My shining baby






八月下旬の良く晴れた日、俺はいつものように浜に向かった。

今日は本当に天気がいい。
残暑の厳しい、真夏並の一日になりそうだ。
もっとも、海へ出るにはそっちのほうが好都合だけど。

夏の大会も無事終わり、俺たち六角中三年は引退を迎えた訳だけど相変わらずみんなテニスやったり海に行ったり、やる事は何も変わっていない。
もちろん、それに受験勉強もプラスされる訳だけど。

「サエーー!!」

ぼんやりと考え事をしていたらバネが俺の姿を見つけて大声で手を振ってきた。
今日も元気だなぁ……きっと誰より早く浜に出てきたんだろうな。
目を細めて「おはよ」と声をかけ荷物を降ろす。
浜を見渡すと、この時期だというのに結構な観光客で賑わっていて、千葉のビーチの人気を改めて肌で感じる。
普段静かなこの街が一番賑わう季節が夏。
波打ち際に目をやると、剣太郎とサトが水の掛け合いをやっていた。
子供だなぁ……いやいや、俺も子供なんだけど。
そんな事を考えてフッと笑う。
仲間のはしゃぐ姿は微笑ましい。
「なぁ、今何時だ?」
ふとバネが剣太郎たちを遠目に見ていた俺に尋ねてきた。
「んー……ちょうど十時くらいじゃない?」
「そうか……」
バネは何だか時間を気にしてるようだ。
ま、理由は大体分かる。
駅からここに向かうバスは昼間は一時間に四本は出てる。
夏は利用者が多いからダイヤ改正で本数も増えてるし、バスは遅れる事もあるし、時間気にしてもあんまり意味ないと思うけどなぁ。
バネはこういうところが大雑把だ。
俺だったら何時の電車に乗るとかこのバスに乗るとかちゃんと訊くか指定するけどね。
こんな事言うとまた「俺とお前は違う」とか反論されるんだろうけど。

しきりに海岸沿いの道に視線を送っていたバネの顔が少し緩んだ。
つられて俺も道路側を向く。

さーーん!」

わ、剣太郎。
お前いつの間にこっち来たんだ。
バネより先に剣太郎の大声が響いて、海や観光客を横目で見ながら歩いていたさんが俺たちの方を向いた。
パッと日が差したように笑ってこちらに手をふる。
俺たち……というよりバネを見つけてあんな嬉しそうな顔してるんだよな、きっと。
「こんにちは!」
パタパタと走って俺たちの目の前に来ると彼女はにっこりと微笑んだ。
「よっ!」
バネも相変わらず元気な挨拶で彼女を迎える。

さんは東京の氷帝学園の生徒なんだけど、縁あって俺達六角中テニス部とは親しい仲だった。
縁あって――と言うにはあまりに衝撃的な出会いだったんだけど、それはおいおい語る事にして。
とにかく、俺たちとさんは仲が良くて、今日海水浴に直接誘ったのはバネだけど彼女を呼ぼうというと最初に言い出したのは誰だったか覚えてない。
それくらい親しかった。
彼女は俺たちに挨拶すると「着替えてくるね」と夏場の簡易更衣室に向かった。


太陽が眩しい。
周りからは観光客のはしゃぐ声がBGMのように聞こえてくる。
「樹っちゃん、この辺がスイートスポット?」
すぐ傍で潮干狩りをしていた樹っちゃんに話しかけると、同じく一寸離れた場所でクマデを片手に砂浜を掘っているダビデとサト、さんが目に入った。
バネは?
反射的にそう思って沖の方に目線を送ったらバネは剣太郎と素潜り対決をしていた。
亮が何やらカウントをとっている。
バネ……さん放っておいていいの?
思わず苦笑してしまったが、さんはさんで楽しそうだ。
まあ俺が気にするような事でもないし再び潮干狩りへと意識を戻すと、次に周囲に気を配らせた時には結構時間が経っていたらしく、サトは沖へ出ていてさんはいなくなっていた。
慌てて砂浜を一望する。

彼女は荷物のまとめてある場所で例の如くスケッチブックを広げていた。
さん……キミって。
先程と同じように思わず苦笑してしまった俺は、取りあえず彼女のもとへと向かった。
水着の女の子を一人で浜に置いておく訳にはいかない。そう思ったからだ。
本当はこういう役はバネがやれば良いんだけど、相変わらず剣太郎たちと遊んでるから仕方ない。
危ないと思わないのかアイツ?
思わないんじゃなく気付いてないんだろうな、きっと。
「佐伯くん?」
スケッチしている彼女の横へ腰を下ろし、そんな事を思ってなおも苦笑いを浮かべていた俺をさんが手を止めて見上げてきた。
「ん、俺もちょっと休憩」
笑って答えると彼女はそう、と言って再び鉛筆を握りなおした。

さんはいつもスケッチブックを片手に持ってる。
美術部所属らしく、とても絵が上手い。
そう、初めて会ったときも彼女はこの海で絵を描いていた。
偏見かもしれないけど、都会の子らしく垢抜けてるなぁと思った以外は至って普通の子――それが第一印象だった。
いや実際今もそう思っている。
でもその極々普通の第一印象を直後に覆すような事を彼女はやってのけた。
初めて会った俺達に囲まれて、バネのテニスを描かせてくれと大告白。
あれは少なくとも今までの俺の人生でベスト5には入る衝撃的出来事だった。
俺だけじゃなくみんな驚いてたけど、すぐ彼女を受け入れたのは多分凄く真剣だったからだと思う。

さんは俺たちともすぐ打ち解けて、絵を描き終わるまでの間は休日に顔を出すのが習慣みたいになった。
絵を描いてる時の彼女は凄く真剣で、怖いくらいだ。
でもバネは彼女のそんな所が気に入ってるらしい。
アイツ一生懸命なヤツ好きだからなぁ……、なんて休みなしに動く彼女の鉛筆を目で追いながら口元を緩める。

さん」
「何……?」

声をかけると手を動かしながら返事をするさんの横顔を俺はじっと見つめた。
「今日はバネと二人っきりじゃなくて良かったの?」
ボキッ!と豪快な音がした。
どうやら鉛筆の芯を折ってしまったらしい。
「え、え……?」
慌てて赤い顔してさんがこっちを向く。
本当に分かりやすいな。
バネもこれくらい反応してくれるとからかい甲斐があるのに。
「ん、俺達お邪魔じゃないかなーって気になってね」
感心すらしながら俺はつとめて爽やかな笑みを浮かべた。
「そ、そんな事ないよ」
落ち着こうとしてか、深呼吸をしながらさんが答える。
「みんなで遊んだ方が楽しいし」
一寸間を置いて笑いながら言ったその言葉は、多分本心なんだろうな。
バネもきっとそう言うよな。
みんなで騒いだ方が楽しい、ってさ。
「そう? それなら良いんだけど。でもバネとさんって付き合ってるんだろ?」
そう軽く言った俺の言葉を受けて、一瞬返答に詰まった彼女を見て逆に驚く。
おかしいな……認識間違ってただろうか?
「? 二人で出かけたり、電話したりしてるって聞いたけど」
少し首を傾げると、彼女は少しだけ頬を染めて困ったような表情をしてみせた。
「うん」
「じゃあ……」
それって付き合ってるって事だろ?と言おうとして俺は唇を結んだ。
バネの事だ。
以前亮の言っていた通り友達の延長としか捉えてないかもしれない。
気になって、少し探りを入れてみる。
「……二人だとどんな話するの?」
さんが俺を見て「何でそんな事訊くんだろう」と言いたげな表情で口を開く。
「んー……学校であった事とか、今日は天気が良いね、とか」
先ほどと同じように赤くなりながらそんな風に答えたさんに、どこの老夫婦なんだいキミ達は、なんて思ってしまった事は口に出さずへぇと相づちを打つ。
「バネも東京行ったりしてる?」
「うん、何度か。でもいつも人が多くて慣れねぇって言ってる」
さんが髪に指を絡ませながら目尻を下げる。
いかにもバネらしい。
俺は東京嫌いじゃないけどね。
でも東京と千葉じゃそんなに頻繁に会えないよな?
俺たち練習忙しかったし、部活休みの日なんてそれこそ月に何度あるか。下手したらないかもしれない。
電話だってそんなに頻繁にできるもんじゃない。
バネは携帯持ってないしね。
そんな環境――俺だったら相手のこと気になって気になって仕方ないだろうな。
相手にも、気にして欲しいし。
バネは俺と意見が全く違う事は分かってるけど……さんもそうなんだろうか。
寂しくないのかな?
そう訊いてみたらさんは一瞬神妙な面持ちをして瞳を落とした。
「そりゃ……ね。私六角好きだし、何度も六角に通いたいなぁって思ったことあるよ」
目を伏せがちにふわりとさんが微笑んで、カワイイな、と思う。
そんな風に思ってたんだ、なんて少し感動してると、それをバネに言ったら「千葉に引っ越さないと無理だぞ」と大真面目に返されたとさんが続けて、一気に脱力した。
バネ……ズレてると思うよお前。
俺もキミと六角に通いたかったよ。とか言えば良かったのに。
いや、アイツがそんなこと言うはずがないか。
「そうだ、私カメラ持ってきたから後でみんなと写真とろうよ」
俺とは裏腹に当のさんはさして今のことを気にする様子もなく、話題を切り替えて真っ直ぐ俺の瞳を見つめてきた。
大抵女の子とこんな風に話していると、目があっただけで真っ赤になってパッと目をそらされちゃったりするけど、さんは例外だ。
俺だけじゃない、他の誰が相手でもだ。
きっと赤くなって照れたりする相手はバネだけ……なんだろうな。

ー!」

沖の方からバネの元気な声が聞こえて俺とさんが同じ方向に視線を向けると、バネがこっちに走ってくるのが見えた。
髪から滴る海水が太陽の光に反射してキラキラ光っている。
「お前なぁ、絵も良いけど折角来たんだしそろそろ泳げよ。まだ一度も海入ってないだろ?」
やれやれというような表情でバネがさんの顔を覗き込む。
バネ、言ってる事には同意するけど彼女を放っておいたのはお前だよ。と俺は少々呆れた。
「ほら、来いよ」
言うが早いかバネは座っていたさんの腕をグイッと引っ張った。
「ちょ……待ってよ黒羽くん」
慌てて彼女は羽織っていたパーカーを脱ぐと荷物の横に置いてバネの後を追った。
去り際に一瞬目が合った彼女に手を振ると、俺は一つため息をついた。


バネと一緒にはしゃぐさんはとても楽しそうだ。
さっき俺にバネの事を話してた時と同じように目尻をちょっと赤く染めて。
あれはきっとバネだけに向ける表情だ。

「よっし、競争な!」
「え……競争って」
「いくぞ、せーのっ!」
「ちょ――もう!」

女の子相手に素潜り対決……呆れながら二人を観察していると、さんが先に海面から出てきた。
まあ、当然かな。
少し悔しそうに瞳を揺らして……意外と負けず嫌いなのかな?
遅れてバネが顔を上げると、バネはニッと笑ってさんは益々悔しそうな顔しながら「もう一度!」って言った。
結局何度やってもバネの勝ちで……バネも少しくらい手加減してやれば良いのに。
そこがバネらしいと言えば、そうなんだけど。
バネが笑いながらなだめるようにさんの両肩に手を置くと、さんの頬が少し染まった。
こんな遠くからでもハッキリ見えるのは俺の目がちょっと特別だからかな。

バネはスキンシップ過剰だ。
何かに付けてよく肩を抱いたりしてくる。
でも、男相手にはそうだけどいくらバネでも仲の良い女友達といえど男と同じように接してる訳ではない。
さん、キミだけなんだよな……キミは、知らないかもしれないけど。
バネが意識してそうしてるのか無意識なのかは俺には分からないけどね。

眩しいくらいの日差しに目を細め、そんな事を考えながらふとさっきのバネの言葉を思い返した。
「そろそろ泳げよ」と。確かそう言っていた。
バネは、ひょっとしてさんがスケッチしたがってたのを分かってたのか?
だから、あえて一人にしてたのか……?
それにすぐ俺が彼女の傍に行ったから、心配する理由もない。

なんて、考えすぎかな、とふっと息を吐いて肩の力を抜く。
と、同時にバネ達がいる沖の方に高い波が見えて俺は慌てて身を乗り出した。

ッ!」

とっさにバネはさんを抱き寄せてかばった。
大丈夫か?
少しばかり手に汗握っていると二人とも海面から姿を現してホッと胸を撫で下ろす。

「平気か?」
「ん……ありがと」

二人とも頭から波かぶったからな……海水飲んでなきゃ良いけど。
バネは心配そうにさんの顔を覗き込んでるけど、一寸間を置いて状況を把握したらしいさんの顔は徐々にゆでだこ状態になっていった。
バネみたいに無反応に近いのも問題だけどあれだけ分かりやすいのも大変だよなぁ、なんて面白さも半分に肩をすくめる。


「サエさーん、聞いてくださいよ〜、もうクラゲ大発生!」
少し離れた場所で遊んでいた剣太郎たちが戻ってきた。
バネたちばかり見ていて気がつかなかったけど、そろそろ浮き始めたクラゲと格闘していたようだ。
「それより弁当。昼過ぎだし、早く弁当食べん――」
「それ前も聞いたよ」
みなまで言わせずサラリと口を挟んだ亮にダビデが悔しそうに唇を尖らせて、俺は思わず吹き出した。

気づけば太陽は真南へと昇っていた。


それぞれ買ってきたパンやおにぎり、持ってきた弁当を広げているとバネはさんの隣に座った。
それを見てふと手を止める。
そういえばさんがいる時はいつもバネが彼女の隣にいたっけ……、当たり前すぎて気づかなかったな。

晩夏の海に響く観光客のBGMに俺たちの明るい笑い声が溶け込んでいく。
午後はみんなでビーチバレーで大騒ぎして、三時を過ぎた頃にはそろそろオジイの家に行こうと帰り支度を始めた。


「ゴメン、遅くなって……みんな待った?」

パタパタと慌ててさんが更衣室から戻ってきた。
「ううん、大丈夫。まだ全員揃ってないし」
俺が微笑みかけるとさんはホッとしたように表情をゆるめた。
「ったく、何やってんだダビデのヤツ」
バネが男子更衣室の方を睨む。
「髪型決まんなくて鏡の前で悪戦苦闘してるんじゃないの?」
濡れた髪を一つに束ねた亮がクスクスと笑い、まあいつもの事だから仕方ないか、と俺たちは傾き始めた陽を浴びながらダビデを待った。

俺は少し前にいたさんの方を何気なく見つめた。
キャミソール一枚着ている肩に濡れた髪がかかって何だか色っぽい。
色素の薄い髪が太陽に透けてキレイだな、なんて思ってたら隣で同じようにさんを見ているバネに気付いた。

一瞬ハッとして目を瞬かせる。

あんな優しい目をしたバネを俺は見た事がなかった。
暖かさと穏やかさに慈しむような愛おしさも込めたような――俺たちといる時や子どもたちに向ける眼差しとは違う優しさ。
そうか、と納得して緩く笑う。
バネはいつもこんな瞳でさんを見つめてたのか……、とそんな事を思っていたら飄々とダビデが戻ってきた。

「遅ぇんだよ!」

そんな声が周りで飛び交う。
こんなやりとりもいつもの事なので俺たちは文句もそこそこにオジイの家へと向かう為、海岸を後にした。


「ねえ、オレンジに染まる前の海も綺麗だね」
「そうだな」

前を歩くバネとさんの会話が聞こえてきて、俺は自然と口元を緩ませた。
当たり前のようにバネが車道側を歩いていて、サラッとそんな事を出来るバネに感心する。
「でもスケッチは今度にしろよ」
「……はーい」
二人のやりとりを見つめながら、やはりバネは全部分かってた事を確信した俺は二人の気持ちが伝染したように温かな気持ちになった。

言葉に出さなくても相手の事を理解している――、そんな関係も良いと思った。

あの太陽のように、互いの引力に惹かれ合ってるような……きっとずっとこの二人はこうなんだろうな。


――この時の俺は、バネが自分の気持ちを彼女に伝えなかった所為で後にさんが悩むことになるなんて全然知らなかったけど。ずっと二人の事を見守っていきたいと、そう思った。


そして俺もいつか出会いたい……、一緒にいるだけで心が温かくなるような、俺だけの太陽に。










別の誰かの視点というのを書いてみたくなったので……(詳しくは雑記で)
ホントにあの時期の海ってクラゲで泳ぎどころじゃないだろうな、と思います。



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