後半開始早々、小菅のスリーポイントが決まり、スコアは41−41の同点となった。

 唖然とする陵南ファイブをよそに、海南勢は互いにハイタッチしながら自軍のコートへと戻っていく。
 小菅もまた、駆けながらホッと胸を撫で下ろすと共に自信も得ていた。ポイントガードとして、ゲームを勝利へ向けてコントロールするための「勝負」に自ら出た。フリーで打てれば自身のスリーにはそこそこの自信を持っているとはいえ、外れていればカウンターをくらう恐れもあったのだ。今日の自分は、調子、そしてツキともにいい。流れは海南にある。そう確信して頷き、向かってくる陵南勢を見据えた。

「完全に狙ってたな……、開始と同時に同点にする。きっちり決めてくるあたり、海南のガードとして小菅は随分と成長した」
「もともと、シュートのうまいガードだったけど……、今のは、凄いね」

 紳一とも息を呑む中、エンドライン付近でボールを握りしめていた仙道は、ふう、と息を吐いた。
 分かっていたことだが、すんなり勝たせてくれるほど、王者の看板降ろしは甘くはない。
「落ち着いていこう! 後半はいま始まったばかりだ!」
 顔をあげてみなに呼びかければ、みなも深く頷く。
 そうして仙道はスローインしてボールを植草に渡し、海南ゴールを目指した。
 この試合、攻守ともに植草の負担が大きすぎる。170センチそこそこの彼にとって小菅は10センチほどミスマッチで守るにしろ攻めるにしろ通常より多く動かなければならず、また、まだ慣れていない「総攻撃」オフェンスで神経もすり減らしているはずだ。しかし、植草の代わりはベンチにはいない。
 越野にしても、相手は清田。外から越野が打とうとすれば、飛んできて阻まれてしまう。
 やはり、ここは一本、自分が返さなければ――と仙道は真っ直ぐ神を見据えた。海南のインサイドはゾーン。だが、と目線を鋭くする。
 その脳裏に、なぜかふと去年の決勝リーグでのとの会話が過ぎった。

『そっか、あっちの会場にいないと思ったらこっちを見てたのか』

 初戦の武里戦に勝利して別会場に移動した先で、彼女を見つけた時のことだ。

『と、当然でしょ! 私、海南の生徒なんだから』
『ははは、ま、そりゃそーか』

 湘北VS海南の試合を見ていたに声をかければ、彼女はそう答えた。自分の試合を必ず見てくれていた彼女は、当然のように陵南と武里の試合には姿を現さず、当然のように海南の試合を見ていたのだ。
 そして、自分は次の試合である海南VS陵南戦を見据えて彼女にこう言った。

『さすがに海南戦はちゃんからの応援は期待してねぇから』

 ――それは、本心だった。
 だが、いまは――? いま、自分はそれを言えるのか……?
 一週間前の決勝リーグ一戦目、湘北と戦ったとき、「来るわけない」と理解しつつも会場で彼女の姿を探してしまっていた。そしてやはり、海南の試合会場へ行ったのだと確信して、肩を落として自嘲した。
 彼女は海南の生徒で、神奈川の帝王・牧紳一の従妹。仕方がない、と、海南よりこちらを優先して欲しい、など言えるわけもない。
 だが……と仙道はインサイドを睨む。
「神……!」
 自分だって、の前で負けるわけにはいかない。

『"私が出たほうがマシ"って思わせたくないな、ってさ。時々、思ってると思うんだよね。ディフェンス抜かれた時なんて、ちょっとした恐怖だよ』

 ふ、と過ぎった神の声を掻き消すように仙道は植草から受け取ったボールを一度強く手で押さえつけた。
 インサイドは3人。チラリとコートを目の端で捉える。福田・菅平に繋げられるか、それとも外の越野に渡すか。――いや、やはりここは自ら行かねば、と仙道が左ウィングから一気に踏み込めば、一番手前にいた神が腰を落としてピタリと張り付いてきた。無意識にフェイントのモーションを出してみるが引っかからない。
 く、と仙道は歯を食いしばった。やけに大きく床とバッシュのこすれる音が響く。神を抜いても、あと2人いる。神の先に待つ2人との距離と、ゴールまでの位置を頭に正確にイメージする。右か、左か。――右だ、と一気に足を踏み出した仙道は、一度ロッカーモーションを入れてフェイントをかけ、二足目で神を抜いてボールを左手に持ち替えるとそのままゴール下の2人に向かった。

「おおお、抜いたッ!!」
「仙道、突っ込んだああああ!!」

 ワッと会場が沸き、仙道はそのまま床を蹴って跳び上がる。
 ナメるなとばかりに海南ゴール下の田中・鈴木がブロックに跳び上がったが、仙道は引きつけるだけ引きつけて、一度掲げた手を慣れたようにいったん戻してレイアップの姿勢を取った。

「うおおおお、ダブルクラッチッ!!」

 そのまま2人をヒョイと避け、あわよくばファウルを奪ってゴールをも奪う。――はずだった。が。
 トン、と後ろからボールを弾かれ、あまりに予想外のことに仙道は空中で目を見張る。と同時に、審判が笛を鳴らす音がけたたましく響き渡った。

「ディフェンスッ!! 白・4番!!」

 ドッ、とさらに観衆がうなり声を作った。
 着地と同時に振り返ると、少し肩で息をしながら神がしてやられたような表情を浮かべていた。
「残念、チャージング取られたか」
 あっけに取られていると、他の海南勢が神を取り囲んで「ナイスディフェンス!」などと讃えている。追いつかれるとは、完全に想定外だ。
「青・4番、フリースロー!」
 審判の声にハッとして、仙道はフリースローラインに向かう。
 完全に抜いたと思っていたが――。いや、抜いたが、ダブルクラッチを仕掛けたせいで自分の動作がワンテンポ遅れた。その隙に追いつかれ、更に神はダブルクラッチを読んでいたのだろう。ダブルクラッチの際は打点も下がる故に、神のジャンプ力でも対応されてしまう。
 仙道は唇を引いた。
 神もまた、去年からだいぶん選手として力を伸ばしている。それに、こちらの動きもしっかり把握しているようだ。

「ツーショット!」

 考えあぐねながらも仙道は2本のフリースローをきっちり決め、攻撃は海南に移った。

「神はよくアレをブロックできたな……、仙道がダブルクラッチでくるのを読んでいたのか」
「でも仙道くん、たぶんバスケットカウント狙ってたよね、いまの」
「ああ。だが1対3でバスケットカウント狙うほうも狙うほうだがな。フリースローでも御の字だ」
 観客席で紳一とは神のブロックに驚きつつも、仙道の強気な攻めに肩を竦めていた。
 2人がコートを見守る中、海南はこの攻撃で清田がミドルを決め――、まるでやり返すように陵南は上手くフリーになった越野にフィニッシュを託した。
 海南はきっちりインサイドを固め、また、陵南の攻撃パターンにある程度対応できたのか前半のように出し抜かれる場面は減った。
 陵南はそれに対し、やや攻撃を外に広げ始め、すればミスも嵩んで前半ほどは有利に試合を運べていない。
  そうして再び一進一退の攻防が続き、点差が開かないままに時間だけが過ぎていく。試合が劇的に動くのは終盤が常とはいえ――残り5分を切れば、格段に一点の差は重くチームにのし掛かってくる。

「疲れてるな……」

 ターンオーバーの目立ってきた自分のチームを見て、田岡は小さく唸った。
 数試合連続でさえオールコートで駆けられる体力を備えた彼らだというのに。初の優勝がかかった一戦・オフェンスの初披露等々の不確定要素がやはり肉体的疲労として出てしまっている。
 その点、海南はいつもの海南と相違ない。これが「経験」の差なのか。インターハイまでに克服しなければならない大きな課題の一つだ。

「越野! 植草! しっかりパス回していけッ! 最後まで気を抜くなッ!」

 声がけする先で、海南ディフェンスは益々タイトになり陵南の足が止まる。
 ボールを保持していた越野は攻めあぐねて仙道に回した。時間はあと3分近くある。スコアはこちらの2点リード。慌てることはない。攻撃の持ち駒だって自信はあるのだ。有利なのはウチのはず。なのに、なぜ海南は冷静でいられるんだ? と序盤からまったくパフォーマンスの変わらない海南にいっそ恐怖する。
 仙道もまたボールを受け取り、く、と息を詰めていた。
 連覇のかかった試合で、試合終了が迫り、陵南ボールで2点ビハインド。なのに眉一つ動かさない、と自分の相手――神を見やる。勝ちたくないなどと、彼が思っているわけがない。その意志の強さは、よく知っているのだ。自分にはない強さを、よく知っている。と意識した時、ドクッ、と心音が響くのが身体に伝った。

「良いぞ、神ッ!」
「ナイスディフェンス! キャプテン!!」

 海南陣営が神のタイトなディフェンスを讃える。よく鍛えられているのが分かる、良いディフェンスだ。
 だが――、それでも。彼を抜けないと思ったことはない。と、仙道は僅かな隙を見抜いて一気に神の横を抜けた。

「うおお、速えええッ!」
「ズバッと来たああああ!!」

 ヘルプのディフェンスに捕まる前に仙道は一気にゴール下へ駆け、ブロックを避けるようにしてキレのあるリーチバックシュートを決めた。すれば差は4点になり、鮮やかなドライブを見せ付けられた観客は歓声で会場を染め上げる。

「鋭いッ! さすが仙道だッ!」
「よしッ、いいぞ仙道!!」
「あと2分!! 陵南ファイト!」
「海南! ここは攻めろッ!!!」

 残り2分弱――、スコアは69−73。4点差。両校の応援で騒がしさの増すアリーナとは裏腹に、小菅は落ち着いてドリブルしていた。
 まだ時間はある。しかも陵南のターンオーバー率があがってきている。焦る必要はない。と、チラリと清田を見やってから左ウィングの神にパスを回した。
 すると仙道渾身のドライブが決まった直後だからか、会場は異様な盛り上がりを見せる。

「おおお!!!」
「キャプテン対決!!」

 ここはやらん。と隙のないディフェンスを見せる仙道が一番警戒しているのは自分のシュートだと神は悟っていた。だからこそ、抜ける可能性も生まれる。だが――隙がない。と慎重にドリブルをしながら神は歯を食いしばった。そして、いったん足を止めてから更にシュート警戒させ、一気に仙道を抜きにかかる。
 が――抜かせてもらえずインサイドまで付いて来られ、く、となお神は唸った。目線を揺らして右ウィングに目配せする。――信長、と意識の奥で強く呼びかけた。間に合えよ、との思いで右側のゴール下へ向けてパスモーションを見せれば、ハッとしたのか清田が一気に駆け込んできて無事にパスを受け取った。
 そしてゴール下からシュートをねじ込んだ清田が2点を返せば、海南陣営がワッと沸いた。

「ナイスパァス、神さん!」

 とはいえ、陵南はまだ1ゴール分の余裕がある。じっくり30秒かけて狙ってくるだろう。
 試合は陵南に有利であっても。負けるわけにはいかない。と、海南ファイブはみなが心内で強く意識していた。神奈川の「王者」は海南なのだ。これだけは譲るわけにはいかない、と全員が厳しく陵南の動きに目を凝らす。
 神は、仙道から少し距離を取りつつもマンマークで付いていた。こういう勝負どころは、陵南は必ずと言っていいほど仙道に託す傾向にある。だから、パスは通させない、とボールホルダーの動きに注意しながら腰を落として守る。終盤に入って集中力が増したのか仙道の動きのキレが上がってきている。抑えきれるだろうか。人知れず背中に汗が伝う。
 小菅もまた注意深くコート全てに意識を巡らせていた。植草の息が弾んでいるのが見える。彼らはいつも通り仙道に託そうとするだろうか。それとも、パスで回して攪乱を狙うか。オーバータイムまであと15秒。植草が右ウィングの越野の方へパスモーションを見せ、ハッとした小菅はわざとそれを通した。神の動きがよりタイトになったのが伝わる。インサイドも、越野の仙道へのパスを意識してディフェンスの気持ちを仙道へ向けた。
 神は――、懸命に仙道へのパスコースを塞いでいる。しかし、相手は仙道。振り切られてしまうかもしれない。
 清田はどこだ? 小菅は目の端で探した。オーバータイムのカウントダウンが始まる。植草が焦れたように仙道の方を見やった。――しめた、と、小菅はその場を離れて右ウィングへと駆けた。そして、どうにか清田を振りきってパスを出そうとしていた越野の後ろからボールを弾く。

「あッ――ッ」
「越野――ッ!?」

 越野がハッとした時にはもうインサイドにボールがこぼれて真っ先に鈴木がキャッチしており、既に陵南ゴールへ走り出していた清田に向けてオーバーヘッドパスのモーションを繰り出していた。

「清田あああッ!!!」

 ドッと観客の声が地響きに似たうねりを作り出すのがコートにも伝った。
 ――このタイミングで、清田の足に追いつける人間はいない。ワンマン速攻を仕掛けた清田はそのまま電光石火の速さでレイアップを放った。

「決まったああああ! 同点!! 同点だーーー!!!」
「ナイススティール! 小菅!!」
「いいぞ清田ーーー!!」

 残り時間、45秒。周囲から響いてくる痛いほどの声を聞きながら、紳一もも固唾を呑んでコートを見ていた。
 拳を握りしめる紳一の隣で、自身、いま感じている自分の感情がどこにあるのか分からず、ギュッと胸のあたりで手を交差させてエンドラインへ視線を送る。
 その先で、仙道が肩で息をする越野の肩にそっと手を置いた。
「まだあと45秒ある。この一本、きっちり取ろう」
「お……、おう!」
 越野も強く頷いてからスローインのためにコートから出る。そしてボールを植草に託せば、この試合、陵南にとって最後となる攻撃の開始だ。
 時間いっぱい使ってこの一本を取り、きっちり守れば勝ちなのだ。ここだけは絶対に落とせない。ということは陵南の全ての選手が分かっていた。
 海南もまた、ここを決められれば負けがほぼ決まってしまう事を嫌というほど理解していた。

「死守だッ!! お前達! 仙道にパスを通させるな!!」
「ディーフェンス! ディーフェンス! ディーフェンス!」

 ベンチから高頭の声が飛び、応援席からは必死の声援が選手達に送られ続ける。
 陵南応援席もまた必死の声援を選手達に伝え、一秒一秒と終わりに近づいていく試合を見守った。

「シュートや! シュートや!」
「オーフェンス! オーフェンス! オーフェンス!」

 植草は先に越野をフロントコートに送り、自身もフロントコートに入るとドリブルしながらボールを保持しつつ、越野へと目線だけでフェイクを入れてから仙道へとボールを渡した。
 ワッ、と会場がどよめくも、託された仙道は慎重にドリブルをする。切り込んでいけば1対3。厳しいだろう。しかし、ここは1点でも欲しい場面だ。時間めいっぱい使って確実に取らなければならない。上手く菅平がスクリーンをかけられるか? 不味いな、警戒されている。と、仙道はペイントエリア付近でポジション争いをしているセンター陣を見て僅かに唇を噛んだ。
 どう攻めるか。視線を巡らせると、スッと福田がミドルポストに駆けたのが見え、ハッとして仙道は跳び上がってパスを投げた。
「福田ッ!」
 そして着地と同時にカットインを試みる。パス出しで注視のそれた神の横を抜き、パスを受け取った福田から直接ボールを貰って、仙道はそのまま一気にゴールへ向けて跳び上がった。

「ナメんなよ仙道ッ!!」
「打たすかッ!」

 が、ディフェンス2枚がシュートコースを塞いできて、仙道は空中で最高点に達したところで腕を振り下ろす。そして、ノールックでローポストまで移動してきた福田へと再びボールを戻した。
 あッ、と海南ディフェンスが目を見開き、ワッ、と陵南ベンチが歓声をあげる。

「仙道さんにはこれがあるんやッ!!」

 しかし。福田がゴール下からシュートを放とうとしたところで、右ウィングから清田が一瞬で詰めてきてシュートさせまいと跳び上がり福田の視界を塞いだ。
 放ったボールがリングに弾かれ、福田は再び跳び上がる。
 残り時間、15秒。空中でボールに抱きつくようにして自らリバウンドを制した福田は再びリングを見据えた。
 田中と神が二人がかりで仙道を抑え、鈴木は福田のブロックに駆け寄っていく。
 ここで得点を許したら海南の負けだということは、会場の全てが分かっていただろう。鈴木もまた、まるで全身でシュートを止めるかのようにしてコートを蹴り、再びシュート体勢に入った福田を全力でブロックした。一歩遅かったが、手応えはあった。
 空を切るようなホイッスルの音が鳴り響く。
 放たれたボールの軌道をアリーナの全ての人間が見守り――、ガツッ、と弾かれたと同時にどよめきさえ消し去るような審判の声がコートを包んだ。

「ディフェンス!! チャージング!」

 鈴木のファウルを宣言する声だ。
 騒然とする会場とは裏腹に、紳一たちは慎重にその様子を見守っていた。
「ファウル上等だったよね……、いまの」
「ああ、当然のファウルだ。シュートを決められてしまえば2点差。だがフリースローになれば0点の可能性も高い。しかも――」
 その後は海南ボールだ。と、紳一は腕を組んで言い下した。
 試合時間は12秒を残してストップしている。
 海南のファウルによるフリースローが福田には2本与えられ、福田は会場中が見守る中、フリースローラインに向かった。
 これが決まるか否かで、双方の戦略が劇的に変わってしまう。
 2本とも決まれば、点差は2点。海南としては延長を狙うか、スリーポイントでの一発逆転しか優勝への道はない。
 しかし、一本、もしくは二本とも外せば通常攻撃で十分逆転は狙え、選択肢が広がるのだ。

 ――決めろ!
 ――外せ!

 両陣営それぞれ無言の思惑がプレッシャーとなってのし掛かる中、福田は慎重に一投目を放った。
 が、僅かにリングからズレ――、あああ、と陵南陣営の落胆の声が辺りを包む。
「ドンマイ!」
「次、決めてこうぜ!」
 仙道たちが福田に歩み寄って励まし、福田も小さく頷く。二投目。もし外したらリバウンド勝負になる。それは危険だ。一点でもリードすれば、残り時間は12秒。こちらの有利に変わりはない。
 スッと息を飲み込んで、そして吐いてから福田は慎重にボールを投げ、全員がゴール下に移動する。しかし。ボールは今度はスパッとリングを貫いて、ワッ、と陵南陣営が沸いた。陵南に74点目が記され、スコアは74−73。残り時間、12秒。
 海南勢は最後の攻撃に備えるべく、フロント陣はすぐさま陵南ゴールに向かって走った。が、陵南は互いに頷き合ってその場に留まる。

「あたれッ! パス通すな!!」

 陵南ベンチから田岡の声が飛び、スローワーの清田はギョッと目を見張った。
 ――フルコートを仕掛けてきた。当然か、と睨みつつどうにか小菅にボールを渡せば、小菅に植草・越野のダブルチームが襲いかかった。

「うおおお、陵南、ゾーンプレス!」
「点差を守りきれるか、陵南!?」

 観客が騒ぎ立てる中、清田はヘルプに駆ける。
「小菅さんッ!」
 そして小菅からパスを受けた清田に、今度は福田と越野がプレッシャーをかけてくる。こうしてボールホルダーにディフェンダーが移動して常にダブルチームを仕掛けてくるのがゾーンプレスだ。チッ、と清田は歯を食いしばった。これではフロントコートにすら運べない。

「8――、7――」

 陵南が勝利へのカウントダウンを始めた。必然的に焦りが清田の全身を駆けめぐっていく。
「バカなにやってる! 出せッ!」
 フロントコートに向かっていた鈴木が叫びながら戻ってきて、清田は一瞬のパスウェイクを入れてパスを出した。一瞬、福田が気を取られる。その隙に清田はターンアラウンドで素早く福田の横を抜けると、鈴木からリターンパスを受け取ってなお駆けた。
「ッ――!」
 だが、植草が既にディフェンスに戻っている。ドリブルで抜き合いをしている暇はない。背の低い植草の上からなら通せるはず――、と清田は跳び上がってペイントエリアの手前で菅平と小競り合いを繰り広げている田中にギリギリのオーバーヘッドパスを出した。
 取れるか否か。清田はなお前へ向けて走る。福田も猛ダッシュでゴール下へ向けて駆け、仙道は神から注意をそらさない。祈るように駆ける清田の視界の端に、後方で小菅が駆けながら手を挙げたのが映った。ハッとして清田は自分が投げたボールの軌道を追う。
「田中さんッ――!」
 縋るような清田の声と同時に田中は菅平に競り勝って空中でパスをキャッチし、気づいたのだろう。彼はセンターラインの右端まで駆けてきた小菅へと一直線にそのままパスを戻した。

「なにッ――!?」

 バックコートバイオレーションぎりぎりだ。陵南の注意はゴール下に向いており、僅かな隙が生じた。今ならパスが通る、とボールを受け取った小菅は逆サイドのセンターライン左後方にいた神へとボールを託した。

「4――3――」

 神にパスが通り、ワ、と館内が揺れる。

「打たすなッ、仙道ーーーー!!!」

 陵南ベンチから田岡が叫び、仙道も打たすまいと身構えた。神は、スリーポイントラインの遙か後方からでも打てるのだ。
 が、おそらく、全ての人間にとって予想外のことが起きた。神は前方へは進まずにさらに後方に下がり――、仙道は瞠目した。
 まさかッ、と戦慄しつつもブロックに跳び上がる。しかし、神は視界をほぼ仙道に塞がれた状態でなおコートを蹴って跳び上がった。
 そのモーションに、会場中が更に虚を突かれる。

「フェイダウェイッ!?」
「あの位置から――ッ!」

 神のリリースに、仙道のブロックは届かない。おそらく、神自身も想定以上に後ろに跳んだのだろう。踏ん張りが利かず、着地と同時に足を滑らせて後ろへ倒れ込んだと同時に試合終了のブザーが鳴り――、一瞬、会場は静寂に包まれた。
 予想外に強く後頭部を打った神は、クラッ、と揺れる頭で審判の笛の音を聞いていた。刹那後、割れんばかりの喝采が起こって――次に視界に映ったのはダイブしてくる清田の姿だった。
「神さん! 神さん、神さーーーん!!!」
「うおおお、神―――ッ!」
「神ーー!!!」
 次いで次々とメンバーがやってきて、いてて、と頭を押さえながら上半身を起こすと、視界には「常勝」の横断幕の後ろで踊り狂う海南の部員たちの姿がはっきりと映った。

「海南大附属、18年連続優勝だああああああ!!!」
「キャプテーーーーン!!!」
「神さーーーん!!」

 惚けつつスコアボードに目を移すと、スコアは76−74。ひっくり返っている。
「よく決めたな、神!!」
 手を差し伸べてくれた小菅の手を取って立ち上がり、ホッと息を吐いてから、神は笑みをこぼした。
「良かった……、入ったんだな」
「もう神さん天才! スリーポイントの天才!!」
 歓喜する清田がばしばしと背中を叩いてきて、痛いって、などと返しながらベンチの方を見やる。誰もが万歳をしていて、高頭も深く頷いており、神はなお笑みを深くした。

「あの超長距離を……フェイダウェイで……!」
「さすが神だ、よくやった!! まったく……胃が痛くなったぜ」

 あまりの逆転劇には呆然とし、紳一は歓喜で拳を握りしめている。
 神のシュートレンジが広いことは、仙道も知っていたはず。だから、ずっと警戒して打たせまいとしていた。そして、自分のシュートエリアの広さを仙道が認識していることを、神も分かっていたはずだ。だからこそ、さらに一歩下がってフェイダウェイなどという高等技術を織り交ぜてまで打ったのだろう。仙道にブロックされる危険を冒すよりは、確率が低くとも自分の技術を信じてフェイダウェイで挑んだ。まさに日頃の努力が実を結んだと言っていい。
「仙道くん……」
 歓喜する海南メンバーとは対照的に、陵南のメンバーは泣き崩れるでもなく呆けたようにコートに立ち尽くしていた。仙道もまた、神のすぐそばではしゃぐ海南の面々を呆然と見ており、神が仙道になにか話しかけると、ハッとして、まるでいま笑顔の作り方を思い出したようにぎこちなく笑みを浮かべた。そして小さく首を振るってから、また色のない表情に戻していた。
 そうして整列して審判が海南の勝利を宣言し、挨拶を終えればまもなく表彰式が始まる。
 ――少し、嫌なことを思い出したな。と、は去年のこの日、インターハイへの切符が掌からこぼれ落ちて呆然としていた仙道の姿を過ぎらせた。
 むろん、今年はインターハイへは行ける。行けるのだが――、ふるふると首を振るう。
……?」
「見たくない……」
「は……?」
「海南が勝ったのは、嬉しいよ。でも……私、仙道くんのあんな顔、見たくない」
 いま、はっきりと分かった。去年の夏、自分はすでに仙道のことが好きだったのだと。試合が終われば、目の前にいるのはバスケット選手ではなく、仙道彰本人で。視界が滲んで、はどうにか涙を耐えようと強く手で口元を押さえつけた。

「優勝――、海南大附属高等学校」

 表彰式が始まり、盛大な拍手と共に前へ進み出て表彰状と優勝カップを受け取る神と小菅は、晴れやかで誇らしげな表情を会場中に見せていた。
 そうして準優勝の陵南以下の表彰が済んだところで、今年のMVPの発表がされる。

「それでは続きまして、最優秀選手賞――。海南大附属高等学校・神宗一郎」

 海南応援団を中心に大喝采が起こり、キャプテンコールが続く中で、神は今日で一番晴れやかな表情を観衆に見せた。

 しかしながら本人よりも清田の方がよほど嬉しそうにはしゃいでおり観衆から笑いを誘い、見ていた紳一は肩を竦めつつも珍しく表情を緩めて拍手を送っている。
「神は……、本当に良い選手になった。神のように中学での実績がさほどなく、ここまでに上り詰めたキャプテンは海南の歴史を振り返ってもいないかもしれん」
 紳一は神がレギュラーを取る前から彼の努力を買っていた分、感慨もひとしおなのだろう。MVPに続いて得点王も獲り、ダブル受賞となった神はまさに努力の結果「常勝」を守り抜いてきた海南に相応しいキャプテンの姿を部員たちに見せていた。
 もやはり、晴れやかな神の表情は喜ばしいもので、紳一と共に拍手を贈りながら薄く笑みを浮かべた。
 けれども、と陵南の方に目線を送って自然と瞳に影を落としていると、紳一の手が肩に置かれた。
「今年は、アイツも全国へ行けるんだ。また仕切り直しだ」
「うん……」
「ま、オレもなんだかんだで仙道をインターハイで見られるのは楽しみだぜ。3年目にしてようやく、だからな」
 そうだ。紳一の言うとおり、全国ではまた仕切り直し。一位通過かそうでないかの違いはシード権の有無であるが、多少不利になる程度で、去年の愛和がそうだったように実力さえ伴っていれば勝ち上がれる。
 諸星だって屈辱の県大会準優勝から全国定位置のベスト4まで進んだのだから、きっと陵南も大丈夫なはず。
 とはいえ、あの根明で恐ろしいほど切り替えの早い諸星と仙道とでは、メンタル面でかなりの差がある。全国までにどう立て直せるか――、去年の仙道の黙々と釣りに精を出していた姿を思い出して、の胸に少しだけ不安が飛来した。


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