春高予選が終わり、青城バレー部の三年は引退。
 大学でもバレーを続ける及川や岩泉たとち違って花巻は受験戦争に身を投じる事となった。
 そんな日の放課後――塾の時間まではまだ少し余裕があるため仙台駅でカフェにでも寄るか。と思案しつつすっかり色づいた校庭の紅葉を廊下から見下ろす花巻に「お」と意外なものが飛び込んでくる。
「マッキー、これから塾?」
 同時に聞き覚えのある声が聞こえ、花巻はチラリと目線をあげた。見れば予想通りにヘラヘラ笑みを浮かべている及川がこちらに歩いてきている。
 なに見てんの? と隣まで来た及川に花巻は目配せした。ここから見下ろせる位置の校庭の隅を歩く人物。この位置からでも分かるふわふわとした巻き毛……及川のカノジョであるだ。
 あ、と及川は目を瞬かせた。
ちゃんじゃん。……なにマッキー、ちゃん見てたの?」
 及川は一瞬だけ花巻に訝しげな目線を向け、花巻はその意外な反応にやや眉を寄せた。確かに眼下に映っているのはである、が。
「気がつかねえ? ホラ、その先」
 クイッと花巻は親指で校庭を指した。その先にはの数メートル前を歩く男子生徒がいる。
 察したのか及川は目を点にした直後に「――え!?」と花巻の想像以上に狼狽えた姿を晒した。
「え、え!? なに!? ま、まさかちゃん呼び出されてんの!?」
 あわわわわ、と漫画なら効果音でも付いていそうな取り乱しように花巻は頬を引きつらせつつも首元に手をやる。
「どう見てもそうデショ。お前もよくされてんじゃん」
 呼び出し、と付け加えるとサッと青ざめた及川はいっそ哀れなほどに頭を抱えている。
「ど、どどどうしようマッキー」
「どうもこうも……、まあ普通に断るんじゃねえの?」
「そりゃそうに決まってんじゃんちゃんのカレシは俺なんだし! けど……でも……、俺ちょっと行ってくる!」
「ちょ、及川!?」
 言うが早いか小走りで及川は階段の方へ向かい、さすがに気になった花巻もその後を追った。
 そして早足で歩きつつ思う。

『だいたいマッキー、彼女とイイカンジとかマッキーには悪いけどそれ盛大な勘違いだから! あり得ないから!』
『あの子、超超超カッコいいカレシいるしね!!!』


 自分がちょっとに気があるそぶりを見せただけであのザマだった及川だ。もしかするとこのような状況には慣れていないのかもしれない。
 とはいえ。に好意を抱いている欲目かもしれないが、及川ほどじゃないにしても彼女にとってこういうことは決して珍しいとは思えないのだが……と素早く下駄箱で靴に履き替えてたちの歩いて行っただろう後を追う。
「どこ行ったんだろ……」
「さあ、校舎の裏とかじゃね? つーか行ってどうすんだよ」
「わかんないけど気になるし……!」
 こそこそと中庭を校舎伝いに歩いて行くもそれらしい影は見当たらない。及川は無意識か意識的か自分がよく呼び出されている場所へ足を向けているようだが、やはりの影は見当たらず焦ったような表情を浮かべている。
「今までこんなこと一度もなかったのにさ……」
「そりゃ……黙ってただけじゃねえの? お前だってそうだろ」
 言えば、うぐ、と言葉に詰まりつつも及川はキョロキョロと探す目は休めない。
 さすがに取り込み中かもしれない中で携帯にかけてみるという野暮は選択肢から外していたようで、不意に吹いた秋風に「寒っ」と身を震わせつつ花巻も辺りを探した。
 第二体育館の周りを見やって、第一体育館へと足を向ける。あんまり立ち入らないエリアだな、とそろりと体育館の壁際からグラウンドへと抜けられる裏庭を窺う。雑多に木が植えてあるその裏庭をひょいと二人して覗いて、ぴた、と揃って足を止めた。
 ふわりと色づいた葉っぱが舞い落ちる中にふわふわと先ほど見た栗色の巻き毛が揺れている。落ちてくる木の葉に見入るようにしてスケッチブックに鉛筆を走らせているらしきがその空間には佇んでいて、思わず花巻は息をのんだ。
 おそらくそれは及川も同じだったのだろう。一寸の間を置いて、なんだ、と安堵した声が漏れてきた。
「外でスケッチとかいつものちゃんじゃん……。マッキーの早とちり」
 言い分に花巻は、あんだけ取り乱しておいて、とは言わずに飲み込んだ。先ほど見た男子生徒はたまたまの前を歩いていただけなのだろう。
 と、いうか……だ。誤解だったのだからとっとと立ち去ればいいのでは、と思った花巻だったが。そう思う自分ですら視線をから外せないのだから及川も同じ理由で彼女を見ているのだろうな――、とハタから見れば体育館の影から一人の女生徒を盗み見ている図という滑稽さも忘れてしばしスケッチしているを見つめる。
 ヒュ、と先ほどよりも強い風が吹いてザワッと木々が揺らめいた。さすがには手を止めて舞う髪を手で押さえ、目線が動いて……少しだけこちらを見やった彼女の瞳が驚いたように見開かれたのが映った。
「及川くん……!? 花巻くんも」
 何してるの、と声をかけられ「まずい」と花巻はとっさに及川を見上げた。が、そこはやはりさすがの及川だ。先ほどの狼狽えは一転、いっそ清々しいほどにこやかな笑みを浮かべて「ちょっとねー」などと軽く言いつつ彼女の方へ足を向けている。
「廊下からちゃんが見えたから何してんのかなってちょっと探しちゃった」
「紅葉が綺麗だったからちょっと外でスケッチしたいなって思って描いてたの」
 及川の余計なことは告げずに嘘はつかないスタイルをとっさに貫けるスキルにはいっそ感心する。と及川の言動を微塵も怪しんでいないらしきの声を聞きつつ花巻は肩をすくめた。
 も及川の方へ歩み寄り、あ、と花巻は切れ長の瞳を開く。彼女の髪に小さな葉っぱが絡んでいるのが見えたのだ。先ほどの風で落ちてきた葉だろう。
 すれば及川も気づいたのか「あ」と瞬きをしてから、さも当然のようにスッと彼女の髪へと右手を伸ばした。
ちゃん葉っぱがくっついちゃってる」
 そしての髪から色づいた葉を取って、「ほらね」と囁いた及川にが瞳を瞬かせる。「ありがとう」とはにかんで目尻を染めた様子が花巻の目に映った。
「ていうか寒くないの?」
 そのまま及川はごく自然に右手の指での頬を撫で、さすがに花巻の心臓がドクッと音を立てた。
「んー……ちょっと寒いけど平気」
「なんかこういうのデジャブだよね……、ちゃん北一の時から雪かぶっても雨に濡れてもスケッチしてたしさ」
 及川がにベタ惚れだということは知っている。が……の方も負けずに及川を好きだということなど考えずとも当然だというのに。さすがにあんな顔を見たら何も言えない、と嬉しそうに頬を染めて及川を見上げながら笑みを浮かべているを見て花巻は傍目には分からない程度に眉を寄せた
 というよりも完全にお邪魔じゃないのか。何してんだ俺……とラブシーンでも始まりそうな場面を前にして気が遠くなっていると、さすがにそこは邪推だったのかくるりと及川がこちらを向いた。
「マッキー、今日ってこれから塾だよね? 俺も今日は帰って小論の勉強するし、一緒に帰ろ」
「――へ!? あ、おう……」
 ビクッ、と肩を震わせた花巻の目線の先で及川は「じゃあ俺行くね」とに声をかけている。
「二人とも勉強頑張ってね」
 は普段通りに手を振ってこちらに笑みを向けてくれ、花巻は苦笑いを浮かべつつも軽く手を振ってから及川と肩を並べた。
 しばし無言で歩き、校舎にさしかかった辺りで「ハァ」と大きなため息を吐いたのは及川だ。
「ほんと良かった……、ほんっと心臓に悪い」
 及川が言いたいのは呼び出しだと誤解していた件だろう。しかしながらたまたま今回は違っていただけなのでは。などと思っていると察したのか否か及川はこんな風に続けた。
「こんな思いするんだから、やっぱりちゃんは俺の呼び出しとか一生知る必要ないよね」
 さも当然のようにさらりと言い放った言葉に、ぴた、と花巻の歩みが無意識のうちに止まった。
 一生って……、と突っ込めない言葉を脳裏に浮かべていると怪訝に思ったのか及川が「なに?」と振り返る。
 いや、と首を振って花巻はすぐに及川に並んだ。
 一生ね、と再び花巻は脳内で復唱した。――及川がにベタ惚れなのは知っている。それにも同じ気持ちなら、と花巻は自嘲しつつ両手を頭の後ろで組んだ。
「あーあ。やっぱお前でよかったわ」
「へ? なにがさ」
「別に。こっちの話」
 呟いた声に及川がキョトンとし、花巻は小さく笑う。その頬を肌寒い風が撫で、そっと花巻は秋の高い空を仰いだ。

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