公務へと戻ったクロヴィスは、まるで人が変わったようにシンジュクの事件に対してキッパリとした処置を敢行した。
まずは今まで決して頼ろうとしなかったシュナイゼルに甘んじて頭をさげ、シュナイゼル管轄の調査団をエリア11へと派遣してもらったうえであの日のシンジュクへの直接攻撃命令を出した人物を徹底的に調べ上げさせたのである。すればブリタニアの武器商人とナンバーズのテロリストの繋がりもすぐに発覚し、クロヴィスはためらうことなく彼らに対し罪人としての処刑を敢行したうえでエリアに向かって声明を発表した。
シンジュクでの痛ましい事件を猛省するとともに全ての犠牲者に対して哀悼の意を表し、二度とこのようなことは繰り返させないことを誓う、と。
思いのほかのクロヴィスの厳しい処置に今までクロヴィスの施政下で好き放題にやっていた者たちは自重を余儀なくされ――結果としてクロヴィスが統治しやすい環境へと改善された。テロリストにしても同様で、ブリタニアと旧日本人裕福層の蜜月関係を暴かれ――活発だった思想犯も沈静化していく結果へと繋がった。


ある真っ青に晴れた休日の午後――、午後のみという名目で久々に公務を休めることとなったクロヴィスはいそいそとキャンバスを持ち出して総督府の空中庭園へと向かい、久々の絵描きに興じることにした。
小鳥のさえずりが聞こえる中、様々な花の咲き誇るこの庭園はやはりかつてのアリエスの離宮を思い起こさせて、ふ、と笑う。
「もう少しだ……もう少しで君たちの眠る地を穏やかにすることができそうだよ。――ルルーシュ、ナナリー」
あのシンジュク事変から一ヶ月以上が経ち――、どん底の状態から少しは進歩できたと自負している。
犠牲も大きく、今も思い出すと胸が痛むが――結果としてこのエリア11の治安も施政も向上したのはせめてもの救いであったと思う。なにより以前よりも明確な意思が生まれた。もうに甘えてばかりはいられない。この先、自分の一生をかけて彼女を――を必ず幸せにしてみせる、と。彼女が安心して頼れるような男になるのだと思うとどんなことでもできそうな気がした。
このままこのエリアの治安が向上して衛星エリアに昇格し、この地を平定して元の美しい国に戻したら――自分は生涯を捧げてこの地の総督として務めることを父帝に奏上しようと思う。帝位は、いらない。皇宮へも戻らない。代わりに一生を守っていきたいと伝えれば、おそらく受け入れてもらえる。
だから――、とクロヴィスはまっさらなキャンバスを見つめた。
午後の緩やかな風がとても心地いい。
執務室の紅葉は今は見事な青葉を湛えているが、朱へと色づく頃にはあの紅葉をプレゼントしてくれた兄と妹をこのエリアに招こうと思う。そして伝えよう。二人のおかげで今の自分は未熟ながらもこれほど満ち足りているのだ――、と。
そうして筆を滑らせようと画材を選んでいると、不意に空気を乱して近づく足音がクロヴィスの耳に届いた。

「ほう、これはこれは。まるでかつてのアリエス宮を思わせる庭ですね……懐かしい」

聞き慣れない、だがどこか聞き覚えのある口調にハッとしてクロヴィスは振り返る。
すると見事な黒髪を湛えた細身の少年が立っていて、クロヴィスは惚けたような表情を晒した。
「……だ、誰だ……君は……」
「覚えていませんか? アリエスの離宮でチェスをやったことを。いつも僕の勝ちでしたけど」
「なッ――!?」
「お久しぶりです、……兄さん」
クロヴィスは極限まで瞳を開く。この口調、この呼び方――思い当たる人物はこの世にただ一人だけだ。だが。
「今は亡きマリアンヌ后妃が長子、第十七皇位継承者……ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアです」
「!? ――ルルーシュ、しかし、お前は……」
「死んだはず、ですか? 生憎と、そう簡単に死ぬわけにはまいらなかったのですよ……殿下」
言って、目の前のルルーシュと名乗った少年は懐から銃らしきものを取り出してクロヴィスに突きつけ、憎悪を込めた瞳でクロヴィスを睨み上げた。
「先日のシンジュク事変ではあなたの本性をいやというほど見せてもらいましたよ。さすがはあの男の息子なだけおありになる」
「な、何を言って……」
「だが脇が甘いのは相変わらずですね、これがシュナイゼルならばこうもあっさりと総督府への侵入など許してはいない」
「ルル――」
「我が母上の死について知っていることを全て話せ――クロヴィス」
ゴリ、と額に銃口を突きつけられ、クロヴィスはようやく今の状況を理解するに至った。
――目の前にいるのは、確かに血を分けた弟であるルルーシュで。亡きマリアンヌの面影を宿した彼は七年前の戦争をきっかけに失踪し、いつか母親の仇を討とうと機会を窺っていたのだ、と。少なくとも彼はマリアンヌを殺害したのは皇族の人間だと思っているのだろう。
とんだ誤解だ――、とクロヴィスは突きつけられた銃口に怯みつつも抗った。
「何を言っているんだいルルーシュ……皇族が関わってるなんてあくまで噂だろう? せめて私ではなく兄上や姉上に訊いてくれよ。それより――」
生きていてくれて本当に良かった。――そう言葉を紡ごうとしたクロヴィスの喉は突如襲った激痛により裂けるほどに引きつった。
一旦突きつけていたサイレント・ガンを離したルルーシュが間髪いれずにクロヴィスの右手に向かって引き金を引いたのだ。
「――ぐッ、あ……!」
これ以上ないほど表情を歪めて膝を突き、真っ赤な鮮血が溢れ出す右手をクロヴィスは自身の左手で抑えた。するとうっすらと映る硝煙の先でひどく冷酷な声が降ってくる。
「どうです? あなたに蹂躙されたイレヴンの痛みよりははるかにマシでしょう? でも、これでもうあなたの大好きな絵を描くことは二度と叶いませんね」
右手を撃たれ、もう絵が描けなくなる事などクロヴィスにはとっさに判断することはできなかった。ただはっきりと分かっていたことは――ぐちゃぐちゃの頭と痛みの中でも、ずっと彼らの死を悼んでいたクロヴィスにとってはルルーシュが生きていたことは嬉しいということだった。
「ル……ルルーシュ……ナ、ナナリーも……、無事、なのかい?」
やっとの思いで声を絞り出すと、少しだけ焦りの混じったような憎しみの声が伝った。
「ッ、生きていたらどうだと言うんだ! 母の死で光を失い、歩くことも叶わなくなった我が妹のことを――!」
「そ、そうか……。でも、良かったよ……わ、私と一緒に本国へ……みんな、喜ぶ、から」
途切れ途切れの声で言葉を繋いでルルーシュを見上げると、彼は困惑と怒りに震えた形相で再び――今度は銃の照準を胸元に合わせてがなりつけてきた。
「今さら何を言っている! ――いいから話せッ、母さんの死について知っていることを全て!」
「……だから、知らないと言っているだろう? 誤解だよルルーシュ……私も……姉上たちも……ずっと、君のことを――」
「ならば――死ね!」
歯を食いしばりつつ懸命に訴えるクロヴィスの言葉を遮り、ルルーシュは全てを掻き消すように強く銃のトリガーを引いた。
目を見開いたクロヴィスは、おそらく痛みと衝撃に呻いたであろう自身を自覚することはなく――気づいた時には草の上に一人突っ伏していた。
朦朧とする意識の先で、赤く濡れた草を見て――どこか人ごとのように思いながら懸命に重い身体を起き上がらせる。
震える右手は骨が砕けていびつな形を晒し、血が溢れ出したままで真っ赤に染まっており――遠い思考の中でクロヴィスは鮮やかな朱に染まる紅葉を思い出した。
「…………」
鮮やかな朱――きっと、兄と妹のくれた紅葉が彼女に引き合わせてくれたのだと思う。自分を皇子扱いしない生意気なイレヴンで、でも紅葉の舞い散る空間に佇んでいた彼女は例えようもなく美しくて、あたたかく微笑んでくれて、人種も立場も何もかもを越えて彼女に惹かれた。
ゴホッ、と咳き込んだ瞬間に口の端から血を零し――クロヴィスは眉を寄せた。
これは罰なのだろうか。
仕方がなったこととはいえ、弟と妹を助け出せず、間接的に他国を蹂躙し続け、あまつさえ自分の預かるエリアは治安不安定で多くの人間を犠牲にして。
幾度も幾度も、自分は既に紅蓮の中へと落ちる定めなのだとその罪深さを恐れもした。だが――。

『ねえ、クロヴィス。あの色は……とても強くて、一目見ただけでどこに在るか分かるでしょう?』
『だから"思ひの色"――って、この国では言うの。罪じゃなくて情熱の証』

そんな風に教えられて、どれほど救われたことか。
自身に流れる赤い血が、美しいものだと喜べるようになったものだ。
……」
重い足を引きずって、クロヴィスは彼女の面影を追うようにまっさらなキャンバスを遠くに見つめた。
意識がだんだんと遠くなってきている。こんなところで死ぬわけにはいかないというのに。けれど、巡る意識が懐かしい思い出ばかりで――幼かったころのルルーシュやナナリーの顔、もうずっと会っていない本国の母親のこと、数多の兄弟のこと。あの二人が生きていてくれて嬉しい。母は嘆くのだろうか。ユーフェミアは泣いてくれるだろうか、シュナイゼルは間抜けな弟だと呆れるのか。断続的に巡る想いはバラバラで繋がらず、クロヴィスは何かを求めるようにキャンバスの方へと一歩足を踏み出した。
「…………」
するといつものように穏やかに笑いかけてくれるの笑顔がハッキリ見えた気がして、弱々しく笑みを零す。
先日、別れ際に不安そうな表情を浮かべていた。待っていてくれ、すぐに会いに行く。いつも甘えてばかりで、まだ何一つ君に返してないんだ。もう二度と、そんな顔をさせはしないから――。
……――」
愛しているよ、君を――。白いキャンバスに向かって懸命に右手を伸ばし、まるで自分自身の生きた証を刻み付けるように力を振り絞ってキャンバスに触れクロヴィスは意識の奥で彼女の名を呼んだ。

――どこにいても、どんなに遠くても真っ先に迷わず君を見つけるよ。必ず、君を……。

ぼやける視界が真っ赤に染まり――、ふわりと足元が崩れて、目の端に映った自身の朱にクロヴィスは無念さのなかで確かに安堵した。
そのたった一つの燃える緋のような色だけを残して――彼の意識が戻ることはもう二度となかった。


ちょうどその頃――、自身の身体の変化を敏感に感じ取ったは自宅の水場へと駆け込んで咽せ返っては咳き込んでいた。
風邪や体調不良の類ではない。
息苦しさが整うのを待って、深く呼吸をしたところで自身の下腹部に手をやる。
「……あ……」
そういえば、と思い当たる事柄に確信しては自然笑みを零していた。
おそらく、待ち受ける事態は今の比ではないほど大変だろうことは容易に想像できた。ブリタニアの皇子と、ただの日本人でしかない自分と。
けれども、嬉しいという温かい感情のほうが遥かに勝っていたのだ。
そして、クロヴィスもきっと喜んでくれるという確信があった。
いつものあの無邪気な笑顔できっと――、とそんなクロヴィスの姿を思い浮かべて幸福を感じつつ微笑み、は身体を気遣いながら仕事を終えて何気なくテレビをつけた。

「……番組を変更して今の時間は臨時ニュースを流しています。本日、午後三時ごろに総督府の庭園でご遺体の発見されたクロヴィス殿下ですが、依然詳しい状況は分からずに今も取材が続いています。現場からは――」

するとキャスターのそんな声が飛び込んできて、カタ、とは力なくリモコンを落とし――暫くはまるで意識を失ったようにその場に立ち尽くしていた。





***




――ねえ、クロヴィス……。


あれから何年の月日が流れただろう? 真っ青に晴れた空を見上げて、は懐かしい愛しい人の名を呼んだ。
クロヴィスがいなくなって、様々なことが起こった。
クロヴィス殺害のニュースを聞いたときは信じられずに身分も省みず政庁に押しかけ、せめて遺体を見せてくれと訴えたが聞き入れられることはなかった。バトレーがいれば遺体との面会も叶ったのかもしれないが、皇子を死なせてしまって過失を問われた彼は将軍の身分を剥奪され、牢へと入れられてしまっていてどうすることもできなかったのだ。
それが皇子たるクロヴィスとナンバーズでしかないの現実。
結局はブリタニア本国での葬儀の様子をテレビ中継で見守るしか、彼の死を受け止める術がなかった。
「あなたが亡くなって暫くして、あなたが死を悼んでいた弟さんと妹さんの生存が確認されて……、今はルルーシュ殿下がブリタニアの宰相なのよ?」
クロヴィスが生きていたらきっと喜び、少し悔しがるのだろうな――と笑みを零しながら天を仰ぐ。
「お葬式の時に第三皇女殿下のお姿を見たけれど、やっぱりクロヴィスそっくりでいらした。それに……」
いつかクロヴィスが自身の兄シュナイゼルとすぐ下の妹のことを「恋人のようだ」と冗談まじりに言っていたが、おそらくそれは当たっていたのだろう。
クーデターを起こしたシュナイゼルと第三皇女は心中という形で亡くなり、長兄のオデュッセウスが皇帝へと即位してブリタニアも随分と変わっていったものだ。
前帝のシャルルとクロヴィス本人を殺害したのもシュナイゼルだ、と世間では言われていたが――にはどうしてもシュナイゼルがクロヴィスに手を下したとは思えなかった。
仮にシュナイゼルが犯人だったとしても、もはや真実を確かめる術も、恨みさえも届かずにどうすることもできない。
ただクロヴィスがいない事だけが、いつまで経っても心に空いた穴を完全には埋める事ができなくて――。

「お母さーーん……!」

少しだけ寂しげに彼の瞳の色に似た空を眺めていると、鈴の音のような可愛らしい声が響いてはパッと意識を戻した。
見ると色素の薄い髪を湛えた幼い少年がキラキラした笑みでスケッチブックを抱いての前まで走ってきて、パッとその中の絵をに見せた。
そこには道端の木や花が鉛筆で描かれていて、穏やかに微笑みながらが褒めると少年は無邪気に笑って頬を染める。
「この花は熱をさげるお薬になるんだよね? こんど僕も作ってみるんだー」
そうして拙い筆使いで印を付けつつ薬草に興味を示すさまは自分に似てしまったのだろうと何気なく見ていると、ねえ、と少年はもう一度大きな瞳で見上げてきた。
「僕の絵、もうお父さんよりも上手かな?」
「うーん、そうね……もう少し頑張らないとだめかな」
少しばかり煽ってみると少年は分かりやすく頬を膨らませ――、こんな眼差しは本当に父親そっくりだ、とは目を細めた。

クロヴィスの死と、クロヴィスの子を宿していることを同時に知ったとき――どうあっても生むことを決意した。
だから自分はあんな形でクロヴィスを失っても錯乱せずに済んだのかもしれない。
けれど――、彼を、息子をブリタニアの皇子の子であるとブリタニアに知らせる気はには一切なかった。
唯一の例外と言えばオデュッセウス即位後に釈放されて自身の身を案じカマクラまで訪ねてきてくれたバトレーであるが、彼は敬愛するクロヴィスの忘れ形見に涙して「せめて后妃さまに知らせてはどうか」と促したもののが首を振るうと結局は納得して引き下がってくれた。

カマクラは――今は戦前の美しさを取り戻しつつある。
総督がユーフェミア第四皇女へと変わってエリア11は衛星エリアへと昇格し、ほぼ以前の日本と変わらない状態まで戻っていた。
オデュッセウスはエリア解放の意思も見せており、このエリアが「日本」という名を取り戻す日もそう遠くはないだろう。

そうすれば、自分は一人の日本人に戻り、クロヴィスは一人のブリタニア人で。そこに以前のような壁はなくなる。
人の運命とは、ずいぶんと数奇なものだと思う。
ブリタニアとの戦争で家族を失い、ブリタニアの皇子を愛して、新しい家族を得た。
「クロヴィス……」
もういない彼だというのに、なぜかいつの日かまた彼に会えるような気がして――は我が子の手を引いてカマクラの路地を自宅へと歩いていった。


――ねえ、クロヴィス……と、もう一度心の中で彼に語りかけてみる。


あなたの場所から、見えてる? きっと見つけてね――私たちは、ここにいるから。


柔らかな風が少しだけ滲んでいたの涙をさらっていき――、はもう一度天を仰いで穏やかな笑みをそっと空へと返した。








―― End. ――






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