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舞い落ちる雪。
寄り添い会う恋人たち。
何か特別なことが起こりそうな、そんな予感――。

「なーんて、私らしくもない想像しちゃった。あーあ……」

乙女チックな妄想から現実に戻り、伸びをしながら雑踏を見下ろす空を見上げた少女の名は橘杏。
不動峰中学に通う14歳だった。
杏はここ――東京駅南口のエントランスで行き交う人の波を見つめながら小さく溜め息をしていた。
そうしながら、自分の吐く息が酷く白い事に気づく。
「寒ーい! ミニスカ止めてジーパンにすれば良かった!」
足を震わせつつ、自分で自分の肩を抱きながら杏は顔をくしゃくしゃにして地団駄を踏んだ。
デニムのミニスカに靴はスニーカーという生足を外気に晒したい放題なのだから寒いのも無理はない。
鳥肌の立つ足をさすりながら、杏は寒さから気を逸らせるために雑踏の中、考え事を始める。
元々地方の出で、今も都心に住んでいるわけではない為人混みにそう慣れているわけではない。
しかし大分見慣れたはずの人の数が今日は更に多い気がするのは気のせいではないだろう。
その人々が普段より一層華やいでいるのも恐らく気のせいではない――などと考えていると気が滅入ってきて益々身体が冷えてくる気さえした。
「……もうちょとお洒落すれば良かったかなぁ」
そしてボソッと呟く。
時計の針は現在午前9時45分を指している。
そうして今度は盛大な溜め息を吐いていると、杏の耳は聞き慣れた声をキャッチした。

「おーい! 橘妹ーー!!」

全身全霊で身体が反応するのを抑えながら、杏は振り返った。
「おっそーい! 15分遅刻……!」
反射的に文句を言えば、息を切らせながら走ってきたジーパン姿の少年は右手を翳して謝るジェスチャーをした。
「わりぃわりぃ! ちょっと寝坊しちゃってさ」
「信じらんない! こんな日に女の子待たせるなんて最ッ低!」
「だから悪いって――」
「それに私の名前は橘妹じゃなくて杏だって何度も言ってるじゃない!」
杏は構わず捲し立てる。
しかし両者の表情はそのやりとりを楽しんでいるようにさえ見え、それが日常茶飯事であることを窺わせた。


一頻り言い合いが終わり、再度少年が謝って杏が許した所で二人は本題に入った。
「ねえモモシロくん、これからどうする?」
モモシロと呼ばれた少年はそのビシッと立てた髪を掻きながら、あー、と唸った。
「どうすっかなぁ、お前決めてねーの?」
「えっ!? だってモモシロくんがクリスマスに会おうって言うからてっきり考えてくれてるのかと思って……」
「バッ! ク、クリスマスとか関係ねえよ! お、俺はただ冬休みでヒマだからストリートテニスでもと思ってだなぁ」
「えー? デートのお誘いじゃなかったの?」
「デー!? バッ、お……」
「あ、じゃあ私TDLに行きたいなぁ、TDCも良いかも!」
「バカヤロウ、あんな人多いとこ行けるか! つか、デートじゃねえ!」
恐らくこういうやりとりも日常茶飯事だったのだろう。
しかし杏は桃城の返答に幾らか本気でムッとしたようにほっぺたを膨らませた。
「あっそう、じゃあもういい。私帰――」
帰る、と杏が言いかけた刹那。
モモシロの背後にヌッと背の高い男が現れたかと思うと、その男はさも当然のようにモモシロの肩を叩いてきた。
「よっ、桃城じゃねーか。久しぶり!」
モモシロ――桃城が驚いて振り返りると自分とそう年の違わぬ背の高い少年が立っている。
それを確認した桃城は更に瞠目しながら思わず指で相手を指していた。
「あ、あんた……六角中の黒羽さん!?」
「おう、バネさんで良いって。……ん? そっちもなんか見覚えあるな……」
黒羽と呼ばれた少年はカラッと笑いながら杏の方を向いた。
あっけに取られていた杏もハッとしたように笑みを作る。
「不動峰中の橘杏です。関東大会で顔を合わせたことがあるのかもしれませんね」
「おお、不動峰の生徒かー……、橘って、あの橘の妹とか?」
「はい!」
ニッコリと笑えば黒羽は、へぇ、と言った後ニカッと笑って白い歯を覗かせた。
「俺は黒羽春風。六角中の3年だ、宜しくな!」
真冬にも関わらず新緑が芽吹くような爽やかな笑顔。
瞬間惚けてしまった杏は、何故だかおかしくなってクスクスと笑い始めた。
「黒羽さん、春風って名前がピッタリ! 名は体を表すってホントなんですねー」
言われた黒羽は苦笑いを漏らしている。
「ハハッ、……前に似たようなこと言われた覚えがあるな」
その二人の談笑を桃城は面白くなさそうに見つめつつ、そういえば、と黒羽に声をかけた。
「何でバネさんがこんなとこにいるんすか?」
「俺? 俺は――」
しかし黒羽の答えを阻むようにして桃城たちの耳に少女らしい甘やかな声が届き、その疑問は解消される事となる。

「黒羽くん……!」

一斉に皆が声のした方へ視線を送れば、栗色のウェーブがかった髪をした少女が頬をほんのりと染めてこちらへ小走りで近づいてきていた。
「ごめんね、待った?」
「いいや、俺も今来たとこ。それより悪ぃな、俺こっち慣れてねーからさ。わざわざ改札出て待ち合わせって無駄なことさせちまって」
「ううん! 私もたまに迷いそうになるもん、分かりやすい所で待ち合わせした方が良いよ。……あれ?」
少女は日溜まりを映したような幸せそうな表情で黒羽と言葉を交わした後、ある異変に気づいたように杏や桃城の方へ視線を移した。
「あれ……あの、青学の……桃城くん?」
桃城の方へ向き直った少女の髪が柔らかくふわりと揺れ、桃城は緊張の面もちで姿勢を正していた。
「は、はい! あの……俺、どこかで会いましたっけ?」
「あ、私氷帝中の3年なんだけど……関東大会で青学の試合は結構見たからレギュラーの顔は覚えてるの。桃城くんは黒羽くんと試合したし、ね?」
「まー、あん時はしてやられたけどな」
少女が黒羽に話をふり、黒羽は肩を竦めてみせる。
「ま、それも今となっちゃ良い思い出だな。それにさホラこの子、あの橘の妹なんだとよ」
「え……? 橘、って……不動峰の橘くん?」
少女は目を瞬かせて、黒羽から杏へと視線を移した。
杏はどことなく沈んだ面もちでコクリと頷いた。
「……橘杏です」
「杏? わぁ、可愛い名前……! 私。よろしくね」
少女――は柔らかい笑みを杏に向けた。
杏は複雑そうにを見やる。
杏という名前を杏は自分自身とても気に入っていた。可愛い名前を付けてくれた両親に感謝もしている。
だが誉められて嬉しいはずのことだというのに素直に喜べず、どことなく心にモヤモヤを抱えたまま曖昧な笑みを浮かべた。
「しかしお前らもここで待ち合わせか? 桃城と橘の妹が仲良いとは知らなかっ――」
「い、いや俺たちは別にそんな!」
黒羽がごく自然に訊き、桃城が過剰反応するも杏は横やりを入れず黙っていた。
必死に話を逸らそうとする桃城が質問に質問で返す。
「バ、バネさんこそ、はるばる房総から出てきてデートっすか!?」
「まぁな」
しかし黒羽はごくアッサリと笑って頷き、あっけに取られた桃城は言葉を失う。
杏もそれには思わずハッとして黒羽を見上げてしまった。
スラッと背の高い黒羽は黒を基調としたシックな装いでまとめており、髪型等はどことなく桃城と似ているものの随分大人びて見えた。隣で笑うも、ブーツに良く合う適度な短さのスカートは本人さながらにふわりとした素材で、ジャケットも上品に着こなしていて女の子らしさが前面に出ている。
テンパった桃城にも「まぁな」と答えられる余裕。
それをごく自然に受け入れられる二人なのだというのが外観からも伝わり、ほんの少し羨ましく思う。
「そ、そうなんすか……! いやぁ、可愛い彼女で羨ましいっすよー!」
桃城は明らかに狼狽しながらも冷やかし、杏は先程のモヤモヤをイライラに変えて頬を膨らませた。
確かに、は女の子らしくて可愛いとは思う。
しかし自分の目の前でデレデレすることはないじゃないか、と感じたのだ。
その空気を察したかは定かではないが、黒羽はニッ、と笑って杏に向かいウインクした。
「お前らも桃と杏で美味そうなカップルだぜ! なっ!」
ドクッ、と杏の鼓動が鳴る。
黒羽の笑顔にはイライラなど一度に吹き飛ばしてしまうパワーでもあるのか――杏はいつの間にか笑みを浮かべていた。
カップルという言葉にまたも過剰反応している桃城を無視して、黒羽に問いかける。
「あの、黒羽さん達はこれからどこに行くんですか?」
「俺たち? あー……一応、TDCに行こうかって予定立ててたんだけど」
「え!? ホントですか? うわー、素敵ー! 良いなぁ……!」
「いや、まあ、けど人多そうだからなぁ……上野でパンダ見るって案もあったんだが」
あまりにも自分の今日行きたい場所とピッタリ過ぎて力の限り反応した杏に苦笑しながら黒羽はの方を向いた。
「コイツ、上野だと間違いなくスケッチブック持参してくるからパスしようと思ってさ」
「……今日だってホントは持ってきたかったんだけどな」
「分かった分かった、また今度な」
とそんなやりとりをした後、首を捻る杏と桃城に黒羽はサラッと軽く自分たちの経緯を説明した。

「じゃあ、杏ちゃん、桃城くん、またね!」
「じゃーな! 仲良くやれよ!」

そうして一通り雑談も終えると、二人は笑顔で雑踏の中を再び改札の方へ向かいながら消えていく。
残された桃城と杏は互いに言葉をかけるタイミングを失い、しばし流れる人波を見送って気まずい時間を甘受した。
やがてそれも飽きたのか、暫くして杏がボソリと呟きを落とした。
「素敵だったなぁ」
「……は?」
「黒羽さんよ! 黒羽さんって前からちょっとモモシロくんに似てるなぁって思ってたんだけど全ッ然違うんだもん、背も高いし大人っぽくて素敵……!」
「なッ……!」
突然そんなことを言われた桃城もカチンと来ないはずがなく拳を握りしめて青筋を立て、捲し立てる。
「何だよ! 俺の背は今から伸びてくから良いの! それに俺だってなぁ、さんみたいな可愛くて素直な彼女が欲しいぜ!」
「あっそう! じゃあ作ればいいじゃない、素直で可愛い彼女を!」
「何だとー!?」
こうなれば売り言葉に買い言葉で二人は人目も憚らず言い合いを続け、ついには周囲の人々の笑い声で我に返る羽目となり杏は状況に耐えきれなくなったように桃城に背を向けた。
「おい、どこ行くんだよ?」
「もう帰る!」
後ろから慌てたような桃城の声がしたが、振り返らずにエントランスを飛び出た。
行き交う人々に逆らうようにして走り、ほんの少し滲んだ涙を手で拭う。

走りながら自分で自分をバカだと思う。
クリスマスに桃城から会おうと言われて、飛び上がるくらい嬉しくて今日が来るのを待ち望んでいたのに何故こんなことになるのだろう。
黒羽とのように、あんな風に一緒にいてただ笑い合っていたかっただけなのに。

バカみたい――、と考え事をしながら走っていた杏は段差に足を取られる瞬間までその事実に気づかなかった。
「え……?」
突如として襲ったのは、身体が浮いた感覚。
眼前にはコンクリート。

「杏ッ――!!」

刹那後の自分は顔面を強打しているだろう、などと考えていた時には杏の身体は後ろから誰かに抱き留められたような体勢をとっていた。
「あれ……?」
「ったく、何やってんだよお前」
「――!? モモシロくん」
足を地に付けて振り返れば、肩で息をしながら呆れたような表情を浮かべる桃城がいた。 

桃城はいつだってこうだ。
いつも必ずこうして助けに来てくれる。
出会ったときも、他校の生徒に絡まれている所を助けに来てくれた。

それに――。

「今……杏って」

つい先程のあれは聞き間違いだろうか――、訊いてみれば桃城は耳まで真っ赤にして大声をあげた。
「な、何だよ……お前が呼べっつったんだろーが!」
その様子がおかしくて、杏は声をたてて笑う。
「ううん、良いの! ……モモシロくん」
「何だよ」
「さっきはゴメンね。ありがとう」
「……おう」
見上げて言えば、桃城も照れたように笑って頷いていた。
さて、と桃城は仕切直しのように咳払いをしつつ遠くを見やる。
「しっかしどこもかしこもカップルばっかだなオイ」
目の前の皇居外苑を眺めながら溜め息を吐き、杏の方を向いた。
「んで、どうするよ? もうお前の行きたいとこでいいや」
「……それちょっと投げやりなんじゃない?」
「何だとー? 折角俺が……、ああでもTDLは人多そうだしあの辺彷徨いてるとバネさん達に会いそうだしなぁ」
「良いじゃない別に……それに会えない確率の方が高いと思うけど」
杏の呆れたような答えに桃城は、うーん、と唸りつつ数十秒悩むと突如として「良し!」と手のひらを叩き、晴れやかな笑顔で杏に言った。
「浅草に決めた!」
「え……?」
「だってお前、要するに遊園地が良いんだろ? 花やしき行こうぜ、空いてそうだし」
「えー!?」
言うが早いか桃城は近くのメトロ駅に向かって早足で歩き始めた。
杏は文句を言いつつもその後を追う。

時刻は午前10時過ぎ――これから上昇していくだろう気温のように、杏の心もほんの少し温かくなっていった。

行き交うカップルを杏は笑顔で見つめながら、達の事を思い浮かべる。
「やっぱり、お似合いだったよね……黒羽さんとさん」
「ん? ああ……まぁな」
「私もあんな風になれるかな……?」
ほんの少し感じた憧れを口にすれば、桃城はキョトンとしてヘラッと笑いながら手のひらをブラブラと振った。
「無理無理、お前がさんみたいにおしとやかになれるわけねぇじゃん」
「な、何よ! モモシロくんだって黒羽さんみたいにカッコ良くなれっこないんだから!」
杏は頬を膨らませて噛みつき、桃城はゲラゲラと笑い出す。
今度は二人ともそのやりとりを楽しみながら、雑踏の中を目的地へと向かい歩いていった。

それでも――と、口喧嘩を楽しみながら杏は思う。
そう遠くない将来、黒羽とのような二人になれたら――。
桃城も自分もほんの少し成長して、誰かに素敵だと思ってもらえるようになれたら――。
いや、憧れているだけではだめだ。
取りあえず次、初詣には自分から桃城を誘って、そしてほんの少しお洒落してみよう。
そしたら少しずつ何かが変わっていくような気がする――、と杏は笑顔で将来の自分に想いを馳せながらジーパン姿の桃城に笑顔を向けた。





その頃、閑静な住宅街の中――自宅の自室でコードレスを握りしめる少年の姿があった。
「"杏ちゃん、今日ヒマ? 良かったらどこか出かけない?" ……この一言でいいんだ、良し!」
少年はコードレスを握りしめ、震える指で番号を押して行き、最後のワンプッシュのところで指を止めて震えながら「あー!」と叫びつつ全てをリセットした。
もう何度同じようなことを繰り返していたのだろう――少年は左目にかかった長めの前髪を掻きあげて肩で息をした。
酷く緊張した面もちでコードレスを握りしめ、ゴクリと喉を鳴らす。

そんなことを長い間繰り返し、少年はぐったりしたように机に突っ伏してから脱力した後、決意したように顔を上げた。
「良し! 初詣こそ杏ちゃんを誘うぞ……!」
今までイベント毎に同じような失敗を繰り返していたのだろう。
カレンダーの日付にバツ印を付け、大晦日に勝負をかけるべき丸印を付けた。

――そうだ、近い将来必ず……!

決意を新たに、少年は拳を握りしめて頷いていた。







ごめん、神尾……。




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