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足元で踊る落ち葉を恨めしく思うのも今日が最後。 「引退」の2文字で片付けられるほど、安い存在だったのだろうか。 校舎脇から伸びる1本道は、秋色をふんだんに含んだ木々に囲まれている。 夕日を背負い、黄金色の道を歩く観月の足取りは普段とさして変わるものではなかった。 “テニス部”と彫られた白いプレートを目の前にして、観月は一旦足を止めた。 赤澤が部長に就任した際、引退した3年が資金を出し合って作ってくれたプレートも、たった1年で体中に無数の傷を散らしている。 少し根元の錆びているドアノブが、甲高い悲鳴を上げて右へ180度回転した。 「どうですか」 観月は部室に1歩踏み入れて、その場に広がる惨状に目を覆いたくなった。 テーブルに立て掛けられたラケットや、パイプ椅子のまわりに山積みになったタオルやシューズはいつもの事。 「な・・・」 観月が呆れてものも言えなくなった原因は、テーブルの上に散乱した私物だった。 引退、つまり私物の溢れかえるロッカーを、来春から入ってくる新入部員の為にキレイにしてやることが部員としての最後の仕事。 ロッカーの奥から出てくる懐かしい品を眺めながら思い出話に浸るにしては騒がしすぎるような気もしたが。 「おー、観月来たか」 自分のロッカーを漁っていた赤澤が振り向いた。 その腕には、抱えきれないほどの雑誌が今にもこぼれ落ちそうな状態で揺れている。 足元に広がる汚れたTシャツを踏まないように足元に気を配りながらテーブルに歩み寄り両手を広げると、ドサドサと地響きに似た音を立てて、なだらかな私物の山の傾斜が約5度上がった。 それを当然のように繰り返す部員達に、眼を目一杯開いた観月が声を張り上げた。 「あ、な・・・何やってるんですか!」 全員の動きがぴたりと止まり、騒がしかった室内は水を打ったように静まり返っている。 「何・・・・・・って、片付けだーね」 ストライプ地のネクタイを緩めながら柳沢が答えた。 「片付け・・・それじゃあ、この」 観月はあごをしゃくり、視線ごと中央のテーブルを示す。 「山積みの私物を全部持って帰るんですか」 半ば呆れる口調なのは瞭然。 「あー、違う違う、それゴミ」 「・・・・・・」 口元を引きつらせた観月は怒る気すら失った。 赤澤がワイシャツの袖をまくりながら汗を拭う。 室内温度の高さに気付いた観月が、入り口のドアを全開にして紐で固定した。 秋も深まる頃だというのに、連日の気温は“暖かい”なんて言葉では済まされないほど。 ─────前はもう少し涼しかったような気がする。 観月が初めてこの部室を訪れたのは、1年と少し前。 入部して2週間後には3年生が引退した為、名前を覚えている先輩はほとんどいなかった。 ─────あれから、もう1年経ったのか。 あいているパイプ椅子を持って、風通しの良い入り口付近に座った観月は、ぼんやりと茜色に染まる西の空を眺めた。 珍しく感傷的になっているのは季節のせいか、それとも。 「じゃ、お先に」 比較的少ない荷物を持って目の前を通る野村に、観月は軽く会釈をする。 後に続くように十数人が部室を去ると、残るのは赤澤、柳沢、木更津の3人のみ。 予想通りの展開に軽い頭痛を覚えた。 部室と焼却炉とを何度か往復するうちに、テーブルの表面が見えてきた。 とは言うものの、世界一高い山が日本一になった程度。 手を動かす速度を上げなければ日が暮てしまうのも時間の問題だった。 「手伝います」 息を大きく吐き出した観月は、パイプ椅子を折りたたんで壁に立て掛けるとテーブル上を眺める。 雑誌や菓子、UFOキャッチャーの景品らしきぬいぐるみ。 「・・・・・・これは」 ゴミの山を掻き分けて取り出したのは1丁のモデルガン。 この手の物に興味があるのは年頃の男ならあたりまえの事。 艶かしげなボディに指を滑らせ、その精密さに感心する。 「ごめん、それゴミじゃない」 内心ではもう少し観察したかったが自制して、1歩前に出て手を伸ばす木更津にモデルガンを渡した。 一瞬だけ見せた執着心も、気づかれる事なく観月は再びテーブルに手を伸ばす。 「それにしても、どこからこんなに大量のゴミが出てくるんですか」 雑誌をひとまとめにしてビニールの紐で結ぶ作業を数度繰り返したところで、ついに愚痴がこぼれた。 「諸悪の根源は赤澤だーね、ロッカー3つも使ってるからその分ゴミが増えるんだーね」 自分のロッカーの内側を水拭きする柳沢の横で、赤澤が頭の後ろに手を回して笑う。 「いやぁ、はは・・・部長特権ってぇの?」 「整理能力が欠落してるんじゃないの」 「言えてるだーね」 「ぁんだと、テメェら!」 「うるさいっ!!喋ってないで手を動かせ!」 本日2度目の雷が落ちた。 焼却炉からの帰路、朱色を含んだ風が観月の柔らかい髪を泳がせた。 ─────日没まであと1時間くらいだな。 高くに広がるグラデーションが濃くなってきている。 足を速め部室に戻ると、柳沢がすでにブレザーに袖を通して帰り支度を整えていた。 「終わりましたか」 数時間前まで人とゴミに溢れ騒然としていた部室が、今となっては物足りなさを感じるほどになった。 「おぅ、先帰るだーね」 柳沢が、つもと変わらぬ口調で観月の横をすり抜ける。 ロッカーを静かに閉めた木更津も、柳沢に倣うように、通学バッグと私物の入ったザックを担いで出入り口へ足を進めた。 「お先に」 「ええ」 素っ気ないやり取りはいつもの事だった。 観月は2人を送るとドアを止めていた紐を解き、自分の作業に移る。 とは言うものの、数日前から少しずつ片付け始めていたのでロッカーの中はごくわずか。 「お前、荷物少ねーなぁ」 ようやく水拭きの出来る状態まで片付け終わった赤澤が、横から口を挟んだ。 「そう言う自分はどうなんですか、必要以上にゴミばかり増やして」 「普段から使ってるモン、置いてあっと落ちつくじゃん」 「そうですか・・・」 観月の関心は、赤澤の方にすら向いていない。 赤澤は口を尖らせながら固く絞られた雑巾を広げると、ふと小さな意地悪を思いついた。 「さっきのさぁ・・・モデルガン、木更津の持ってたやつ」 手を止めて顔を上げた観月の目が明らかに不愉快さを訴えていたが、赤澤は構わず続けた。 「あーゆーの好きなのか?」 モデルガンを手に取った瞬間、観月の食指が動いたのを赤澤は見逃さなかった。 普段から内を覚らせない観月にしては、とても珍しい。 「俺さー・・・」 「別に」 赤澤の言葉を機械的な答えが遮った。 からかうつもりで言ってみたものの、凍るような視線に思わず息が止まる。 これ以上喋れば殺されそうだと本能で察した赤澤は、肩をすぼめて再びロッカーの奥へと手を伸ばした。 キュッキュと布の擦れる音のみが室内に響く。 天井近くにある窓からほぼ水平に射し込む光が拡散して、薄汚れた壁に無数の影絵を生み出していた。 「おーっし!終わったぁ!」 赤澤はロッカーの扉を乱暴に閉めると、ネームカードを抜き取ってゴミ箱へ投げ入れた。 「じゃ、俺帰るから鍵頼むな」 私物がぎっしりと詰まったダンボール箱を抱きかかえると、赤澤は器用に足でドアを開けて、風で舞う落ち葉が室内に入らないように最低限の隙間に体を通した。 「・・・・・・観月」 赤澤はドアと壁に挟まれる妙な格好で、ロッカーの前にたたずむ観月の背中を見つめた。 決して逞しいとは言えない体が反転する。 「お疲れさま」 褐色の肌に白い歯が栄える。 2人の視線が交差することはなく、出入り口のドアがゆっくりと閉じられた。 途端に部室から音と熱が奪われる。 ─────お疲れさま・・・か・・・。 観月は再び反転して、ロッカーの扉を水拭きする。 上から下へ一通りやり終えると、ちょうど目の高さにある『観月』と書かれたネームカードを横にスライドさせて抜き取った。 入部した日に当時の部長から貰った小さな白いネームカードを、目にする事はあまりなかった。 指先でくしゃりと潰すと、視線は壁際のゴミ箱へ。 だが、ネームカードを投げようとする手が動く事はなかった。 ─────なんだ・・・? 胸が詰まるような感覚に捕らわれ、観月は手の中のネームカードを広げた。 壁でゆらゆらと踊る影絵が、次第に薄くぼやけてくる。 もの悲しく感じるのは季節のせいなどではない。 ─────ああ、そうか。 あまり使われなかったロッカーにも、傷だらけのプレートにも、錆びたドアノブにも、ネームカードにも、心が触れてしまったから。 知らず知らずのうちに、探していた場所。 ─────ここにいると、落ちつくんだ。 薄い唇が最後の言葉を刻む。 「お疲れ様」 朱い熱が眠りについた。 |