One's Answer 「おー、サエまっじめー!」 背後から俺の手元を覗き込んできたサトが人事のように口を開いた。 夏休みも残すところあと少し。加えて俺たちは受験生。 遊ぶのはもちろん楽しいけど、この時期に宿題+受験勉強に全く手をつけないというのは考えものじゃないか? そう思いつつ俺はサトの発言を受け流し、手元の問題集に再び目をやる。 今日はさんも交えて海水浴をした後、オジイの家で海での収穫物を調理して食べるというお決まりコースを済ませたあと、これまたお決まりのようにそのままみんなでダベっていた。 予め宿題も持参していた俺は一人こうして少しでも早く終わらせるべく奮闘している。 呑気にカードゲームやボードゲームに興じている他の連中を横目でチラッと見て、後で泣きついてきても見せてやらないぞ、と軽く息を吐く。 一人になるのは嫌いじゃないが、周りが忙しい中一人こうしているのはどうも放置されているような感覚を覚えてあまり面白くない。 と、その時「あがり!」と俺の右斜め前から明るい声があがった。 「あ〜、また負けちゃったよー」と剣太郎がガックリ肩を落とす。 「さんに敗北したのは? ハイ、僕です。……プッ」 そんなダビデにさんが愛想笑いを浮かべ、「バネがツッコまないと寒さ倍増なのね」と樹っちゃんが呟いていたのを俺は聞き逃さなかった。 そして二位争いへと移行した剣太郎たちを傍で見守るさんを見てある案が浮かぶ。 「さん」 声をかけて振り向いた彼女にチョイチョイと手招きする。 何?と小首を傾げながら数歩下がって俺の前に来た彼女へ向かって手招きをした指で机のほうを指してみせた。 「手が空いたみたいだし、ちょっと教えてくれない?」 「え……?」 「名門・氷帝の頭脳、是非お借りしたいんだけど」 ニコリと微笑むとさんは面食らったようにたじろいだ。 「そんな…変わらないよ」 謙遜と勘弁してくれと言いたげな引きつり気味の表情。 「またまた……得意科目とかないの?」 気にせず突っ込んでみると、彼女は間髪入れず「美術」と答えた。 あはは、言うと思った。 そう前置きして「じゃあ五教科では?」と訊くと、うーんと唇に指を当てて少し考え込む仕草。 「理科……かな。あと、数学」 そうして彼女の口から出てきた答えは予想外で、え、と俺は目を瞬かせた。 「へぇ、理系なんだ。俺、文系だからますますご教授願いたいよ」 それは何の含みもなく、本心だ。 ちょうど目の前に広げていた問題集は数学。 しまった、と余計なこと言うんじゃなかったと僅かに後悔の色を顔に浮かべたさんを助けるように、左隣で将棋を指していたバネが俺の肩を豪快に叩いてきた。 「サーエ、数学なら俺が教えてやるぜ?」 ニカッと笑うバネに、そういえばコイツも数学が得意だっけ、と内心呟く。 しかし、折角面白くなってきたのに邪魔されちゃたまらない。 「バネは今、忙しいだろ?」 口元に笑みを浮かべながらバネの手を払いのけると俺はバネと向かい合っていた亮へと目配せをした。 「待ったはナシだよ」 くすくす笑いながら駒を進める亮にバネがチッ、と舌打ちをする。 ホッとしていただろうさんに俺が微笑みながらシャープペンを差し出すと、彼女は一瞬顔を引きつらせた後肩を落としながら観念したようにそれを受け取った。 「ここは……」 難解な空間図形の問題をさんが丁寧に図解していく。 それを見て、俺は意外どころか必然だったと先ほどの考えを改めた。 あれだけデッサン力が備わっているという事は、空間認識能力が秀でているという事。 おそらく俺とは違う世界が彼女の中では映っていて、そりゃ数学が得意なはずだ。 なんて一人納得して唇を緩めていると、隣で「よっしゃ! 王手!」とバネの歯切れのいい声があがった。 「お、やるな」 そうしてテーブルの角に座っていた俺を間に挟む形でバネがさんを至近距離から覗き込む。 それに少しばかり動揺の色を見せたかと思うとさんは一度瞬きしてから、ハイ、とシャープペンをバネに渡した。 「な、なんだよ?」 「バトンタッチ」 ちょうどキリの良い所だった為だろうか、教師役から解放されて彼女はほんの少し安堵の表情を浮かべた。 受け取ってバネが一度ジロリと俺に強い視線を送ってきたけど、軽く肩で笑ってみせる。 さっき俺に数学なら云々と言った手前引くわけにいかないのか、バネはそのまま黙々と問題を解き始めた。 でも、バネにしてみてもそれは歴とした学校の宿題。 やって然るべきだと思うんだよな。 とはいえ、問題集自体は俺のな訳で、後でこれ写させろって言うんだろうなぁとか思いつつカリカリと動く芯の先を頬杖をつきながら目で追う。 僅かに視線をあげれば不満げだった割には楽しそうなバネの横顔が映って、俺は常々思っていた疑問を口にした。 「バネってさ、何で数学好きなんだ?」 俺は、そこまで心底数学が苦手というわけではない。 しかし好きだと思える教科は社会や国語で、得意教科という点でも俺とバネはいつも正反対。 ん?と一度俺に視線を流して再び問題集へ目を向けるバネ。 「だってさ、答えは一つだろ?」 シャープペンを走らせながらカラッと笑う。 「そこまでに紆余曲折あっても、辿り着く答えは一つ! 気持ち良いと思わねぇか?」 なぁ、とバネが斜め前のさんに同意を求めると、さんは少し困ったような顔をした。 私は好きなのは美術だからなぁと言って、ふ、と笑みを浮かべる。 「でも黒羽くんらしいね、そういうの」 ハッキリ白黒つけたがるところがバネらしい、とそういう事かな。 洗練された公式が美しいとか、全てを数式で表現できる世界に芸術を感じるとかそんなものは一切ナシで、答えが一つだから。 あまりにシンプルすぎて、それがまたバネらしくて微笑んでいるさんを見て、俺も自然笑みを漏らした。 昔からバネはそういうヤツだった。 竹を割ったみたいに真っ直ぐで、これと決めたら一直線。 物事はハッキリ言うけど嫌味が全く無くて、自然とバネの周りには人が集まる。 さんも、そうしてバネに引き付けられた一人なんだよな……と、机に向かうバネを見つめる彼女を見て思う。 勉強しているバネってのが珍しいのか、興味深そうに瞳を揺らしたまま見とれていて隣の俺は邪魔者か?とか肩を竦めていると、廊下の方からパタパタと足音が近づいてきた。 部屋を出ていたサトがふすまからひょこっと顔を出す。 「バネ、ちょっと来い」 「ん?」 呼ばれてバネが問題集から顔を上げる。 オジイが呼んでるらしく、シャープペンを机に置くと、「わりぃ、後頼むわ」俺とさんの両方に向かってそう言い残して立ち上がり、サトを追った。 急にシンとした静寂が部屋を包み、俺はいつの間にか樹っちゃん達もゲームを終わらせて部屋を出ていた事にようやく気づいた。 チラ、と横目でさんを見ると俺と同じく今その事に気付いたらしく目線だけ部屋を巡らせていた。 自分も行けば良かったとでも思ったのか、入り口のふすまの方へ視線を流して数回の瞬きを繰り返す。 そして軽く肩を落とすと、さっきまでバネが使っていたシャープペンに手を伸ばし問題集を自分の方へ引き寄せた。 バネが残した解きかけの問題へと目を落として、キュッとシャープペンを握りしめた所で彼女はゆっくり口を開いた。 「学校でもあんな感じなのかなぁ……」 「バネのこと?」 うん、と頷くとさんは昼間浜辺で見せたような表情でふわりと微笑んだ。 「私、学校での黒羽くんって知らないから……どんな風に授業受けてるんだろうとか、体育のときは人一倍張り切ってるんだろうなぁ、とか。運動会では大活躍なんだろうなぁ、って思っちゃって」 そう言って、さんは寂しいような羨むような瞳を俺に向けた。 眩しいほど、バネが好きだと全身で表現する彼女。 うっすらと染めた頬に、白い肩にかかる髪が何とも言えずあでやかで思わず息を呑む。 恋する女の子が魅力的に映るのは常で、その例に漏れず俺は少しの間さんに目を奪われていた。 こんな感情を自分に向けられれば、バネじゃなくても自惚れるよな。 しかし、こんな子と一緒にいて長年連れ添った夫婦のように振舞えるバネはやっぱり解せないと俺は浜辺での会話を思い出して苦笑いを浮かべた。 それに俺なら、こんな風に他の男と二人きりになんて絶対させない。 まあ、どうせすぐ昼間みたいに連れ出しに来るんだろうけど――と思っていると案の定バネが元気良く俺たちを呼びに来たのはその直ぐ後だった。 何でもオジイが去年買っておいた花火をどこへやったか忘れたらしく、バネたちが探していたらしい。 それを見つけて花火をやる事になり、まだちょっと明るかったけどみんなで庭に出る。 「花火と言えば浴衣だよね、見てみたかったな」 すぐ前にいたさんにそんな風に言ってみると、彼女はニコリと微笑んだ。 「佐伯くん、浴衣凄く似合いそう」 素なのかワザとなのか、そう切り替えして彼女は隣のバネの方を向く。 「黒羽くんはハッピかな。捻り鉢巻で太鼓とか叩いてそうなイメージ」 「ああ、何度か叩いたことあるな。夏祭りとか運動会でさ」 振り返ったバネが太鼓を打つ真似しながらさんと笑い合って、彼女の目にはつくづくバネしか映ってないんだなぁと俺は二人にバレないように一人笑い声を漏らした。 そうこうしているうちに、バネは近くに置いてあった花火の山を何やら物色し始めた。 目的のものが見つかったらしく、「お、あった」と呟きながらバネが拾い上げたのは数本の線香花火。 「なぁ、コレでどっちが長くもつか競争しようぜ!」 そう言ってバネがそれをさんに差し出すと、彼女は「今度は負けないから」と小さく笑った。 今度は負けない、とは昼間の素潜り対決の事指してるんだろうな、とそのまま二人を見つめる。 うっすらと淡い火に映し出されたさんは、薄着も手伝ってかいつもより綺麗だ。 「わ、ちょっ……あ〜!」 口元を緩く綻ばせてそれを見ていた俺の耳にバネの負けを知らせる間の抜けた声が届く。 ニコッ、と勝利の笑みを浮かべてみせたさんをバネが軽く小突いた。 と、その振動でポトッとさんの火玉が地面に落ちた。 あ、と二人して声を漏らし、少し拗ねたように瞳を揺らしたさんにバネが慌ててスマン、と詫びを入れていた。 そしてもう一度二人で新たな線香花火に火をつける。 周りの色とりどりに明るく光る花火の音とはしゃぐ声をBGMにバネとさんはパチパチと微かな音を立てる互いの火球を見つめていた。 「この導火線、どうかせんと使えない……プッ」 しけたロケット花火を手に取ってそんな事を呟いたダビデの声も、今のバネにはきっと聴こえていない。 火薬のニオイが辺りを包み、周りは不自然に明るい花火の光。 バネ達の線香花火はその中でひっそりと寄り添うように、まるで二輪の花が咲いているようだった。 その空間に立ち入っちゃいけない気がして、俺ははしゃぐ剣太郎たちの仲間に加わることにした。 一通りやり終えた俺たちは花火の後始末を済ませ、そろそろお開きにしようと帰り支度を始めた。 「それじゃ、お世話になりましたー!」 「あー……また、おいで」 みんなでオジイに挨拶して、家を後にする。 「んじゃ俺、送ってくっから」 一人でも平気だというさんを押し切ってバネが俺たちに軽く手を振った。 ありがとう、とバネに礼を言ってさんも俺たちに挨拶する。 「今日はありがとう、楽しかった」 またね、と手を振った彼女にそれぞれが笑みを返し、それぞれ岐路に着く。 ガヤガヤとみんなの雑談を耳に入れながら、俺は何気なく二人のほうを振り返ってみた。 わざわざ千葉まで彼女を呼んでおいて、二人きりになったのは最後の最後。 やっと訪れた二人だけの時間は短いけど、まあそれも二人らしいかと小さく笑って、一歩一歩と遠ざかる大小二つの背を見送りつつ俺も前を向いて再び歩き始める。 生暖かい風に前髪を揺らせながら、俺はふとオジイの家でのバネの言葉を思い返した。 ――だってさ、答えは一つだろ? あのいかにもバネらしい言葉。 何故今、それを浮かべたのか自分でも分からない。 ただ、後々俺は改めてそれの意味を実感する事になる。 ――そこまでに紆余曲折あっても、辿り着くのは…… その答えがさん……キミなんだと、今の俺はまだ知らない。 |
My shining〜で、自分の太陽を見つけるんだと意気込んだ佐伯が見つけたのは
黒羽の答えだったというオチ……(^^;
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