ディフェンスの極意って、なんだろう?

 結局のところ、地道なトレーニング、というのを度外視したら「どれだけ強い相手」と「どれだけ密に向き合えるか」にかかっている気がする。と、は自室の机で悶々と考えていた。
 実力の拮抗した相手と常に1on1ができる環境にいる。という選手は存外少ない。そういう環境をいつ頃から、どのようにして、どれくらいの時間手にすることができたか、にある程度の選手の成長はかかっていると思う。
 そう言う意味では自分と諸星、紳一は環境にも相手にも恵まれていたと言える。自分たちはディフェンスも得意だと自負しているし、マンツーどころか一対多数をむしろ得意としているのだから。
 とはいえ、「どのように守るか」を言語化したら、きっと恐ろしい統計学の論文のできあがりとなって実行するに至らないだろう。ディフェンスもある程度の才能は必要だし、案外と清田あたりがディフェンスの才能があるんだよな、などと浮かべては肩を落とした。
 動きに対する「カン」が良いとでも言うか。紳一に言わせれば、それは「経験」らしいが、むろんその通りとはいえ瞬時に反応できるカンはやはり才能の一つである。
 あとは自分が守る選手をよく研究しているか否か。シュートが得意な選手なら当然シュートチェックに入りやすいよう守るし、ドライブの得意な選手なら少し距離を取るなど事前の調査も欠かせない。
 しかし――、これを全部福田に告げても混乱するだけだろう。
 やはり何ごとも基礎から。「経験」の浅い彼は、ただ「守れ」と言われても何を選択していいか分からずに混乱し、結果抜かれるのだ。一歩ずつ、一歩ずつ。まずは「必ず右から抜く」と決めて右だけ守らせる。対応を身体で覚えさせる。そうして地道にレベルアップを目指すしかないだろう。

 来年、陵南には絶対に全国に行って欲しい――。

 けれどもこの国体が終わってまで陵南の選手に手を貸すことはできない。だから、今しかないのだ。
 福田も少しはやる気になっているようだし、練習前や練習後に時間を作って一緒にやろう。と考えつつパラパラとノートを捲る。
 反省点や予定などがびっしり書いてあるそれを見てはため息を吐いた。
 まだまだやることがいっぱいある。
 ――今日の練習試合を見て仙道の2番起用にかなり積極的になったらしき高頭は、対秋田戦を睨んで「仙道・流川のエースコンビ」という青写真を描いたらしいが……果たしてそう上手くいくのかどうか。
 かつての、ミニバス時代の諸星と自分のような連携が組めれば、などと反省会で高頭は力説して「明日は手本を見せてもらうぞ」などと言われげんなりしたが、仙道はともかくも相手はあの流川である。
 しかしながら……、高頭が仙道の2番起用に積極的になったということは、愛知戦はやはり仙道を対諸星用に2番で使う可能性が高くなったということだ。
 実現すれば心躍る待ちに待った対戦のはずだが――。果たして。

「大ちゃん……」

 いざ対戦となったら、ちゃんと見ていられるのだろうか。と過ぎらせて、ふるふると首を振るった。
 そしてノートを閉じる。明日は高頭の要望通り、いつも以上に実演しなければならないのだ。はやく寝て明日に備えよう、と一度伸びをした。


 翌日――。
 練習開始時間も迫り、高頭は大学の体育館へと足を向けた。
 脳裏に浮かぶのは、国体での戦略だ。神奈川全国制覇にあたって、もっとも危険視しているのは愛知代表と秋田代表である。
 愛知にはスター選手の諸星と怪物・森重がおり、秋田代表に至ってはそのまま山王工業である。しかしながら山王のスーパーエース・沢北はNCAA挑戦を睨んで既に渡米しており、山王自体の強さは弱まっていると言っていい。
 愛知の森重対策には花形・高砂のダブルセンター起用で既にメニューを組んで練習させているし、秋田対策にはシックスマンとして用意している流川の起用で仙道・流川、そして紳一の連携がカギになると考えている。
 流川にはフォワードとして主軸になってもらうのはもちろん、チームプレイを率先してやってもらう必要がある。そして仙道には対諸星も含めてシューティングガードでの起用を考えているが――器用な選手ゆえに問題なくこなせるだろうとは言っても本来フィールドが違うことには変わらず、少し重荷となるかもしれない。
 とはいえ、合宿に入ってから仙道は積極的にアウトサイド強化の成果を見せつけており――ガードもこなせる選手ゆえに、大丈夫だろうな、とも感じていた。
 ともかくも問題は流川である。超一級品のプレイヤーであるが、彼のような選手は神奈川選抜のようなタレント揃いの中ではむしろ使いにくいものである。
 過去に海南と湘北が対戦したときにはその圧倒的なプレイに一時翻弄されたものの、致命的に体力もなく、やや自己中心的な選手だと言わざるを得ない。

『将来的に海南の不利益になるとしても……。彼らを強くしても、構わないということですよね?』

 高頭はの言葉を思い出した。
 流川は良い選手ではあるが欠点があるということで――将来の海南を思えば彼を手助けするような真似は喜ばしくはないのだが。
 手前の神奈川優勝という目的のためにも、長い目で見れば将来の日本バスケットボール界のため、ひいては流川自身の将来のためにも、伸び盛りの今に手を貸すのは悪いことではないだろう。
 それに、をわざわざスキルコーチに選んだのはもちろん基礎能力があり、身体能力押しで基礎が欠けがちな神奈川選抜に実演して教えられると期待した部分もあるが、もっとも期待したのは、と高頭は練習開始後しばらくしてを見やって呼んだ。
君」
「はい」
 呼ばれてやってきたに、これからの練習について改めて伝えた。
「昨日言ったように、休憩明けには牧・仙道・流川のフォーメーション練習を開始する」
 言われたは微妙に嫌そうな顔を浮かべた。
 まあ仕方なかろう、と高頭は扇子を開いて仰いだ。そうして休憩終了を告げて選手達を集めると、指示を出す。
「今からガード陣とエースフォワードによるオフェンス稽古を行うが……、ディフェンスは清田、高砂、藤真、長谷川、花形の5人。オフェンスは、牧、仙道、そして……君」
 すると、ザワッと辺りがざわめいた。意図が全く分からなかったのだろう。構わず高頭は流川を見やった。
「流川、この3人の連携と……特に君の動きを手本だと思ってよく見ておくことだ。これはお前のための稽古だと思ってくれればいい」
「……?」
 解せない、という顔を流川はした。
 構わず高頭は手を叩いて指名した5人を集め、で紳一と仙道を呼んだ。
 高頭は悪びれることなく戸惑っている5人に言い放つ。

「あくまで、オフェンス側のフォーメーションを確認するためのものだ。ゴール下で、君を本気で止める必要はない。シュートに来たら、入れさせてやればいい。分かったな?」

 サラッと言い放った高頭の言葉を聞いて仙道も、紳一さえもギョッと頬を引きつらせた。
 ――あのパワフル集団が本気になればが怪我をするというオチは承知しているが。これは屈辱の極みだろう、と理解したからだ。
 特に紳一は薄々「自分、仙道、そして」と指名された時に「自分、、そして諸星」という愛知時代の3人の攻め方を流川に伝授したいのだと悟ったために、ますます頬を引きつらせた。
 少なくとも、あの頃のは圧倒的なエースフォワードで敵なしだったというのに。と唇を引いていると、ふー、とが息を吐いた。
「監督は対秋田戦を想定して、仙道くん・流川くんのコンビネーションで勝ちに行くつもりみたい。でも、二人を同時起用したら空中分解するんじゃないかって危惧もしてる」
「うん、でも……。たぶん、オレはやれると思うけど……」
「まあ、沢北くんがいないって言っても、相手は山王だからね。仙道くんが出来ても流川くんが出来なきゃ意味ないし」
 言いながら、は転がっていたボールを拾って手に取った。
「私はフォワード。お兄ちゃんはポイントガード、そして仙道くんはシューティングガードに入ってもらうけど……。監督は、なんか昔見たらしい私とお兄ちゃん・大ちゃんのガード・フォワード連携を再現したいみたい」
「やっぱりな……」
「だから、仙道くんもそのつもりでお願いね」
 言われた仙道は、うーん、と頬をかいた。
「それって、諸星さんっぽいプレイをしろってこと? オレ、どんな選手か知らねえんだけど……」
「エースは3番、と理解したうえで2番らしい動きをしろってことだ」
 紳一が言って、なるほど、と仙道は瞳を寄せながら呟いた。
 はじめるぞ、と高頭が言い――、ちらりと紳一はを見やる。先ほどの高頭の言葉、そうとうに屈辱だったに違いない。単純バカなだけに、不安だ、と感じながらため息をついた。
 だが、これは自分にとってもリハビリというか、懐かしい……と紳一はエンドラインからバックコートに入って感じた。

 今でこそカットインが主体の切り込み型ポイントガードとして名を馳せている紳一であったが、元々は典型的なポイントガードであった。
 身体も一番小さく、諸星・という仲間がいたし、何も自身が切り込んでいく必要はなかったためだ。

 何よりも懐かしいのは――、先にフロントコートに駆けていくの後ろ姿だ。
 そして両ウィングを見れば、と諸星が――いまは仙道だが――いる。

 もスキルだけは一級品だからな。ディフェンス側はタテの勝負が規制されてる以上、例え3対5でも不利すぎるだろう。さて、どうするか。と、紳一はコートを睨んだ。ディフェンスはゾーン。インサイドを固める作戦らしい。
 流川に手本を見せてやれ、と高頭が言っている以上は、3番−2番の連携を睨んでだろうが……ちらりと目線を仙道にやると、彼は小さく頷いた。
 ここはやはり、がインに切れ込んで外にパスか、と感じたところでが長谷川を抜いてミドルポストに切れ込んだ。反射的に紳一はの行く位置を先読みしてパスを出す。

「おおッ!」

 気の遠くなるような時間を共にプレイした仲だ。にしても紳一のボールがどこに飛んでくるかくらい身体が覚えており、絶妙なパスをほぼ視認せずにキャッチした。すると見物しているコート外の選手がワッと沸いた。

「通ったぞッ!?」
「後ろに目があんのか!?」

 ディフェンスは、2人。センターコンビだ。――どうせブロックしてこないなら、そのまま行ってやる、とはゴール下に切り込んだ。――ライトウィングの仙道にパス出し、という選択肢は完全に頭から消えており、シュートモーションに入ると慌ててブロックにきた2枚をかわして左手でひょいとバックレイアップを放った。

「なッ……!?」
「避けたぞ……!?」

 コートにボールの落ちる音が響き、皆が唖然とする中でボールを拾いに来た紳一が呆れたようなため息を漏らした。

「お前が流川みたいなプレイをしてどうする……」

 その声に、む、と反応した流川を見て三井が吹き出した。
 仙道は目を見開いたのちに、ありゃりゃ、と苦笑いを浮かべて――、ハッとしたは「やっちゃった」とコメカミに手をやった。
「だって、ディフェンスが棒立ちすぎて……つい……」
「お前の突破力・得点力を見せても流川にとっちゃ何のプラスにもならんだろーが、落ち着け」
「……はーい……」
 いけない、と思うも、ディフェンスは手を抜け、と言った高頭の言葉がはやり頭に引っかかっていたらしい。
 けれども流川みたいなプレイ、と言われるのは少し心外だな、と感じつつ再びポジションに付く。――高頭にしてもせっかく流川・仙道を同時起用できるのだから、コンビネーションでの相乗効果を狙ったうえで打倒秋田の切り札にするつもりなのだ。だからまず自分が仙道と合わせなければ、とは深呼吸をした。
 昔――、いくらエースフォワードだったとはいえ、諸星の方が守りが薄ければちゃんとアシストパスを出していた。
 あくまで自分が中心だったとはいえ、是が非でも自分が、などと思ったことはない。もしも秋田――山王――の分厚い守りに流川が阻まれたら、やはり仙道に繋ぐのがベター。

 一方、へのディフェンスは甘くていい。と言われたディフェンダー5人ではあるが、さすがにあっさり一本決められれば自然と動きを締めた。
 特に紳一についていた藤真は本気であり、紳一はディフェンダーの本気具合を肌で感じた。そしてを見やる。仙道にパス出ししてへのアシストを出させるのが一番容易ではあるが、それでは練習にならない。あくまで練習は3番から2番へのアシストである。
 次は決めろよ、と紳一はにパスを通した。ディフェンス三枚。ゾーンだ。

 ダム、ダム。――と、はすぐ前の清田に背を預けてドリブルをした。

 一対多数の場面でドライブイン。もっとも得意としていることだ。なにせ長年相手にしてきたのが紳一・諸星というスターコンビ。持っているスキルの数には自信がある。
 ――清田は先日の1on2での手痛い記憶のせいか、気合いが入っている。が。でも、とは一歩踏み出した。

「――ッ!?」

 レッグスルーでボールを持ち替え、2歩目で清田を追い越したはまるで踊るようなステップで曲線的に高砂・花形を抜いた。

「なッ……!?」

 なんだアレ、とギャラリーが目を見開き、ディフェンスは反応できない。そんな中いち早くハッとしたのは清田だった。
 そのままベビーフックでくる、と読んだ清田は他の二人に先立ち後ろからブロックに跳び上がった。
 が――。
 はオープンスペースにいた仙道にジャンプと同時にパスを出し――直後に空振りした清田のブロックを身体全体で受けてコートに叩き落とされる結果となった。

 仙道がジャンプシュートを放ったと同時に体育館には鈍い音が響き、その場にいた全員の表情が凍った。

 背中から落ちたは一瞬、う、と呼吸を止め――いたた、と顔をしかめていると顔面蒼白で取り乱している清田の声が聞こえてきた。
「ああああ! す、すすすすすみませんさん!! つい……!」
ちゃん! 大丈夫!?」
 しゃがんで清田が抱き起こそうとしてくれ、駆け寄った仙道も手を差し伸べてくれたが、自力で起きあがったは二人を手で制してやんわり拒否した。
「大丈夫……」
 ゴール下で吹っ飛ばされるの久々だな、と唇を噛んで痛みに耐えていると明らかに周りの空気が微妙であり、清田は明らかに自己嫌悪している。
 これが自分ではなく宮城とかだったら普通のこととして処理されるだろうに。――これだから、やりにくいんだよな、お互いに。と思いつつはディフェンス陣を見やった。
「私、平気ですから。もし吹き飛ばしちゃっても謝らないでください。勝負なんですし」
 そうしてまだ気まずそうにしている清田を見やって、ニコッと笑う。
「そのかわり、私も謝りません」
「え……?」
 決めた。自分に対して積極果敢にあたりに来れないのを良いことに、攻めていこう。せっかく紳一や仙道とプレイできるんだから、とチラリと紳一を見やると困ったような苦笑いを浮かべていた。

「さあ、もう一本!」

 手を叩いては鼓舞しながらフロントコートにあがり、コートサイドで見ていた三井は腕を組んで口元を引きつらせた。
「やれやれ、吹っ飛ばされて一段と元気にエラソーになったな」
「ていうかその前のドリブル……。なんだったんすかね、あれ。あんなの初めて見ましたよ」
 宮城が相づちを打って、うむ、とそばで高頭も腕を組む。
「タテは圧勝できても、ヨコで君を止めるのはそう容易ではないだろうな」
 そうして高頭はコート外の全ての選手に向かって言った。
「ともかく、全員、彼女をよく見ておくことだ。ドリブル、シュート、どれをとっても基礎がしっかりしている。なまじ身体能力任せで基礎が抜けやすい男子選手よりよほど教科書のような動きをする」
 そしてチラリと高頭は流川を見やった。
 流川は無言で腕を組んでコートを見据えている。流川個人の能力は抜けていても、これだけの選手が集う選抜チームにおいてはあまりチームプレイを得意としない流川を優遇する理由は一つもないのだ。まして、おそらくチームの中心となるだろう仙道と噛み合うプレイが出来なければ同時起用はできない。しかしながら、やれれば、切り札として大きな武器となる。
 そう、いまコート上の3人が見せているようなガード陣とフォワードの連携だ、と視線をコートに戻すと、仙道が切れ込んでにパスを回し、ディフェンスが跳び上がった瞬間にが仙道にボールを戻して仙道が綺麗なフックシュートを決めた。
 ものの数プレイで互いの呼吸を3人はぴたりと合わせ、複数のディフェンスでも難なくかわして次々とシュートを決めていっている。

「ナイッシュ!」

 がお手本のようなジャンプシュートを決め、3人はハイタッチをしてコート上で笑みを見せていた。
 ディフェンスは5人。そしてあの3人はフィニッシャーを仙道・の2人に絞っているのに止められない。
 ガード二人のパスセンス・ゲームメイク力が優れており、かつ2番・3番にオフェンスのアドバンテージがある場合、巧妙にパスを回すことによって個々の力は何倍にも活かされる。――高頭が仙道の2番起用かつ流川を3番に入れて狙っている効果がまさにこれだった。

「牧さんとちゃんは当然として……、仙道とちゃんもお互い相手の動きをよく理解してるみたいですね。これは、仙道がすごいのかな」

 神は、既に息のあったプレイをこなせている二人を見て感心して言った。は仙道の特長をよく知っているだろうが、仙道はのプレイ姿などあまり見たことないはずだ。その上で、すでに慣れない2番の動きが板に付いているのはさすがだろう。
 ていうか、と横から三井が口を出す。
「牧、仙道がいんのに一番目立ってんのじゃねえか!? なんなんだよ一体」
 も上手く仙道をアシストしているが、やはりフォワードという性質上6割以上はフィニッシュをが決めており、うむ、と高頭も頷く。
「"エース"だからな、彼女は」
「ええ……ッ!?」
 正確には、エース「だった」と言うべきか。と高頭は唸った。牧・仙道というタレント二人を引き連れてエース然としていられるのは身に染みついた習慣と才能だろう。
 実際、未だにスキルフルだしなと感心して見ていると、そうとうにディフェンスも躍起になっているのだろう。ミドルポストで手を挙げたにパスが通り、ディフェンスが壁のようにシュートコースを塞いだ。
 が、はそれらを横に避けるようにバックロールターンでかわした――と同時にジャンプシュートを放った。
 ディフェンスは当然間に合わず――スパッと綺麗に決まって、おお、と仙道ですら目を見張った。

「かっけ……!」

 そうしてディフェンス陣は唖然としながらも守りに戻り、へラッと仙道はに笑いかけた。
「確かにちゃんが男だったら惚れちゃってるな」
 ははは、と笑って言われたは若干眉を寄せる。が、仙道は気にするそぶりもなく、あ、と思いついたように瞬きした。
「ていうか、もう惚れてんだった」
 瞬間、ゴール下でボールを拾った紳一がボールを仙道に投げつけ、「イテッ」と顔をしかめた仙道を睨み付ける。
「無駄口叩いてねえで、とっととスローインしろ」
 ボールを手に取った仙道は一度肩を竦めるも、再びの方を向いて、ふ、と笑い、ハッとしたはパッと顔をそらして真っ先にフロントコートにあがった。
 やっぱり懐かしい。頼もしいガードが二人いて、フォワードでプレイするこの感覚。しかも――悔しいが、仙道はこちらの意図する2番として申し分ない動きをしてくれている。やはり巧い。全てがやりやすくて、楽しい。

「さあディフェンス、止めるぞ!」

 コートサイドで藤真の声を聞きながら、三井はごくっと息を呑んでいた。
「う、うめえな……! さっきのジャンプシュート、ありゃそうとう決めんのムズいぞ」
 そうして三井は衝動的に高頭を見上げた。
「監督! なんでを海南の女バスに入れないんですか!? ありゃ即エースですよ!」
「いや……。うちの女子バスケ部はサークルみたいなモンだからな……」
「じゃあ、なんでアイツは海南にいるんですか!?」
「単に牧と一緒の高校にしただけじゃないか?」
 ハァ? と、解せないという表情を三井が晒し、高頭はコートへと視線を戻す。今でこそ「海南きっての秀才」というポジションに落ち着いているだが、かつては紳一・諸星を有するチームでエースフォワードを務めていたのだ。おまけに、当然かもしれないが、自分が見たミニバスの試合のころよりも相当に上達している。確かに三井の言うとおり女子バスケ部に所属した経験がないのはもったいなくはあるだろう。
 とはいえ、あえて口にはしていないが――、は今の「ハーフ限定でのオフェンス」だからこそ何とかやれているが、もしもこのメンバーでの試合の中に投入したら悲惨なことになるのは目に見えている。彼女では男子の速攻のスピードにはついていけないし、元々インサイド主体の選手というのも相まってパワー勝負は話にならない。
 しかし――、面白い。なるほど、紳一がミニバス時代のように黒子に徹し、ポイントゲッターのフォワードとそれを補佐するシューティングガードをきっちりサポートしている。仙道も、今日が初めてとは信じられないほどよくの動きを見ており2番としても申し分ない。今の仙道−ラインが仙道−流川でできれば対秋田戦では強烈な武器になるだろう。
「流川。君のポジションに入るのはお前だ。どう動き、どう仙道と連携するかイメージして見ておくことだ」
「…………」
 流川は少々憮然としつつもジッとコートを見やっていた。
 そうして15分ほど続けたのちに、高頭は手を叩いてコート上の8人を呼び戻した。 

 ふー、と肩で息をしたはコート脇に置いてあったコールドスプレーを手にとって自身の背中にあてた。
「大丈夫か?」
「ん……平気」
 紳一の声に頷きつつ、は少し口の端をあげた。
「仙道くんは、やっぱり巧いね。特にあのパスセンス……、本当にやりやすい。欲しいところにパスをくれるガードって最高!」
「お前は本当に思考回路がこてこてのフォワードだな。だからお前、ガードできないんじゃねえか?」
「ち、違うよ! ガ、ガードはお兄ちゃんと大ちゃんの専門だから、あえてやらなかっただけだもん!」
 呆れたように言った紳一に慌ててはそう切り返した。なお紳一は呆れたように息を吐いた。
「どうだか」
 ミニバスチームに所属するずっと前から自分たちはイヤと言うほどボール慣れしていたし、自分たちのいたミニバスチームは基礎を徹底的に叩き込むスタイルで当初は特にポジションが決まっていたわけでもない。むろんが紳一・諸星よりも大きかったためにフォワードに落ち着いたということもあるが、結局は監督が適正で分けたに過ぎない。
 ドリブルの技術ならガードにも負けていないが、どうにもゲームメイク・視野の広さという点で根本的に自分はガードに向いていなかった、とは思う。そもそもインサイドプレイが得意だったし。
 ただ、ガードの二人を心から信頼していたからこそのびのびとプレイできていたし、中から外に繋げば諸星、紳一が決めてくれるという安心感もあった。むろん、二人もフォワードの自分を信頼していたからこそ良いパスを繋いでくれていたのだろう。
 そう、バスケットはチームプレイなのだ。今だって仙道は自分のオフェンス力を押し殺して「3番を支える2番」として自分をサポートしてくれていた。だからやりやすかった。自分も、ちゃんと仙道を活かそうと努めたつもりだ。
 これこそがチームプレイの醍醐味であり、やっぱりこのようなメンバーの中でプレイできる選手達が羨ましいな。と思いつつ、高頭から休憩が宣言されるとはタオルを手にとって外の水飲み場へと足を運んだ。

「あ……」

 すると先客――流川が一人で顔を洗っており、も一瞬目を見開くも歩いていって隣の蛇口から水を出すと顔を洗った。
 そうして水を止めてタオルで顔を拭い、顔をあげると――真横に流川が真顔で立っており、ヒ、とおののく。
「な、なに……流川くん……?」
 なにやら話したいことがあるような雰囲気だったが、こう大きな男が無言でそばに立っているというのはいささか不気味である。
「……センパ……いや、コーチ」
 迷ったようにボソッと流川が呟き、ああどう呼べばいいのか迷っていたのかとは納得した。――湘北の三井などなんのためらいもなく呼び捨てにしているというのに、多少は上下関係意識のある人なのかもしれない、と思う。
「よ、呼びやすい呼び方で、いいよ」
 言ってみると、こく、と機械的に流川は頷いた。それで何の用かと訊いてみると、おもむろに流川はこう言い放った。
「練習相手してほしいんすけど。1on1で。時間外に」
「――へ!?」
 思わずは素っ頓狂な声をあげた。見上げた流川はいたって真面目な顔をしており、数回瞬きを繰り返したは少し肩を竦めた。
「やめといた方がいいと思うよ……。見てたでしょ? 私、ゴール下で清田くんに簡単に吹き飛ばされる程度しかパワーないから十分に相手してあげられない」
「……んじゃ、ルール決めれば……ディフェンス抜いたら負けとか……」
「んー……、そもそも流川くんがやりにくいでしょ。女相手だと気を遣うだろうし」
 言えば、流川はきょとんとした表情を晒して解せないといった表情でガシガシと頭を掻いた。
「あー……、オレそういうの気にしないっす。たぶん、ゴール下入られたら普通にブロックするし……」
 は僅かに目を見開いた。あまり類を見ない反応に、少しだけ笑みをこぼす。
「ありがたいけど……。それじゃ私、たぶん怪我しちゃうからお互いよくないよ。ゴメンね」
 言って流川の横を抜ける。1on1の相手ならまさに掃いて捨てるほどいるだろうこの中で、なぜ自分? と過ぎらせていると、再び呼び止められては首にかけたタオルを握りしめて振り返った。
「1on1の技術を磨くより……、いまはチームプレイを磨くことに専念したほうがいいと思う。特に仙道くんとの連携は、監督も期待してるんだから」
 瞬間、微妙に流川がむっとしたような表情を浮かべ、どうにも仙道への彼のライバル意識が強いことをは改めて悟った。しかしチーム内で張り合われても困るというものだ。そもそも、先ほどなぜ自分たちが3on5をやってみせたか、ちゃんと意図が伝わっているのだろうか? と訝しげに訊いてみる。
「さっきの練習……ちゃんと見てた……?」
「……コーチの、清田にチャージングされた時のドライブインのドリブル……、あれどうやったんすか?」
 するとそんな質問を返されて、は思わず「そこじゃない!」と声を荒げた。
 パスワークを見習って欲しかったというのに、ドライブの技術に興味を示すとは。どこまでも「個」に執着してしまうタイプだ、と頬を引きつらせる。ある意味、絶対にガードができない典型的なフォワードタイプだ。ちょっと自分と似たタイプだな、とも思うものの――いやいや、と首を振るった。
 仙道を見習え、などと言ってしまえば逆効果だろうし。仲良くしろといってできるものでもないだろうし。どうすればいいのだろう、と考えあぐねていると、ヒョイ、と出入り口から渦中の仙道が顔を出した。
「あれ、何やってんだ二人とも?」
「仙道くん……」
 は扉の方を振り返り、流川は分かりやすく舌打ちをしてスタスタと体育館の中へ向かった。
「どうかした?」
「なんでもない……」
 仙道の顔を見上げながら思う。仙道はおそらく、流川が一番に活躍して自分がそれをアシストしていればチームが勝てるならそうするだろう。彼は周りの力を引き出すことに楽しみを見いだせるガード的な側面も持った選手なのだから。――いや、これは性格の問題なのか? と考えては、ハァ、と深いため息を吐いた。

 結局、その日は時間を取っても高頭も付きっきりで流川・仙道ラインを確立させようと励むもののあまり上手くいかず、練習後のコーチ二人の反省会の空気は重いものとなった。

「――10! よし、パーフェクト!」
「ゲッ、ウソォ!? 信じられんねえ、また負けかよ」

 フラフラと反省会後に小会議室を出てコートの方に向かうと笑い声が漏れてきており、は「なんだ?」と思いつつひょいと中を伺った。
 すると、もはやこの合宿ではお約束となっているのか神と仙道が居残っており――二人ともそれぞれスリーポイントライン付近に立って談笑している。
 ガラッ、と扉に手をかけると二人ともこちらに顔を向けてきた。
ちゃん!」
「反省会、終わったの?」
 うん、と返事をしながらコートに入り、なにしていたのか聞くと、ははは、と笑いながら仙道が指の上で器用にボールを回した。
「シューティング勝負してたんだ。10本中何本スリー入れられるかっての。残念ながら連戦連敗……さすが神ってところだな」
「せめてスリーくらい勝っとかないと、オレだって立つ瀬ないしな」
 神も軽く笑って腰に手をあてた。この同級生フォワードコンビはすっかり打ち解けたらしい、とも微笑む。
「でも仙道くん、外もコンスタントに打てるし……シューティングガードでも十分仙道くんらしいプレイができそう」
「うん、オレも今日のちゃん達の3on5見てて思ったよ。仙道が2番ってのも案外いいなってさ」
「私、センターになら入れたけどガードはさっぱりだったから、ガードできるフォワードって凄いなって思う」
「あはは、オレも。元もとセンターだから3番から5番まで一応やれるはずだけど……。ガードは未経験だしね」
 そうして神と笑い合うと、仙道は居心地悪そうに頭を掻いて、「まいったな」と小さく呟いた。
 は落ちていたボールを手にとって、ダムダム、と数回突き、でも、と言いよどむ。
「流川くんがもう少し周りを見てくれるともっと強くなれそうなんだけど……。いまいち上手くいかないな……。もったいないのよね、パスを捌けばもっと良い結果に繋がる場面で突き進んじゃうっていうのは」
 流川自身は気づいていないかもしれないが。もしもこの神奈川という選抜チームの中で、仙道と流川を同時起用してなおかつ神もいるという状態だと――おそらくポイントガードは個人プレイに走る流川にはパスを回さないだろう。その辺りが、高頭が流川をスタメン起用しないと考えている最も重大な彼の失点だ。
「ま……。それが流川の個性っちゃ個性だからな……、それに、前も言ったけど牧さんも藤真さんも、オレにしたってちゃんと上手くやると思うぜ」
「……ん……」
「けど、流川は個として見たら凄い選手だけど……。これからもバスケットを続けていくとしたら、その辺は克服しないと、いずれ本人が行き詰まって降りかかってくる問題かもしれないな」
 神が少し神妙に言って、ふぅ、とは肩を落とした。
「というか、どうしてあんなに仙道くんを敵視するのかな……。一年生なのに」
「負けず嫌いみたいだもんね、流川」
「ウチの清田くんくらい素直だと可愛いのに……。清田くんだって他校はライバル視してたけど、今じゃ――」
 言いかけたところで、なにやら足音が近づいてきてガラッと勢いよくコートの扉が開かれた。

「清田信長・参上! 神さん、自主練手伝いま――、って、アレ?」

 噂をすれば影か、と誰もが思ったところで急に現れた清田は目を瞬かせた。
「仙道さん……さん」
「よう」
「どうしたの……、清田くん」
「あ、オレ、メシ食ってきたんです! 腹減ってたんで!」
 言いながら清田はコートにあがり、の方に駆けてきた。
さん、背中大丈夫っすか? すみませんでした、マジで」
「ううん、平気。気にしないで」
「ていうか、オレ、一つ聞きたかったんすけど!」
「なに……?」
 が清田に向き直ると、清田はグッと拳を握りしめてこう言った。
「あの時、オレたちを抜いたステップ、どうやったんすか!?」
「え……!」
「もう一回やってみせてください、お願いします!」
 は若干頬を引きつらせる。流川といい、揃いも揃って――などと思っていると「あ、オレも」「オレも気になってたんだ」と仙道と神も便乗し、ハァ、と肩を落とした。
「分かった。じゃあ3人ちょっとディフェンスに入って」
 言ってゴール下に3人立たせてはウイングからドリブルを開始した。物心ついた時から紳一・諸星を相手にしてきたにとって複数相手のドライブインはもっとも得意な技で、持ち駒が多い。ただ、抜いても最終的にブロックされていたからあまり意味はないが――、と中学時代の公園のコートでの苦い記憶を蘇らせつつ中に切れ込む。
 相手がスピード対応に強い場合、緩急とリズムでかわす、というのも一つのテクニックだ。ターンとターンを上手く組み合わせて多様な円を描くようにしてヒョイっと3人をかわすとそのままゴール下シュートを決めた。

「も、もう一回お願いします!」

 見切れなかったらしい清田がそう言って、はもう一度やって見せ、さらにもう一回というのを繰り返して清田が真似ながら「わからねぇ」などとブツブツ呟いてドリブルをしているのを見やっていると「そうだ」と仙道が声をかけてきた。
「オレも聞きたかったんだけど……。ちゃん、あれやってみせてよ。1on2でノブナガ君と宮城をかわしてシュートしたヤツ」
 言われて、ああ、とは思い返した。――あれは対諸星用の自分がもっとも得意としているシュートの一つだ。おそらく数回だったら複数の男子選手相手でも決まるだろう。
「いいけど……」
 言って持っていたボールを数回コートに突いた。ドリブルして切れ込んで、飛んで空中でフェイク――ダブルクラッチからのスクープショット。背面から打つことでよりブロックしにくい仕様になっている。と、慣れたシュートを打ってみるとゴールを貫いたと同時に「おお」と仙道が感心したような声をあげた。
「さすがに、こりゃ難しそうだな……」
 言いながら仙道はゴール籠からボールを手にとって数回ついた。真似るつもりだろうか? 少しだけの額に汗が滲む。

「よッ!」

 自分より遙かに高いジャンプからの迫力あるダブルクラッチのあと、ひょいっと仙道はボールを投げあげ――そのボールは見事バックボードにバウンドしてコートに跳ね返ってきた。
「ありゃりゃ……。うーん、いまいちだな」
 仙道は外したボールを見やってあっけらかんと言うと、フォームを確認するようにして数回腕を振った。
 はホッと胸を撫で下ろす。いくら何でも苦労して身につけた得意な技を、一発でコピーされたら立ち直れない。
 けれども、もしも仙道や他の男子選手が自分と同じことをやったら? 悔しいが、さぞ迫力があるのだろうな、と思う。それはそれで、見てみたい。

『……コーチの、清田にチャージングされた時のドライブインのドリブル……、あれどうやったんすか?』

 流川とももう少しコミュニケーションを取ってみよう、と考えつつは神の方を見やった。
「神くん、シュート練習まだ途中よね? 私、パス出しする」
「あ、うん。ありがとう」
 中断していた神のシュート練習を再会するためにがゴール籠の方に向かうと、仙道は未だに躍起になってドリブルをしている清田へと目線を送った。
「ノブナガ君、手が空いてるならオレと1on1やろーか」
 すると、ハッとしたらしき清田は目を丸めて声を弾ませた。
「え、マジっすか!? お、お願いします仙道さん!!」
 そうしてバッと仙道の方に駆け寄った清田を見て、と神は顔を見合わせて緩く笑い合った。
 先輩に可愛がられるというのもある意味才能の一つだよな、と思いつつ、はパス出しするためのボールを手に取った。


BACK TOP NEXT