バレンタインデー。
それは私にとっては、「お兄ちゃんと大ちゃんが大量のチョコを獲得する日」以外の何者でもなかった。
「いや、ミニバスやってたころは、私だって……」
考えながら、思わず一人でブツブツと呟いてしまう。
ミニバスやってた頃は、二人に負けず劣らずチョコレート貰ってたりもしてたんだけど。なんて思い返しつつ、フー、と息を吐いた。
今日はそのバレンタインデー。日本ではなぜか、女の子が好きな男の子にチョコレートを贈る日、となっている。
つまるところ「チョコの日」であって、私には全く関係のない日でもあった。
とは言え……。
「チョコレート、ね……」
好きな人にチョコを贈る日、なんて言われると……やっぱりあげた方が良いのかな、なんて仙道くんの顔が浮かんだけど。
でも、仙道くんは仙道くんで今日は大量のチョコ獲得デーのはず。だから私から貰わなくても……って思うけど、やっぱりあげたほうがいいのかな?
だけど、生憎と今日は平日。会えるわけがないし、そもそも先々週の週末に「バスケに集中したい」とか言われて、次にいつ会えるかなんて分からない状態だし。家は知ってるから、ドアノブにチョコをさげてくるって手もあるけど……、と考えつつ私は毎年恐ろしい量のチョコレートを持ち帰ってくるお兄ちゃんと大ちゃんの様子を思い出してフルフルと首を振るった。
ダメダメ。今年も例年通り。私にバレンタインは一切関係なし。
って考えながら登校したら、案の定、そこは戦場だった――。
「あ、いたいた。ちゃーん!!」
「はい、コレ!」
「お兄さんに渡してねーー!!!」
バスケ部やらテニス部やらの人気選手が女の子に追いかけ回される中をかいくぐってどうにか教室に辿り着いたら、クラスメイトに取り囲まれていきなり大量にチョコを獲得してしまった。ただし、宛先はお兄ちゃんだけど。
甘いモノがそこまで好きってわけでもないけど、男の子ってバレンタインにこんなにチョコをもらえるって思ったら。やっぱりちょっと羨ましいな、なんて思ってしまった。
でもこれ、食べ終わるのいつ頃になるんだろう? きっと仙道くんも似たような状況のはずだし、仙道くん、しばらく主食がチョコなんてことになるんじゃ。なんてちょっと心配になるのは仙道くんの食生活がいまいち心許ないから。ちゃんと栄養とってるのかな。
いいな、陵南の女の子たち。毎日、仙道くんに会えて……って思考がそんなところにいって私はハッとして首を振るった。
どのくらいチョコ貰うんだろう、って少しだけ気にはなるけど。もしも私が陵南の生徒だったら、私も気軽にあげられるのにな、って学校が違うことの不便さを改めて実感しちゃった。
でも、そんなことに気をとられてる場合じゃないし。
あんまりひと目につくところをうろうろしてたら抱えきれないくらい荷物が増える可能性があるから、昼休みは図書館にでも避難しよう。ってお昼に教室を出たら、不意に見知った声に呼び止められた。
「ちゃん! ちょうどよかった」
神くんの声だ。見上げたら、やっぱり神くんがこっちに歩いてくるのが目に映った。
「ちゃん、これから時間ある?」
「え、うん……」
「悪いんだけど、ちょっと付き合ってもらってもいいかな」
神くんは少しだけ申し訳なさそうに言った。なんでも昼休みのシュート練習に付き合って欲しいらしく、暇だった私はもちろん二つ返事をして二人で体育館に向かった。
でも、昼休みに神くんがいつもシュート練習をしてることは知ってるけど、手伝ってくれなんて言うことは珍しくて。どうしたのかな、って感じた疑問はすぐに解消された。
私が一緒にいたら、他の女の子は話しかけにくいんだ。なるほど、神くんにとって一日500本のシューティングは最優先事項。朝・昼・放課後で何本やるかもきっちり決めてるから、昼休みをまるまるチョコレート攻撃で潰されるわけにはいかない、ってところかな。と、私はいつも通りのパス出しをしながら考えていた。
神くん、モテるもんね。仙道くんも今ごろ、女の子に囲まれてるのかな、なんていやでも考えてしまって、ダメダメ、と私は声を張った。
「よし、ラスト一本!」
「おう!」
相変わらず神くんの放ったボールは、高くて綺麗な弧を描いてスパッとリングを貫いた。
散らばったボールを片づけながら神くんは汗を拭って、柔らかい笑みを浮かべた。
「ありがとうちゃん。いつもよりずっと早く終わったよ。やっぱりパスだししてくれる人がいると違うな」
「どういたしまして。またいつでもどうぞ」
言って笑い合いながら片づけを済ませて体育館を出て、私は「着がえてくる」と部室の方へ走っていった神くんの背を見送ってから歩き出した。
バスケットをした直後だからか、妙に機嫌がいい自分のバスケバカっぷりを自覚しつつ歩いていると、前方に見覚えのある人影が映って私は思わず「あ……」と声を漏らしていた。
身長は150センチくらいかな? 小柄な女の子。たぶん一年生だと思うけど、なんだかよく分からないけど以前いきなり「神先輩と付き合ってるんですか!?」って絡まれたんだった、と。半年くらい前のことが一気に脳裏に蘇った。
見ると、小さなバッグを大事そうに抱えている。――ああ、なるほど。ってピンと来た私は足を止めてこう告げた。
「神くんだったら、もう体育館にいないよ」
「へ……?」
「さっき部室に向かったから、たぶんいま行ったらつかまると思う。頑張ってね」
付き合ってもいないのに一緒にいておかしいとか言われたんだっけ。たぶん神くんのこと好きなんだよね、なんて思いつつハッとする。
もしかして、今の余計なお世話だったかも。体育館に行ったら無駄足になるから、って思っただけだけど、それって神くんと一緒にいたから知ってるようなもので。また変に誤解されたらやだな、と思って「そうだ」と反射的に振り返った。
「私、他校に付き合ってる人がいるの」
「え……?」
「だから、神くんとは何でもないから」
そしてその子に「じゃあ」と告げてから背を向けた。
きっとあの子は今から神くんにチョコを渡しに行くんだろうな。
私は……付き合ってる人はいるけど……。私のバレンタインは例年通り。ちょっと眉を捻る。
「んー……」
いやいや、例年通りでなにも困ることなんてない。けど。そういう、ちょっと女の子っぽい行事もやってみたい。って思ってる自分もいて。やっぱり私はけっこう変わっちゃったと思う。
「仙道くん……」
ダメダメ。この学校全体が浮かれてる雰囲気はぜったい良くない。ちょっと寂しい、なんて思ってる場合じゃない。
こういう時は、やはり勉強しなくては。学年末試験も近いし、まさか恋煩いで首位転落なんてギャグみたいな展開だけはぜったいにしないから! ってよく分からない方向に燃え始めた私は放課後はダッシュで大学図書館に向かってきっちり日暮れまで勉強した。
ふと気づいて顔をあげたら、窓越しの風景は茜色。
いつもよりちょっと早いけど、引き上げようかな、と思って校庭に出ると……私服の大学生に混じってピーコックブルーの制服を着た女の子がキョロキョロと周りを見渡してる姿が映った。
どうしたのかな。大学に知り合いでもいるんだろうか、と何気なくその子を見て歩いていると、ふとこっちを見た彼女と目があって、その子はパーって明るく笑った。
「牧先輩!!」
呼ばれて、「え?」と立ち止まる。
「よかった、探してたんです!」
その子はふわふわのセミロングの髪を揺らしながらこっちへ笑顔で駆けてきた。なんだか凄く嬉しそうで、ほっぺたがピンク色で、「あ、可愛い」って声に出しちゃったかもしれない。
でも、誰だろう? 見覚えがない、なんて考えてると私の前まで走ってきたその子は可愛らしいラッピングの施された箱を真っ赤な顔して私に差し出してきた。
「あの、先輩……これ……!」
そこでピンときた。なんだ、そっか、と笑みを浮かべる。
「ありがとう。お兄ちゃんに渡せばいいのね?」
見るからに内気そうな子だから、きっとお兄ちゃんに渡せなくて私のこと探してたんだな。って理解して受け取ろうとすると、その子は「え?」と心外なような声を出してフルフルと首を振るった。
「ち、違います! そっちの牧先輩じゃないです!」
「え……?」
あれ、じゃあ大ちゃん? あ、でも大ちゃんはいま愛知で……ってちょっと混乱していると、その子は大きな瞳で私を見上げてきた。
「わ、私……、先輩は球技大会とか体育祭でいつも大活躍で、背も高くて素敵だな、ってずっと見てたんです! 成績だっていつも主席で、私、憧れてて……」
ちょっとうつむき気味のその子は、ただでさえ茜色の空間の中で耳まで真っ赤にしてそう言った。前半までは「どの先輩?」と考えていた私も、さすがに「主席」を誰だと探すほど間は抜けていない。
「――え!?」
その、つまり、この可愛くラッピングされたチョコは。えっと……。つまり。
「受けとってください、先輩!」
確かにミニバス時代は、お兄ちゃんや大ちゃんに負けないくらいチョコを貰ったりもしてたけど。中学以降はもっぱらあの二人相手への宅急便役で――。久々のことに、まるでその子の感情が移ったみたいに私も一気に緊張してしまった。
「あ……、ありがとう」
震えがちの手で差し出されたチョコレートを受け取ると、ハッとしたような表情のあとにその子は満面の笑みをみせてくれた。
――帰り道。
ふふ、と足取りがスキップ気味になってしまった私は我ながら自分の単純さを思い知った。
可愛かったな……、あんな風にチョコレート渡されるの、嬉しいかも。
だったら、やっぱり仙道くんにあげたら、喜んでくれるかな? なんて考えながら、私は手に持ったままだったチョコレートを鞄に仕舞った。
今ごろ、バスケ頑張ってるのかな……仙道くん。
紫がかってきた空を見上げながら思う。
来年のバレンタインは、ちゃんとやってみよう。私の初めてのチョコレートは、仙道くんにあげたいな。
だから来年も、その先も、ずっと一緒にいられますように――。
私はそのまま上機嫌で、例年通りチョコレート屋敷と化してるだろう家に小走りで帰っていった。
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