――その年、バスケットの神様と称されたマイケル・ジョーダンが引退を表明した。



 流川から電話があった翌週。
 奇しくも流川からの電話と同日にカナダへと出張でやってきた紳一は到着したその日にたちの家へ来る予定であった。が、急な仕事で変更になり、出張休暇を申請していた彼がせわしなくカナダ各地を回りたちの家を訪れたのは仕事を終えた木曜の夜であった。
「お兄ちゃん! いらっしゃい」
「牧さん、お久しぶりです」
「おう、お前らも元気そうだな」
 高校時代はと仙道の交際をあまり良くは思っていなかった紳一であるが、さすがに交際から結婚と10年以上も経てばすっかり慣れたらしくも久々に見る紳一の顔に自然と頬を緩めていた。
「ほーら、紳一おじちゃんだぞー」
 そうして先ほどから仙道の右足に隠れるようにして紳一を見ていた息子に対面を促す仙道の様子を見やりつつは苦笑いを漏らす。
 まだ20代の紳一をおじさん呼ばわりは果たして許されるのか。でも自身の兄のようなものだし、伯父ではあるか。などと考えていると紳一は持ってきたらしき日本からのお土産を渡しておりさっそく息子から笑みを引き出していた。もともと人見知りはしないタイプである。仙道に似て桜木に懐いているし……と思いつつハッと気を引き締める。明日は桜木と流川が来る日でもあり、食事の準備をしないと……と巡らせれば勝手に頬が引きつってきた。幸い、明日の業務は午前中で終わる。仙道に至っては紳一も来るということで観念して有休を申請したらしく、明日はトロントの案内もそこそこに買い出しを頼んでいる。

「こりゃ肉を大量に買って帰んねえとな……」

 翌日、子供を連れて大学に出かけたを見送り仙道は紳一を車に乗せて公道を走っていた。
 せっかくトロントまで足を運んでくれた紳一だ。街案内をしたあとに週末用の買い出しに行くのだ。しかも今回は流川・桜木が来るということもあり紳一の手があるのは仙道にはありがたかった。
「流川に桜木か……オレももう何年も会ってねえからな。楽しみだぜ」
「こっちは以前より……なんつーか、距離が近しくなった感がありますね。けっこうな頻度で家に来ますから」
「いま桜木は流川と同じチームにいるんだろ? あいつらどうなんだ、ちゃんと生活できてんのか?」
「さあ……どうかな」
 ハンドルを握りながら仙道は肩を竦める。厳しいらしい、と知っているからこそトロントに来た際には最大限もてなすようにはしているが……。いまも懸命にバスケを続けている彼らを一方では尊敬もしている。とはいえとうに現役を引退した自分に勝負を挑んでくるのはそろそろ勘弁願いたいが。と乾いた笑いも零していると紳一がこんなことを問いかけてきた。
「あいつらと度々会ってて……お前はバスケやりたくはなんねえのか?」
「え……? 牧さんはどうなんです? 諸星さんに会うこともあるでしょ?」
「オレはサーフィンの方をやりたかったからな。元からバスケだけの人生を送る気もなかった。だがお前はもう少し可能性もあったんじゃねえかと思ってな」
「そう言ってもらえるのは光栄ですけど……。いまの自分で十分すぎるくらい満足ですよ。オレ、いますげえ幸せですから」
「幸せか」
「はい」
 幸せです。と言うと、ふ、と紳一が笑った気配が伝った。そりゃ良かった、と穏やかな声で呟いた紳一はもうすっかり自分を身内の一員として受け入れてくれているのだろう。10年前のことを少し思い出して仙道は肩を揺らした。
 午前中は観光案内をし、昼食を取ってから仙道は大型の総合スーパーに紳一と共に訪れた。
 日本であれば業務用と見まごうかのような規模であるが、さすがに紳一は慣れているのか驚きは見せず淡々とカートに商品を乗せていく。そうして最終的に大男二人がかりで荷台にて荷物を運び、仙道は心底紳一の手があって良かったと感じた。
 肉は明日のバーベキュー用。そろそろが今日のために大量に購入したアジア系食材を使って和食を作り始める頃だろうか。桜木たちが来たときは出来る限り一般的な日本の家庭料理でもてなすのが決まりのようなものだ。
 自宅に戻り、大きめの冷蔵庫ぎちぎちに食材を詰め込み、桜木が来るという事で興奮気味の息子の世話を仙道はから代わった。は例のごとく桜木いつくるの攻撃にずっとあっていたらしく既にぐったりしている。
「大丈夫か?」
 声をかけると、あとはよろしく、とはキッチンの方へ行ってしまった。子供の世話より料理の方がマシ、ということらしい。
 紳一は呆れていたが、ははは、と仙道は笑った。仕事の時間が流動的なよりは時間がきっちりしている仙道が息子を連れていることが多く、仙道自身は子育ては割と性に合っていると思っていた。
「去年から保育園に入れてまして……、そうなると会話が英語になりますからとにかく家の中じゃ日本語を多めに聞かせるようにしてるんですよ」
「なるほどな……、バイリンガルに育てるのは困難だというからな」
「牧さんたちはどうだったんです?」
「オレたちは後天的に慣れていったようなもんだからな……、オレもいろんな話を聞いたが二か国語とも中途半端で辛い思いをする子供もいるらしい」
「家の中でも徹底して父親と母親で話す言語を分ける……とかってのも有効らしいんですが、オレたちにそこまでやれる自信なくて。でも英語は外で覚えてくるからこっちは絶対に英語は使わないとは決めてるんです」
 おそらくすでに息子の英語は日本語を追い越しているのだろうが、それでも仙道は彼が生まれた時からずっと日本語で喋りかけてきたことなどを思い返しつつ、現在の悩みはどうアルファベット脳と漢字脳を並行して作らせるかだと説明しながら息子と紳一と共に幼児用のひらがなゲームに興じた。
 シーズン前のいま、桜木たちはゲームではなくキャンプ参加をしているようで家に着くのは7時過ぎるということだった。
 いつもより遅い夕食となるため仙道は先に息子を風呂に入れ自身も風呂に入り、上がってくる頃にはちょうど彼らが到着する時間となっていた。
 7時15分過ぎにインターホンがなり、が出た。

「ちゅーっす!! 桜木っす!」

 勢いにが顔をしかめたのを見て仙道は笑う。相変わらずだな、との思いからだ。
 そのままが玄関を開ければ見知った大男二人が姿を現して仙道は声をかける。
「よう、桜木、流川」
「ようセンドー! この天才・桜木が今回も勝負しに来てやったぜ!」
「いらっしゃい、桜木くん、流川くん」
さん! ちゅーっす」
「チワス」
 相変わらず声の大きい桜木と、こっちのことは睨むだけのくせにには頭を下げる流川を見つつ肩を竦めていると息子がはちきれんばかりの笑顔で飛び出してくる。
「さくらぎー!!」
「おうチビ助! 元気にしてたか!」
 ナハハハハ、と笑いながら息子を抱き上げる桜木を見つつ雑談をしているとちょうど仙道たちと入れ替わりで風呂に入っていた紳一が戻ってきた。
 途端、桜木の声がはねた。
「ジイ!? ジイじゃねえか!」
「なんでいる……」
 流川でさえ目を見開いており、紳一は苦笑いを漏らしている。
「オレは出張でちょっと寄ってな。にしても相変わらずだな、お前たち」
「その様子じゃジイもすっかりサラリーマンってやつをやってんだな! ようやく顔に歳が追い付いてきたな、ジイらしく!」
 わはははは、とさらに笑う桜木に仙道はやや狼狽えたが、紳一も高校時代の事を思い出したのだろう。一瞬顔を引きつらせていたがすぐに肩を竦めて受け流したようだ。

「うまい! うまいっすよ!!」

 食事が始まればが大量に作ったらしい生姜焼きや肉じゃが、麻婆豆腐や唐揚げ等を掻き込んでいく桜木を見やりつつ話の内容はやはりバスケが中心となる。
「お前ら……来年はどうするんだ? 全日本の強化合宿の話とか色々来てんだろ?」
 もっぱら紳一の関心は来年のアテネオリンピックである。既に諸星がキャプテンとして日本代表となる事は内々定している段階だ。
「むろんこの天才・桜木が日本を金メダルに導く! まーどっかのキツネ野郎にゃ声がかかるかも微妙だけどな」
「そりゃおめーだろ、どあほう」
 二人の長年の意地の張り合いにもはや突っ込む者は誰もおらず、紳一ですら介入せずにそのまま話をつづけた。
「実際、桜木は貴重だろう。流川……お前は沢北とポジション被ってるから代表はともかくスタメン争いは熾烈なんじゃねえか?」
 すれば紳一の発言に「む」と流川が唇を引き、桜木がケラケラ笑う。
「その通り! まあ小坊主もこの天才ほどじゃないにしても少しは使えるやつだからな!」
 ハァ、と露骨に流川のため息が響いた。
 相変わらずだな、と仙道は再度思いつつまだ残っていた唐揚げをひょいと箸でつまんだ。
「流川のスタメンはあいつよりマイケルが出るかどうかにかかってんじゃねえか? それより諸星さんや組織の人間がガードをどう考えてるかだな」
「ガードが心もとないって大ちゃんずっと言ってるもんね……、このままだったらポイントガードは大ちゃんになるんじゃないかな」
 沢北くんか流川くんがシューティングガードやればいいし、と続けるに「そうだな」と紳一も相槌を打った。
「ま、ポイントガードとしてこいつら問題児軍団をどうまとめるかってのも諸星の腕の見せどころだな」
「オレたち、来年はアテネに見に行くつもりなんですけど牧さんも行くんですか?」
「一応はそのつもりだ」
「大ちゃんの現役最後の試合になるかもしれないから……ちょっと気が早いけど、メダル取れたらいいよね」
「大丈夫! 任せてください! この桜木がいる限り金メダルまず間違いなし!」
 次は、ふー、と紳一と流川のため息が重なった。
 しかし出るからには結果を出したい思いは流川の方こそ強いのでは、と仙道はちらりと流川を見やる。
「ま、オレは気楽な観戦者でしかねえけど……狙うよな、メダル」
「当然だ」
 フン、と鼻を鳴らした様子を見て仙道は小さく笑った。


 翌日――。

 朝食が済むと紳一を含めた全員を車に乗せて仙道たちは家を出た。
 目的地は仙道との母校である。仙道の所属していたバスケ部の使っている体育館を使わせてもらうためであるが、このようなことはちょくちょく起こるためにバスケ部の方も慣れており2つ返事で了承してくれていた。
 紳一の方は大学以降はすっかりバスケをやめて、今では仕事の合間にやっているのはもっぱらサーフィンということだったが。仙道は趣味でバスケそのものは今もそこそこやっている。とはいえ独立リーグ所属といえど生活の中心がバスケとなっている流川や桜木の相手をするのは年々厳しくなっており。目下の課題はどう勝ち逃げするかである。
 完全に敗北するのは癪であるし、どうすっかな。と考えるのはもう何度目だろうか? 大学はバスケ部に顔を出せば学生がまばらにいて一斉にこちらに声をかけてきた。

「アキラ!!」
「あー、カエデ・ルカワだ!」
「ほんとだ! サインもらおうぜ!」

 アメリカでは桜木の方が人目を引いて人気があるらしいが、カナダでは流川はけっこう人気がありさっそくサインを強請られている様子を見て仙道は口元を緩める。
 なんでも理由はカナダ国旗であるメープルと流川の名前が同じであるためカナダ人は親しみを覚えたというのがきっかけらしいが……、試合のニュースやアナウンス、メディアは毎回そこを強調しており心なしか流川もカナダにいる時は楽しそうな気がする。
 逆にイライラしている様子の桜木を宥めつつウォームアップを行い、軽く流してから1on1開始である。

「ふぬー! センドー!!」

 桜木はが見知っているリハビリ明けの高校二年生の頃よりも信じられないレベルで成長したが基本的にはアメリカでもリバウンダーでの起用である。とはいえ。身長もだいぶ伸びたとはいえセンタープレイヤーとしては小さく、本人も気にして身体を強固に鍛え直したうえである程度のシュートレンジを持ってはいるものの……彼をディフェンスすること自体は仙道もまだ可能なようだ、とはもとより紳一も関心しきりに見ている。
 流川は逆にインサイドよりはアウトサイドを求められて沢北同様のスウィングマン起用が多いようだが、流川の試合も何度も見ているが……さすがに高校生のあの頃よりはチームプレイも向上したかな。と思う。むろん個人スキルは伸びている。
 渡米した頃はかなり苦しんだらしいが……、自分も仙道も流川の個人的な事情を気遣っている余裕などなく、いま改めて冷静に思えばもう少し流川がちゃんと下準備をしたうえで充実した環境で渡米していれば少し状況は違っていたかも。などと勝負を見守ってしばらく。
 流川がコートを出てドリンクを手にこちらに近づいてきた。
「コーチ」
「ん……?」
 流川がのことを「コーチ」と呼ぶのは高校時代の国体からずっとである。にしても慣れたものだ。
「どうすか」
 いまの、と聞かれては瞬きをする。
「どう、って?」
「いやなんか……気づいたこととか……」
 言われて、ああ、とは呟いた。ダメ出しを聞いているのだろう。
「うーん……私が流川くんに教えられることってもうないと思うけど」
 苦笑いを浮かべて肩を竦める。
 それならば1on1を、とでも言われかねない雰囲気だったためは目線をコートの方へ流した。
「桜木くん、本当にうまくなったよね。流川くんは元から十分うまかったけど……」
「あの頃はあんたのほうが技が豊富だった」
「え……!?」
 ぼそっと言われた声には驚いて流川を見上げた。――そういえば、国体の時に空き時間に勝負をしてくれと彼に言われたことがある。一度断って、だがその後に思い直してもっと流川とコミュニケーションを取ろうと思ったものの。限られた時間の中で福田にディフェンスを教えるのが忙しくて結局ほとんど流川とは個人的には接することが叶わなかったのだ。
 とはいえそれは10年以上前の話であるし、今さらどうこうということもないのだが。と考えているとジッと流川が真っすぐこちらを見つめてきては一度瞬きをした。
 なにか話したいことがあるのか? と考えていると勝負が終わったのか仙道と桜木がこちらへとやってきたため、チッ、と舌打ちして流川はのそばを離れた。
 あ、とは思う。国体合宿の時も確か流川と話していたところに仙道が来て、結局そのままになったことがあったような……と思い返している先で仙道と桜木は肩で息をしつつも上機嫌そうに話している。
 勝ち逃げはできそうなのだろうか、とちらりと仙道を見上げると、ふ、と仙道が笑った。相変わらず桜木との勝負は楽しいらしい。
 でも彼にとってはたまにする勝負だから楽しいのだろうな、ということも分かっているためはそれ以上は追求せず、切り上げて帰路につけば次に待っているのは昼食の支度である。

「うおおお! 肉! 肉―!!!」

 今日は晴れれば庭でバーベキューと決めており、バーベキューセットを皆で設置したあとはは肉の世話と息子の世話は仙道に託してキッチンに引きこもった。
 とりあえず前日から用意しておいた肉を先に出し、串焼き素材を作るためだ。なにせ桜木がいるためいくら作っても多すぎるということはない。
 カナダでは休日のバーベキューは定番であるがこれからすぐ冬になるためそろそろバーベキューの季節も終了かな。などと思いつつガーデンのはしゃぎ声を遠くに聞きながら野菜を切り始めてしばらく。
 カタン、という音と足音が聞こえて顔を上げるとシステムキッチンの先に流川の姿が見えては首を捻った。
 飲み物でも取りに来たのか? とこちらに来る流川に聞く前に彼が口を開く。
「手伝う」
「え!? あ……、うん。ありがとう」
 すぐそばまでやってきた流川が言い、はやや驚きつつも「じゃあ串にお肉と野菜通して」と言えば「うす」と返事をして彼は黙々と作業を開始した。
 流川は何度もこの家に来ているとはいえ基本はいつも桜木と一緒に来ており、それゆえあまり二人きりで話したことはない。そう思うと10年以上前から彼の事を知っているというのに不思議だな、とちらりと流川を見やる。
 相変わらず顔だけは恐ろしいほど整ってる。こんな端正な造りをした人間はカナダでもそうそう見かけない、といっそ感心していると流川が「なに?」と少し眉を寄せたためハッとは意識を戻す。
「あ、その……さっきも思ったんだけど、流川くん、もしかしてなにか話したいことがあるんじゃないかな……って思って」
 言ってみると少しだけ流川が目を見開いた。珍しく少し逡巡した様子を見せた彼は、カタン、と一つ出来上がった串焼きをプレートに乗せて手を止めた。
「NBAでプレイしたいと……そう思っていたことがジョーダンの引退で前より気持ちが弱くなった……ような」
 ぽつぽつ流川がそんなことを言って、はあまりに意外な話に目を見開いた。
 バスケットボールの神様、マイケル・ジョーダンが引退を表明したのが先シーズン。そしてその言葉通り彼はオールスター戦を最後にNBAから引退した。むろんトップニュースでもありも知ってはいた。
 しかし、と思う。多くのバスケ少年がジョーダンに憧れは抱いていただろう。しかし自分も紳一も諸星も、そして仙道もNBAの特定選手の熱狂的ファンというわけではなかったため誰かの引退による影響というものは全くの想定外であった。が、流川も例に漏れず、いや平均よりももっと熱狂的なジョーダンファンだったのだ……と思えば全ての合点がいった。
 憧れの人と同じ舞台に立ちたい。できれば試合をしたい。という思いが流川の中にあったのかもしれない。それが不可能となり、あの意志の強い流川でさえ少々戸惑ってしまったのだろう。それに、とは思う。独立リーグはNBAとは違う世界だ。環境や対応、すべてが違う。沢北のようにNBA傘下のリーグであればまた違うのだろうが、と思いつつ流川を見上げる。
「流川くんが拘ってるのはアメリカ……? それともマイケル・ジョーダンだけ?」
「どういう意味すか」
「えっと……アメリカとかNBAに拘らなければ、バスケはどこでもできると思う。例えばユーロリーグなんかアメリカの独立よりももっと強いはずだし、ユーロリーグまで行かなくてもヨーロッパのいくつかの国はプロリーグを持ってる。カナダだってそうだしね」
 流川は神妙な顔つきをした。――渡米する、というはっきりした意思を持っていたらしき流川だが準備不足で初期には苦労もしたという彼である。あまり各国のプロバスケ事情は知らないのかもしれない。いや、知る必要がなかった、とでも言うべきか。
「もちろん流川くんのやりたいことが一番大事だけど……、どこかの国のプロリーグに入れればまた違った視点でバスケができると思う。生活も……たぶんもっと安定すると思うしね」
 と仙道が流川たちをこうして迎えているのもひとえに彼らの生活が不安定だからである。なによりバスケだけに集中していればいい環境でないことは結構なストレスだろうからだ。
「来年はアテネがあるから、このシーズンはすごく大切になるよ。個人的にだけど、私は大ちゃんにメダル取って欲しいし、流川くんがアテネまでにもっと強くなって大ちゃんを助けてくれると嬉しい」
 笑って言うと、少し流川が唇を揺り動かした。僅かに開いてからキュっと結び、そうしてもう一度開きかけた時。

「なーにやってんだ?」

 キッチンの先から低い声が響いてハッとも流川も顔をあげた。すれば仙道がこちらに歩いてきては、ああ、と向き直る。
「流川くんが準備を手伝ってくれてたの」
「へえ……」
「じゃあ流川くん、これ持っていってもらえる?」
 そうしてプレートを指して言うと、「うす」とうなずいた流川がプレートを手に取って仙道の顔をひと睨みしてその場を離れた。
「彰くんこそなにしてるの」
 息子はどうしているのか聞くと、ちょっと牧さんに頼んだ、と仙道は頭に手をやった。
「流川が見当たんねえなと思ってさ」
 あいつちょっと様子変だっただろ。と仙道が続け、さすがに鋭いな、と感心しつつもは先ほどの事は告げずに作業をそこそこで切り上げて自身も庭へと向かった。

 肉を食いつくさんばかりの勢いで頬張る桜木を見つつ、その横にまとわりつく息子の世話をとバトンタッチしたのちに仙道はあたりを見渡した。
 さっきまで紳一と話していた流川が庭の隅の木の幹に寄りかかってぼんやりしているのを見つけ、そっと近づいていく。
「ちゃんと食ったか?」
 手を掲げて努めて明るく問いかければ、ちらりとこちらを見やった流川は、プイ、と目線を外した。10年前から比べれば多少は話すようになったとはいえ自分たちの関係は基本高校時代と変わっていない。
 なんだかな、と思いつつも慣れているため構わないのだが……と仙道は流川の肩に手をかける。
「流川、一つだけ言っておくけどさ」
「あ……?」
ちゃんは、オレのだからな」
 あくまでにこにこと、しかし鋭く瞳を捉えて言えば流川の整った切れ長の瞳が大きく見開かれた。が、すぐに蔑むような目線に変わる。
「どういう意味だ、どあほう」
「いや別に。単なる自慢だ」
「フン」
 あほが、と切れ長の目をさらに細くして睨まれ、はは、と仙道は笑った。――こいつはオフェンスの鬼だからな。釘刺しとくくらいでちょうどいい。ただ藪蛇はごめんだ、と仙道は180度話題を変えてそのまま雑談に応じた。流川はリアクションは薄いが話はちゃんと聞いているし、アメリカで鍛えられたせいもあるのだろうが高校生の頃は取らなかっただろうレベルのコミュニケーションも取るようになっている。そういう部分は渡米して正解だったのではないか、と思いつつそろそろバーベキューもお開きの時間になってきたころ。
「かえでー!!」
 ふいにすっかり食べ終わって遊んでいたらしき息子が満面の笑みでこちらにかけてきた。
 しかも自分ではなく流川を呼んでいる、と見やって仙道は彼の右手に握られているものを確認してああと察した。
「かえで! これかえで!!」
 そうしてそばまで来た彼は拾ったらしき紅葉したカエデの葉っぱを流川に差し出し、頭に疑問符を浮かべているらしき流川をちらりと見やって息子を抱きかかえた。
「お前にやるってさ。な?」
「かえで」
 そこでようやくハッとしたらしき流川はギロッと一瞬こちらを睨んだが、ニコニコと葉っぱを差し出す息子は無下にできなかったのだろう。「どうも」と葉っぱを受け取り少々表情を緩めた。ような気がした、と仙道は瞬きをした。
「かわいいだろ?」
 言ってみると、流川は「まあ」と小さく呟き、割とこいつ子供好きなのか? と思いつつ息子に笑みを向けた。
「偉いぞー、これが流川ってちゃんと覚えてたんだな!」
「さくらぎは?」
「桜木……うーん、桜は春の方がいいぞ。春になったらハイパークに見に行こうな」
 ははは、と仙道は笑う。
 そうしてバーベキューの後片付けを済ませ、夜には紳一も交えて酒盛りをしていた桜木たちをようやく寝床に押し込み、仙道は寝室へと向かった。
 桜木と流川が来ている時は子供部屋は桜木が、ゲストルームは流川が、そしてその場合は親子3人川の字、というのが常である。
 が、今日は紳一もいるため紳一をリビングのソファに寝かせることになってしまいさすがに気が引ける、と闇夜に慣れた目を頼りにベッドに入ると振動が伝ったのか既に寝ていたが目を開けた気配が伝った。
「ワリぃ、起こした?」
「ん……みんなは?」
「やっと寝た」
「そっか……」
 そうしてまた瞼を閉じたを見て、ふ、と笑い仙道も横になって目を瞑る。
 たまにはこんな週末も良いが、来週こそ釣りに行きてえ――と考えつつすぐに寝入って翌日。
 午後の便で帰国するため余裕のある紳一と違い、午前の便でアメリカに戻る二人は朝食後にばたばたと帰り支度を整えた。
 時間が合えば空港まで仙道が送ることもあったが今日は紳一がいるため二人は公共交通機関で帰るという。空港に一本で行ける最寄りの鉄道駅まで送っていこうと仙道も車のキーを手に取って先に玄関から出た。
 紳一やは玄関にて見送りだ。
「じゃあな桜木、流川。練習がんばれよ」
「おう! ジイもサラリーマン頑張ってくれたまえ!」
 笑う桜木と頭を下げる流川に紳一が肩を竦め、その横でも二人に声をかけた。
「気を付けて帰ってね、二人とも」
「うす」
「じゃあなチビ助!」
 わしわしと息子の頭を撫でる桜木をが笑ってみていると、ふいに流川からの視線に気づいた。ついで彼はぺこりと深く頭を下げ……がややあっけに取られてその様子を見ていると、顔をあげた彼はこちらの瞳を数秒ジッと真っすぐ見つめてきた。そしてくるりと背を向け玄関を出て行ってしまった。
 どこか決意を秘めたような……、とあまりに強い眼差しにはエンジン音を聞いてハッとするまでその場にただ立ち尽くしていた。



 ――2003年、マイケル・ジョーダンがNBAから引退。
 そして同年の次シーズン直前。流川楓がドイツのプロリーグへと電撃移籍を発表し、北米大陸から去っていったのはこの日から数週間ほどのちの出来事である。



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