新年早々、えらい目にあった――。
 と、はシャワーを浴びて身支度を整えると、台所に向かった。
 幸いにも紳一も諸星もまだ起きていないようだ。不幸中の幸いというヤツだろう。
「さて、と……」
 なんと言っても今日は元旦。
 叔母にも頼まれているし、食事の用意をしなければならない。といっても、全て叔母が用意してくれているだけに新年用の食器等々を出して盛りつけるだけなのだが。
 おおよその食器を出し終わり、冷蔵庫から叔母作のお節料理を出して取り分けようとしていると、こちらもシャワーを浴び終えたのだろう。ヒョイと仙道が顔を出した。しっかりいつも通り、髪まで立て終えている。
「おお、お節か……! うまそうだな」
 さっきの今だけにいかんともしがたい感情も沸いたが、ふぅ、と一つ息を吐いてからも仙道の方を見上げた。
「うん。叔母さんがいろいろ用意してくれたの。仙道くん、なにか好きなものとかある?」
「んー……、そうだな、数の子とか」
「あ、私も好き!」
 美味しいよね、と相づちを打てば、なお仙道はニコッと笑う。
「子孫繁栄の縁起物でもあるしな」
 とたん、まーたこの人は、と目線がジトッとしてしまう。その通りではあるのだが、たぶん変なこと考えてるんだろうな、と半ば呆れて気にせず作業を進めようとお節の方に視線を移すと、フワッ、と後ろから抱きかかえるようにして仙道が抱きついてきた。 
「な、なに……?」
「いーや。なんか新婚さんみてーだな、と思って」
「え……ッ」
 何を言い出すのか、と振り返るも、振り返った先で仙道は常以上にニコニコしており――も苦笑いを漏らして、自分を抱きしめる仙道の腕に手を添えた。
 やはり、一緒に朝を迎えるのは初めてだからか、少しくすぐったい。
 そのまま二人で笑い合ってじゃれ合ってしばらく。居間の扉が開く音がして、ハッとは仙道から離れた。すると少し間を置いてキッチンに顔を出したのは、既に身支度を整えている諸星だった。
「大ちゃん……! おはよう」
「よう、。それに仙道、起きてたのか。部屋にいねーからどこ行ったかと思ったぜ」
「ハハッ、ちょっと早く目が覚めまして……」
 仙道はしれっとそんな風に言い、としては「心臓に悪い」と鼓動をイヤな音で高鳴らせながら浮かべた笑みを引きつらせた。
「正月の準備か?」
「うん。あとは並べるだけなんだけど」
「屠蘇作ったか?」
「あ、やってない」
 そうして諸星が台所に入れば、こういったチームワークはと諸星の方に一日の長があり、すぐに仙道は茅の外だ。が、「ボサッとすんな!」という渇が飛び、3人で床の間のある座敷に料理を運んでおおよその準備が終了した頃――、ようやく紳一が姿を現して、さっそく諸星の怒声・新年第一号が飛んだ。
「テメーなに重役出勤してんだ!? オレたちゃ帝王の小間使いじゃねえんだぞ!?」
 しかし。新年早々乱闘騒ぎを決め込むわけにもいかず、無事に並んだ料理の前に四人は腰を下ろして、改めて互いに向き合った。

「えー……。それでは、新年あけましておめでとう」
「おめでとう」
「おめでとう」
「おめでとうございます」

 重役出勤だとケチつけられようとも紳一が音頭を取り、全員がそれぞれにお辞儀をして互いに挨拶を述べた。
「オレ達は部活も引退して今年は大学に進学となるが……。そうだな、お前ら、今年の抱負はなんだ?」
 紳一がそう切り出せば、諸星は腕を組んでふんぞり返る。
「オレはなんつってもユニバーシアード優勝だな!」
「その前に深体大のスタメン取る方が先じゃねえか?」
「ウルセー! スタメンなんざ既に決まったようなモンだろうが! そんなのは抱負じゃねえ!」
「けど、現実的には諸星さんにとっては再来年のユニバーシアードが大きな山ですよね」
「いいんだよ、再来年は、全日本のキャプテンとしてっつー前置きが付くからな!!」
 相変わらず諸星の目標設定は高い。諸星らしい、とは微笑む。
「頑張って。大ちゃんならぜったいできるよ! 再来年のユニバーシアードは日本開催だもん、大ちゃんが日本チームを率いて優勝するところ、私も見たい!」
「おう、任せとけ!!」
「おいおい、来年どころか再来年の話をしてどうすんだ? 今年の話をしろ、今年の。――で、、お前はどうなんだ?」
 急に紳一に話をふられて、は瞬きをした。抱負か……と考えを巡らせて少しばかり唸る。
「……学年主席をキープすることかな……」
 出てきたのは何の変哲もない言葉で、は少しばかり自分に落ち込んでしまった。けれども今さら、諸星のように世界を目指す、とは言えないのだし。と肩を落としていると、諸星の視線が仙道の方へ向かう。
「お前は?」
「え……?」
 仙道にとっては、人前で目標設定を宣言などというのは苦手そのものだろう。僅かに眉を寄せて笑って誤魔化そうとしていたが、相反するように諸星の視線は鋭くなっていった。
「お前の抱負はなんだ、仙道?」
「いや、その……」
「"インターハイ優勝"じゃねえのか、ああ!?」
 途端、さっそく諸星の新年第二の怒声が飛んで、ハハハ、と仙道はなお誤魔化すように笑っている。
 けれども。インターハイ制覇か、とが仙道を見上げると、視線に気づいたのか仙道は口元を緩めた。
 ドクッ、と不覚にも心臓が脈打っては自身に驚いた。
 インターハイ優勝。仙道に押しつけるような真似はできないけども。でも、見たいな。と思いつつも笑みを返した。
 紳一の手前、やらないが。ちょっと今、くっつきたいくらい嬉しい。
 なぜだろう? と巡らせるも、は「そうか」と理解した。新しい年を、大事な兄代わりである紳一と、大好きな幼なじみである諸星、そして仙道という自分にとって一番身近で何ものにも代えがたい3人とこうして迎えて過ごせているからだ。
 きっともうこんな偶然は起こらないかもしれないが、今年の年越しは一生忘れられないだろう。
 できれば、来年も、その先も――、一緒に新しい年を迎えられたらいいのに。とはなお笑みを深くして仙道を見つめた。


「じゃあ、牧さん。諸星さん。お世話になりました」
「おう、しっかり親御さんに顔を見せて来いよ」
「明日の練習、遅れんなよ!」

 朝の食事を終えて一息ついたあと、仙道は東京の実家に帰るべく紳一と諸星に挨拶をしてから牧家の玄関をくぐった。
 表まで見送りにいく、ともその後を追う。
 元旦は、彼らバスケットマンが一年で唯一バスケットから解放される日だ。
 仙道にしても、さすがに元旦に帰省しないというズボラは許されず、今日は実家に戻って明日の朝に自身のアパートに戻ってから稽古始めに行く予定だ。
「じゃ、ちゃん。色々サンキュ」
「う、うん」
 大晦日はドタバタと予定も狂ったりしたが、何だかんだと一緒に過ごせたし、良かった、と思い返してを見やると少しだけ浮かない顔をしている。
「どうした……?」
 なにか言いたげな顔だ。訊いてみると、ハッとしたようには首を振るった。
「な、なんでもない!」
「なんでもなくない、って顔に書いてあるぜ?」
 軽く笑って言い返すと、は「う」と言葉を詰まらせてから少しだけ目線をそらした。目尻がほのかに赤い。
 本当にどうしたんだ? となお仙道は瞬きをすると、は目線はあげずに地面の方を向いてしまった。
「さ……、寂しいな、って思ったの、仙道くんが行っちゃうの」
 うっすらと頬が赤い。か細い声で言われて、仙道は思った。勘弁して欲しい、と。
 次の瞬間には持っていたスポーツバッグを手放して思い切りを腕の中に抱きしめており、わ、とが声を漏らした気配が伝った。
「まいったな……、そう言われちゃどこも行けねえ」
「そ、そういうつもりじゃ……!」
 慌てたようにが否定し、しかし自分のコートの裾をキュッと握られて、赤い頬のまま見上げてきたの頬に仙道は手を添えた。
 そのまま、互いの唇をついばむようなキスを繰り返して、微笑みあってからまたキスを重ね――、互いに身体が熱を持ったのを自覚したまましばし抱き合った。
 もう帰省やめて、このままアパートにを連れて帰ろうか。と思うも、そんな提案は確実に却下されるだろう。一瞬だけ浮かんだ考えはすぐに捨てて、仙道はの額に一つキスを落とした。
「今年こそ二人で過ごそうな、大晦日」
「……うん……」
「冬休みはずっと部活だし、どこも行けねーけど……。休みあけたら連絡するから」
「うん……」
 そうして仙道はゆっくりとから身体を離すと、自身のスポーツバッグを拾い上げて背負い直す。
「じゃ、またな」
「うん、気を付けてね」
 そうしてに手を振ればも手を振り返してくれ、仙道はそのままに背を向けて牧家を出た。

 一人になれば、いっそう寒さが身に染みるようだ。
 気を付けて、か。と、ついいま言われたばかりの言葉が浮かんでくる。
 来年、とは言わないが。彼女の元を離れる時は、もっと違う言葉をもらいたい。そうしたら、夕べの諸星への「おかえりなさい」にいちいち嫉妬など決してしないだろうに――。

 93年。いよいよ、最終学年へ向けての年が幕を上げた。
 来年の今ごろは、どうしているのだろうか。
 自分のバスケット選手としてのキャリアは――と浮かべつつ仙道は首を振るった。鬼が笑う、というヤツだ。
 ま、けど。いい年になるといいな、とすっきり晴れた空を見上げ、仙道は駅への道をゆっくりと歩いていった。



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