安西監督はご高齢だし、いくら流川がいるって言ってもすぐ引退ですからね」
 肩を竦められて、三井は言い返そうとしたが克美の言う事も一理どころか三理くらいはあるためグッと堪える。すれば言い合いを聞いていた監督が頷きつつ笑った。
「なるほどな。……じゃあお前ら二人も混じっていま残ってる3年と試合して雰囲気見てみるか?」
「は……?」
「バッシュは持ってきてるんだろ?」
 そうしてあっけらかんと言われ、三井と克美は顔を見合わせる。
 部員たちがどよめき、百聞は一見に如かずとばかりに急遽練習試合と相成った。


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