試合中、一番多くボールに触れているのがセッターだ。
 チームの司令塔であり、敵ブロックを欺きかわしてスパイカーにボールを運ぶ。
 一番格好良くて、一番面白い。それがセッターだ、と影山飛雄は純粋にセッターというポジションに強い憧れを抱いていた。
 バレーを始めたのは小学二年生の頃。とにかくボールに触れているのが楽しかった。そのせいか、けっこう練習熱心な方だと自分でも思う。が、好きでやっていることで、自分にとっては当たり前のことだった。
 だから人より多少は秀でている自覚があった。でもそれは早期に始めたことと豊富な練習量によるもので、きっと他人も自分と同じようにやれば同じようにできると思っていた。

 中学にあがることをずっと楽しみにしていた。
 自分の学区は強豪と名高い北川第一。より良い環境でバレーをできるのが嬉しかった。もしかしたら全国大会にも行けるかもしれないし、見たこともないような凄い選手がいるかもしれない。
 そんな思いで入部の日は興奮を抑えるのに苦労した。
『ようこそバレー部へ。俺は主将の及川徹。一緒にプレイ出来る期間は長くないけど、よろしく』
 さすがに強豪。新入部員は多いし先輩も多い。主将だと名乗った人はどことなく固い雰囲気で厳しそうで、身体も大きくて威圧感があった。
 入部したての初日からコートに立たせてもらえるとは思っておらず、取りあえずのコートに散らばる零れ球拾いを指示されて黙々とボールを拾い集めつつちらりとコートを見やった。そしてなんとなく、主将と名乗った人を目で追った。単純に主将ならば一番上手いのかと予測したからだ。
 そうして、彼は目の前でジャンプサーブを打った。跳び上がった瞬間、完全に目を奪われた。テレビなどでジャンプサーブを見たことがないわけじゃない。でも、こんな近くでこれほどのサーブを見るのは初めてで、まるで取り憑かれたようにその人をジッと見つめた。瞬間、伝ったのか振り返られて、目が合った瞬間に自らそらしてしまった。
 ――すげえ。あの人、すげえ……! 中学って凄い所なんだ……!
 昂揚を抑えきれないままにそう感じた。でも、それはすぐに見当違いだと悟った。もちろん中学生は小学生よりはレベルは上だしレギュラー陣は相応の選手たちだ。でも、凄かったのはその人――及川徹だったのだ。
 おまけにポジションはセッター。あんな選手になりたい、と強く思った。けれども彼は主将で自分は新入部員。話しかけるチャンスなんてそうそうないし、近づくことさえ難しい。
 ようやくチャンスが巡ってきた、と感じたのは練習試合の日だ。その日、及川は調子が悪かったのか交代を指示され、かわりに自分が入った。中学で初めての試合というのも嬉しかったが、及川のあとを任されたのが何より嬉しかった。思ったよりも上手くプレイできて、試合には勝てたし、レギュラー陣とも初めて話ができて、チャンスだと思った。
 その日は及川が一人で残って練習していて、思い切って声をかけてみたのだ。サーブ教えてください、と。
 なのに――と影山は授業中の眠気と戦いながら、ハァ、とため息をついた。
 あの日以来、チャンスがあれば教えを請いに出向いているが、毎回あしらわれて終わっている。なんでだよ……と思うも、なぜなのか本気で分からない。
 嫌われている……、とはいえ嫌われるほど接したことはない。でも、特に理由がなくともこちらの存在を受け付けない、ということはあるのかもしれない。昔から、自分はなぜだか動物に懐かれないというか嫌われているような気がしているし、近づいたらもれなく逃げられるからだ。それと同じで、及川もそうなのかもしれない。
 いや。というか、単純に性格が悪いに違いない。いつだったか「トビオちゃん」と呼ばれて反射的に不本意な顔を浮かべたら、それが痛く気に入ったのか、以来なぜか名前で呼ばれている。それはもう慣れたし嫌じゃない。が、性格悪いことこの上ない、と思ったのは確かだ。
 けれども自分にとって重要なのは、及川に教わりたいことがたくさんあるということ。別に及川の性格まで気にしていない。と、影山は再度ため息を吐いた。
 県総体前だし、もしかしたら引退して時間ができたら教えてくれるかもしれない。サーブだってブロックだって、セットアップも。色々教わりたい、と思う心とは裏腹に、国語教師の読み上げる朗読文がまるで子守歌のようで、影山はついに耐えきれずに瞳を閉じた。


 6月に入り、はまさかいつも校庭の隅で一人熱心に練習をしている少年と及川の複雑にもつれ合った事情など知るよしもなく、普段通りの生活を続けていた。
 先月に美術部が取りかかったバレー部応援ポスターは既に完成し、刷り上がってきたばかりだ。
 おまけに県大会を前にして及川には地元テレビ局の取材が入ったらしく、生徒達がその噂で騒いでいたのはも耳に入れていた。ゆえに、北川第一はバレー部の中総体県予選へ向けて普段以上に盛り上がりつつある状況にあると言っていい。
 しかし。バレー部を学校一丸で応援しようという主旨は当然だと理解できるけれども。ポスターを貼っていくのはやっぱり少し恥ずかしい。と、部員みなで各教室、掲示板等々へ貼るという作業を分け合ったは3年生の共同掲示板にポスターを貼りつつ少し耳を染めていた。
「何やってんの?」
 よほど恥ずかしいと思ったのか、今はあまり聞きたくない声が耳に響いた気がする。と理解して数秒後。ハッとしては振り返る。
「お、及川くん……。岩泉くん」
 視線の先には声の主である及川と岩泉がいて、無意識にはポスターを隠すような姿勢を取った。が、当たり前のようにそれは無意味に終わった。
「これアレか? 先月、美術部がポスター描くだの言ってたヤツか?」
「え……う、うん」
 当然のように岩泉に問われて、は頷いた。ポスターの出来自体は自身もなかなかだと思っているし、見られるのは全く構わないのだが。自分の提案でないとはいえ、そしてバレー部が学内で唯一の強豪クラブであるとはいえ。ピンポイントでバレー部を対象にポスターを描いたということがやはり恥ずかしくて少々いたたまれない思いを抱えていると、ジッとポスターを見ていた及川がこちらを向いた。
「これちゃんが描いたの?」
「え!? う、ううん……。その、構図と色指定、あとデッサン修正だけ」
「へ? それって全部じゃないの?」
「ち、違うよ。私、基本的にノータッチだったもん」
「あー、そういえば居なかったよねえ……。美術部の子たちが部活見学に来てた時」
「うん、別のことしてて」
「でも放課後見にくるくらいなら、みんなと来た方が効率イイよね? 及川さん部活中はサーブ以外もやってるよ?」
「だから、見に行ってるわけじゃないって言ってるのに……!」
 ケラケラと笑われて、思わず言い返したはハッとした。あまり及川と話している所を他の女生徒に見られたくなくて周囲を見渡すも誰もいなくてホッと息を吐く。
「おい及川、その薄ら笑いヤメロ。気持ち悪い」
「ヒドッ、気持ち悪くないしステキだし!」 
 自身、こうして黙って見ていれば及川は端正で整った容姿をしているとは確かに思うのだが。やはりこの性格は――と思うも、そういえば彼は女生徒の前では作り物のような笑みを向けてにこやかに対応する人、女生徒曰く「素敵な人」だった。と若干引いていると気づかれたのか及川がこちらを見た。
「え、なに?」
「……なんでもない……」
 けれどもやっぱり。瞳は凄く綺麗だ……とうっかり目が合ったものだからは少しだけ斜めにそらしてから、そうだ、と岩泉の方を見た。
「県大会、夏休みに入った直後なんだよね」
「おう」
「きっとウチの生徒、いっぱい行くよね」
「お前も来んのか?」
「え……!?」
 特に他意なく言った言葉を聞き返され、反射的には硬直した。その予定はない、とは言えずに黙していると「え」と困惑気味の声が及川からあがった。
ちゃん、こんだけ招致活動やっててまさか来ない気?」
「え、でも、これ、私の企画じゃなくて……その……」
 さすがに、行かない、と言い切るのはこの場では難しく、はどうにか言葉を濁した。美術部のみんなは応援に行くのだろうか? けれども仮に行くとしてもそれは美術部の活動外なはずで、きっとプライベートなことだ。かくなる上は、早いところ退散した方が賢明だろう。
「じゃああの、私、続きやらなきゃいけないから行くね」
 これ以上話がややこしくなる前に行こう、とはまだポスター貼りの作業が残っていた事をいいことに、笑みを浮かべて2人の横を抜けた。
 足早に廊下を歩きつつ、窓にうっすら映った自分の姿を目に留めて、う、と髪を押さえる。仙台は梅雨入りを迎えたばかり。ゆるく天然パーマの入ったクセっ毛は普段よりも波を打っている。
 そういえば及川の髪も普段より跳ねていた気がするし、及川ももしかしたら天然パーマなのかも、と過ぎらせればその部分だけは親近感が沸いて少しだけ口元を緩めた。
 そのままは梅雨をテーマにしたコンクールの出品等々に追われてバタバタ過ごし、あっという間に一学期は終わりを告げた。
 そうして今年の夏は最初から最後までみっちり東京での絵画と語学の夏期講習を入れており、は終業式の次の日には新幹線に乗っていた。
 バレーの県総体は週明けから三日間かけて行われる。さすがにポスター作業を経て日付も場所も覚えた。
 の脳裏に、もうずっと一年生の頃から見知っている及川の後ろ姿が過ぎった。
 応援には行けないが。今度こそ白鳥沢に、牛島に勝って優勝して欲しいと思う。きっと白鳥沢の選手だって、牛島だって日々努力し続けているのだろう。それでもやっぱり、及川は誰より頑張ってきたことを知っている。未だに彼の性格を面倒に感じる部分もあるが、やっぱり自分は及川に一番最初に感じた印象を完全には忘れ去る事はできないだろう。
 ――名前も知らない、とびきり練習熱心なバレー部の男の子。その少年・及川へ向かう第一印象は、間違いなくプラスのものだった。
 それは今も、変わってない。たぶん。きっと。いやぜったい。根はバレーに真摯な人だから。
 だから頑張って欲しい。と窓の外の流れる風景を見ながら思った。



BACK TOP NEXT