男子バレー部には月曜という週に一度のオフがある。
 そして美術部の公式活動日は火・水・木の週3日。ゆえに双方の休みは完全に合っている。
 はずなのだが、そうは問屋が卸さないのがという人間だ――と及川は4月最終週の月曜の放課後、自宅への道を急いでいた。
 公式活動が週3日とはいえ週5体制で部活をこなしているには月曜のデートをたびたび断られている。集中したいらしい時には3週連続で断られるなどザラだ。現に先週だって断られているし、来週は滅多にないオフと祝日が重なったデート日和のはずだったが……滅多にないためか及川自身が家族で出かける予定を既に親に入れられておりデートは不可能だ。
 というか、その祝日――ゴールデンウィーク――がクセモノだ。
 どこぞのカップルは有給を使って9連休を目論んでいるらしく。そのしわ寄せが自分に来ている……と及川は携帯のデジタル時計に目線を落として「ヤバ」と自宅までの道を走った。
 そうして自宅が見えてくると、玄関側からひょこっと小さい影が顔を出して「ゲ」と及川は走る速度をあげた。
 その影の主の元まで駆け寄り、及川は膝に手をついて息をする。すれば、咎めるような幼い声が響いた。
「遅いぞ、徹」
「ごめん猛。ていうか呼び捨てはやめなさいって言ってんでしょ!」
 徹、とさも当然のように呼んだ影の正体は及川にとっては甥である及川猛だ。息を整えつつ窘めれば、「えー」と猛は腑に落ちないと言った具合に見上げてきた。
「だって徹は徹じゃん」
「もうちょっと年上は敬いなさいって学校で習わなかったの!?」
「んー……、じゃあ徹オジさん」
「はッ!?」
「だって叔父さんじゃん、徹」
「そうだけどそうじゃなくて! ああもう……、まあいいけど。ほら猛、さっさと入んな」
 さすがにオジさん呼びはご免被りたかった及川はため息を吐きながら自宅の鍵を取りだし、猛を中に促す。
 猛は普段は小学校が終わったあとは学童で過ごしているが、それでも両親どちらも残業で時間内に迎えに行けない時は及川の家に帰宅することがあった。決まって月曜なのは及川家の人間が及川の部活オフ日を知っているからである。
 つまりは甥っ子の面倒を押しつけられているわけであるが。――と手荒いうがいを一緒にこなし、及川はいったん着がえに自室へと足を向ける。
 猛の両親はゴールデンウィークに9連休を取る弊害か仕事が立て込んでいるらしく、今日は遅くなるという。
 及川の両親も遅くなるということで、今夜の晩ご飯は猛と2人でとらなければならない。
「猛ー、宿題終わった? わかんなかったら見てあげよっか?」
 言われる立場になれば「宿題終わったの!?」なんてウルサイ小言でしかなかったが、立場が変われば言うしかなく。お母ちゃんその昔はウルサイってはねつけてゴメン。などと思いつつ居間に顔を出せば、猛は「なにを言っているんだ」と言わんばかりの呆れたような表情を晒した。
「もうとっくに終わったぞ。宿題は出たらすぐにやらなきゃダメだからな」
 穏やかに語りかけた及川の頬が、ヒク、とひくつく。
「ほんっとデキのいい甥っ子でお兄さんウレシイ!」
「徹は叔父さん」
「うっさいよ!!」
 口ばっか達者になりやがって。と、自分とはあまり似てない利発な甥っ子を見やって肩を竦めつつキッチンへと向かう。ともかく猛に晩ご飯を食べさせなければならない。
 夕食を作るべく白米を早炊きでセットしてから材料を確認する。――猛の両親はともかく、自分の両親は食事を済ませてくるか分からないから多めに用意していこう。と鼻歌を歌いつつ夕食作りを開始した。
「なに作ってるんだ?」
「フッフーン。できてのお楽しみ!」
 しばらくしたら匂いに惹かれたのか猛がダイニングにやってきて、及川は、二、と笑った。
「徹、今日の昼休みに友達とバレーしたぞ」
「へえ、どうだった? バレー楽しい?」
「うん! 叔父さんが北川第一の主将だったって言ったら少年バレーやってるヤツがスゲーって言ってた」
「え、ちょっとその子にちゃんと叔父さんは現役高校生のお兄さんなんだって説明した!?」
「徹、一度小学校に教えに来てくれよ」
「猛がちゃんと”徹兄ちゃん”って呼べるようになったらね」
「徹は叔父さん」
 でも約束だぞ。と言う猛を見て及川は笑みを浮かべた。やや生意気に育ってしまったが、赤ん坊の頃から近所で育ってきた甥っ子は可愛いことに変わりない。自分の影響か否かバレーに興味を示しているようで、今のところは中学に入ったらバレー部に入るつもりでいるようだ。
 やっぱり血筋ってヤツかな、と夕食作りを済ませて食卓に並べる。今日のメニューはオムライスのデミグラスソースがけとサラダだ。
「じゃーん! 徹兄ちゃん特製のオムライス! 美味しそうだろ〜?」
「徹の十八番だな」
「お、難しい言葉知ってんじゃん。ていうか、今日のはぜったい特別美味しいから!」
 いただきます、と手を合わせた猛に言い聞かせ、及川も手を合わせて食べ始める。
 普段は、強制的に炊事全般をやらされる合宿時を除き、料理をしている時間も機会もないが月曜だけは別だ。両親が残業の時は部活オフ幸いとばかりに丸投げされる場合も多く、猛が一緒の時はもっぱら彼は試食役を担ってくれている。
 オムライスをスプーンですくって口に付けた猛の頬が緩んだのを見て、及川は、二、と笑った。
「どう? 美味しい?」
「うん、おいしい! いままでで一番おいしいぞ」
「やっぱりねー、今日のは俺もかなり完璧に近いと思ってたんだよね」
「だけど徹はもうカノジョにフラれたんだから頑張らなくてもいいんじゃないのか?」
「は――ッ!?」
 いきなり何を言い出すんだ、と及川は猛を凝視した。「だって」と猛は淡々と綴る。
「徹、この前の月曜もヒマだってゆってたじゃん。カノジョにフラれちゃったーって」
「それはデート断られたって意味だから!! フラれてないから!!」
 全力で否定して、ドカッと及川は椅子に深く座り直した。
 の好物がオムライスだと知って以降なんとなく意識して機会があるたびに作って、今ではこの通り猛も認めるプロっぷりになっている。いつだったか浮かれてオムライスがカノジョの好物であることを猛に暴露してしまった覚えはあるが……とんだマセガキ、と肩を竦めつつ息を吐く。
 ――そう、フラれてはないのだ。が。
 2週連続でデートを断られており、来週は自分の用事で会えない。不満がないかと問われれば正直に言うとある。と、猛が帰ったあと風呂上がりの就寝前に自室でパソコンを弄りつつ思う。
 もっぱらバレー観賞用か宿題の調べモノ用と化しているパソコンではあるが、時おりとんでもない情報が目に飛び込んでくる事がある。
 今もふとニュース一覧を眺めていると美術系の見出しが気にかかって、ほぼ無意識のうちにクリックしてしまった。すれば次々と関連ページが出てくるのがインターネットの常で、いくつかページを流し読みした先に「」という文字が目に映って及川はハッとした。
 どうやら彼女の経歴・受賞歴一覧が記載されているページらしく、及川は一瞬逡巡したもののカーソルを合わせてクリックしてみた。――別に深い意味はない。の経歴なら既に知っているし。ただ、最近特に忙しそうにしているが実際に何をやっていたかを知りたいだけ。と文字を目で追っていく。
 文化部にも運動部のように「公式戦」に該当する大会があるらしいが、は同年代相手のデッサンコンクール等ではもう自分が優勝すると分かっているらしく――はっきりとは口にしていなかったが――どのコンペに出るかは自分で選別しているという。
 天才にありがちな、他人の可能性を潰さないために。ってヤツだろうか。と考えてしまって「ケッ」と悪態をつく。
「ていうかホンット天才むかつく……!」
 長い長い受賞歴を上から順に見つつ吐き捨てる。そもそもこれだけ賞を取って何になるというのだろうか? 美術コンペなど自分の生活からはほど遠いし全く想像すらできない。と、ちょうどページの端に現在募集中のコンペの宣伝があり及川は別窓で開いてみた。
 そこにはコンクールの名前、賞金やら賞与の一覧が記載されており……とあるコンクールの優勝賞金が目に留まって及川は目を剥いた。
「賞金50万!!??」
 あまりに驚き、思わず口に出してしまった。
 絶句しつつ、改めて一覧を眺める。どのコンクールも基本は賞金付きだ。ピンからキリまであるとはいえ、高校生の想定を遙かに越えた額が提示されていて開いた口が塞がらない。
 そういえば、とが「コンクール荒らし」と呼ばれていることを及川は思いだした。
 そのあだ名から察するに、獲ってきた賞の賞金額を合計すればかなりの額になることが想定され……及川はにわかに頭が痛んでコメカミを押さえた。
ちゃんどんだけ稼いでんの……!」
 いや、でも。絵画は道具の消費も激しそうだし。賞金は全て道具代に消えたりするのかもしれない。
 とはいえソレを考えるのはさすがに悪趣味だろう。やめよう、とその一覧ページを閉じて改めての受賞歴一覧を見やった。
 最新のものが二つ。一つは企業主催のコンペで、もう一つは公的な展覧会の公募作品のようだ。前者が大賞、後者が特別賞。――今さらそんなことでは驚かない。
 後者はごく最近発表された賞のようだ。――とタイトルを調べて及川は目を見張った。
 ”バレンタインの夜”。と、が名付けたらしきソレで獲ったコンペの公募条件は特に記載されておらず、バレンタインについて描くように決まりがあったわけでもなさそうだ。ということは、が自分の意志でバレンタインの絵を描いたことに他ならない。と及川は考える。
 バレンタインって、バレンタインって……今年のバレンタインの事だろうか。

『ん、ちゃん、くっつきたいモード?』
『うん』
『ほんとちゃん俺のこと大好きだよね』
『うん』

 その時の光景が脳裏に蘇って及川の頬がカッと染まった。――いやいやいや。別に舞い上がってはいない。タイトルはともかく、どんな絵なのか分からないのだし。と、もう一つの大賞の方を調べてみる。
 さすがに企業のコンペらしく受賞者のコメントも記載されていた。絵そのものは提携の美術館でいま展示中ということで載ってはいなかったが――。
「あ……ッ!」
 ”修学旅行の時に行ったパリの思い出を絵にしました”とののコメントと共に記されていたタイトルは――”恋人たちの橋”。
 一気に及川の脳裏にパリで交わしたファーストキスの感触が蘇って思わず口元を手で覆った。これはたぶんきっと自惚れでも間違いでもないだろう。
「……ちゃんってほんと俺のこと好きすぎ……!」
 そうだ、ぜったいに間違いない。いま思えば、が今までで一番大きい賞が獲れたと喜んでいた「仙台の冬」だって自分と一緒に観た風景だったわけで。
 ほんとに俺ってば愛されてる……、とジンとしたところでハッとする。
 とはいえ、だ。好かれていれば好かれていると実感する度に思い知らされるのは、にとってはそんな自分に会うことよりも絵を描く方が大事だという現実で。
 ハァ、と及川は深いため息を吐いた。
 にとっては国内はもう物足りないフィールドなのかもしれない。けど。
 まだ全然パブロ・ピカソに及ばない、なんて真顔で言い出す人間の満足する場所ってどこだよ……と机に突っ伏して及川は眉を寄せる。
 ――ああやっぱり天才ってキライ。でも。

『もう二度と放課後にここに来ないし、及川くんにも話しかけないから、安心して』

 ――いまあんな事言われたら、きっと立ち直れない。
 と、ちょうど3年前に言われた台詞を思い返してふるふると首を振るった。
 というか。単純な話だ。フラストレーションが溜まっている。それだけの話。
 突っ伏したま、うう、と及川は低く唸った。

「……デートしたい……」



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