――仙台市体育館。

 結局来てしまった、と青葉城西の制服に身を包んだは久しぶりに来る体育館を前にしてギュッと胸の前で手を握りしめた。
 自身の口頭試験の開始は午後。試験当日は脳の混乱を避けるためにテキスト類には手をつけない、もしくは軽く流し見しかしないにとって本来であってもこの時間は家でリラックスタイムである。
 ならば、と試合を観てから行くことにしたのだが――。
 試合の結果次第では自分が精神的に引っ張られるという危惧がないわけではない。
 観ない方が気になって試験に集中できない可能性もある。
 つまるところどちらにしても試合を観てから行くという選択肢しかなく。
 なにせ、どういう理由にせよ影山は及川にとっては特別な人間だ。それにやっぱり、影山自身のことも気になる。――と、頭に12歳だった頃の影山を思い浮かべつつ中に入って会場を確認し、階段をあがって観客席へと向かう。
 コートサイドに出てパッと差し込んできた光の眩しさに目を窄めていると、相も変わらず熱気に包まれた運動部特有の応援の声が聞こえてきた。
「青城……」
 ぐるっと会場を見渡せば反対サイドの端に青葉城西バレー部特有の青緑の横断幕が見え、しまった、とは少しだけ肩を落とした。また逆サイドに来てしまった、と過去にここで観戦したことを思い出しつつ思う。

「いっけーいけいけいけいけ青城!」
「おっせーおせおせおせおせ青城!!!」

 が。やはりあの集団に混ざるのは気後れするな、とは比較的空いている、というよりはほどんど人のいない烏野サイドで観ようと移動しつつ遠目にコートを観ていると、コートサイドから両チームの選手陣が出てきてワッとコートが湧いた。
 これからアップなのかな、と思ったその時。盛りあがる応援団に混じってひときわ明るい声が会場にこだました。

「及川クーーーン、がんばってーーー!!」

 複数の女性の声だ、と声のした方を見ると可愛らしい女性が3人ほどコートに向けて手を振っており、その視線の先を追えば及川が立ち止まって笑顔で手を振り返していて、一瞬は足を止めて立ち止まった。
「……」
 調子良さそうな顔だな、とか、いつも応援に来ている人たちなのかな、とか一瞬で駆け巡った思いを抑えつけるように一度キュッと唇を結んで、は会場の応援席の一番角に立った。全体が良く見える位置であるし、無意識に自分の姿を誰かに見咎められないような場所を選んだのかもしれない。
「あ……」
 なんとなく自分に近い方のコートを見やると、特徴的なオレンジのユニフォームを身に纏った少年が目につき、は数秒遅れで目を見開いた。
「あ……! ”スーパーリベロ”……!?」
 その少年は確かに一年前に見た、誰よりもギャラリーを沸かせていたリベロだ。一瞬で興味がそのリベロに移って、は思わず身を乗り出して見てしまう。
「あのリベロの人……烏野だったんだ……!」
 確か及川は彼をベストリベロ賞も取った優秀なリベロだと言っていたような気がする。
 だとすれば烏野は思ったよりも強い学校なのでは――と、はコート中央に目線を移してトスをあげているセッターに注視した。
 そしては絶句してしまう。なにやら大柄な少年がトスを出している。サラリとした黒髪は確かに見覚えがある。が。
「か――影山くん!?」
 思わず口元を覆ってしまった。
 新聞等で中三の頃の影山を見た覚えはある。が、の記憶の中の影山は、小さくて、黒目がちなくりくりした釣り目をまっすぐに前に向けたほんの幼い少年で。だというのにコートに立っている影山らしき少年は、下手を打てば高校に入りたての頃の及川よりも長身に見える。
「わぁ……すっごく大きくなってる……!」
 及川と比べてしまえば体格ではだいぶ劣っているが、それでもこれほど身長が伸びていたとは予想外であった。
 3年も姿を見ていないとさすがにこうなるか、としみじみ時の流れに思いを馳せていると、両チームに集合がかけられ、挨拶を交わしていよいよ試合開始が近づいてきた。
 そうして選手がいったんベンチの監督のところに戻っていくのを見守っていたの目に、ふと及川が影山の方へと近づいたのが見えた。
「あれ……」
 そして何やらネット越しに声をかけている。むろん会話は聞こえない。が、不遜な表情からおそらく激励ではなく煽っているのだろうなと確信しては肩を竦めた。
 「嫌い」な相手に自らああして近づいていく及川の厄介な性格は身に染みて知っているとしては及川の行動はある程度は想定の範囲内だが、果たして影山はどうなのか。
 真っ直ぐに及川を慕っていた、12歳の頃のままの影山だとしたら。

「――行くぞッ!」

 円陣を組んで仲間を鼓舞する及川は、先ほど影山と相対していた時とはまるで別人のようだ。
 別人、と言うよりはこういうキャプテンらしい顔をしている及川を見るのは初めてかもしれない。及川との付き合いはそれなりに長いし及川徹という人間を多少なりとも知っているという自負はあったが、思わずドキリと胸が騒ぐ程度にはオンコートモードになった及川は雰囲気が変わった、とは試合開始を息を呑んで見守った。
 ――烏野の攻撃でスタートだ。バレーのルールは一通り知っている。授業でやった通りは覚えているし、何よりフランス語の勉強ついでとはいえそれなりにバレーのスポーツニュースには目を通している。――ゆえにフランスのバレー事情については詳しい自負がある。
 でも、及川のセットアップを見るのはこれが初めて。及川がどんなセッターなのかは全く予想がつかない。
 烏野側のサーブだ。及川は誰にどのようにトスを上げるのか。と、青葉城西は一年生らしき選手がレセプションしたボールがセッター側に返るのをジッと見守っていると、及川は何食わぬ顔でさも当然のように跳び上がって――そしてボールを相手コートに叩き付けた。

「い、いきなりツーアタックだあああ!」

 一瞬、度肝を抜かされて静まりかえった館内が息を吹き返して沸いた。
 ツーアタック――いわゆる「ダンプショット」や「セッターダンプ」と呼ばれる、セッターがダイレクトに相手コートにボールを叩き込む攻撃だ。
 歓声を受けても及川は顔色一つ代えず、それどころか彼の目線はコートを挟んで目の前の相手に真っ直ぐ向けられている。

「ほらほら、次も同じのやるからね。ボケッとしてないでちゃんと警戒してね」

 なにか言ってる……とは顔をしかめた。
 及川の活躍を青葉城西の生徒達と一緒になって盛り上がれない事はやや申し訳なく思いつつも、やっぱりハラハラしてしまう。
 及川が得点したことでサーブ権が青葉城西に移り、松川がサーブを打った。烏野はきっちりレセプションして、は影山に注視する。――あの及川が「天才」と恐れた後輩。どんな選手なのか、と考える余裕はなかった。瞬きする間すらなく素早いトスがセンターに上がり、そのまま背の低いミドルブロッカーが流れるようなスパイクを打った。が、花巻が綺麗にレシーブして再びセッターである及川のところに戻る。
 及川は先ほどよりもあからさまなアタックモーションを見せた。またダンプを仕掛けるのか。観客の歓声とは裏腹に、及川は空中でアタックモーションからセットに切り替えてレフトにいた岩泉にトスを上げた。
 そうして岩泉のスパイクが決まって青葉城西応援団は沸いたが、観客の注目はがぜん及川に集まっていた。

「すげえ……なんかムカつくけど、すげえ……」
「格好いいーー!! 及川さーーん!」

 及川はおそらく高度なことをしたのだろう。が、及川の派手な攻撃で打ち消されてしまったが、その前の影山のトス。よく分からないが凄かった気がする……とそのまま影山を見ていると、次のレセプションでボールが上がった際に烏野のセンターが一気に前に出てきて跳び上がった。影山は彼にあげるのか、それともレフトか。それとも、と側から見ると後衛がバックアタックのモーションに入ったのが見えた。実際、後衛の選手は助走を付けて打ちに入っていた。
 が――。後衛の選手が跳び上がろうとしたまさにその時。影山はまるで先ほどの及川をコピーするかのように青葉城西側のコートに自らボールを叩き込んで、会場は静まりかえり、そして沸いた。

「ツ、ツーでやり返したああああ!」
「すげえ烏野のセッター! 一年なのに及川に張り合ってる!!」

 も思わず目を見開いて口元を手で覆った。
 しかも、当の影山は何やら及川に言葉をかけているようで自然と目を凝らしてしまう。

「次も同じのやるんで。ちゃんと警戒してくださいね」
「――この、クソガキ」

 露骨に及川の顔が強ばったのが見えた。
 何を言い合っているのか。及川は影山が何を言っても気にくわないというのは見知っているし、たぶん詮無いことなのだろうが。まさか試合中に喧嘩なんてことには……と見ていると、影山がエンドラインまで下がってきた。
「あ、影山くん……。そっかサーブ」
 呟きながらふと思い返す。北川第一の頃のことだ。影山は及川にサーブの教えを請おうとしていた、が、及川はそれをかわしていたように思う。実際、バレー部で彼らがどういう関係だったのかは知らないが、いまの及川を見るに及川が影山の要求に応えることはきっとなかったのだろうな、とサーブに入る影山を見ては思いきり瞠目した。

「アウトアウト!!」

 影山は打ちミスをしてサーブは盛大なアウトコースに乗った。が、は目を見張った。
 サーブトスのタイミング。助走の付け方。ジャンプモーション。どれを取っても……中学時代の及川に瓜二つだったのだ。
 間違えようがない。及川のサーブは自分だって誰よりもよく見てきた。それこそ及川が12歳だったころから見てきている。
 サーブは及川の最大の武器。及川が自分の持てる体格とパワーを活かして努力で磨いてきた最大の得点源だ。
 その及川のサーブを完全にコピーしたというのだろうか? 教えられていないとしたら、見よう見まねで真似た事になる。しかも中学の頃の及川のサーブに似ているということは。影山がコピーしたのは、彼が中学一年の時にほんの数ヶ月間一緒だった頃の及川のプレイだ。
 ごく、とが息を呑んでいる間にも影山のミスによってサーブ権は青葉城西に移り、ワッ、と会場が沸いた。

「及川クーーーン、ナイッサー!」
「及川さーーーん!」

 及川にサーブが回ってくると相も変わらず青葉城西応援団に加えて及川のファンらしき女性陣からの歓声で会場が一気に盛り上がり、やはりはやや居心地の悪さを感じてしまう。
 いつも見ている及川のサーブ。――といつも通りの及川のサーブは烏野リベロに狙いを定めたのかリベロ側に飛ぶも、烏野リベロは難なく軽やかにふわりと完璧なレセプションでは思わず感嘆の息をあげた。
「及川くんのサーブ拾った……!」
 さすがは「スーパーリベロ」。やっぱり凄い、と思っている間にも影山が綺麗にブロックを剥いでセンターに打たせ、烏野は得点を重ねた。
 彼が「天才」かどうかは良く分からないが、確かに技術的に上手いのは数プレイ見ただけで分かった。それに何より、ジッと観察しているとサーブだけではなく、レシーブ、ブロックその他の動きそのものが及川に似ていることに気づいた。
 おそらく影山は中学時代の及川を手本にプレイを鍛えてきたのだろう。

『そりゃあ、俺は飛雄とってはいい踏み台だかんね。ま……そう簡単に抜かせるつもりはないけど』

 ずっと昔に及川と交わした会話の中で、彼が言っていたことが過ぎった。踏み台、と言い切ってしまえば聞こえが悪いが、及川がそう感じるほどに影山の視線は真っ直ぐに及川を追っていたのだろう。
 それは知っていたつもりだったが、まさかプレイそのものがここまで似ているとは思わず――は自然と影山を目で追っていた。なぜなら、サーブもブロックもアタックさえも明らかにまだ及川の方が優れている。ブロックを剥ぐ技術はもしかすると影山の方が既に上なのかもしれない、が、及川は全体的に多彩に戦術を使いこなしているし選手として劣っているようには見えない。
 それでも及川は影山を恐れている。そして影山を「バレーの女神に愛された、天才セッターの手」を持っていると評した。その理由をちゃんと知りたい。

「キャーー!! 及川さーーん!!」
「及川ナイッサー!!!」

 そうこうしている間にまた及川にサーブが回ってきて会場が一段と沸いた。
 あれほど毎日練習しているサーブだ。もう5年は彼のサーブが成長していく過程をそばで見ている。いまの及川のサーブはむろん一朝一夕で得たものではなく、威力もコントロールも気の遠くなるような時間と練習を経て磨いてきたものだ。
 オンコートの及川はいつもの及川ではない気がして何だか別人を見ているような気分だが、それでもサーブが決まるとはグッと手を握りしめて頷いた。
 及川は執拗に一人の選手を狙う戦術に出たが、こういうプレイができるのもまた及川の強みなのだろう。
 烏野は事態を重く見たのか2度も及川のサービス中にタイムアウトを取り、その度に及川は一人ベンチに座って、まるで周りの雑音を避けるように瞳を閉じていた。
 あれだけ練習してなお、集中力が途切れると普段通りに打つのが難しいのだろう。
 しかしやはりあのサーブで狙いうちされている側には少し同情してしまう、と肩を竦めて烏野を見やり、スコアを確認する。
 烏野はだいぶ引き離されている。両チームの力の差は分からないが、あまり離されては巻き返すのは骨だろう。
 その点差がプレッシャーとなったかは定かではないが、目に見えて影山が焦っていくのがにも分かった。――スポーツ記事で読んだ覚えがある。いまの時代のセッターの主流はアタッカーの攻撃力に合わせられるタイプ。コミュニケーション能力、判断力に優れ、視野が広く社交的かつ冷静であることがベースとして求められる、と。
 目に見えて焦っているようでは視野は狭くなるし、影山はあまりチームメイトとコミュニケーションを取っているようには見えない。大丈夫なのだろうか、と敵チームながらに影山はにとっても元後輩だけに案じていると、ミスが嵩んでついに彼は交代を言い渡されてしまった。
 ――彼はきっと、及川との力の差を感じて焦ったのだろう。実際、ネット際で何度か及川に競り負ける場面があった。それはそうだろう。パワー、体格で比べればいまの影山は明らかに及川に劣っている。及川もそんなところで優越感を覚えはしないに違いない。及川が恐れているのはあくまで影山のトス技術と、将来への可能性。だからそれが芽生える前に潰したいし、その反面、その才能の行方が気になって仕方ないのだから。
 それにしても、と思う。素人目にも、及川は青葉城西の中で一人だけ実力が抜けているのが分かる。セッターに似つかわしくないほどの攻撃力に加え、良くスパイカー達を見て上手く使いこなしているのが分かる。
 岩泉や花巻達が極端に劣っているわけではないが、おそらくはセッターである及川の方がアタッカーとしても優れているのだろう。アタッカーに今すぐコンバートしても何ら問題はないはずだ。
 とはいえ。及川が昔から司令塔ポジションを好んでいたのは見知っているが、と中学生の頃に球技大会でバスケットのポイントガードをやっていたことを過ぎらせつつ思う。
 スパイカーより攻撃力の優れたセッター。それはもう、及川の力はこのチームでは余ることを意味しているのではないか、とふと牛島の言葉が浮かんだ。

『バレー選手として、大学でどう過ごすかが貴重なのはお前も分かるだろう。そこで回り道をすれば、のちに悔いることになるぞ』

 及川の選手としてのレベルがどの程度なのかは分からないが。それでも、やはり及川は望めば牛島と同じステージにさえ立てるのでは?
 考えているうちに烏野は第一セットを落とし、続く第二セット中盤で影山をコートに戻してきた。控えセッターでは青葉城西に打ち勝つには力不足だと判断したのだろう。
 その影山復帰の一発目のサーブは気持ちのいいエースが決まり、会場が沸くと共には初めて彼の強さに触れた気がして目を見張った。
 冷静ではないと判断されてベンチに下げられたあとの復帰一発目で最高のパフォーマンスを出せる。まだ一年生ということを考えれば、精神的にタフだということは明らかだ。
「影山くん……!」
 そうして次の攻撃、影山は返ってきたボールから見事なセンターへのクイックを上げて更にポイントを重ねた。
 この影山の活躍もあり第二セット、烏野は先に20点の大台に乗せ、復帰していきなり調子をあげた影山に及川はやや焦りを覚えているように見えた。
 影山は第一セットの自分を越えるかのように少しずつ味方のスパイカー達をまんべんなく使いこなし始め、及川はその影山のパフォーマンスの向上を敏感に感じ取ったのか及川のプレイそのものにも凄みが増してきた。
 それでも第二セットは烏野がセットを取り返し、勝負の行方はファイナルセットにゆだねられることとなってさすがには息を呑んだ。
 ただ試合を見ているだけなら、試合を通してずっとスーパーレシーブを連発しているリベロのいる烏野を見ている方が楽しい。が、及川にとって最後のインターハイ予選。ここで負けて欲しくないし、本人も最低でも決勝へ行くつもりだろう。
 及川にとって、「天才」影山を倒して上へ行く事には意味があるはずだ。現時点では自分が勝っていると影山に示す絶好の機会でもあるだろう。
 ただ2年後はどうなのだろうか? 影山はおそらく対外的な評価という意味で、中学時代に及川を越えることは叶わなかった。
 けれども――、と観ていると影山はファイナルセットに入って真価を発揮しだした。時おり、スポーツ記事では「ブロード・クロス」などと書かれる主に女子選手が使うセンタープレイヤーをライトへ走らせそのまま跳ばせて打つ移動型のスパイクを多用し始めたのだ。
 主にバックトスで、助走を付けて跳び上がるスパイカーに寸分の狂いもなく高速のトスを上げる影山を観てさすがにも動揺した。
 むろん打てるスパイカーも凄いのだろう。が、影山のボールコントロールの異様なまでの精密さは端から見ていても明らかに異彩を放っている。
 これが及川の言う「天才」という意味なのか。及川は今さら驚きもしないのか、表面上はあくまで冷静に対処しているように見えた。事実、技術的に影山のトスが抜けていても、それだけでいまの及川に勝っているとはやはり思えない。

『飛雄は単に一人で何とかしようとしすぎなだけだよ。あいつ……天才だから勝手に周りを置き去りにしてくんだろうね。金田一たちは、後輩たちは飛雄の進む速さで歩いていけない、だってあいつ天才なんだから。けど、飛雄にはそれが理解できない』
『飛雄の方が金田一たちに合わせなきゃなんないんだよ。そもそもそれがセッターの仕事なんだし。まったくおバカな方向に突っ走っちゃってサ、あんなヤツを脅威に思ってた自分がバカらしくなってくるよまったく』

 少しだけ、及川の言わんとしていることが分かった気がした。
 が、それは――影山にはもっとレベルの高い環境が必要だったと言い換える事もできる。
 そして今と違う環境が必要なのはおそらく及川も同じ……、となかなか勝てそうで勝てない試合の行方を見守って迎えた青葉城西のマッチポイント。烏野のレシーブが大きく青葉城西側に返り、ダイレクトアタックのために及川が跳び上がった。
 決まれば青葉城西の勝利が確定するという場面で一気に応援団は沸いたが、そのダイレクトを阻止するように跳び上がった影山の目一杯に伸ばされた右手がタッチの差でボールに触れ、彼はそのままワンハンドでトスを上げてセンターからの攻撃のアシストをした。
 そのスパイクが決まってデュースとなり、息を呑むの視線の先で及川も息を呑んでいるように見えた。さすがにいまのトスは予想していなかったのだろう。
 それを脅威に感じたか否かは定かではないが、青葉城西はアドバンテージを烏野に取られ、さらには今日で初めてとなる及川のサーブミスが出て応援団はおろかコート内がどよめいた。
「及川くん……!」
 及川は普段の生活においてその場その場で自分の感情に流されやすい性格をしている。喜怒哀楽も激しく、そこは及川の長所でもあり短所でもある。
 いくらオンコートの彼が自分のあまり知らない顔をしているといっても、性格まで変わるわけではないし、とハラハラしていると及川の不調を真っ先に感じ取ったのか岩泉が及川の代わりを勤めるように全体を鼓舞して青葉城西は空中分解を避けたように見えた。
 そんな仲間を見て及川も落ち着いたのだろう。ローテーションが一周する頃には元のテンションに戻せたようで、今度はそんな及川を見て影山の方が焦っているように見えた。
 ――彼らはお互いの出来に常に影響されてしまうのか。
 ああしてネットを挟んで相対せず、同じコート内にいられれば、あるいは二人は上手くいっていたのだろうか。それとも北川第一の頃を繰り返すだけだったのか。

「飛雄……、急速に進化するお前に俺は負けるのかもしれないね」

 再びのマッチポイントでエンドラインに立った及川が何を呟いたかには届くはずもなく、ただ試合の行方を見守るしか術はない。
 しかし数度のラリーのあとに烏野のリベロが受けたボールを追ってアタックラインの外からというロングトスを高速で上げた影山を見て、初めてはっきりとの脳裏に「天才」の二文字が過ぎった。
 まさに空間を割くようなトスが精密にミドルブロッカーに上がり――、けれども及川はそれを読んでいたのだろう。コートのバックゾーンで、及川が確かに笑ったのがの目にも映った。
 ブロック3枚が迷うことなく飛び上がり、影山の精密トスから繰り出されたミドルブロッカーのスパイクは壁のようなブロックに阻まれて無惨にも弾かれ、自身のコート側にこぼれ落ちた。
 そうして決した勝敗に青葉城西サイドは沸き、烏野の選手はコートに崩れ落ちてしまう。
 そのまま淡々と挨拶が進められ、影山は顔を上げきれずに下を向いていた。及川もそんな影山に声をかけることはせず、ただ岩泉が項垂れる影山をジッと見据えていたのがの位置からも見えたが――。

「ありがとうございました!」

 は烏野のサイドに立っていたため、挨拶に来た選手達を見下ろしながら悔しそうに唇を噛みしめる影山を目で追い、そして小さく目を伏せた。
 そのまますぐに次の試合のチームがバタバタとコートに入ってきて、烏野は撤収し、青葉城西は次の試合の準備に入ったのだろう。コート脇でユニフォームを着替えながら水分補給をしているのが見えた。
 ――あんなに拘ってたのに、あまり嬉しそうじゃないな。
 と、遠目に及川を見ながらは思った。勝った直後は、純粋に眩しいほどの笑みを浮かべていたが。それは単に試合に勝利した嬉しさで、いまの及川を見るにあまり影山に勝てて嬉しいと思っているようには見えない。
 及川のことだからきっと色々複雑で面倒なことを考えているのかもしれないな、と試合が終わったことで少し冷静になった頭で考えているとコートを出た烏野の選手達が観客席にあがってきて「あ」とはそちらに視線を移した。
「影山くん……」
 先ほどよりも落ち着いているように見えた彼の視線は真っ直ぐにコートに向けられており、その視線の先を追っては思わず口元を覆う。
 コートでは準々決勝に臨む青葉城西が整列し、影山の視線の先には及川がいたのだ。
 そして準々決勝が始まってからも、影山の視線は微動だにすることなく常に及川を見据えていて、はその様子に肩を竦めてしまった。
 影山がこの3年間をどう過ごしてきたかは知らない。けれども、12歳の頃の、自分の知る影山の本質はきっと何も変わっていないのだろう。真っ直ぐに及川に憧れていた、あの頃のまま。
 その視線の先のコートで、及川たち青葉城西は危なげなくストレートで準々決勝を勝ち上がり、明日の最終日進出を決めた。
 勝ちが決まった瞬間に見せた及川の屈託のない笑みにも少し口元を緩め、ハッとする。
「あ……!」
 さすがにそろそろ行かなければ試験に間に合わない。――元々いきなり来たのだし、声をかけている時間もないし。
 影山のことも少し気になるが、とちらりと帰宅準備のためか横断幕を下ろす作業をしている烏野サイドに目をやってからは足早に観客席を出て、仙台市体育館をあとにした。
 試験会場までは地下鉄で一本。足早にすぐそばの地下鉄駅に駆け込むと、頭を完全に切り換えても試験に臨む体制を整えた。

 ――夕刻。
 試験を終え、にとっては定期的にフランス語レッスンを受けている場所でもある会場を出て徒歩にて帰路につきながら携帯を見てみると、メールが二つ入っていた。

 ――やっほー、試験どうだった? 天才セッターは及川さんの前にひれ伏しました。ブイ!!!

 ピースサインの羅列で飾られたメールはむろん及川からのもので、試合後の及川とのあまりのテンションの違いにうっかりは絶句してしまった。

 ――残るはウシワカ野郎ただ一人!!

 書き忘れたのか二通目にはそんな事が書いてあって、は苦笑いと共に肩を竦めてしまった。
 今日の及川を見るに、おそらくコートで影山にしていたように牛島を毎回煽っているのだとしたら。あまり牛島にああやって噛みつく義理はないのでは、といつだったか仙台駅で牛島とバッティングしたときの様子を思い浮かべつつ、明日も頑張って、と返信をしてそのまま家への道を急いだ。



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