「うわー、こらエライことになっとりますね……」
放課後の陵南高校。バスケット部部室。
いつもは些細なことすら騒ぎ立てる彦一ですらやや引き気味に呟いて、部員達はそれぞれ苦笑いを浮かべるやら憎々しげな表情を浮かべるやら十人十色の反応を見せていた。
2月14日、バレンタインデー。
部室のテーブルには溢れんばかりのチョコレートが乗っかり、ちょっとした山が出来上がっていた。
「あ、あの……。仙道さん、ワイ、渡したいもんがありまして……」
少々重い雰囲気の中、彦一が口を開けば、仙道より先に越野が反応してギラリと鋭い目線を彦一に向けた。
「これ以上まだ追加されんのかよ……」
呟いた越野はこれから起こる出来事を察知しているのだろう。仙道もやや苦笑いを浮かべている。
彦一も愛想笑いを浮かべつつ、鞄に所狭しと押し込められ、さらに手に持っていた大きな紙バッグに詰められた大量の物体――チョコレート――を仙道の方へ差しだした。
「これ、仙道さんに渡してくれて頼まれたモンです!」
やっぱりな。と、部員一同ゲッソリした表情を晒した。
「……サンキュ……」
渡された仙道は礼を言いつつ、既にチョコで溢れかえっているテーブルにそれらを追加した。
フー、と誰とはなしにため息が部室に充満する。
「お前、ソレどうすんだ?」
チラリと越野が目線を仙道にやれば、仙道は首元に手をやって、うーん、と困ったように眉をさげた。
「貴重なエネルギー源だし……、日持ちするし、ありがたくみんなで消費しようか」
「……ッ……」
「てことで、ヨロシク」
ニコ、と仙道は苦し紛れに笑い、越野たちは頬を引きつらせた。
普段からコンスタントに差し入れを獲得する仙道の戦利品は、消費できるものは部で消費するという暗黙の了解になっていた。
去年のバレンタインも、一人でスター並みのチョコレートを獲得していた仙道を部員たちは羨み妬みつつも、なんだかんだ部室にチョコのストックがある、という状況を喜んでいたのだが。
何にでも「限度」があるものだ、とも部員達は思い知っていた。
そもそも後輩は「ご自由にどうぞ」と言われたところで手を付けるのはためらうし、普段の差し入れならまだしもバレンタインチョコなどという女の執念が籠もったモノは割と面倒なのだ。
実際、去年、「仙道君、私のチョコ食べてくれてた?」などと質問攻撃にあった越野や植草たちにとってはバレンタインはけっこうなトラウマデーとなっていた。
「さ、取りあえず練習いこうか」
重々しい空気をうち破るように仙道は手を叩いた。が、その表情には若干の疲れが滲んでいる。
というのも、今日一日、逃げても逃げても追いかけ回されるという状況だったからに他ならない。
「あーもう、今日は体育館締め切ってバスケ部以外立ち入り禁止にしようぜ!」
「まあ、練習にならないと困るよな……」
道すがら、トゲトゲしく越野が言い放って植草も肩を竦めた。
「あ、来た!!」
「仙道さーーん!!」
キャーー!! とさっそく体育館入り口でバリケードを作って超音波を発する女生徒の集団に――みな例外なくゲッソリした表情を晒した。
体育会系のノリも苦手だが、やっぱりコレもちょっと苦手なんだよな。と仙道は笑みを浮かべつつも顔を引きつらせていた。
もしもコレが「騒がれたい」という欲求のある人間だったら、嬉しいのかもしれないが。
いや、でも、限度があるか。と、仙道はその後いつも通りの練習をこなした。
体育館は既にブチキレた越野によって締め切ってあり、雑音はシャットアウトされている。
越野がキレる前までは、田岡が「やめんか!」とたしなめても「なによ」「茂一のバカ!!」などと女子高生の集団に野次られるだけの結果に終わっており、今日に限っては物怖じしない越野の功績はみなに讃えられていた。
応援であれば普段は拒否するなどあり得ないが、本日ばかりは「チョコレートを渡す」という物理接触が目的だっため、必然だったのだ。
通常練習が終わって、積極的に居残り練習をこなしているレギュラーの面々が部室で着がえる頃には既にどっぷりと日が暮れていた。が、これはいつものことだ。
着がえながら、植草がちらりと仙道の方を見た。
「仙道、本当に一つも持って帰らないのか?」
今なおこんもりとテーブルに盛られているチョコの山に目配せするも、仙道は「ああ」と頷くだけだ。
「つーか、お前……。無事に帰り着けるといいな、この後」
パタン、とロッカーを閉めて言ったのは越野だ。
さしもの仙道も、少しばかり青ざめる。
「いや、オレの足についてこれる子いねーだろ」
ははは、と乾いた笑みを仙道がこぼし、黙々と着がえていた菅平が場を和ませようとしたのか明るい声を出した。
「せ、仙道さんの足についてこれるような子がいたら、逆にスカウトしたいくらいですよね!」
が――、さらに部室の冷気は加速し、菅平は焦ったように恐縮して平謝りを繰り返した。
シャレになってねぇ、と仙道は学ランのボタンをとめながら、勝手に引きつってくる頬の筋肉の動きを止められずにいた。
自分は自他共にズボラで適当だと認めてはいるが、あまりプライベートエリアを侵されるのは好きではない。よって、住んでいる場所だけはバレたくないのだ。
とはいえ、現実問題……校門を出れば駅までの道は一本であるし、自分も駅前の道を通るのが最短であるためそうしたいのだが。駅から自宅があまり離れていないため、絶対についてこられないとは言えない。しかも通り道の国道は交通量も多く、追いかけっこをするにはあまりに危険だ。
――と、去年の教訓を活かして仙道は、ふぅ、とため息を吐いた。
多少、いや、かなり遠回りになるが学校の裏手から抜け、迷路のような住宅街の路地を辿って帰ることにするか。と、ルートを越野達に告げると、彼らは頷いてゆっくりと部室のドアをあけた。
「――よし、右はOKだ」
「頑張れよ」
なぜこんなスパイ大作戦のような真似をしなくてはならないのか。と思いつつも、仙道は待ち伏せしている女生徒をどうにか避けて、テニスコートまで走り、フェンスを越えて何とか学校から脱出した。
あとは任せろ。と言ってくれた越野達には申し訳ないが、と、一度校舎の方を振り返ってから走って住宅街へと逃げるように飛び込んだ。
路地を何度か曲がり、さすがにもう大丈夫だろ、とホッと息を吐く。白い息が空へと溶けていって、仙道は何となく夜空を眺めた。
手に持った、さすがに持ち帰るほかはなかったファンレターの類がずっしりと重い、とそのまま危なげなく自分のアパートまで辿り着き、玄関に鍵をかけてヤレヤレと肩を落とす。腹は減っていたが、これから準備せねばと思うと億劫だ。いっそチョコレートを夕食にすれば良かっただろうか、などと思いながら自嘲してしまう。
バレンタインなど、どうでもいい。などと自分が言ってしまえば男女関係なく反感を買うと分かっているから、決して言わないが。と、貰った手紙類をクローゼットに仕舞った。さすがに今はそれらを読む気にはなれず、洗濯物を洗濯機に放り込んで、冷凍庫に入っていた白米をレンジに入れてボタンを押した。
そう言えば、諸星はどうしているだろう? 今日は愛知で彼も同じような目にあったのだろうか、とそんなことを考える。
あっちは仮にも全国的なスター選手。ウィンターカップ以降はメディアも賑わせる「バスケ王子」だ。本人の素のキャラはともかくも、メディアの作る彼のイメージはアイドル然としている。だから、自分よりよほど大変だったに違いない。と思うも、たぶん、彼なら上手く切り抜けて全く平気なんだろうな、とも思う。
海南の紳一も似たようなものだろうか? 案外清田あたりが義理チョコをたくさんもらったりするんだろうな。けど、やっぱ神が一番かな、と思いつつハッとする。
まさか、は神にチョコを贈ったりなんてことは――と、一瞬だけ背中に冷や汗を流してから、ふ、と吹き出した。
「いや、ねーな。ありえねえ」
むしろ、「バレンタインってなに?」くらい言ってくれるタイプだ……ってさすがにそりゃねえか。と自己突っ込みをしつつ浮かべる。
長身で運動が万能な女子。――というと、後輩から必ず男子同様にチョコをもらえるカテゴリーだ。となると、も諸星・紳一に負けず劣らず今日はチョコ獲得デーであったのかもしれない。と行き着いて仙道は口をへの字に曲げた。
これは、たくさんチョコを貰った自分を見てもヤキモチを妬いてくれるどころか、「私だって貰ったもん!」などと対抗される可能性の方が高いな。と出てきたのは苦笑いだ。
彼女があまり嫉妬深くないのは、ありがたいようであり、ちょっとばかり寂しくもあり。たまに「好かれているんだろうか」とくだらないことを感じてしまう要因でもある。
もしも自分が、チョコが欲しい、って言ったら……彼女は用意してくれただろうか?
別にチョコが欲しいわけではないが、がくれるなら、やっぱり嬉しいだろうな、と思う。
この手のイベントなど全く重要視していないが、もしもバスケ漬けの毎日を選んでいなければ、やっぱり今日は会っただろうし、とどうしても浮かべてしまう。
チョコレートなんて結局は会う理由を作る媒体に過ぎず、なんだかんだ甘い雰囲気になって。というか単純に――イチャイチャしてえ。と直球の欲求が沸き起こったところで、レンジがチンと気持ちの良い音を立てて仙道はハッと我に返った。
いかんいかん、と雑念を振り払って適当に仕入れていた総菜類を並べて取りあえず夕食を取り、風呂に入ればあとは寝るだけだ。そしてまた、明日も早朝からバスケである。
同じ学校に通っていれば、毎日会えるだろうに――。そうしたら、彼女はチョコをくれただろうか。と、寝る直前だというのに、案外「バレンタイン」に執着している自分に気づいて仙道は自分自身に失笑した。
「ちゃん……」
たぶん、いや確信を持って、彼女が「女から男へチョコを贈る日」を重視しているはずがないと言える。おそらく従兄の紳一や幼なじみの諸星にさえ、むしろ彼らだからこそ、彼女はチョコを渡したこともないだろう。
たぶん、今までの人生で一度もバレンタインチョコを誰かに渡したことないだろうな。なんて思ったら……やはり、彼女の「初めて」は自分が欲しい。
けっこう自分は独占欲が強いのかもしれん。などと自身を客観視しつつ、仙道は一つあくびをして部屋の電気を落とした。
来年の今日は、きっと一緒にいられるはずだ。
だから、それまで……フラれねえようにしねーと、と思いつつ仙道はそっと瞳を閉じた。
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