きっかけは、ただの偶然。

 中学三年の冬休み。
 バスケ部だった友達にほぼ強引に連れられて、受験勉強の息抜きにウィンターカップ最終日の観戦に行った日のできごとだった。

「あ、海南大附属だ……!」

 試合をするらしき学校が得点板に表示されていて、私は思わず呟いてしまった。だって、海南大附属高校は私の第一志望校だったから。理由は家から近いという単純なものだったけど、校風も良いし洗練されていて、海南は地元の人間にとってはちょっとした憧れだから必然の選択だった。
 そしたら私の呟きをめざとく聞きつけた友人が隣で声を弾ませた。
「さすが海南よね、準決勝では惜しくも負けちゃったみたいだけど……、毎年ちゃんと三位決定戦までは残るんだから」
「海南って強いの?」
「強いよ! 神奈川の絶対王者だよ!?」
 知らないの!? と凄まれて、私は首を捻るしかない。バスケなんて体育の授業以外で触れたこともないんだから、知るわけがない。
「海南の対戦相手は愛知の愛和学院かー。あそこのエース、すっごいカッコイイんだよね!」
「え……?」
「あ、出てきた!! キャーーー!! 諸星さーーーん!!!」
 説明もそこそこに、姿を現した選手たちの方を見た友人は奇声を発して大興奮。腕をブンブンと振って熱狂しちゃって私は早くも置いてけぼり。なんでも愛知のチームのエースは全国でも有名な選手らしく、その選手がいかに凄いか専門用語混じりで説明してくれたけど、いまいちピンとこない。ていうか、元バスケ部なのに随分ミーハーだな、って考えてたら試合開始の時間が来た。
 試合が始まれば、もちろんその人が一番目立って凄いのはいやでも分かったけど。私はどうしても、自分の先輩達になるかもしれない海南の選手達を追ってしまう。
「あの海南のフォワード、一年生なのかな? 見覚えないなー。誰だろ?」
 友人は強豪・海南のメンバーであれば控え選手でも名前くらいは知っているらしく、知らない選手の存在に首を捻っていた。
 私はというと、その友人が言った「見覚えがない」選手を無意識のうちに目で追っていた。
 信じられないくらい激しい動きの中で、まるで彼の周りだけ時が止まったかのような鮮やかなロングシュート。小さい私からは想像できないほど高い身長から放たれる柔らかなフォーム。
 素人だからかな。技術的なことは全く分からない。でも、単純に、あまりに綺麗なシュートで見入ってしまった。見るからに難しそうなシュートなのに楽々と何本も決めて――柔らかい笑みを浮かべている彼に、私の胸は少し昂揚した。

 海南に受かれば……、あの人に会えたりするのかな。
 そんな邪な動機で、受験への追い込み勉強さえ苦にはならなかった。


 ――そして無事に海南に合格。
 私はめでたく海南のピーコックブルーの制服に腕を通し、春には海南の生徒になった。

「清田くーん! コレ、神先輩に渡してー!」
「私も私も! 私はコレ、牧先輩に!!」

 そして今日も私の隣の席で女子に囲まれている人物――バスケ部の鳴り物入りルーキーらしい清田信長くんをちらりと見やる。

「まーた神さんと牧さんかよ! この清田への差し入れはねえのか?」
「配達料としてポテチ一袋あげるよ」
「なんだそりゃ!」

 クラスのムードメーカーでもある清田くんは、面倒そうなことを押しつけられてもすぐに笑いに変えてちょっと感心してしまう。
 神先輩への差し入れ――。いいなぁ、なんて思ってしまうのは、ウィンターカップで見たあの選手が「神先輩」だからだ。
 神奈川の絶対王者という海南バスケ部の威力は私の想像以上で、バスケ部の、さらにレギュラーともなれば想像を上回る有名人。って言っても、ウチの学校はテニス部や卓球部も有名で、校内にはその手の「有名人」がたくさんいて人気が分散されてるから、芸能人のようなノリでは決してない。
 だけど、それでも。清田くんに差し入れ配達を頼む彼女たちを横目で見ながら「あんなミーハーなノリと一緒にされたくない」なんて思っているのは、きっと何の行動も起こせない自分への言い訳だというのも薄々気づいている。
 そんなことを考えていると、ふと横を向いた清田くんとバチッと目があってしまった。
「せ、先輩達への差し入れ……、いつも凄いよね」
 取りあえず無難にとっさに口を開くと、清田くんは、ふ、と不敵に口の端をあげた。
「ま、神奈川の王者・我が海南だからな。いわゆる有名税ってヤツだな!」
 自分が差し入れを貰ったわけでもないのに随分と自慢げだけど、これはいつものことだ。
「やっぱり、レギュラーの先輩達って人気あるんだね……」
「まー、そりゃ牧さんとか神さんだからな。神さんってさー、スゲーんだぜ――」
 そうしてこれもいつもの先輩自慢が始まって私は、ふーん、と興味のないふりをしながらしっかりと聞き入った。
 清田くんと神先輩はかなり仲が良いみたいで、清田くんの話しぶりからはとても神先輩を慕っているのが伝わってくる。
 でも、清田くんが話す神先輩のこと、ほとんど知ってるんだ。
 例えば、空き時間のほとんどをスリーポイントシュートの練習にあてていること、とか。 だって、私は――。

「せーのッ!」
「キャー! 神せんぱーい! 牧せんぱーい!」
「小菅せんぱーい!」
「頑張ってくださーーい!!!」

 今日も体育館の出入り口でバスケ部の部活を見守るミーハー集団を遠巻きで見つめながら「ミーハーな人たち」と思う。けど、本当は勇気がなくて混ざれないだけ。
 それに、「あんなミーハーな人間と一緒だと思われたくない」というプライドだけはいっちょまえで、実際はただの臆病者。ということに、私は懸命に気づかないふりをした。
 だって、私は、知ってる。
 神先輩が、空き時間のほとんどをスリーポイントシュートの練習にあててること。
 だって、入学以来、暇があれば神先輩を捜して校内をうろついたり、無駄に下校時間以降も学校に残って遠くからバスケ部の様子を伺ったりして、だいたいの行動は把握してるから。
 神先輩のこと、ほとんど何も知らないけど。ウィンターカップで見たあの綺麗で正確なシュートは神先輩の毎日の努力に裏付けられてるって知って、ますます勝手に「素敵な人だな」という想いだけを一方的に募らせてしまっている。
 それに、神先輩は空き時間という空き時間は自主練習してるって分かってるから、どんなに人気があっても彼女どころか女の子の相手をしてる暇さえないって勝手に安心してた。
 だから時々、神先輩以外のバスケ部が帰宅して静かになった体育館に近づいて、神先輩きょうも頑張ってるな、ってそっと見守ってるだけで十分。キャーキャー騒ぐなんてみっともないこと、ぜったいに出来るわけない。

「もうすぐ七月かぁ……」

 一学期の期末試験も近づいてきたころ、私はうっかり担任に資料室の整理を頼まれて、終えてからトボトボと暮れた校内を歩いていた。
 この時期のバスケ部は県予選のまっただ中でただでさえハードスケジュールだと思うのに、神先輩は成績も良い。って清田くんが言ってたし、実際に中間テストの順位が良かったのも知ってるから勉強でも努力家なんだろうな、って益々憧れてしまった。
 ふと、時計に目を落とす。下校時間は過ぎている。ちらりと体育館の方を見やった。
 いまなら、神先輩はきっと一人でシュート練習中のはず。
 見ていこう。と思い立った私は足先を体育館の方へ向けて足早に歩いた。
 ダム、ダム、って規則的に、だけど小さく聞こえてくる。やっぱり神先輩がいる。
 いつもみたいに、そっと、邪魔にならないように。――ってしゃがんで窓から覗いた私は予想外の光景に思わず目を見開いてしまった。

「湘北戦のラスト、ナイスブロックだったよね、清田くん」
「うん。信長が三井さんを止めてなかったらウチは危なかったかもしれないからね」
「将来はいいシューティングガードになるかな、清田くん」
「あはは、諸星さんみたいな?」

 神先輩が、笑顔で女の人と喋りながらシュートを打ってる。……って私の頭は真っ白になってしまった。

「あ、そうだちゃん。牧さんに――」

 神先輩の声にハッとしたと同時に、ドク、って嫌な音を立てて心臓がなった。
 そうだ、あの人……部長の牧先輩の妹さんだ。
 神先輩、あの人のこと「ちゃん」付けで呼んでるんだ。そりゃ、部長の妹だもんね。仲良くしなきゃダメだよね。
 なんて、私は目の前の光景をそう卑屈な理由で片づけてどうにか納得しようとした。
 二人はずっと朗らかにおしゃべりしながら、牧先輩の妹さんがパスを出して神先輩がシュートを打つという作業をずっと続けて、呆然と見つめていたら二人は練習を終えたらしく後片づけをして体育館を引き上げていった。
 辺りが暗くなって、ハッとした私は取りあえず立ち上がった。
 頭がいろいろ考えることを拒否してのろのろと校門の方へ向かっていると、さっきよりももっと見たくない光景を目にしてしまった。

「お待たせ!」

 校門の近くで神先輩を待っていたらしい牧先輩の妹さんに、神先輩が自転車を押しながら足早に駆けつけて声をかけて――二人は楽しげに笑い合いながら、夜道に消えていってしまった。

「…………」

 夢、だったと思いたい。
 だって、神先輩は、どんなに女の子に人気があっても脇目もふらずバスケット一筋で真面目でストイックで――。まさか、よりによって、そのバスケットの、大事なはずのシュート練習を、女の子とやってるなんて思ってもみなかったから。
 で、でも、あの人は部長の妹。押し掛けられたら、神先輩だって断れないはず。そうだよね、そうに決まってる。
 なんて、私はあの仲の良さそうな雰囲気と、神先輩が彼女を「ちゃん」付けで呼んでいたことは都合よく頭から消去することに決めた。
 でも、それ以来、ほんの些細なことですらバスケ部に関わることは注視し始めた私は、やっぱり神先輩と牧先輩の妹さんが認めざるを得ないほど親しいらしいという事実をいろいろと突きつけられる羽目になった。
 よく観察してると、けっこう一緒に練習したりしてるし。よく観察してると、校内で一緒にいるところもちょくちょく見かけるし。
 バスケ部には休日なんてないし、神先輩は人一倍忙しいんだから、学校での時間は貴重なはず。そのちょっとした時間さえ彼女と一緒にいるということは……もしかして二人は、付き合っ――。それから先は脳みそが考えることを拒否した。

「清田くん、インターハイ準優勝おめでとーー!!」
「すごーい!」
「まァな、このルーキーセンセーション・清田信長が入った海南は史上最強! 準優勝くらいチョロいってこった。カーッカッカッカ!!」

 二学期が始まって、インターハイで準優勝を決めたバスケ部はますます学校のスターになって教室では女の子にキャーキャー言われて増長してる清田くんがしょっちゅう見られた。
 神先輩も全国得点王に選ばれたみたいで、やっぱり凄いな、って思う。あの去年のウィンターカップの時よりもっと正確で綺麗なシュートをいっぱい決めたんだろうな、って思ったら……インターハイ会場まで応援にいかなかったことを凄く後悔した。
 応援団やミーハー集団に混ざって遠征なんてできなくて、私は声の届かないテレビの前で決勝戦の行方をただ見守っていただけ。
 そして、その時の中継に牧先輩の妹さんもちょっとだけ映ってて、やっぱり応援に行ってたんだ、て無理やり確認させられた。
 彼女は応援団でもミーハー集団でもなく、ベンチの上の一番良い場所にいて、選手達に気軽に声をかけられる位置で、神先輩たちも応えてて。
 やっぱり、ずるい。って思うしかなかった。だって部長の妹だから特別扱いなんだもん。たぶん。

「あ……。そうだ。本、借りてたんだった」

 9月も中頃のお昼前、私は大学から借りてた本の返却期間が迫っていることに気づいて、お弁当を食べてから一人で大学の方へ向かった。
 大学図書館への道を歩いていくと、前の方から自分と同じピーコックブルーの制服が目に入って反射的に目を凝らす。と、同時に私は目を見開いた。
「ま、牧――ッ! せん、ぱい」
 しまった。と、私はとっさに呼び捨てしてしまった相手に「先輩」と付け加えた。
 前方から歩いてきた人は、バスケ部部長の牧先輩の妹――牧
「え……?」
 聞こえてしまったのか、彼女は足を止めた。
 やばい。そばで見ると、ちょっと怖い。150センチそこそこの私より20センチは高いんじゃないのこの人? 頭一つ分は違う。
 で、でも。でも……。いくら身長が高いからって、バスケ部の部長の妹だからって、私の彼女に対する「ずるい」っていう感情は消えてくれない。
「あの、なにか……?」
 訝しげな声が頭上から振ってきて、私は周囲に人がいないのを確認するとグッと拳を握りしめた。
「あ、あの……私、訊きたいことがあるんですけど!」
「訊きたいこと……?」
「せ、先輩と神先輩って……付き合ってるんですか!?」
 瞬間、彼女の表情が凍った、気がした。
「……な、なに……藪から棒に……」
 驚きと不機嫌さが入り交じったような声を発されて、私はちょっと引いてしまった。や、やっぱり怖い! で、でも。この事実確認だけは絶対に引けない、と歯を食いしばる。
「ど、どうなんですか!?」
「なんでまた……そんなこと……」
「だ、だって、一緒にシュート練習してるところ見ました! 一緒に帰ったりとか……」
 言えば、彼女は「ああ」と納得したような表情を作って肩を竦めた。
「時々、神くんの練習を手伝ってるだけよ。パス出ししたりとか。一人でやるの、大変だから」
「で、でも、神先輩、いつもは一人で淡々と真剣に練習してるのに……。先輩と一緒だとおしゃべりばっかり! 邪魔してるんじゃないですか?」
「ああ、それは試合での成功率をあげるためにワザと――」
「付き合ってるわけでもないのに、そんなのおかしいです! 牧先輩の妹だから断れないだけなんじゃないですか!?」
 ――言ってしまった。と興奮気味にたぶん余計なことまで言ったと自覚した瞬間、目の前の彼女は目を見張っていた。そして、数秒後にため息を吐かれて、私はやっぱり怖くて後ずさってしまった。
「ま、仮にそうでも。あなたに言われることじゃないかな」
 見事にズバッと言い返されて、くるりと背を向けられてスタスタ去られて、私は涙目になってしまった。
 でも、とにかく、神先輩と彼女は付き合ってはいないらしい。そうだよね、あんなおっきくて怖そうな人と、神先輩がなんて。あるわけない。

 神先輩は、バスケ一筋なんだから。
 女の子にいくら騒がれても、脇目もふらずバスケ一筋。そう、牧先輩の妹と一緒に練習してるのも、彼女が言ってたように便利だから。きっと、それだけ。神先輩が彼女に特別な感情を持ってるなんて、あり得ない。

 だから、私はいままでどおり、見てるだけでいいんだ……。
 なんて思ったまま、季節はすっかり秋になってた。

 10月の中旬、移動教室のために何となくクラスメイトたちと一緒に渡り廊下を歩いていたら、そばで「あ」と弾んだ声が聞こえた。
「ねえねえ、見てホラ! 神先輩と小菅先輩!」
「あ、ホントだ。こっち来たー!」
 クラスメイト達が急に色めき立って、私も彼女たちの視線を追うと、体育の授業だったのか神先輩と小菅先輩がジャージ姿で談笑しながらこっちに歩いてきてて、一気に緊張が走った。
「やばい超カッコイイ!」
「ねえ、声かけようよ!」
 小声で言った彼女たちは、言うがはやいか小走りで神先輩たちの方に向かって、私も流れで何となく少しだけそっちに歩み寄ってみた。
「神せんぱーい!」
「小菅せんぱーい!」
 呼ばれたらさすがに無視するなんてこと、神先輩がするわけがない。二人は足を止めて、クラスメイトの方を見た。
「こんにちはー!」
「体育だったんですかー? なにやってたんですか!?」
 見れば分かるじゃん。という質問に、神先輩は一度瞬きをしてたけど、「うん」って笑って頷いて、小菅先輩は超しに手をあてた。
「今月は2年男子はサッカー」
「えー!? 超見たかったー!」
「お二人ともサッカーも得意なんですか!?」
「いや、オレはあんまり……。小菅は得意だよな?」
「普通だな」
 神先輩、ちょっと困ったように笑ったけど、でも、普通に会話してる。……やっぱり、優しい人なんだな。なんて思ってたら、クラスメイトの一人が興奮気味に神先輩を見上げた。
「やっぱり神先輩にはバスケですよね! 私、神先輩のシュート大好きなんですー!」
「ありがとう。あれ……君は……」
 クラスメイトを見て、神先輩はどこか探るような目線を向けたあと、はっきりと口元を緩めて彼女に笑みを向けた。
「確か、国体見に福島まで来てくれてたよね?」
「え!? 気づいてくれてたんですか!? はい! 行きました!! 土日だけなんですけど、今年の神奈川って超強いって聞いてたし! 実際優勝しちゃったし!」
「うん。我ながら……今年の神奈川は強かったと思うよ。すごく良いチームだった。ありがとう、わざわざ来てくれて」
「おい神、オレもわざわざ行ったぞ、福島まで」
「それ監督の指示でじゃなかったっけ?」
「まあ、そうだけどさ」
 そうして先輩達は笑って盛り上がって――神先輩はハイテンションで話しかけるクラスメイトばっかり見て、少し離れたところにいる私のことになんか気づいてくれない。
「でも、バスケ部の練習って毎日凄いですよねー。軍隊みたいで!」
「先輩達、きつくないんですか? ていうか、私たちうるさいですか!? たまに騒ぐなって言われちゃったりもするんですけど……」
 うるさいに決まってるじゃん。なんて先輩達の代わりに私は無言で突っ込んだけど、神先輩と小菅先輩は互いに顔を見合わせて「うーん」なんて唸っている。
「オレはうるさいとか思ったことないけど……」
「つーか、騒がれたくらいで集中力切れるようなアホは海南にはいらんしな」
 神先輩は穏やかにそう言って、小菅先輩はさらりとそんな風に言った。
 ホッとしたような笑みを漏らしたクラスメイト達に、神先輩はもう一度柔らかい笑みを向けてる。
「それに、試合の時、特に辛いときに応援があると……やっぱり励まされるよ。ヘマできないって気合いも入るしね」
「――だな」
 先輩達はそんな風に言って、私はチラリとクラスメイト達の顔を見たけど。それはもう泣きそうなほど感動したみたいで、私は一人、その光景を見守っているしかなかった。

 結局、彼女たちを「ただのミーハー」なんて見下していたのは私の勘違いもいいところで。
 神先輩は、しっかり熱心に応援してる女の子の顔は覚えていて。朗らかに話もしてくれる。
 神先輩にとって、あの子達は「自分を応援してくれる子」で。私は……。
 私は、ただの「海南の女生徒その1」だ。私がいくら、神先輩だけを見つめていても、神先輩の視界には私なんて一ミリも映ってなんかいない。っていう事実を痛いほどに突きつけられてしまった。

 そもそも、結局私は神先輩のことなんて何も知らない。一言だって話したことはないし、何が好きかとか、どんな趣味があるのか、とか。
 でも、それでも、やっぱり神先輩のこと好きなんだよなー……とため息を吐いた。
 受験、頑張れたのだって神先輩がいたからなのに――。
 またウィンターカップの季節が巡ってきたけど、一年経っても私は神先輩から存在さえ認識されていない。

 今さらミーハー集団に混ざることさえ出来ずに――。このままだと、一言も話せないまま神先輩は海南を卒業してしまうかもしれない。
 それはちょっと、ううんかなり、イヤだな。と、私は学校帰りに横浜まで足を伸ばして人混みに紛れた。
 街中は既に始まっているバレンタイン商戦で活気づいている。
 バレンタインなんて、こんなミーハーの極みみたいな行事に乗るなんてホントはイヤなんだけど。でも――と、私は勇気を振り絞ってその中に飛び込んでみた。

 そして――。

「キャーー、牧せんぱーい!!」
「武藤さーーん!!」
「清田くーーん!!」

 バレンタイン当日。
 予想通り、目立った運動部の選手たちはチョコレート攻撃にあってて、とてもじゃないけど近づけない。
 そもそも、どうやって渡せばいいんだろう? と、私は鞄の中に収まっているチョコを鞄越しに見つめた。
 清田くんに頼む。なんて絶対イヤだし。放課後、部活の時に渡すチャンスはあるかな? でも、たぶん同じ目的の子がいっぱいいるだろうし。
 考えあぐねて、私は昼休みにチョコの入ったバッグを抱えたまま体育館の方に向かった。
 神先輩はいつも昼休みはシュート練習に使ってるから、もしかしたらチャンスがあるかもしれない。
 でも、チャンスがあったとして……ちゃんと渡せるかな……、と心拍数をあげていると、体育館の方から見知った人影が近づいてきて「ひ」と私はのど元を引きつらせた。

「あ……」

 ま、牧先輩の妹――!!
 いやだ、怖い。なんて固まってると、彼女はこっちを見て数回瞬きを繰り返していた。
 なんだろう? なに? なにか文句言われちゃうのかな。なんて、勝手に被害妄想を募らせていると、私の隣を通り過ぎようとした彼女は何か思いついたように足を止めた。
「神くんだったら、もう体育館にいないよ」
「へ……?」
「さっき部室に向かったから、たぶんいま行ったらつかまると思う。頑張ってね」
 振り返りざまに言われて、何もかも全てがバレバレだったのか、なんて恥じ入るより先に「なんで神先輩の動向を知ってるんだろう」って、また「ずるい」って感情が先に来た自分が心底情けなくなってしまった。
 だって、どんな理由があっても「ちゃん」なんて呼ばれてるんだもん。羨ましい、って思ったってしょうがないじゃん。って葛藤してたら「そうだ」って彼女が振り返ったものだから、やっぱり私は怖くて少し引いてしまう。
「私、他校に付き合ってる人がいるの」
「え……?」
「だから、神くんとは何でもないから」
 見開いた私の瞳に、じゃあ、って言って再び背を向けた彼女の姿が映った。
 たぶん、きっと、私がまた「ずるい」って思ったことさえ読まれちゃったんだろうな、って少しだけ自己嫌悪に陥ったけど、やっぱり感情は素直で少し気持ちが軽くなってしまった。
 なんだ、彼氏がいるんだ。ほんとにぜんぜん神先輩は関係ないんだ。って、自分でもゲンキンだと思う。だってやっぱり、神先輩と彼女は仲が良いから、私と彼女だとぜんぜん神先輩との距離が違うから。いつか神先輩をとられるんじゃないか、って思ってたから。

 でも、そういうこと考えるの、なるべくやめよう。
 そうだ。
 もう、今日で終わりにするんだ。
 応援に混ざることさえできずに、ミーハーな人と私は違うなんて思ってたことも。
 いつもジッと見つめてるだけなのに、自分が一番神先輩を応援してるなんて思ってたことも。

 バレンタインっていう、ありふれたミーハーなきっかけだっていいんだ。
 今は「ちゃん」付けで呼んで欲しいなんて贅沢は言わない。
 せめて、存在を知ってもらって、顔を覚えてもらって、名前を知ってもらいたい。
 初めて神先輩の試合を見て、綺麗なスリーポイントシュートに心から見とれた。
 あの時の高揚感と素直な気持ちだけ持って、今度こそ――!

 私はチョコの入ったバッグを握りしめて体育館に背を向けると、部室へ向かって走りはじめた。

 その頭で、必死に復唱する。伝えるんだ。私の名前と一緒に。

 神先輩のこと、いつも応援してます。
 一昨年のウィンターカップで初めて先輩のシュートを見て、それで――。

 風を受けながら走る私は、いつのまにか自然と笑みを浮かべていた。



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