東京の夏は暑い。
 は東京に留まるときは、母方の祖父母の家に身を寄せていた。の目から見てもけっこうな資産家なのだろうな。と思うが、それを上回る豪邸などは近所を歩けばごろごろしている。
 の父親はバイオニクスを専門とする自然科学の権威で、自身は生まれ持った資質にプラスして父の教育の甲斐あって理数系は得意であり抜けているという自負があった。
 加えて語学教育に熱心な父の後押しもあり、英語に加えてフランス語を学んでいるのだが、これは自身の将来に関わることでもある。
 なにせいずれは絵の勉強のため渡仏しようと思っているのだから、フランス語ができなければ話にならない。
 仙台に越して以降、中央で教育が受けられないマイナス面を補うようには夏休みは一日中絵も含めた勉強に明け暮れていた。東京にいたときに世話になっていた絵画の恩師もむろん東京にいるため、やはり東京の方が都合が良かった。
 すっかりバレー部のことも忘れて忙しく日々を過ごし、そういえば、と県総体の事を思い出したのはお盆になって上京してきた両親の顔を見た時のことだ。
「お母さん、うちのバレー部がどうなったか知ってる? ニュースで見た?」
「バレー部……、さあ、どうだったかしら」
 ダメ元で母親に聞いてみるもやはり知らないらしく、はパソコンを借りて調べてみることにした。きっと勝敗くらいは出ているだろう。
「あ……!」
 適当に関連ワードを数個入れて検索すれば、仙台の地元紙のニュースが引っかかり、はそのページを開いた。

 ――王者V! 白鳥沢学園・今年も宮城を制す!

 そんな見出しの記事であり、さすがにも言葉を失った。躊躇したものの、ふ、と息を吐いてから読み進めていく。
 白鳥沢の決勝の相手は北川第一中学校。という文字に、及川たちは取りあえずは決勝に勝ち上がったのだと知った。
 決勝はかなりの接戦となったらしく、北川第一は1セットを白鳥沢から奪う健闘を見せたこと。そして及川はベストセッター賞を受賞したと書いてあり、わ、とは目を見開いた。
 各種ベストセッター、ベストリベロ、ベストブロック賞等々の受賞者リストと選考基準の解説及びスタッツも載っており、は純粋に興味を持って記事を読んだ。
 ベストセッターの基準は、端的にはブロックをはがしフリーでスパイカーに打たせた数。及川は今大会で一番、敵ブロックを欺きトスをあげた優秀なセッターだった。ということなのだろう。
「及川くん、すごい……!」
 セッターとしての及川はは一度も見たことがないため、良かったという思いからそう呟いたが、同時にハッとした。結論から言えば、北川第一は今年も全国を逃したということだ。
 及川たちはこれが中学最後の公式戦――。あれほど意気込んでいただけに、としても残念であるし心配でもあった。なにせ、白鳥沢に敗戦したあとの及川は毎回どこか精神的に不調になる傾向にあるのだから余計だ。
 落ち込んでないといいけど、と思いつつ携帯を取り出す。岩泉に及川の調子を聞く、というのも何か違う気がしては深いため息を吐いた。
 考えてもどうにもならないことは考えていても仕方がない。自分のことに集中しよう。
 そうしてあっという間の夏休みを終えて新学期が始まれば、待っているのは進路指導だ。
 にとっての第一条件は絵に集中できる環境が整っている場所、かつ時間の確保であったため、進学クラスや進学校はまったく考えておらず、たびたび指導室に呼び出される羽目になっていた。
「第一志望、第二志望と私立だが、なぜ公立校を受けないんだ? お前ならもっと上を狙えるだろう。それとも特進科で授業免除を狙っての志望か?」
「いえ、通常授業以外の課外で時間を取られたくないので、公立の進学校や私立の特進には行く予定ありません」
「それじゃ大学はどうする?」
「普通の大学の受験予定は今のところなくて……」
「少し絵で有名とはいっても、もっと将来を考えて――」
 春から再三繰り返されてきたやりとりにぐったりしては指導室を出た。昼休みだというのにコレだ。このやりとり、もしかして受験が終わるまで続くのだろうか。とうんざりしつつ少し風に当たりたくて廊下の窓をあけた。今日は肌寒い。
 ぼんやりと風景を眺めていると、急に黄色い歓声があがった。とはいえ、この歓声が上がる時に誰がいるかなど、この中学校の全校生徒が知っている。
 そういえば今週の家庭科の授業は御菓子作りの調理実習だった。と、きっとソレをプレゼントされているんだろうな、と女の子に囲まれて相変わらず愛想を振りまいている及川を見やって、ふ、とは笑った。
 予想に反して、新学期以降に見かける及川は通常運転だった。夏休みの間に夏の敗戦を消化したのか、それとも健闘してある程度の満足を得たのか。いずれにしても変わりない様子にはホッとしていた。と、女生徒と喋り終えたのか笑顔で手を振り彼女らを見送る及川をそのまま眺めていると、手を下ろして身体を半回転させた及川とバッチリ目があってしまい、う、と硬直した。
 及川は何を思ったのか一瞬目を見開いたのちに、ヘラッと笑ってこちらに向かって手を振り、反射的には目をそらした。
 相変わらず何がしたいのか分からない。と、恐る恐る視線を戻すと、及川は既に立ち去ったのか姿がなく「あれ?」と思うもホッと息を吐く。いまから美術室に行ってもたいして時間もないし、コーヒーでも買いに行こう。中庭のすぐ横にある出入り口のすぐ外には自販機がある、とそのままはいったん下駄箱を経由してから外の自販機に向かおうとした。
 が――。
「なんで無視すんのさ?」
 ひ、と中庭の端で後ろから声がかかった時、はリアルに硬直した。もしかして追いかけて来られていたのだろうか? と、恐る恐る振り返る。
 すると案の定、腑に落ちないといった表情の及川が立っていて、は少し頬を引きつらせた。
「ご、ごめんね。びっくりしちゃって」
「ずっと俺にアツーイ視線送ってたんだから、手くらい振り返してくれてもよくない?」
「べ、別に見てない」
「じゃあ何で目が合うのさ?」
「た、たまたま……!」
 相変わらず、岩泉風に言えば「薄ら笑い」を浮かべる及川を見ては心底めんどうなことになった、と心内でため息を吐いた。
 話題を変えようにも話題がない。県総体の事は、もしも地雷だったとしたらあまり触れたくないし、と思うもせいぜい見つかった話題はさっき女生徒に囲まれていたことくらいだが。それはいよいよどうでもよく、どうしよう、と思っていると及川の方が先に口を開いた。
ちゃん、さっき指導室の前にいたよね。なんかあった?」
「あ……うん。進路指導。志望校の事とかいろいろ」
「ああ。俺たち受験生だしねぇ」
「及川くんは――」
 どこ志望なのか、と聞こうとしたところで「なにやってんだ」と見知った声が割って入ってきた。
「岩ちゃん。うん、別になにしてるわけでもないんだけど」
 岩泉だ。まるで見張っていたかのようなタイミングの良さもはまったく気に留めず、「こんにちは」と岩泉の方を向いて、先ほどの話を続けた。
「進路の話をしてたんだけど……。2人はもう志望校決めちゃった? やっぱりバレーの強い高校に行くの?」
「おう。もう決めてある」
 すれば岩泉が頷き、及川は――なぜだか分からないが、一瞬だけどこか不自然に眉を寄せてから「うん」と頷いて、は首を捻った。
「そっか……。県内だとやっぱり白鳥沢とか? 白鳥沢のバレー部って高等部も強いんだよね?」
「ハァ――!?」
「ちょ、ちょっとまってちゃん! なんで俺たちが白鳥沢行かなきゃなんないの!?」
「え……だって」
「そもそもウシワカ野郎とか敵なんだけど!?」
「あ、牛島くんってそのまま上がるんだ。そうだよね」
 半ば噛みつかれるように言われ、は半歩後ずさりつつも首を傾げた。
「でも、強い学校なんだよね?」
「そうだよ!? いずれ倒すけどね!?」
「で、でも……そういう学校ってきっと県外からも強い選手集まるんだろうし、及川くんたちだって強いんだし、そういう人が揃ったらもっと強いチームになるんじゃないかな」
 言えば、2人揃ってしかめっ面をされ、「え……」とますますは首を傾げた。
「あ、その……。牛島くんはいまは敵同士だったかもしれないけど、同じチームになったら頼もしい選手だったりするんじゃないかな……」
「ハァ!? ちょ、ちょっとソレって俺がウシワカ野郎にトスあげなきゃなんないって事!? ムリムリムリムリ死んでもムリ!!」
「そうだぞ。俺たちは打倒・白鳥沢を高校で果たすつもりだからな」
 言われて、何となくは察した。「中学で」の公式戦は夏の中総体で終わったが、彼らの中で打倒・白鳥沢は高校の公式戦に持ち越されたのだと。それ故に及川は敗戦後も落ち着いているのかもしれない。と解釈しつつ少し眉を寄せる。
「でも……、同じ県内の選手だし、この先、牛島くんと同じチームになる機会ってあったりするんじゃ……」
「うー……。あんま考えたくない……。俺あいつキライ」
「え、そんなに問題ある選手なの?」
「存在自体が問題だよね。ああいう天才バカってほんっと腹立つ!」
 すれば及川は眉を釣り上げて言い捨て、はもしかして彼らは個人的に何かあるのだろうか、と感じたが確かめる術はなく、そんな及川の隣で岩泉が神妙そうな表情をしていたことにも気づけなかった。
 ひゅ、と9月にしては寒い秋風が吹き、「さみぃな」と小さく岩泉が呟いた。
「おい及川。寒いからなんかあったかい飲み物買ってこいや」
「え、ナニ俺パシリ扱い?」
「金はやるぞ。ほれ」
「ナニそれ。まあ別にいいけど」
 あ、そういえば自分も飲み物を買いに行こうとしていたところだったんだ。と中庭の出入り口から消えた及川の背を見送って思い出しただったが、タイミングを失ってちらりと岩泉の方を見やる。
「そ、そういえば……。県大会の決勝、惜しかったんだってね」
「なんだお前……、結局来てなかったのかよ」
「うん。私、夏の間は親戚の家にいたから行けなくて……。オンラインニュースで見たの。フルセットの接戦だったって」
「ま、いままでで一番マシな試合ではあったことは確かだな」
「及川くん、ベストセッター賞獲ったんだってね」
「俺がなにー?」
 話していると及川が戻ってきて話に入ってきたため、は及川の方を見上げる。
「ベストセッター賞のこと話してたの。おめでとう」
 すると及川は少しだけ目を丸め、意外にもこう言った。
「ありがと。うん、でもアレは岩ちゃんをはじめとしてウチのアタッカーが立派だったって証拠だからねー」
 は瞬きをした。賞の選考基準を見る限り、あれは及川個人の能力に依存した数値から得られた賞だ。及川がそれを知らないとは思えない。なのにこのような言い方をするとは、意外とまでは思わないが意外に感じていると「はいコレ」と及川は買ってきたらしき飲み物を差し出した。
「みんな考える事は一緒だったみたいで、あったかいのココアしか残ってなかったんだよね。ま、岩ちゃん甘いのでも平気だよね?」
「う……まあ、平気だ。サンキュ」
「はい、ちゃんも」
「え……? あ、ありがとう」
 どうやら及川は全員分買ってきてくれたらしく、手渡されて受け取り及川を見上げては、あ、と気づいた。そういえば、とジッとそのまま及川を見つめているとさすがに及川は不審に思ったのか目を瞬かせた。
「ど、どしたの?」
「前から思ってたんだけど、及川くんの目ってココアみたいだね」
「え……!?」
「ちょっと赤みがかってて、すっごく綺麗な色だな……ってずっと思ってたの」
 そして改めて、本当に綺麗な瞳をしているな、と感じつつ告げた先で、ゴク、と隣にいた岩泉が喉を鳴らした気配が伝って、ハッとは我に返る。
「あ、その……」
「な、なにちゃん。もしかして俺、口説かれちゃってる!?」
 珍しく及川がやや狼狽えたような仕草で、それでも茶化すように自分で自分の身体を抱きしめるように言えば、ハッとしたのか岩泉が拳を握りしめた。
「キメェ仕草すんな、キメェ!」
「二度もキメェって言わないで!」
 はというと、手に持ったココアの缶が異様に熱い気がして、少し頬が熱を持つのを感じた。本当に思っている事ではあるが、さすがに言い回しは少し恥ずかしかったかもしれない。
「へぇ、俺そんな風に思われてたんだ。自分じゃそんなこと思ったことなかったけど」
「安心しろ、俺も思ったことねえよ」
 岩泉が突っ込んでくれているおかげでこのまま話が逸れそうだ、とはホッと息を吐く。が、及川はこちらに視線を流してきて、少しばかり気まずくて目線を流してしまった。
「え? なんで目、そらしちゃうの? 好きなだけ見つめてイーよ?」
「え、遠慮します」
「即答!? たったいま、好きだって言ってくれたのに!?」
「綺麗だって言ったんだけど……」
「ほぼ好きって意味だよねソレ?」
 ぜったい違うだろう。という突っ込みはせずにいると、「ウゼェ」と岩泉が及川の背を叩いてから話を変えるようにこう切り出してきた。
「さっきの話だが、お前はどこ受けるんだ? やっぱ公立か?」
「あ……、ううん。私、公立にはいかない。私立受ける」
 話を進路のことに戻してくれたらしい。ホッとしつつ答えると、岩泉はおろか及川も意外そうに目を見張った。
「私立? お前なら公立の一番ムズい学校もいけんじゃねえか?」
「でも、勉強はともかく、設備がいい場所が良くて……」
「私立で県一番の難関って言ったら白鳥沢だね。あ、もしかして白鳥沢が第一志望? だから俺と一緒に白鳥沢行きたくてさっきあんなこと言ったの?」
 残念だけど、さすがにウシワカと一緒はないね。と及川が続け、は苦笑いを漏らした。
「ううん。そういう進学校だと絵を描いてる時間が欲しいだけ取れないから、もっとゆったりしたところが良くて。市内の私立で美術部があって、美術部の設備とかが一番整ってるところにしたの」
「ああ、そういやお前、絵の有名人だったな。で、どこだそこ?」
「青葉城西。だから受けるのは青城一本かな」
 言うと、2人揃って面白いほど目を丸め、揃ってお互いの顔を見合わせては首を捻る。
 見ていると岩泉が頭を掻き、及川は小さく吹き出して肩を揺らした。
「え……なに……?」
 青葉城西は北川第一からも直線距離は遠くないし、駅のすぐそばではないが上手くバスを乗り継げば家からは30分強で行ける。北川第一学区の生徒だったら自転車通学を視野に入れる生徒もいるだろう距離だ。そんなにおかしな進学先ではないと思うのだが、と困惑していると笑いを収めた及川がなぜかウインクをくれた。
「じゃあ、春からもヨロシク。また好きなだけ及川さんの居残り練習見に来てイーよ」
「え……!?」
 後半なにかめんどくさいことを言われたが、はとっさに目を見開いた。
 つまり――。
「え、2人も青葉城西に行くの……?」
「うん。ていうか北一のバレー部は伝統的に青城に行くメンバーが多いんだよね。だからレギュラー陣にはけっこうな確率で推薦の話が来るし、これで頭脳が心許ない岩ちゃんも安し――あいたッ!」
 眼前で繰り広げられる一連の動きを眺めながら、そっか、とは息を吐いた。また及川と3年間一緒か……。そっか、と嬉しいような困ったような複雑な感情が飛来した。
 そうしてふと引っかかった。先ほど及川は、白鳥沢には「行かない」と言った。及川自身が言ったように、白鳥沢は県内一の難関私立。及川の学業成績がどれほどかは知らないが、少なくとも「行かない」と言い切れるほどではないだろう。だというのに、及川の言い分は「行ける」ことを前提とした言い分だったのだ。
 なぜ、「行かない」と言ったのだろう……? まずは合格ラインを越えなければ、牛島云々を語るスタートラインにすら立てない。
 なぜ……? と瞬間的に考え込むも、ただの話の流れで、それほど深い意味はないだろうな。と思い直すとココアに口を付けた。やっぱり甘い、とまだ岩泉と言い合いをしている及川の横顔を見据えて、ふ、と笑みを零した。



BACK TOP NEXT