「担架だ、はやく!」
「越野さん、しっかり!」
「バカッ、触んな、頭打ったかもしんねーんだぞ!」

 観客席のと諸星もさすがに身を乗り出していた。
「越野……!!」
「越野くん……!」
 その横で、冷静に紳一がこう言い放った。
「逆転のチャンスだな」
 瞬間、激高した諸星が振り返って紳一の胸ぐらを掴みあげた。
「ああッ!? なんつったテメー!?」
「違うのか?」
「……ッ!!」
 言い返されて、諸星は絶句するしかない。紳一は完全にコートにいた時の海南のキャプテン・牧紳一の眼に戻っている。反論の余地もない。
 しかし――、越野、と諸星が目線をコートに戻せば医療班があわただしく越野を担架に乗せてコートから運び出していった。

「……越野さん……」

 自身のせいで気絶し、運び出された越野を冷静に見やれるほど冷徹になれない清田は目に見えて動揺していた。レフェリータイムが終わればフリースローだというのに。落ち着かなければ、と嫌な音を立てる心音を抑えきれないでいると、ポン、と肩に手が置かれた。
 見やると、神がいつも通りの冷静な顔でこちらを見下ろしている。
「今のは越野のファウルだ。気にするな」
「し、しかし……!」
「海南のプレイヤーなら、どうすべきか。分かるよな、信長?」
 言われて、清田はハッとする。――「常勝」を掲げる海南は決して甘えは許されないのだ。相手に僅かでも隙があればそこを徹底的に突いて、そして勝つ。それが海南のバスケットだ。
 バシッと両手で自分の顔を叩き、「おす!」と清田は気合いを入れ直した。
 一方、アクシデントに見舞われた陵南ベンチは焦りと混乱で混沌としていた。それは田岡も例外ではない。

「……彦一……」

 呼ばれた彦一はビクッと肩を震わせた。
「すぐにアップしろ。越野の代わりはお前だ」
 彦一の表情が一瞬にして白くなる。むろん自分はガードの控えなのだから、当然の采配ではあるが……とゴクリと息を呑む彦一の耳に、観客席の声援がやけに大きくこだました。
 これはインターハイなのだ。しかも、優勝のかかった決勝戦で、相手はあの海南大附属。点差はあると言っても試合経験のために出させてもらった格下相手とはワケが違う。
 スタメンをチラリと見やると、やはりみな突然のことに動揺を隠しきれておらず――すがるように仙道を見やった。
 すると汗を拭っていた仙道は目線に気づいたのか、ニコ、といつものように笑ってくれ、少しだけホッとする。

「落ち着いていこう、彦一」
「はッ、はい!」

 しかしながら――、仙道にしても田岡にしても内心に焦りはあった。
 越野が抜けた以上、オフェンスもディフェンスも今まで通りとはいかない。なぜなら、複雑さを極めるトライアングル・オフェンスをこなせるのはスタメンだけだからだ。あれは一人でも欠ければ空中分解必至のデリケートなものだ。ゾーンプレスにしても、プレスの先陣を担うガードが控え選手では突破される確率が跳ね上がるだろう。
 ふー、と田岡は深い息を吐いた。
「ディフェンスはハーフに戻す。じっくり守って、確実に一本繋いでいくんだ。点差はまだ十分ある。きっちり守っていけ!」
「はいッ!」
 審判の笛が響いた。清田のフリースローが終われば試合再開だ。
 コートへ戻る仙道に、田岡はそっと声をかけた。

「頼んだぞ、仙道」
「――はい」

 プレス席では、仕事を忘れかけて青ざめる彦一の姉・弥生の姿があった。
 予想はしていたが、越野の代わりに出てきたのは自身の弟。しかも、表情を見るに明らかに緊張している。
「決勝の、こんな時に越野君の代わりやなんて……」
 本来なら弟の晴れ舞台を喜ぶべきところなのかもしれないが、身内贔屓を抜きにしても、あまりにプレッシャーが大きすぎる。海南も、このチャンスを見逃さないだろう。
 ますます植草・仙道にかかる負担が増えるはずだ、と見やるコートでは清田がきっちりとフリースローを決めて15点差に詰めた。ダンクの直後は動揺の見られた清田だが、落ち着きを取り戻している。さすがに王者・海南のスタメンといったところだろう。

 15点差――、去年のインターハイ県予選・決勝リーグで、陵南は海南相手に15点差を付けながら最終的に敗れ去ってインターハイの切符を逃した。

 そう、あれも魚住が退場となりスタメンのバランスが崩れたというのが最大の敗因。
 誰の脳裏にもその悪夢が過ぎったに違いない。
 緊張気味の彦一からのスローインで、ボール運びは植草・彦一の二人体制になる。
 海南は2−1−2ゾーンを敷いている。トライアングル・オフェンスはないと読んでのことだろう。
 事実、越野を欠いてトライアングル・オフェンスが使えない状態で植草はコート上を見渡しながら考えあぐねていた。完全に中を固められている。仙道は神・鈴木に厳しくチェックされハイポストに出させてもらえない。彦一はある程度、入れやすいところにいるが――。
 30秒のオーバータイムを告げるカウントダウンが始まって、植草は半ば強引に突っ込んだ。小菅のハンズアップ。しかも――ゴール下には海南が3枚。無謀だ。が、打つしかない。しかし――、その幾重ものプレッシャーが足かせとなってシュートフォームが乱れてしまう。

「リバンッ!」

 植草が叫んで、彦一は海南の田中が良い位置でリバウンドを制しに跳び上がったのを見てハッとした。ディフェンスに戻らなければ速攻を出されてしまう。そう思った自分の横を風のように清田が抜け――「あかん」と弾かれるように走り出した。

「清田ッ!」

 彦一は必死で追いかけるも清田のスピードにはとても追いつけずに、ロングパスが清田に通ってあっさりとカウンターのレイアップを決められてしまった。

「海南! 海南! 海南! 海南!」
「ディーフェンス! ディーフェンス! ディーフェンス! ディーフェンス!」

 ここぞとばかりに海南応援団が盛り上がり、あまりの勢いに彦一がおののいているとそれを掻き消すように手を打ち鳴らす音が聞こえた。仙道だ。
「落ち着いていこう! まだまだリードしているのはウチだ。慌てる必要はない」
「おう」
「おう!」
「はい!」
 彦一以外の選手達はすぐに呼応し、ゴクリと喉を鳴らしてから彦一も頷いた。自分も必死に練習してきたではないか。練習通りにやればいいのだ、と。

 しかし――、仮に練習通りの実力が発揮できたとしても、埋まらない力の差が海南のレギュラーと彦一の間には存在する。

 そのことは海南勢も、陵南もよく理解しており、海南はここぞとばかりに彦一のところのみを集中的に攻め、陵南は何とか彦一をカバーすることで試合を組み立てていた。
 が――。

「うわあああ、清田のジャンプシュートだ!!」
「決めたあああ!!」

 ミスマッチ、かつ歴然たる技術の差、ということで明らかに海南は清田にボールを集めて、あろうことか切り込ませずに外から打たせていた。切り込んで仙道や菅平たちにブロックされる危険を冒すよりも、極めてフリーに近い状態でジャンプシュートを打つ方が効率がいいことが分かっていたのだろう。
 あまりジャンプシュートを得意としない清田が連続で決める。海南を勢い付かせるにはもってこいだ。

「清田は相変わらず海南のムードメーカーだな」
「うん。清田くんが決め出すと、調子があがるのよね……」
「ま、仙道もそんくらい分かってるだろうけどな。ここは、踏ん張りどころだ」

 渋い顔をしながら諸星はコートを目で追った。
 海南ディフェンスは彦一をある程度放っておき、仙道に対するプレッシャーを厚めにして時にはトリプルチームで止めにかかっている。
 陵南にとってパスワークやボール運びの軸となるメインガードの一人が欠けたことはディフェンスよりもオフェンス面での弊害が大きく――今も神・鈴木のダブルチームに挟まれて機を窺っている仙道を見下ろし、諸星は拳を握りしめる。
 切り崩せ! 出来るだろう、お前なら! 強く心の中で叫び声をあげる。
 インターハイ初出場で、対戦相手は王者・海南。向かっていくだけの挑戦者の立場である彼に気負いなどはないはずだ。だが――。

『もう二度と、負けんじゃねえぞ、仙道!』
『お前はこのオレ、諸星大を負かしたんだ! 分かったか!?』

 仙道にああ言った時、自分は彼に自分が背負ってきたものを渡してしまった――。もしも彼が受け止めてくれたとしたら。「諸星大」を超えるには、自分が唯一届かなかった「全国制覇」しかないのだ。準優勝止まりなら――イーブンだぞ、と歯を食いしばる。

「負けんな、仙道ッ!!!」

 諸星の声に呼応するように仙道は果敢に神・鈴木というダブルチームに切り込んでいった。
 海南は個々のディフェンス力が高い。まして長身の二人にこうもピタリと腰を落とされては、上からパスに逃げることも抜き去ることも容易ではない。
 しかも。と仙道は歯を食いしばる。――海南は「キャプテン」の神が自身についてなおダブルチームでこちらにプレッシャーをかけているのだ。キャプテンにヘルプを付ける。そんな端から見れば屈辱の采配でも、彼らには勝利より優先するものはないのだろう。
 だが、それでも。

「神……!」

 キャプテン自らダブルチームを率先して行う。もしも自分が神ならば、おそらく屈辱だ。と仙道は必死ながらも感じていた。
 そういうところが、怖い。彼は、神は、誰より冷静で、強い。だから負けたくねぇ――、と仙道は隙のない守りを見せる神に、一瞬だけ力を抜いて鈴木の方へ目線フェイクを入れたあとにズバッと切り込んだ。
 リカバリーされる前にレッグスルーでステップを踏んでかわし、一気にゴール下へ持ち込む。

「抜いたか――ッ!?」
「いやッ……!」

 観客が沸く中、仙道はヘルプに来たセンター・田中にも怯まずに切れ込んだ勢いで一気にリングに向けて跳び上がった。
 体格は田中が一回り上――、しかし、ここは引かない、と腕同士が接触しても歯を食いしばってそのままリングにボールを叩き入れる。
 審判がバスケットカウントを告げる笛を吹き、ふ、と静まりかえったアリーナが一瞬のあとに息を吹き返した。

「仙道きたあああ!! 田中の上からダンクだああ!!」
「さすがに強えええ!」
「これで差はまた二桁になったぞ!」
「海南痛い!」

 普段の仙道なら、無理やりのダンクではなくフェイクを入れてダブルクラッチでファウルをもらうという場面のはずだというのにあえてパワー勝負で挑んだ。
 そして見事に競り勝った仙道を見て、さすがの紳一もゴクリと喉を鳴らし、さしもの声援を飛ばした諸星も瞬きを繰り返していた。
「ドライブでドリブルスキルを見せつけて、ダンクで圧倒する……。さすがに勝負所をよく知ってるというか……。すげえな。オレならシュートフェイク入れてる場面だ」
「フォワードとして、本当に欠点のない選手よね、仙道くん」
「ああ! お前が、もし――」
 もしもが男だったら。きっとあんな選手に――、との言葉がつい口をついて出そうになった諸星は、「え?」と目線を送ってきたに慌てて首を振るった。
 何をバカな、と自分でも思う。願っても願っても、は男にはなれないというのに。まだ諦めきれないのだろうか。
 彼女は女の子なのだと、一緒にコートを駆けることはできないのだと自分が真っ先に認めて手遅れになる前に手を打つべきだったのだ。そうすれば、彼女の可能性を潰さずに済んだはずだというのに。その贖罪のために「日本一の選手になる」と自らに課した重責さえ仙道に託して。突っ走ってばかりだったが、本当にこれでよかったのだろうか、とチラリとを見やると、彼女はどこか不安げにコートを見やっていた。
……?」
「残り時間はあと7分。10点差は……波が来ればまだ簡単にひっくり返せる。海南は、終盤に強いし……、神くんは3年間、誰よりも練習してきた……だから」
 ああ、と諸星は察した。
 陵南が追いつかれるかもしれないという焦燥と、海南の選手達を身近に知っているだけに陵南を応援している自分への罪悪感。はその狭間で揺れているのだ。
 しかし――諸星としては、仙道のやや緩い性格も知りつつも自分が知る範囲では陵南の選手達も他の強豪に勝るとも劣らない努力を重ねているのを知っている。しかも、自分が強引に練習させた冬でさえ、全員、死にそうな顔ながらついてきた。彼らの努力もきっと海南に劣らない。
 それに、決して自慢する気はないが、「バスケットをしていた時間」というのが努力の指数だとしたら。神より誰より、物心ついた頃からほぼ全ての時間をバスケットに捧げていた自分たちがトップなのではないか? と思いつつ、チラリと横目で紳一を見て。サーフィンにうつつを抜かしてたコイツは抜きでな、と勝ち誇った視線を送ると気づいたのか紳一がこちらを見やって心底呆れたような表情をくれた。
 努力を重ねても、才能があっても、報われるとは限らないのだ。と、を見やって一瞬だけ眉を寄せた諸星もまたコートを見やる。
 海南はオフェンスをやはり清田に任せ――、若干、傍目には分からない程度に仙道のディフェンスに迷いが見えた。清田のチェックをすべきか、神に張り付くか。
 ハッ、と諸星は目を見開く。その仙道の迷いに清田も気づいたらしく、刹那の間に神へとパスが通って恐ろしいほどの速さで神がシュートを放った。

「神……ッ!」
「なんつーモーションの速さだ……ッ!!!」

 観客がどよめき、仙道の上背とジャンプ力を持ってしてもブロックが間に合わなかったそのシュートは高い弧を描いてスパッとリングに通った。

「いよっしゃあああああ!!!」
「キャプテーーーン!!!」

 久々の神のスリーに海南応援席が沸き、神も口の端をあげて指を一本天井へと向けた。
 してやられた仙道は、フー、と息を吐きつつユニフォームで汗を拭う。
「まずいな……」
 神のスリーを乗せてしまったら厄介だ。7点程度の差はあっという間にひっくり返されてしまうだろう。
 ここは一本、返さないと。と、植草をチラリと見やる。――相手は海南大附属。力は互角。いや、こちらが勝っていたはず。だというのに、「ベストメンバーでないから」負けた。という言い訳付きで自分は非難されるどころか「悲劇の天才」扱いとなってさらに株があがったというのは知っている。そのしわ寄せが「非難」という形で退場した魚住に行ったのも知っている――と、去年の痛い敗戦を思い出して少しだけ唇を噛んだ。
 もしもここで負ければ、自分はまた「ベストメンバーでないから仕方がなかった」という免罪符を手に入れてしまう。あれほど自分を慕ってくれている彦一に、一生消えない悔恨を残すことになるだろう。あれほど負けん気の強い越野もまた、消えない傷を追うことになる。
 そしてまた自分だけが「悲劇の天才」か――、と眉を寄せる。そんな立派なものではない。自分はまだ、何かを成し遂げたわけではない。
 このチームで勝ち上がろうと決めたのだ。そして今日は、自分のバスケット人生、最後の日だ。不確定要素の一つや二つ、跳ね返してこその真のエースだ、と中を固める海南ゾーンに切れ込んでいく。
 前のダンクは布石。必死に止めに来てくれるほどフェイクをかけやすくなる、と仙道は空中で思い切りブロックに跳び上がった田中・鈴木の間をひょいとよけてそのままレイアップを決めた。

「うおおダブルクラッチッ!!」
「仙道、すぐ返したッ!!」
「両キャプテン、一歩も引かねえええ!!」

 残り時間は5分を切っている。これで陵南はまた9点差に戻した。そしてオフィシャルテーブルズがブザーを鳴らし、高頭がベンチから立ち上がった。

「チャージドタイムアウト、海南!」

 ハッとした両チームはそれぞれベンチの方を見やった。
 越野がコートを去って海南に追い風が吹いていると言っても、形勢はまだ陵南有利であることには変わりない。しかも、仙道のスーパープレイを立て続けに食らって選手達の顔色はそう明るくない。海南のタイムアウトも無理からぬことだろう。

 ――去年でさえ、魚住退場という最高に有利な状態だったにも関わらず仙道一人に海南は手こずり、危うく負けるところだったのだ。

 その選手達の懸念や焦燥を誰よりも感じ取っていたのは他でもない、去年渦中にいた紳一だった。
 あまり認めたくはないが。仙道彰という男は底が知れない。去年の予選決勝リーグ、魚住退場で状況が有利になってさえついにはあの仙道を叩き潰すことは叶わなかったのだから。と、紳一は思わず観客席から海南ベンチの方に身を乗り出していた。

「神! 清田! 攻め気で最後までいけ!! ここが一番のチャンスだ、お前らで必ず優勝するんだ!」

 それを受けて黙っていられる諸星でもなく、さらに諸星も陵南ベンチの方へと負けじと身を乗り出した。

「お前らッ! この点差を守ろうとか弱気になるなよ! 強気でいけ! ぜってー勝てる!!」

 両校の選手達は当然のごとく観客席を見上げ――そしてアリーナは「おおおお」というどよめきで揺れた。

「おいおいおい、愛知の星と神奈川の帝王が火花散らしてるぞ!?」
「ワッハッハッハ、かつてのスーパーガードコンビがそれぞれ応援についてんのか!!」
「いいぞーー、諸星ーー! 牧ーー!!」

 しかし、ハッパをかけられた側は笑えるはずもなく。
 海南メンバーは改めて背筋の伸びる思いで強く頷いた。
 陵南は諸星の力強い笑みに頼もしさを覚え、少し頬を緩めてから強く頷いた。
 仙道もまた無言で諸星を見やった。すると諸星も返すように強い視線を送ってきて、グッと仙道は拳を握りしめる。諸星の言いたいことは分かる。それに――。
「仙道くん……」
 少し不安げな表情をしているを眼に留めて、ふ、と仙道は笑ってみせた。そうしてコートから出てベンチに入ると、田岡が一つ咳払いをした。
「いま図らずも諸星が言ったとおり……。守りに回ったら付け入られる。それが海南だ。ウチは最後まで全力で走れるだけの練習はしてきている。自信を持って最後まで走り抜け、いいな」
「――はい」
「ディフェンスはそのまま。ガード陣は落ち着いてコートをよく見渡せ。必ず得点のチャンスはある。リードしている以上はきっちり抑え、きっちり取る。これでいいんだ」
「はい!」
 海南を追い上げるという立場より、海南に追い上げられる、という立場がいかにプレッシャーか。陵南の選手達はこれまでの敗戦の苦い記憶からイヤというほどそれを分かっていた。いずれの敗戦も、最終的に海南に逆転を許して競り負けたという事実は無意識のうちに選手達そして田岡へとのし掛かる圧力となっていた。
 むろん――ここで勝てば全国制覇――という未知の領域がそうさせるのかもしれない。少なくとも海南にはその「経験」がある。彼らはその重圧を実感として一人一人がきちんと受け止めていることだろう。意識すればするほど、見えないプレッシャーが陵南を襲ってくる。

「残り時間は5分弱。9点差。慌てる必要はない。まだまだ十分にひっくり返せる点差だ」

 海南ベンチでは高頭が自信を持って選手達をそう諭していた。陵南というチームの強さの秘密は「個々」ではなく、2年近くスタメンの4人が不動という熟練のチーム力である。ゆえに軸を担うガードが一人でも欠ければバランスを失うのは必至。個々の能力それぞれが秀でている海南が有利となるのは自明だ。勝利の鍵は、その隙を見逃さないことのみ。

「――時間です!」

 オフィシャルテーブルズが告げ、選手達はコートに戻っていく。
 海南ボールからのスタートで、スローワーの清田からボールを受けとった小菅はじっとフロントコートを見据えた。
 高頭からの指示――。それはポイントガードの自分自ら得点を担えというものだった。むろんチャンスがあれば攻めやすい清田、安定感のある神を使うべきであったが、タイムアウトを挟んだことで陵南はディフェンスを立て直してくると見越し、両者のチェックは厳しくなるだろうことを高頭は予測したのだ。
 ならば、攻撃の主体はポイントガードである自分。他はリバウンドに集中しろ。というものだ。
 植草は張り付くようなディフェンスを自分に対して行っている。突破力よりもシュート力を警戒しての選択だろう。
 それなら、とパスモーションをかける。清田がハイポストにあがってきたためだ。一瞬、植草が気を取られ――、よし、と小菅は一気に抜き去りにかかった。――だが。

「おお、植草!」
「読んでるッ!!」

 フェイクに引っかからずに腰を落として前を塞いだ植草に、チッ、と小菅は舌打ちをしつつ――、とっさに植草の足の間を通してパスを出した。

「うまい――ッ!」

 すかさず清田が拾いに走り、植草の虚を突いた小菅はマークを外して左ウィングに切れ込んだ。フリーになったところでリターンパスを清田から受け取り、そのままシュートを放つ。
 いけ、と願ったスリーポイントは綺麗に決まり、ワッと海南陣が沸いて、あああ、と陵南サイドがどよめいた。
 差はこれで6点。残り4分強。

「さすが海南のエースガード!!」
「いいぞいいぞ小菅! いいぞいいぞ小菅!!」

 タイムアウト後の一発。海南を勢いづかせるには十分だろう。
 してやられた植草は僅かばかり焦りを覚え、見越したように仙道が植草の肩を叩いた。
「気にするな。一本、取り返そう」
「……ああ……」
 植草は頷いた。
 しかし、誰の目にも陵南のガード陣が劣勢であることは明らかだった。
 決して控えで出てきた彦一の能力が極端に劣っているわけではない。しかし、海南の小菅・清田のガードコンビは植草・彦一に対してまず身長的なアドバンテージが10センチ以上あるのだ。
 加えて個々の能力も差があれば――必然的にかかる負担も大きくなる。
 植草は小菅に対してシュート力で劣る。それに、と植草は思う。自分より10センチほど高い彼の上から打つのは厳しい。ここはフロント陣のいずれかに繋ぎたい。が、きついチェックにあっており、必然的にボールを集めやすいのはマークの薄い彦一になる。
 ここは彦一にパスして先ほどの小菅のようにリターンで自分が決めるべきか。しかし、おそらくは読まれている。どうやって彦一に繋ぐか――。
 植草は目の端で彦一を捉えながらも目線は福田を捉えて、パスモーションを一切見せずにノールックで彦一の方へ素早いパスをさばいた。が――。

「甘いッ!」

 やはり読まれていたのか。勢いよくパスカットに飛び出した清田がそのままインターセプトして一気にワンマン速攻に繰り出した。
 すぐさま陵南全員で自軍のコートに戻るが――追いつけない。
 怒濤のように観客が盛り上がり、ゴール下で清田は勢いよくコートを蹴った。

「これが全国一のシューティングガード・清田信長だ、くらええええ!!!」

 もう少しで仙道が捉えるというところで清田は常人離れした飛距離の跳躍力でかわして力強いダンクを決め、海南陣営は踊り出す。

「うおおおおお、良いぞ清田ーーー!!!」
「すげええええ、これで4点差だ!!」

 見ていた紳一はというと、頼もしい後輩に感嘆する間もなく諸星を羽交い締めにしていた。
「落ち着け、落ち着け! あれは言葉のアヤだ! 見逃してやれ!!」
 清田の「ナンバー1シューティングガード」発言に一気に怒りのゲージが上がった諸星は興奮のままに立ち上がろうとして紳一に止められ、プルプルと拳を震わせていた。
 そうして、ドカッと席に腰を下ろしなおして歯噛みする。
 もしもいまコートにいるのが越野だったら。「そこの二年坊に負けんな!」とでもハッパをかけてやれるが――、今の彼らにこの煽りは逆効果だろう。
 ガード陣が海南ガードに対抗できないとなると、試合をする上でのダメージが大きすぎる。
 仙道、と諸星は低く呟いた。状況は不利かもしれない。だが、一本取られたら一本返す。これでいいんだ。負けんじゃねえぞ、とグッと拳を握りしめた。

「あああ、もう、見てられへんわ……!!」

 プレス席で、彦一の姉である弥生は頭を抱えて首を横に振っていた。
 仕事なのだから、冷静でいないといけないと分かってはいても。誰がどう見ても弟のせいで陵南は追いつめられていっている。もしも優勝を逃せばどうなるか……考えただけでも恐ろしい。
「だ、大丈夫ですよ相田さん……。彦一君、さっきより動けるようになってきてますし」
「せやかて……! 仮に実力以上のもんが出せても、あの子はまだまだ海南に挑戦できるような力はあらへん!」
 訛りが口をついて出るあたり、自分でもどうしようもなく動揺していることを弥生は悟った。
 陵南は、仙道を除けば個々の能力のバランスではやはり海南に劣っている。しかし、それを上回るチーム力で素晴らしいチームに昇華したのが今年の陵南だ。それに仮にガードの一人が抜けてもそこそこ戦えることは豊玉戦でも証明されていることだ。
 だが、優勝は――きっといまのコート上のメンバーでは狙えない。
 情けない、が。仙道君、なんとかしてや。と、仙道に願わずにはいられない。彼が去年、そのプレッシャーを受けてギリギリだったことを目の前で見ておきながら、結局は自分さえそう願ってしまう。
 あかんあかん、と何とか弥生は自分に言い聞かせた。陵南の勝利も、海南の敗北も、望んではいけない。自分は記者なのだから、と自身を奮い立たせるように強く思い直した。
 試合は、あと4分――。


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