冬の選抜――"ウィンターカップ"と呼ばれる試合は、予選を勝ち抜いた代表校による本戦が年末年始に行わる。よって部員達にとってクリスマスや正月といったビッグイベントは無きに等しい。
 神奈川からは一校――大本命である海南大附属が前評判通りの強さで本戦出場を決め、この選抜から見事にレギュラー入りした神は脅威のスリーポイントシューターとして神奈川のみならず一気に全国にその名を轟かせた。
 試合の行方は、神奈川と愛知は互いに逆ブロックであり、紳一と諸星は「決勝で会おうぜ!」などと言い合っていたものの――互いに準決勝で敗退し、三位決定戦で相まみえることとなった。結果、僅差で愛和学院が勝利を収めて、諸星渾身のブイサインをは会場から苦笑いをしながら見届けた。
 その後、選抜の会場が東京であることをいいことに観光気分の諸星にと紳一は案内役として短い時間ながら付き合わされ――今年度のウィンターカップは幕を下ろした。
 この選抜を最後に、部活に残っていた三年生は完全に引退し――どの学校も新体制へと移行していく。

『もったいねぇな……』

 ふと、は一月下旬の寒空のもと――江ノ電沿いを軽くジョギングしながら紳一の呟きを思い出した。
 バスケットをやめたからといって極端に体力が落ちるのもシャクなものであり、勉強の気分転換を兼ねてのジョギングは欠かせない。まだまだ余裕だな、などと瞳をギラつかせつつ立ち止まる。
「もったいない、か……」
 ウィンターカップの予選で陵南高校は海南とあたる前に敗退した。血筋なのか、それとも彼の圧倒的才能がそうさせるのか、紳一も同様に陵南の仙道彰という有望株には注目しているらしく――負けが決まった陵南を見やってそう呟いていた。
 陵南には良いセンターはいるものの強力なルーキーである仙道のワンマンチームという感が否めない。いくら彼が天才であっても、それだけで優勝するのは厳しいのが勝負の世界である。
 紳一は、もしもあいつが海南にいれば、などとたまに漏らしていたが――、それは絶対に無理だろうな、とは見えてきた波止場を見やって深いため息をついた。ここは江ノ電「陵南高校前」駅エリア。海岸沿いの絶好のロケーションである。
 波止場には遠目からも分かる長身の人物が特徴的なハリネズミ頭を揺らして何やら釣り糸を垂らしていた。
「まーた、あの人は……」
 ――仙道彰。陵南高校の若き天才エースだ。
 陵南と海南は直線距離で5キロ程度であり、の家からは海南の方が近いもののどちらも生活圏内である。海沿いのジョギングコースにいればこの辺りの学生に会うことは珍しいことではない。が、問題は、決まって仙道彰その人が呑気に釣りをしている場面にたびたび遭遇するということだ。
 むろん、「見かける」だけで、としては一度も声などかけたことはなかったが――、つい今しがた紳一の言葉を思い出した影響もあり仙道の座る波止場に歩み寄った。
「サボり? 仙道くん」
 声をかけると、大きな背中がピクッと動いて視線がこちらに向けられる。そして仙道は垂れ目気味の瞳を僅かに見開いてを見つめた。
「あ……。ちゃん……? 久しぶ――」
「部活、サボって釣り? 随分余裕なのね、陵南って」
 攻撃的な態度に出たかったわけではない、が。おそらくしょっちゅう部活をサボって釣りをしていることと、そもそも初対面からの印象が最悪ということも相まって睨み気味に仙道を見下ろしてしまう。すると仙道はなおも目を見張ってから、ははは、と軽く笑った。
「いや、ぼちぼち行こうとは思ってたんだけど……。今日はでっけーのいけそうでさ」
「は……!?」
「お! きたきた」
 言うや否や、仙道の釣り糸が引いたらしく彼は視線を海に戻して釣り竿に力を込めた。が。
「あ、ちくしょー! 逃げられた!」
 すんでの所で引っかかっていた魚が外れたらしく、地団駄を踏んだ仙道には頬を引きつらせて絶句するしかない。
「な、なにを……」
「ん……?」
「なにしてんの!? だいたい、仙道くんバスケ部でしょ? バスケのために陵南に来たんでしょ!? 釣り部じゃないでしょ! もう、いつもいつもサボって釣りばっかり!」
「え……?」
 他校生が惜しむほどの選手なのだ。さぞ監督や部員はいつもやきもきしていることだろう。それになによりかつては、いや今も「諸星以上」と目する選手がこの体たらく。情けないやら腹立たしいやらで思わずが声をあらげると、仙道はなおキョトンと瞳を瞬かせた。
「え、"いつも"って、なんでオレがいつも釣りしてること知ってんだ?」
「え……!?」
 さらりとサボりの常習犯であることを認めたばかりか、予想外に突っ込まれてハッとは我に返る。
「え、えっと……。あの、だって、この辺歩いてるとよく仙道くん見かけるし……」
 特に休日の午前中とか、と付け加えると仙道は一瞬目を見開いたのちにへらっと表情に笑みを乗せた。
「そうか……。だったら声かけてくれりゃよかったのに」
「いや、別に用事ないし」
「だっていつもオレを見てたってことは、少しはオレが気になってきたってことなんじゃねえ?」
「――ち・が・い・ま・す!」
 失敗した。話しかけた自分がバカだった。と瞬時にうんざりしたはなお笑みを絶やさない仙道にくるりと背を向けた。
ちゃん……?」
「ま、別に。仙道くんが釣りばっかりしてる方が、海南としてはありがたいから」
 後ろ目で仙道を睨んでそんな台詞を吐くと仙道はなおキョトンとして、これ以上彼と話すとイライラが募るだけだと悟ったはそのまま小走りで走り初めてその場を離れた。
 ――なんなんだ。いつもいつもへらへら笑って。
 仙道の性格らしい性格をまだはっきりとは知らないは悪意たっぷりにそう心の中で呟き、ひとしきり走って落ち着いたところでふと足を止めて息を整えると仙道のいた波止場の方を振り返った。
 はっきりとは見えないが、彼はまだあの場に留まっているようだ。
 ヒュッと冷たい潮風が過ぎていき、サイドで一つにまとめて垂らしていたの髪が揺れた。
 なぜなんだろうと思う。もしも彼が海南の選手のように、そうだ、神のように必死で練習を重ねていけばきっと日本一の選手だって夢ではないだうと思うのに。
「もったいない、な……」
 心に滲んだ感情は、もどかしさや悔しさ、そして嫉妬のようなものだったが、はそう呟いて再び海岸線を走り始めた。



「ソー! エイ・オー・エイ・オー!」
「一年、もっと声出せ!」
「はい! ソー・エイ・オー・エイ!」

 年度が変わり、新学期の四月中旬。
 放課後の体育館に足を踏み入れる前から熱気だった内部の様子が伝って、陵南高校二年・仙道彰は思わず「おお」と呟いた。とたんに自分の姿に気付いた後輩が「仙道さん!」「チワーっす!」などと声をかけてきて「よう」と手を掲げて応える。すると――、コートの端に立って腕組みをしていたらしき監督――田岡茂一がギラリとこちらに強い視線を向けてきた。
「遅いぞ仙道! 何やっとる! 今日はお前が最後だぞ! そんなんじゃ新入生に示しがつかんだろうが!」
 体育館を踏みならす勢いで怒声を飛ばす田岡に仙道は一瞬顔を強ばらせて手で耳栓をしたのちに、へらっと、しかし申し訳なさそうに苦笑いを浮かべた。
「すいません、先生。ホームルームが長引きまして……」
「クッ、減らず口を……! まあいい、とっととアップしてお前も混ざれ」
「はい」
 監督からの叱咤から解放され、ふぅ、と息を吐いた仙道はコート脇で準備運動を始めた。すると、一人の一年生が仙道の方へと駆け寄ってくる。
「仙道さん、アップ手伝います!」
「おう、サンキュ、彦一」
 独特のイントネーションで声をかけてきた後輩の名は相田彦一。出身は大阪ということで、持ち前の明るく騒がしい性格で部内では良い言い方をすればかわいがられており、また、バスケに対する知識も深く新入生の中では期待されている選手だ。
「そういえば仙道さん、聞きはりました?」
「何をだ?」
「監督、練習試合を決めてきたそうですよ。湘北高校いうところと!」
「え、湘北と?」
 湘北高校――とは交通機関を使えば小一時間という距離に位置する近場の公立高校だ。去年のインターハイ予選では一回戦であたって陵南が圧勝したものの、県内でも屈指のセンターを有する注目株でもある。
「湘北言うたら、今年の新人王と目されてる富ヶ岡中の流川君が入ったらしいですわ。仙道さん知ってはります?」
「いや、知らねーな」
 オレ、中学は東京だし。と答えると興奮気味なのか仙道の背中を押す彦一の手に力がこもった。
「しかし解せんのですわ……なんで流川君は県内ツートップの海南や翔陽に入らんと、湘北に入ったんやろか? どう思います?」
「さぁな」
「噂によれば監督は流川君を入学させようと口説いとったらしいんですが、どうも失敗やったようでことさら打倒湘北に燃えとるっちゅー話ですわ」
「へぇ……」
「こらチェックすること多すぎるで! ワイ、近い内に湘北まで偵察に行こうと思うとるんです! 噂の流川君がなんぼのもんか、しーっかり調べ上げてきます!」
 よくしゃべるなぁ、などと仙道が過ぎらせる間にも彦一の口は止まらない。
「けど、ウチには仙道さんと魚住さんがおるんや! ぜったい負けることはあらへん! そうでっしゃろ、仙道さん!?」
 はは、と勢いづく後輩に笑みを返すと、ふと元気だった後輩は神妙な面もちを浮かべた。
「福さんもおったら、もっと良かったんやけど……」
 その言葉を受けて仙道が彦一を振り返る前に、遠くからまたも田岡の怒声が二人の間を貫いた。
「なにを騒いどるか、彦一!」
「うわっ、は、はい、すんません!」
「いつまでアップしとるんだ、仙道! さっさとこっちに混ざらんかー!!」
「はいはい。はい。いま行きます!」
「"はい"は一度で良いと言っとるだろうが仙道ォォーー!!!」
 その田岡の叫びにギクッと背中を撓らせつつも、よく声枯れしないよな、などとも思って仙道は足早にコートの方へと向かった。


「お兄ちゃん、知ってる?」
 ふと、夕食の箸を止めては目の前の紳一を見やった。
「何をだ……?」
「明日、陵南と湘北高校が練習試合するんだって!」
「ほう、湘北が陵南と……。というかどこで仕入れてくるんだ、そんな情報?」
 へへ、とは紳一の問いを笑顔でかわした。陵南と湘北が練習試合をするらしい。という話は単にクラスメイトのバスケ部員が面白そうだの部活があるから見に行けないだのと雑談混じりに話していたのを小耳に挟んだだけで情報というほど立派なものでもない。
「お前、見に行くのか?」
「うん。新体制に移行した陵南に興味あるし。仙道くんが冬からどう変わってるか見たいしね」
 仙道本人はともかくも、初めて見た時から諸星以上と目した「バスケ選手」としての仙道彰のプレイはやはりにとっては興味を惹かれるものだ。
 ばっちり偵察してくるから期待してて、などとが言うと紳一は軽く笑った。
「ま、湘北ってのは興味あるな」
「え……、陵南じゃなくて?」
「陵南の実力はある程度読めるからな。それに湘北には今年、粋のいいルーキーが入ったって話だ。ウチも、陵南も、そして翔陽も狙ってたヤツだ」
「へぇ……。去年の仙道くんみたいな?」
「ま、仙道ほどかどうかはわからんがな。それに湘北はセンターが強力だし、ガードもいい。今年はけっこう上まであがってくる可能性が高いチームだ」
「ガード……」
「神奈川以外だとナンバー1になってもおかしくない素材だぜ。まだ二年だしな」
 神奈川以外、という物言いには苦笑いを浮かべた。なにせ紳一本人のポジションが俗に1番と呼ばれるポイントガードであり、揺るぎない神奈川ナンバー1ガードだからだ。しかし紳一がここまで褒めるということは相当に腕の立つ選手なのだろう。
「神奈川のガードには翔陽の藤真さんもいるもんね。藤真さん、いいガードよね。今まで見たガードの中で、一番ポイントガード向きの選手だと思う」
「…………」
「仙道くんは大ちゃん以上の逸材だし。神奈川っていい選手いっぱいいるなぁ。予選は乱戦ね、きっと」
「……。そ、そうだな」
 微妙に引きつった表情を浮かべた紳一に気付かず、は「ごちそうさま!」と弾んだ声で席をたつと食器を持って台所の方へと向かった。


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