――陵南の生徒だったら、学校で会えるのに。

 という想いを何とか抑えて、は決勝リーグ初日明けの朝、目覚めるとすぐに新聞を取りに行ってバスケット関連の記事を探した。
「――あった!」
 新聞をテーブルに広げていると、ちょうど起きてきた紳一もの横からひょいとのぞき込む。そして二人して予想以上の記事に目を見開いた。
 紙面の半分を割いて書かれた記事に使われていた写真は、仙道のダンクの写真だったのだ。
「"アリウープ・バックダンクを鮮やかに決めた陵南の仙道選手"だって……、すごい、さすが……!! 湘北に勝ったのね!」
「けっこう差が付いてるな……。まあ、陵南はチーム力のあるチームだからな」
「"海南-緑風戦は海南が王者の貫禄を見せつけたものの、緑風の主将・マイケル沖田選手はNBAも注目する若手の逸材でもあり、今後の試合に期待がかかる"だって」
 決勝リーグ初日の結果と、これからの試合日程を書かれた記事を読み下し、はごくりと息を呑んだ。――仙道のバックダンク。アリウープへのパス出しをしたのは植草だろうか? リングに背を向けた状態でパスを受け取り、さらにダンクを決めるというのは相当な高等テクニックだ。ダンクをする仙道はもちろん、パサーにも相当な能力が要求される。
 あれだけ練習している仙道なのだ。陵南のメンバー共々きっと益々巧くなっているに違いない。
 うずうず、と見たい気持ちが疼くのはきっと仙道を選手として好きだから。
 でも、ふと、会いたいな、と感じるときは――胸が締め付けられるようで、こういうときは仙道本人が好きなのだと思い知らされる。
 ふ、と息を吐いてからは少しだけ肩を竦めた。

「陵南の生徒がちょっと羨ましい……」

 が呟いている頃、陵南の体育館では朝っぱらから新聞のコピーを大量に作って大騒ぎしている彦一がいた。
「いやー、この記者さんわかっとりますわ!! ええ写真や! さすが仙道さんや! さすがでっせ仙道さん!」
 騒がれ誉められている張本人である仙道は、わらわらと新聞に群がる部員たちを横目に見つつ返答に詰まって首を捻る。結果、仙道の目線は植草の方へ向けられた。
「あの植草のパスは絶妙だったよな」
 すると植草は控えめに微笑み、その横では越野がふんぞり返って声を強めた。
「つーか、その前にパスカットしたオレのおかげだろ!」
 すれば周りの部員達も合わせるようにしてガード陣を誉め、微妙に蚊帳の外にいた福田がムッとしたような表情を晒した。
 とはいえ、ともかく、チームが良い状態なのは間違いなく、そばに落ちていた新聞のコピーを仙道はひょいとつまむ。
「海南も緑風に勝ったみたいだな……」
「だが今年の海南には帝王・牧はいない。牧さんのいない海南なんざ去年以下なのは間違いないぜ!」
 さらに越野が大口を叩けば、ムッとしていた福田の目線が鋭くなって越野を睨み付ける。「な、なんだよ」と越野がおののいて、見ていた仙道は苦笑いを漏らした。――神を甘く見るな、と福田は言いたいのだろうと察したのだ。
「ま、良くも悪くも牧さんが卒業して海南のチームカラーが変わってるのは間違いないだろうな。警戒するにこしたこたーない」
「お、おう……、そうだな!」
「今年こそ、ぜったい勝ってやろうぜ!」
 仙道が言えばみなが呼応し、試合の翌日にもかかわらずいつものテンションで朝練が開始される。
 そうして授業開始の20分前には部員たちは体育館を後にするのだが――、着替えを終えたレギュラーの3年生が共に校舎を目指して歩いていると、登校してきた生徒たちがめざとく彼らを見つけ、ワッ、と騒ぎ立てた。

「いよっ、バスケ部最強メンバー!」
「仙道、新聞見たぜ! 来週も頑張れよッ!」
「キャーーー、仙道せんぱーい!!」

 バスケ部は学校の期待の星――、という証左のような盛り上がりだ。とはいえ、レギュラー陣はどちらかといえば無口揃い。ある程度は騒がれることに慣れていても反応に困るものだ。
 仙道は、まいったな、と肩を竦めつつ、どうやら注目を浴びて嬉しくて震えてるらしき福田を見て少しだけ笑みを漏らした。
 とはいえ。新聞効果はかなりのモノだったのか生徒達の注視先は「バスケ部」というよりは「仙道」であり、校舎に入っても仙道コールが鳴りやまずにそろそろレギュラーの面々はうんざりした表情を晒していた。
「お前、流川みたいな親衛隊でも連れてくるようになったらバスケ部から追い出すからな!」
「ははは……」
 シャレになってねぇ、と越野の目線を乾いた笑みで返しつつ、仙道は首に手を当てる。福田を筆頭に、少なからず「騒がれたい」という願望のある彼らと違い、自分はいまいちそういう感覚が分からない。――などと言えば袋の鼠であるためむろん口には出さないが、とぼんやり女生徒の群れを視界に入れつつ、突如、仙道はハッとして足を止めた。
「ど、どうしたんだよ?」
 急に立ち止まって女生徒に探るような目線を入れた自分に越野が訝しむような声をあげ、我に返った仙道は「いや」と首を振るう。すると、ジーっと見透かしたような顔の福田と目があって仙道はバツの悪そうな表情を浮かべて視線を泳がせた。
 ――に似た髪型の生徒が目に入って、錯覚を起こしかけた。
 など、我ながら完全に末期である。そういえば、と仙道は陵南に入学したばかりの頃のことをふと思い出した。
 の名前も知らなかった頃――、もしかしたら同じ学校なのでは、と無意識に女生徒たちの中からを探していた。彼女と似た髪型や背の高い子を目で追って、見つけられずに。おそらくはバスケットに関係する子だと感じていたため、会場で会えるかもしれないという微かな期待はあったが、まさか海南の、それも牧紳一の血縁だったとは。
 あれから2年以上が経つが、予想以上に自分でも深みにはまっている気がする。
 顔が見てえな。声が聞きたい。などと思っても、越野の言うとおり彼女は敵陣の生徒。
 ふ、と仙道は息を吐いて小さく首を振るった。今はそんな面倒なことを考えている場合ではない。週末の緑風戦に勝てば、インターハイ出場はほぼ確実となるのだ。まずはそっちに集中、と聞こえてきた予鈴に反応するように教室へ急いだ。

 一方の海南は、バスケ部そのものが騒がれる存在であることに慣れきっており、海南の生徒も「常勝・バスケ部」という存在に慣れていることもあって、緒戦勝利への賞賛もどこか予定調和だ。
 それでも2年の校舎では清田が一人増長している図が見られ、3年の校舎でもそれぞれの面々に男女問わず激励の声が飛んでいた。

「昨日の試合、見たぜ!」
「神君かっこよかったーー!!」
「この調子で今年も優勝頼むぜ!!」

 朝練あがりの神や小菅たちはその声援に笑顔で応えつつ、当然のように「今年も優勝」を期待されている無意識かつ無遠慮なプレッシャーを肌で感じ取っていた。
「そういや、陵南は湘北に9点差だっけか? 陵南が強いのか、それとも今年の湘北はたいしたことないのか……。神、どう思う?」
「うーん……、湘北が弱いってことはないと思うけどな。流川・宮城、それに本調子じゃなくても桜木もやっぱり要注意だし。新聞見る限りじゃ、仙道の調子が良かっただけかもしれないよ」
「どっちにしろ今年の湘北、まともに見てねーからなー。お前、ちょっと探りいれとけよ。福田とか仙道にさ」
 仲いいんだろ? と小菅に言われ、うーん、と神はなお唸る。
「たぶん、まともな答えは返ってこないと思うな……」
 黙してかわす福田と笑って誤魔化す仙道が浮かび、苦笑いだけが神の口から漏れた。
 しかし、仙道――。同学年だけあり、1年の頃から彼のプレイを見ているが、2年次には紳一レベルまであがってきて、国体の時には諸星に勝るとも劣らない攻撃範囲の広さを見せつけていた。
 朝から浜ランに精を出していることといい、あんな天才が海南クラスの努力を続けているとしたら手が付けられない。今夏はどれほどの選手に成長しているのか、考えただけで恐ろしい。が、バスケの良さはチームプレイにあるのだ。ポジションが被っている以上、仙道との直接対決も避けては通れない。けれども、自分だってやれるはず――と昨日の緑風戦を思い出して神はグッと拳を握りしめた。


 次の一戦に勝てば、ほぼ間違いなくインターハイ進出が決まる。
 去年はダメだったが、今年こそ、という思いは陵南がどこよりも強いと自負している。そうだ今年こそ、と張り切る陵南の部員の一人である相田彦一は、帰宅してからも毎日熱を込めて部活での様子を家族と話していた。
 特に彦一の姉である弥生はバスケ担当のスポーツ記者をしていることもあり、話題はつきることはない。
「いやー、決勝リーグ緒戦の仙道君、ほんまカッコよかったわー。なんやのあの子、いつも私の想像を遙かに超えて凄いプレイを見せてくれるんやから!」
 似たもの姉弟、とでも言うべきか――熱烈な仙道ファンでもある姉の声に彦一も夕飯を掻きこみながら「せやろせやろ」としきりに頷く。
「仙道さんの夏にかける意気込みはそらもう怖いくらいやで! チームの状態もええし、今年は絶対全国に行って、そして全国優勝や!」
「そうなったら今年も張り切って仙道君の記事書くで! 全国にも仙道君クラスの選手はそうはおらへん。新聞にも載っとったアリウープもカッコ良かったけど、あの流川君のプレイを真似たドライブはイカしたわー。仕事忘れるとこやった」
「せやせや。ワイもあれには痺れたわ、流川君に出来ることは仙道さんも出来るいうことやからな。ところで……姉ちゃん、海南の試合はどやったん?」
 彦一が問うと、弥生は惚けていた表情を元に戻して「ああ」と思い出すように言った。
「海南・緑風戦のほうを取材にいっとったチームに聞いたんやけど……。神君と小菅君がコンスタントに点をとっとったみたいやね。特に神君はインサイドにも力入れとるみたいやで。逞しなとったって聞いたわ」
「神さんが……」
「私も何度も海南の取材に行っとるけどな、神君ほどよう練習する選手はおらんで! 牧君みたいなインパクトはあらへんけど、海南の強さの秘密は間違いなく神君や」
「そういえば、仙道さんも……、けっこう神さんを意識しとるみたいな部分が見え隠れするんやけど……」
 彦一はしばし考え込む。元々、神と交流のある福田を含め仙道も神とは気が合う仲らしく、チェックをしていた彦一であった。が、ここ最近の仙道は海南の話をふるとどうも微妙な反応をしていた。むろんライバルというのもあるのだろうが、一年の頃から仙道を四六時中チェックしていた身としては、何か違うような気もして引っかかってもいた。
 弥生が、ふぅん、と相づちを打つ。
「同学年やもんな。国体では神君・仙道君はコンビプレイで息のあったところを見せてくれとったけど……今はライバル校同士でキャプテン同士や。いくら仙道君かて意識するやろ」
 聞きながらハッとした彦一は勢いよく席を立った。そして急いで自身のデータノートを鞄から取り出し、戻ってくるとパラパラとページを開いた。
「なんやの食事中に……」
「そうか、分かったで!」
「な、なんや……!?」
 急に拳を握りしめた彦一に弥生が瞠目すると、彦一はなお力強く言った。
「こら個人的な事情かもしれへんで! なんせ仙道さんの彼女はあの牧さんの妹さんや! そら海南に対して複雑になるで、いくら仙道さんかて!」
「な……ッ!」
 その発言に今度は弥生がガタッと席から立つ。
「な、仙道君に彼女て……! それホンマやの、彦一! どこからの情報や!?」
 嵐のような勢いで姉に凄まれて、ヒッ、と彦一はおののく。いくら仙道のファンといえど、高校生相手に姉の弥生が本気でどうこう思っていたとは思えないのだが、と思わず椅子を引いてしまう。
「い、いや、ワイも確信は持ってへんのやけど……。た、たぶん間違いないと思うで……。公然の秘密っちゅーか、越野さんなんか彼女の話になるとピリピリしはじめはるし……」
「ちょっと待ちぃや。牧君の妹て……。それ従妹やあらへんか? 牧ちゃんやろ、国体でコーチ務めとった」
「ああ、そや! さんや。従妹やったかな……。まあええわ」
「そらまた……、ネタとしては面白そうやな。海南の牧君の従妹と陵南の仙道君が……」
「うまくいったら仙道さんが牧さんの義理の弟になるんやな! えらい豪華やで!」
「アホ! 気が早いっちゅーねん。けど……高校生やからなぁ、もしそれがホンマやったら複雑なんは確かやろうな」
 言って、プライベートはほっといたりや、と冷静になったらしき姉からまともな突っ込みを受け、せやな、と彦一もその話題を打ち切った。
 けれども――、越野は怒るかもしれないが、仙道がと交際していることに彦一としてはある種の憧れを抱いていた。
 そばで毎日毎日、それこそ流川並に女生徒にモテている仙道を見ているだけに、少なくとも自分が一年の時から知る限りくらいしか女の陰がちらつかない仙道は、やはり一途でカッコええと思う。
 さすが仙道さんや、と一人で震えていると、そや、と姉からさらなる突っ込みが入ってきた。
「あんたも今年はガードの控えやろ? もっと試合で使ってもらえるようがんばりや」
「ほ、ほっといてや!!」
 瞬間、全力で突っ込み返して彦一は勢いよくデータノートを閉じた。

 相田家で自分が話題のタネにされているなど露知らず、仙道はそろそろ引き上げようかと体育館で一人息を吐いていた。
 ある意味もっとも面倒だった湘北戦が終わって、いくらかホッとしている。
 手に持っていたボールを緩くドリブルしながら右サイドに歩いていくと、ふ、とリングに目配せした。そうしてペースを変えて、湘北戦でそうしたように踊るようにステップを踏み、ゴール下に入ったところで逆サイドに跳んで上体を捻ってから左手で思い切りボールをリングに叩き込んだ。
 揺れるゴールの音を聞きながら着地して、フー、と息を吐く。
 はこういうプレイがやりたかったんだろうな、などと思う。なまじ技術がある分、ある程度はイメージ通りに動けるというのに、高さやバネの話になったら身体がついていかないというのは苦痛なはずだ。
 ミニバスのゴールだったらダンクはできると言ってはいたが、と考えつつボールを拾って片づけ、体育館を後にする。
 家に帰っても一人、という生活は気楽で自分には合っていると思うものの、ある意味この特殊な環境こそが「バスケのためだけに」ここへ来たということを絶えず自分に知らしめるものだ。
 初めて湘南に来た日、に会って、なんで辛そうにバスケなんてやってるんだ、と思ったものだが――、楽しい、ばかりではいられないのも現実だよな、と自分の置かれている状況を顧みて肩を落とす。
 天才だなんだと言われても、まだなにも成し遂げていない。その上、負けても周りはチームメイトが悪かったから自分のせいではない、などと言うのだ。実際、国体で全国を制している以上、陵南が神奈川はおろか全国で何の結果も残せなかったら益々そう言われることは火を見るより明らかだ。
 確かに、国体は楽しかった。優れたチームメイトで、面白いように良いプレイが出来て。けれどもやはり、自分が選んだのは陵南だ。自分には義務もあるし、今のチームメイトと共に全国へ行きたい。
 それに――。

『もう二度と、負けんじゃねえぞ、仙道!』
『お前はこのオレ、諸星大を負かしたんだ! 分かったか!?』

 個人的な事情であっても、やはり譲れない。諸星を超える選手にならねば――、の隣でへらへら笑ってなどいられない。
 プライドの問題かな、これは、とシャワーヘッドを睨みながら思う。こんなことをいちいち考えてしまうのも、バスケ一色のみの生活のせいだろうか。と、シャワーを終えて髪にタオルをあてつつ、ふと鏡の中の自分をのぞき込む。鏡すら屈まないと映らない自分の身体は、慣れていても日本規格ではけっこう不便だ。

『見慣れないなぁ……仙道くんが髪おろしてるところ……』
『大きいな、と思って。仙道くん』

 大きいな、とあのときのは――笑っていたっけ、と思わず仙道はあのとき触れていたの肌の感触を思い出し、ハッとして首を振るった。
 いつもは、「大きい」と独特のジトッとした目線で羨ましそうに言われることが多いため、いっそう意外だったものだ。

『バスケットしてなくても、例え365日、釣りばっかりしてても仙道くんが好き』

 やれやれ、こりゃ末期だな。と邪念に侵される自分の脳に自分で突っ込みを入れて、仙道は食事の用意をするためにキッチンに向かった。


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