3月も下旬に入れば春休みである。

 そして休みともなれば学校からそれなりの量の宿題が出るのは当然であり。
 休みに入ったばかりの月曜は早朝練習時、流川から家に来たい旨を告げられたは朝食のあとに叔母に許可を求めた。
「あら残念……せっかく流川君が来るんですもの。叔母さんも会いたかったわ」
 叔母の方はショッピングに出かける予定を入れていたらしい。当初はを一緒に連れて行こうと思っていたらしき叔母だったが、仕方がないと準備をして昼前には出かけて行った。
 はというと午前中は紳一と一緒に高頭から借りてきた試合ビデオのテレビ観戦をしており――。

「赤10番! 5ファウル退場!」

 もう何度このセリフを聞いたことか……とビデオ画面を見ながら頬を引きつらせていた。
 高頭から借りてきたビデオ、というのは去年の湘北のインターハイ予選での試合集だった。というのもひとえに流川の成長具合を分析したい、という理由からだったが思いのほか見どころ満載で見入ってしまったのだ。その理由はバスケのみではなかったが。
「桜木くんってすごく目立つ選手ね……やっぱり」
「まあ、モノは言い様だな」
 審判から退場を宣言され、三井や宮城に引っ張られてベンチへ引きずられていく桜木の様子が会場の笑いを誘っているのがビデオにもはっきりと収められている。それに。
「相手が、まあ湘北に対して弱いからなんとかなってるけど……本当にディフェンスが欠点のチーム。マンツーマンしかできないし、そのマンツーでも穴だらけ」
「確かに、システマチックな訓練はまったくされてないチームだな。まあ若いチームだったしこんなもんだろ」
「オフェンスもチームオフェンスというより個人技が目立ってるしね……」
「エースがそもそもそういうプレイヤーだからな……」
 紳一は去年は流川の事を「まだ甘い」などとダメ出ししていたが。この時期の彼は中学を出たばかりだったのだし、それを考慮すればオフェンス面はやはり抜けていると認めざるを得ないと画面の流川のプレイを見て思う。が、それも同じフォワードとしては悔しいような。などと唸りつつ4回戦まで観終えていったん休憩も兼ね昼食を取ることにした。次はベスト8戦、湘北vs翔陽である。
「翔陽戦、翔陽が負けちゃったって聞いた時はびっくりしたし……ずっと観てみたいと思ってたのよね」
「そういやオレも途中からしか観てねえな」
「そうなの? じゃあ流川くんが来るの待って一緒に観ようか。流川くん、あんまり自分のプレイ観たりしないみたいだし良い機会だと思う」
 そうして流れで湘北が決勝リーグへと勝ち進んだ翔陽との一戦は流川が来てから観賞しようということになり。
 ちょうど2時が近づいてきたころでインターホンが鳴った。
 流川は今日の部活は昼までだと言っていたし、いったん家に帰って昼食を取ってから来るとも言っていた。十中八九流川だろうとはリビングから直接玄関へと向かった。
「いらっしゃい、流川くん」
 扉をあけると案の定流川が立っており、は中へと招き入れてリビングへと誘導する。
「よう、流川」
「チワス」
 流川が紳一へと小さく頭を下げた。お互いがこの空間に一緒にいる、ということにはもう慣れたようだ。
「宿題する前に一緒にビデオ観ようと思って待ってたの」
「は……?」
「去年の湘北対翔陽の試合」
 が言うと、流川は少しばかり驚いたようにわずかながら目を見開いた。なんで、とでも言いたげである。
「流川くんがどのくらい伸びてるか知りたくてずっと湘北の公式戦のビデオ観てたの。翔陽戦は気になってたし、お兄ちゃんも途中からしか観てないっていうし」
「……キョーミねー」
「え……!?」
「もう終わったことだ」
「え、でも……反省点もあるだろうし、自分のプレイをちゃんと知るのも大事だと思うけど」
「そうだぞ。意外と自分がどうプレイしてるかってのは自分じゃわからんからな」
 と紳一の二人に押されて流川は憮然とした表情を晒した。そして、ふー、と息を吐いてドサッとバッグを下ろすと彼はソファに腰を下ろした。観るということだろう。
 気を取り直しても流川の隣に腰を下ろし、ビデオの再生ボタンを押す。すればパッと明るい画面に見知った選手たちがコートに立つ姿が映った。
「桜木くん……スタメン初めてかな」
「翔陽の高さへの対抗策だろうな」
「大きいね、翔陽。……でもスタメンで藤真さん出さなかったの作戦ミスじゃない?」
「まあ、もしもを言っても始まらんが藤真がスタメンだったら翔陽が勝ってた可能性はかなり高かっただろうな」
 すれば、ぴく、と流川の身体が反応したのがに伝った。おそらく今の意見に反論したいのだろうな、と理解しつつティップオフ。
 画面からは力強い翔陽応援団の声が聞こえている。それもそのはずだ。一分経てども二分経てども湘北はノーゴールが続いており逆に翔陽は勢いづいている。が、さすがにこの場に流川がいるためリビングには気まずい沈黙が流れていた。
 結果は知れているのだから、もちろんここから巻き返して湘北が勝ったのだろうが。藤真もいない翔陽に対してここまで押されているとはいったい……などと画面を見つめる先でとうとう5分が経過した。未だ湘北はノーゴールである。
「……やっぱり藤真さんが最初から出てればこの時点で決定的な差をつけて勝ててたんじゃ……」
「どうやら赤木を筆頭にガチガチみたいだな、湘北は」
「んー……」
 ガチガチという単語がこの世でもっとも似合わない人間の一人だろう人物が隣に座っているが、とちらりと流川を見やる。相変わらず唇を引いて無表情で画面を見ている。
 もちろん彼はこの後の展開を知っているのだからある意味冷静なのだろうが。などと目線を画面に戻せば遂に6分が過ぎた。
 翔陽はセンターである花形にボールを集めており、その花形がゴール下でシュートモーションを見せて、ゲッ、との顔が強張った。
「フェイク――ッ!」
「赤木ッ!?」
 と紳一の声が重なる。あからさまなフェイクに赤木が引っかかり驚いたのだ。花形はしめたと思ったことだろう。が――、それを読んだらしき流川がゴール下に詰めて花形の手元からボールを弾き、状況は一変する。
 お、と紳一が呟いた。たぶん紳一でもそうしたからだろう。自分もそうしただろうな、と感じたの視線の先でボールを奪った流川がワンマン速攻をしかけている。
 止めに入った伊藤をあっさり抜き去り、ヘルプに駆けだした宮城や桜木をまるで意に介さず一直線に相手ゴールへと駆けた彼は2枚ブロックをものともせず跳び上がった。
 そうしてダブルクラッチでブロックをかわしてレイアップを決めた流川にワッと会場が沸き――観ていた紳一が腕を組んでソファに深く座り直すのがの目に映った。
「……相変わらずのワンマンプレイだな……」
 も肩を竦める。やはり流川。緊張とは無縁だったのだろう。が。
「あれは宮城くんたちを待って3対2で行く場面よね……。私だったら大ちゃんを待――」
 そこまで言いかけては口を噤んだ。想像した先で、自分も流川と全く同じ動きをするだろうと悟ったからだ。代わりにちらりと流川を見上げる。
「パ、パスしようと思わなかったの?」
「……全員動きがカタくてパス出せなかった……」
「じゃあ動きが良かったらパスしてた?」
「……」
 すれば顎に手をやった流川を見ては苦く笑う。――なにがどうあっても絶対パスは出していないはず。フォワードど真ん中とはそういう習性なのだ。
 いや、でも。やっぱり諸星がいれば自分はパスも視野に入れるかも……と考えている先で流れが変わったのか湘北の動きが良くなった。
「流川くんのプレイで流れが変わったね……清田くんもうちの良いムードメーカーだし、一年生なのにすごいね」
「いやまあ……流川の場合はムードメーカーとはちょっと違うんじゃねえか」
 湘北の動きが良くなったのは流川に触発されたのもあるが、その主な要因はチーム内の流川への対抗心だろう。などと紳一が分析しており「なるほどな」とは思う。
 流川のオフェンシブさは相変わらずだ。が、いまよりだいぶ攻守両面において穴が目立っており、ずけずけと批評していく紳一とに、む、と流川が唇を引いたまま居心地悪そうに黙してしばらく。後半、湘北が逆転したのを機についに翔陽は藤真がベンチからコートへと出てきた。しかしながらいささか遅く――。
「んー……湘北の戦力見積もりを誤ったのが敗因じゃないかな。藤真さん、本当にいいポイントガードなのに……、国体でもずっとチームを引っ張ってくれてたし……もったいない」
「まあ……藤真は悔いが残った分を大学で存分にぶつけるだろうからいいんじゃねえか?」
「あ、そっか……藤真さんって大学は筑波だっけ? 花形さんといい、翔陽って本当に文武両道よね。インカレも筑波ならいいところいくんじゃないかな」
「そうだな」
 言えば紳一がどことなく嬉しそうに頷いても薄く笑った。
 画面の先では惜敗した翔陽のメンバーが涙を流しており……それだけに今の彼らがそれぞれの未来を切り開いて前を向いていることはにとっても嬉しくあった。
 一方の湘北ははち切れんばかりの喜びを身体全体で表現している。一人を除いて。……が、流川にしては珍しく嬉しそうだ。ホッと口元を緩めて安堵したような表情をしている、とちらりと隣の流川を見上げると「なに?」と訝し気に聞かれた。
「嬉しそうだな、と思って」
 すれば、そうか? と言いたげに唇を尖らせてから彼は息を吐いた。
「まー……勝ったし」
 だいぶ無表情ながら流川なりの感情表現が分かってきた、とその様子を見つつは笑う。そうだ。この後、湘北は決勝リーグに進んで海南と対戦して、それからインターハイに国体。色々あった一年だった、といま隣に流川がいることも含めて感慨深く思っていると「さて」とビデオを止めて紳一が立ち上がった。
「そろそろオレはサーフィンに行くが……、お前らは勉強頑張れよ」
 そうしてさっさとリビングを出て行ってしまい、そうだった、は流川と顔を見合わる。
「と、取り合えずお座敷に行こうか。どのくらい宿題が出てるか確認しないと」
 流川は、ん、と曖昧に頷いて床に置いていたバッグをゴソゴソと探り始めた。
 春休みは長くはないし、いかに効率的に終わらせるか考えないと。と思い巡らせていると玄関の閉まる音がした。紳一が出て行ったのだろう。
「……
「えっ?」
 不意に呼ばれてドキッと流川の方を見ると、バッグを漁っていた流川が身体を起こしてこちらを向いた。そうして取り出したらしきものをソファの上に散らせ、は目を見開く。
「――え!?」
「持ってきた」
「え……、な、なんで」
「機会があればと……」
 淡々と言い下す流川の声を耳に入れるの視界に広がっていたのは複数の小さな個包装。いわゆるゴムだ。さすがにどういう意味かは分かり、瞬間的に額に汗が浮かぶ。
「き、機会って……今日は勉強する予定だったと思うけど」
「せっかく二人きり」
「そ、そうだけど――」
 すればおもむろに押し倒されてソファに背を付け、覆いかぶさってくる流川を見上げつつはなお状況についていけず頭に疑問符を浮かべながらも抗ってみる。
「い、いまそういう気分じゃない……!」
「こっちはそーゆーキブン」
「ちょ――ッ」
 まずい。相変わらずオフェンスが強い。と過らせている間にキスされて反射的には瞳を閉じた。
「……っん……」
 グイ、と流川が両足での左足を挟むようにして体重をかけてきて思わずは彼の両肩を掴む。下腹部を押し付けられたことで太ももにわずかだが主張しているモノの感触が伝い、煽られるように脈が速くなっていく。
 は、と唇が離れて息継ぎしている間にも大きな手で身体をまさぐられながら首筋に強く吸い付かれては思わず眉を寄せた。
「る、かわくん……」
 そういう気分じゃない。とは言ったが、困ったことにイヤではない。
 最近は家で会っていても年度末試験対策のみでこういうことは全くなかったし。少しくらいなら……と流川の手が身体を滑る感覚に酔いそうになりつつも、ここがリビングだったことを思い出してハッとは流川の肩を押し返した。
「なに……」
「リ、リビングじゃちょっと……」
「まだ誰も帰ってこねーだろ」
「そ……! そう……かもしれないけど」
「なら問題ねー」
 構わず流川は先に進めようとし、はどうにか抗って上半身を起こしてみる。
「宿題は……」
「終わったらする」
「じゃ、じゃあ……その、今日はその……一回だけ、なら」
 そして最大限に譲歩してそう言うと、ぴく、と流川の身体が反応した。口ごもった流川を覗き込むように見やると、しばらくして彼はぼそりと言った。
「……たぶん……」
「た、たぶんじゃなくて……!」
「……」
 言質を取られまいとしてか返事に窮した流川にはあっけに取られた。ごまかしやウソをつけない部分はおそらく流川のいいところなのだろうが――。
「と、とにかく……その、ここじゃなくて、私の部屋がいい……」
 しどろもどろになりつつも言い下すと、の頬に触れようとしていたらしき流川の手が僅かに反応した。は流川を制しつつゆっくり立ち上がる。
「さ、先に行ってて」
「あんたは……」
「……あとから行く」
 ――シャワーを浴びたい。という意図はきっと流川にも伝ったのだろう。数秒の間をおいて「わかった」と彼は頷いた。
 しかし。がホッとしたのもつかの間の事だった。いや正確には流川にとっても誤算だったに違いない。
 今までは決まって流川の部屋でしていたことで。の部屋ののベッド、ということに予想外に煽られたらしき流川によって叔母が帰宅するまで勉強はもちろんがベッドから解放されることはなかった。

 その夜、ややぐったりとしたは思った。明日は勉強のみに集中しよう、と。むろん今日で宿題が片付いたはずもなく、明日以降に持ち越しである。
 まだ春休みは始まったばかりだ。明日は流川がなにを望んでも絆されないようにしないと、とひそかに誓う。たぶん大丈夫だ、きっと絆されない。
 たぶん――。


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