――バスケット・バカ。
 という言葉があれば、これほど相応しい人物はきっと他にはいない。

 と、仙道は汗を拭いながらチラリと諸星を見やった。
 引退後の、貴重で自由な冬休みをまるまる潰して朝から晩まで他県の他校のチームのために尽力しているのだから。バスケバカでなくてなんと言うのだろう?

「サボってんな仙道!」
「は、はいッ!」

 うっかり気を抜こうモノならすぐに叱咤が飛んでくる始末だ。一瞬たりとも気が抜けない。
 特にポジションの同じ越野は徹底的にしごかれている。が、泣きが入っているものの、不思議とイヤそうではない。
 まあ、そりゃそーだ。退屈する暇など一瞬たりともありはしないのだから。と、仙道もコート上で諸星とやり合うことに集中した。

「越野! 仙道にばっか頼ってんじゃねえ! もっと打っていけ、2番だろお前!」
「う、は、はいッ!」
「よし、良いぞ植草ッ! パスはそうやって通すんだ!」
「はいッ!」

 そうして3on3にてコートを駆ける仙道たちに声を飛ばす諸星を見て、田岡もいっそ感心していた。
 全国屈指の選手が、この陵南でなぜか休日返上で付きっきりで指導をしてくれている。という奇妙さを既に彼は彼自身の存在感で払拭してしまっている。実際、朝から晩まで誰よりも熱心に動き、選手達もついていっているのだ。
 何より田岡にとってありがたく、意外だったのは――仙道が同じように朝から晩までちゃんと集中して練習を熱心にこなしていることだ。
 むろん、たびたび諸星に注意は飛ばされているが――何より楽しそうな仙道を見て田岡は目を細めた。
 仙道の実力は、既に全国屈指のレベルにある。そんな仙道の練習相手として満足いくような相手は、残念ながら陵南にはいない。仙道自身、決して愚痴を漏らしたりはしないが、どこかで物足りなさを常日頃感じていたとしても不思議はない環境だ。だからだろうか? 諸星のような実力の拮抗した相手と練習できるというのはありがたいものだ。実際、冬休みに入ってから仙道の実力はさらに伸びて磨きがかかっている。
 それに、意外ながらも当然のことなのか――、彼は仙道相手に全く「物怖じ」していない。
 仙道は、トッププレイヤーの中にあっても「天才」と呼ぶに相応しい不思議なカリスマ性がある。だからこそ、陵南のメンバーは、前の主将だった魚住も含めて仙道を精神的な支柱にしていた。仙道がいるから大丈夫だと。そうして仙道も意識的か無意識にか、仲間の絶対の信頼にちゃんと応えてきた。彼の本来の性格は、「天才」という称号に似つかわしくない、ある種の間の抜けたものであるため仲間とは打ち解けているが、それでもやはり陵南の選手達が彼を特別視していることには変わりない。
 なにせ魚住ですら、あれほど遠慮なしに仙道をがなりつけることはなかったのだから。と、今も仙道に大声を飛ばしている諸星を見て田岡は腕を組むと肩を竦めた。
 1年生の時からそんな環境に身を置いていた仙道だ。天才といってもまだほんの少年。今の仙道が楽しそうなのは、練習相手として諸星が不足なしというよりは自分がしっかりしなくても諸星がしっかりしているからという理由なのかもしれない。
 確かにこんなキャプテンがいれば、頼もしい。が、無い物ねだりをしても仕方がない。やはり、仙道には主将としてしっかりしてもらわねば。と、田岡は目を光らせた。

「よーし、休憩!」

 田岡がそう宣言し、コート上の部員達は一斉に、フー、と息を吐いた。
 諸星も伸びをしながら、コート脇に置いていたドリンクを手に取り、ん? と周りを見やる。外は寒いだろうに、植草と越野が扉を開けて外に出ていき、眉を寄せてその後を追った。
「なにやってんだ、お前ら?」
 外に出ると、ヒュッと肌寒い風が頬を撫で――、二人は揃って諸星の方を振り返った。
「も、諸星さん」
「寒くねーのか? 筋肉冷やすと、あぶねえぞ。汗もかいてっし」
「はい。けど、ちょっと暑くて……」
 言いながら二人は汗を拭った。
 風が潮の匂いを運んでくる。体育館はちょっとした高台に建っており、一望できるグラウンドのさらに先には、湘南の海が見えた。
 ふ、と諸星は腰に手を当てて笑った。
「いいところだなー。こんだけ環境に恵まれてりゃ、釣りだのサーフィンだの脇道にそれちまうのも、まあ、わからんでもないな」
 そうして、ハハハ、と笑う。
「いいなあお前ら。浜辺でジョギングとか気持ちいいだろ?」
 言ってみれば、越野は死にそうな顔を浮かべて首を振った。
「砂に足取られてキツイだけっすよ」
 植草も苦笑いを浮かべている。
 やれやれ、と諸星は肩を竦めた。
「ガードは体力勝負だぜ? ま、けど、お前ら、スタミナはまあまあだけどな」
 すると、意外だったのだろうか。あまり表情を変えない植草も少し嬉しそうな顔をした。諸星はそこに陵南の根本的な問題を見た気がして、笑みを浮かべたままこんな質問をぶつけてみた。
「強いチームって、どんなチームだと思うよ?」
「え……? さあ」
「これはオレの勝手な持論だが……。ガード陣と、そしてフォワードがしっかりしたチームだ」
 腰に手を当てていえば、少し二人は目を見開いた。
「仙道は、ガードも出来る素質を持ってっけど、やっぱフォワードだ。だから……フォワードを支えんのはお前らの仕事だぜ! お前らが、陵南の土台だ。しっかりチームを助けてやれ」
「けど……、オレらに出来ますかね? その、全国制覇、とか……」
 ゴクッ、と息を呑んで越野が唇を引き、ふぅ、と息を吐いて諸星は越野の額を小突いた。
「全く絶対に可能性がねえなら、オレはここにいねえっての! ったく、オレがチームを勝たせてやる、くらいに思ってろ」
 しっかり越野の瞳を見据えてから、諸星は再び海の方に視線を戻した。
 もう一週間ほどこの陵南というチームを見ているが、「神奈川選抜」のような派手なチームと比べたらむろん見劣りするものの、そこまで悪いチームではない。
 ポイントガードの植草は、冷静でミスも少なく、パスセンスも優れていて良いガードである。植草・仙道とチームの軸になるべき選手がしっかりしているというのは、鍛えれば確実にモノになるチームだ。センターも経験不足ではあるが目立った欠点もないし、夏までには優秀なロールプレイヤーになるはずだ。越野と福田も穴はあるが、カバーできれば良い選手になるだろう。
 なにより、個の力はそれほど抜きんでていない陵南だというのに、チーム力が優れているという利点がある。これは、かなりのアドバンテージだ。ディフェンスも、オフェンスも、チームを中心に組み立てていけば相当に強いチームになるだろう。それこそ、全国制覇さえ夢ではないような。
 そして、何よりも、このチームには仙道がいるのだから。と浮かべて、諸星は苦笑いを漏らした。
 陵南というチームをそばで見て、そして陵南のこれまでの試合も全てビデオで観た結果、確信したことがある。それは、あまりに陵南が「天才」仙道に依存しているということだ。
 むろん、エースたる存在がチームの中心であることには変わりない。
 しかし、自分は愛和の主将でありエースだと自覚しているが、愛和の連中が自分に依存しているかと問われれば、絶対にノーである。ありえねえ、と故郷の仲間を浮かべて口をへの字に曲げる。
 海南にしてもそうだ。紳一が帝王として君臨していたとは言え、彼らは紳一を崇拝はしても、依存してはいない。
 おそらくは、あまりにも仙道が「天才」であったために起きた悲劇とも言えるだろう。自分でさえ、仙道の秘めた才能には圧倒されることもしばしばなのだ。
 けれども、バスケットとはチームで戦うスポーツ。その辺りを克服しなくては、陵南に全国への道はない。

 その辺りをなんとかしねーとな……。などと頭を掻きつつ、冬休みという短い期間はあっという間に過ぎていった。

 まだまだやり残したことはたくさんあったが、個々の技術的・精神的な弱点ともちゃんと向き合ってきたつもりだし、あとは陵南の各選手達がどう受け止めて、どう成長していくか、である。
 なんだかんだ、みな素直な選手達で最後の日曜の練習の後は諸星も少しばかりしんみりしてしまった。
 明日から新学期ということで、はやめに練習を切り上げ、諸星は田岡に頭を下げた。
「監督! お世話になりました!」
「いやなに、こっちこそウチの練習に熱心に付き合ってくれて、礼を言うよ。君は……大学は東京だったかね?」
「はい。深体大に進む予定です」
「そうか。深体大か……。日本一のチームだな」
「はい。ですから、当面の目標はユニバーシアードで優勝、世界一ですね!」
 言えば、田岡はキョトンとしたのちに、ハハハッ、と声を立てて笑った。
「君ならそれも出来そうだ。楽しみにしているよ」
「ありがとうございます」
 差し出された手を取って握手を交わし、諸星はもう一度頭をさげてから部員達の方を向いた。
「お前らも、ぜってーインターハイに行けよ! 楽しみにしてっからな!」
「はい! 頑張ります!」
 すると彼らは一斉に返事をしてから、頭をさげてくれた。
 そうして帰路につき、諸星は仙道と二人で海岸線を歩いた。
「あーあ、明日から学校かー」
「諸星さん、今日、愛知に帰るんですか?」
「ああ。たぶんあっちに着くの夜だな」
 うーん、と伸びをして諸星は一つあくびをした。年末にこっちに来たときにはどうなることかと思ったが、全く練習で手を抜かずにやったというのにちゃんとついてきてくれた陵南のメンバーは普段からなかなか鍛えられているとは思う。
 しかし。と諸星は、キ、と仙道を見やった。
「お前、オレがいねえからってサボるんじゃねーぞ!」
 すると、ハハハ、と仙道は苦笑いのようなものを漏らした。全く、マイペースとでもいうのか。どうも掴み所のないヤツである。
 けれども、やはりが見込んだだけあって選手としては申し分なく――、と考えたところで諸星はハッとした。
「そういや、お前とって……」
「え……?」
「付き合ってんだよな?」
「え? そうですけど……」
 なにを今さら。と言われて。諸星も「そうだよな」と呟いた。実はあまり二人に関する個人的なことは知らないが――、まあ、いいか、と脇に置いた。それよりも、だ。と分かれ道が見えてきたところで、立ち止まって仙道を見やる。
「お前、オレの言ったこと忘れんなよ」
「え……?」
「"もう二度と、負けんじゃねえぞ"」
 に惚れてるなら、尚さらだ。と自分で言った言葉を繰り返せば、仙道は少し目を見開いた。
「どう、ですかね。オレ、諸星さんには敵わないかも」
 少し目をそらして仙道は首に手を当てる。自信がないわけでもないだろうに、こうして本心を見せようとしないのが彼のキャラクターなのだろう。
 やれやれ、と思う。けれども、なぜか期待してしまうのは自分のエゴなのだろうか? それとも、が見込んだ男だから? 結局は自分ものように、彼に夢を重ねているのだろうか。誰よりも才能に恵まれていたのに、その才能を潰してしまった。への罪悪感が、今もまだ――と浮かべてしまって、諸星は肩を竦めた。
「"天才・仙道彰"――つっても、お前はその価値を証明してねえ。そういうヤツが日の目を見ないで終わんのは、けっこう、ハタで見てるとキツイもんだぜ。例え、本人にその気がなくてもな」
 仙道がハッとしたように瞠目した。勘のいい仙道のことだ。きっと、自分がのことも含めて言ったというのは感づいているだろう。
「陵南は、良いチームだ。鍛えりゃ、見違えるような強いチームになる。頑張れよ」
 仙道の肩を一度叩いて、じゃーな、と手を振って駆け出すと、後ろから仙道に呼び止められて諸星は一度振り返った。
「お世話になりました。楽しかったです、オレ」
 言われて、諸星はハハハッ、と明るく笑った。
「こっちこそ、世話になったな! インターハイ、楽しみにしてるぜ!」
 そうして手を振って、海岸線を駆けだした。
 引退後の置きみやげはこれで終わった。これで、自分の高校でのバスケット生活は完全に終了だ。
 明日からは、また新たなる挑戦。――世界へ、だ。
 取りあえずは大学日本一のシューティングガード、そして日本一のシューティングガードを経てアジア一、さらには世界一……。
 まさに終わらない戦いだな、と苦笑いも浮かべながら、それでも張り切って諸星は海岸線を潮風を切って走り抜けていった。


 一方の他の陵南のメンバーはほぼ全員が江ノ電での帰宅であり、みなでシートの背にぐったりともたれかかっていた。
「終わったああ……!」
「人生で一番過酷な冬休みだったぜ……!」
 疲れを滲ませつつも、彼らの表情はどこか達成感に満ちており、吐くほど辛いといっても無我夢中で充実していたことを克明に告げている。控えのガードである彦一も、この辛くも楽しかった冬休みでの練習を思いだして顔には笑みが浮かんでいた。
 とはいえ、日の沈まない時間に帰宅できるのは久々だ。家に帰って、久々にゆっくりと湯船に浸かって疲れを癒し、夕食に呼ばれてダイニングへと降りていくと、スポーツ記者をしている姉が先に座っていて彦一は少し目を見開いた。
「弥生姉ちゃん! おったんか……」
「あんたこそ、なんや珍しいやないの、久々に顔見た気がするわ」
 年末、彦一は地獄の特訓。姉の弥生は大阪に帰省やら取材やらでバタバタしており、実質ゆっくり顔を合わせるのはウィンターカップ以来だ。
「あんた、しばらく見いひん間に、ちょっとがっしりしたんちゃう? そんなに陵南の冬特訓は厳しかったんかいな」
「そら、今年のウチは本気やからな。姉ちゃんこそ、取材に追われてたんやろ?」
「そや。大阪帰ったついでに愛知にも行ってたんやけど……」
「愛知?」
「そや。ウィンターカップ終わったやろ? 有望な卒業生の特集っちゅーことで、愛和の諸星君の特集組もうかーてなって愛和に取材行ったんやけど、諸星君行方不明でなー」
 言われて、思わず彦一は吹き出していた。それはそうだろう、と爆笑を続けていると「なんやの?」と弥生に睨まれ、彦一は何とか呼吸を整えてから事の顛末を説明した。
「なんやて!? ほな、諸星君は冬休みの間中、陵南におったっていうの!?」
「そや。ついさっきまで一緒やったで」
「あんた! なんでそんな大事な情報、言わへんの!」
「せ、せやかて……姉ちゃんに会うてるひまなかったし……」
 思わず首根っこを掴んできた弥生に狼狽えていると、弥生はさらに地団駄を踏んだ。やはり、どのメディアもウィンターカップで一番目立っていた諸星に目を付けたらしいが、当の本人は大会終了後から行方不明で足取りが掴めず、ろくな取材が出来なかったらしい。
 知っていたら他社を出し抜けたのに、という弥生の横で彦一は、「さすが諸星さんや、上手いこと雑音をかわしたっちゅーわけやな」と一人関心していた。
 それはともかくも、と落ち着いたらしき弥生から冬休みの間のことを食事の肴にされる。
「そもそも……、なんで諸星君が陵南におったん? 海南なら分かるんよ。海南の牧君と諸星君は元チームメートやし」
「諸星さん、牧さんちに泊まっとったらしいで。引退後で単に観光やったらしいけど、急に陵南にきはって……ワイもようわからんうちに一緒に練習することになったんや」
「ますますわからんわ……」
「仙道さんが連れてきはったんや。たぶん、国体で仲良うなったとか、そういうんとちゃうかな」
「ああ、そういや国体で神奈川と愛知は準決勝で試合したんやったな……」
「そや! 仙道さんと諸星さんの対決はいま思い出しても興奮するわ! 練習中もあの二人はハイレベルで見てるだけで圧倒されたで!」
「ほんま惜しいことしたわ……! 仙道君と諸星君やなんて、こんな美味しいネタそうそうあるもんやないで!」
「諸星さん、ガードやから、ワイも含めて越野さん植草さんには特に目かけて指導してくれはってな。やっぱかっこええんやわ……、しかも深体大に進学して、目標は世界一って言うてはったし、こらもう愛知の星どころかそのうち日本の星にならはるで!」
「なに、諸星君、愛知内で進学やのうて深体大に進むの? ホンマに?」
「そや。さっきそう言うてはったで」
 途端、弥生の顔色が変わって、食事中にもかかわらずメモ帳を取り出してメモを取っていた。どうやらあまりまだ知れ渡っていない情報だったらしい。
「でかしたで彦一! 諸星君の進学先ゲットや! 進学先が東京なら、これから頻繁に会うようになるかもしれんし、仲良うしとかなあかんな。何度か話したことはあるんやけど……、礼儀正しいし、ハキハキした子っちゅー印象やわ」
「えらい厳しいけど、熱くて気さくでええ人やで! 天性のキャプテンっちゅーか、仙道さんも、なんやえらい楽しそうやったし、おるだけで明るうなるっちゅーか」
 言いながら彦一は笑った。
 体力的には本当につらいスパルタ特訓だったが――、去年のインターハイ予選で目の前でインターハイへの切符を失って以降、どうも気合いが乗っていなかった陵南だ。その陵南に「全国制覇」などという意識を植え付けてくれたのは大きい。
 なにより、あの「愛知の星」にとって、あれだけのスパルタ特訓は「日常」だと知れたことも大きかった。スター選手は、それだけの練習を当然にこなしているということだ。
 ならば、自分たちはもっともっと頑張らなければ届かない。そんな当たり前のことに、気づかせてくれた。
 きっと今年の陵南は、史上最強のチームになる。そんな確信が確かに彦一の中に生まれていた。


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