「ったく、受験済んだヤツは気楽でいいよなァ」
「まあそう妬むなって。お前の志望校、受かりゃウチからは特進科含めても滅多に出ないトコだろ。及川の筑波大といい、バレー部男子地味に凄くね?」
「及川は推薦じゃん」
「それはそれで凄い、逆に」
「まあな」
 晩秋のとある月曜。松川一静は自主勉強を済ませた花巻と共に繁華街にて夕食をとり、自宅とは逆方向のこの界隈をぶらぶら歩いていた。
 松川と岩泉は共に推薦入試を終え結果待ちという状況だったが、花巻は一般入試での受験とあって、引退後は月曜を除いた全ての曜日に学習塾を入れ受験勉強に励んでいる。――月曜はオフも兼ねた自主勉強にあてており、今日はたまの息抜きというワケだ。
 にしても、と松川は思う。つい今しがたの会話の通り、花巻の第一志望校は関西圏ではトップグループにいる私大だ。青城の普通科からは元より特進科でさえ滅多に出ない。そんな難関校をバレーを続けながら射程圏に収めている要領の良さはさすがだと思わざるを得ない。
 もともと花巻は高校受験の時に県内一、二を争う公立校である条善寺や私立トップの白鳥沢――共にバレー強豪校である――も手が届く範囲だったらしいが、バレーと勉強を無理せず両立できる意味でも青城を選んだと松川は聞いていた。その甲斐あってか、本人はいたって高校生活には満足らしい。
 花巻の第一志望である私大のバレー部も関西一部リーグであるし、もしも彼がバレーを続ける気ならば環境としても最適だろう。
 とはいえ、本人はバレーは高校までと言っていたが。などと雑談しつつ歩いていると、ふと目の前の路地を曲がってきたカップルの姿に松川はおろか花巻の足も止まった。
 どうということはない、どこにでもいる普通のカップルだ。違うところがあるとしたら、自分たちと同じ制服を着ているところだろうか。
 しかも……と松川は二人の曲がってきた路地の方を見やる。
「……この界隈って、ぶっちゃけラブホ街だよね……」
 ボソッと呟くと、ビクッ、と隣の花巻の身体が撓ったのが伝った。
「いや……俺、前に聞いたんだよね。さんちって確かこの辺だし、及川んちだって徒歩圏内じゃん」
 弱々しく吐かれた花巻の声を耳に入れる松川の目線の先に映っていたのはよく見知った人影。バレー部の元主将でありチームメイトであった及川と、そのカノジョであるの姿だ。
 それはさておき、この一帯は東北一の繁華街。ちょっと道を逸れればラブホテルが建ち並ぶ通りがあり、二人が歩いてきたのは正にその方向である。
 及川の自宅最寄り駅は二駅ほど先であるし、北川第一の学区はここから歩いて行けるとはいえ現在地は他校の学区である。しかも今は夜。よからぬ勘ぐりを入れられても致し方ないシチュエーションだろう。――しかし、と松川は肩を竦める。
「ま、制服だしさすがにな。及川ってなんだかんだマジメ君だしな」
「つーか……及川以前にさんがないだろ、そんなの」
「え、なに。花巻まだ傷心中?」
 進行方向が同じであるため、少し距離をあけて二人のあとを歩きつつチラリと松川は花巻を見やる。すれば彼は複雑な表情を晒していて、思わず目を瞬かせてしまった。――早い段階で彼女が及川と付き合っている事は知れたはずであるが、そうスパッと割り切れるものでもないらしい。
 にしても、と思う。前を向けば、自然と彼らが視界に入ってくるのだから避けようがない。手を繋いで仲良さげに歩いている彼らだが、松川の目には及川が熱心にに話しかけているように見えた。
「こう言っちゃなんだけど……、割とアホ面晒してんな」
「通常運転じゃね?」
「いや……、普段より酷い」
 へと熱心に語りかける及川の表情は、笑ったり脹れっ面をしたり眉を釣り上げたりと忙しい。このような顔面崩壊場面を及川のファンである女生徒が見たら少なからずショックを受けるだろう。
 ――北川第一のバケモノセッター・及川徹。という同世代の怪物を遠くから見ていた時に想像していた及川の実際のキャラが想像とはほど遠いと知って久しいが、こうして客観視してみると未だにどことなくギャップを感じてしまう。
「あいつさー……認めたくねえけど、黙ってりゃ綺麗な顔してんのになんでカノジョの前で素材の無駄遣いするんかね」
 肩を竦めて呟けば、花巻が同様に肩を竦めた気配が伝った。
「ま、及川曰く13歳の時からお互い知ってるらしいし? さんって全くバレーは観にこねえからアレがデフォで違和感ないんデショ」
「ていうか俺ら尾行中みたいになってんな」
「方向同じだし仕方なくね」
 言いつつもどことなく声の弱々しい花巻を察し、松川はコーヒーでも飲もうと提案した。その間に彼らは行ってしまうだろうし、ちょうど良いだろう。
 路地を曲がり、近場のコーヒーチェーン店に足を伸ばす。すれば繁華街の夜ということも相まってけっこうな混み具合であり、並びつつコーヒーはテイクアウトしようという流れになった。
「定禅寺通りってけっこう穴場なんだよね」
 花巻も持ち直したのか、店を出る頃にはいつもの調子を取り戻しており花巻らしくオススメのスポットへと先導して歩き始めた。
 少し歩けば、冬にはイルミネーションで有名な定禅寺通りが見えてくる。松川もそれは知っていたが、花巻曰く、遊歩道を兼ねた中央分離帯は人通りが少なく休憩するにはもってこいの場所だという。
 意外に思いつつ、通りが見えてきて松川は成る程と感心した。改めて見てみれば、わざわざ中央分離帯を歩こうとする市民は多忙な中心部にあってそうはいないのだろう。あまりこっちに来ることがないから気づかなかった、と人通りの比較的多いスクランブル交差点を越えて、静かな中央分離帯の遊歩道に足を踏み入れる。
「週末、塾で模試なんだよね。気ぃ重いわ」
「いま何判定?」
「最近はBで安定」
「それってAになったら確実ってヤツ?」
「まあ専願だし、この調子だといけるだろうなって楽観視するようにはしてるけど、どうだかな」
 話しつつその辺りのベンチに腰を下ろそうと辺りを見やった松川の眉間に無意識のうちに皺が寄った。目星を付けたベンチには薄暗い中でカップルと思しき人影が身を寄せ合っていたからだ。
 肌寒い風を感じつつ、さすがに肩を竦めてしまう。
 これだからリア充は……などと脳内で悪態を吐きつつそのまま通り過ぎようと思った松川の足が意に反してピタリと止まった。
 眼前の、額をくっつけあって文字通りイチャイチャしていたカップルの姿形が先ほどよりもクリアになる。見知ったクセのある髪に象られた後頭部。見覚えのあるマフラー。――瞬間、微動だに出来ずにいた松川の気配が相手に伝ってしまったのだろう。
 男女ともに顔をあげ、そのうちの一人がこちらの顔を視界に入れるなり、いっそ清々しいほどに引いたリアクションを取ってくれた。
「――松つん!? マッキー……ってなにやってんのさ!?」
 それはこっちの台詞である。とは言えずに、松川は無言で目の前の男――先ほども見かけた元チームメイトの及川徹を見やった。その間にも及川の口は止まらない。
「ていうか二人とも家ってこっちじゃないよね!? なんでいるの!? まさかのストーキング!?」
「お、及川くん……」
 騒ぐ及川を見かねたのか隣にいたが居心地悪そうにしつつも彼を諫め、ようやく松川もハッとした。
「いやいやこっちの台詞だよねソレ。むしろ前回はコッチの界隈にソッチが来てたし」
「なに、春先の中華屋での話? いい加減その話題しつこいんだけど。別にドコ行こうと俺たちの自由じゃん」
 だからそれこそこっちの台詞。と言い返そうとしていると、場を納めるようにがフォローの声をあげた。
「ま、前も思ったけど……色んな場所で会っちゃうなんて、やっぱりみんな気が合うんだね」
 その声には居たたまれなさと同時に騒がれたくない思いが込められているようで、取りあえず松川も落ち着くと同時にハッと隣にいた花巻の存在を思い出した。目線だけでチラリと見やると、彼はなるべく及川たちと目を合わせないよう努めておりさすがの松川もマズイと悟る。
「いや、まあ。俺たちただの通りすがりだし、行くわ」
 そうしてさっさと通り過ぎようとした背を、よりにもよって及川に呼び止められてしまった。
「――女バレの連中にあることないこと言わないでよね」
 言われて松川はぎくりと背中を撓らせる。及川たちの話題は女バレの前でしか出せないゆえに彼女らの情報源が自分であることが多く、たびたび及川から苦情は受けている身だ。釘を刺されても致し方ない事は自覚している。
 了承の代わりに軽く片手をあげ、そのまま無言で歩き出す。
「どこ向かってんだよ」
「取りあえずこのまま西公園まで行くべ」
「遠くならね?」
「なんだよ花巻、引き返す勇気あんの?」
「……ねえな……」
 そのまま足早に歩いていると、ぼそりと花巻の呟きが伝った。
さん、さ……ずっと及川の腕、掴んだままだったよね」
 言われて松川は眉を寄せる。正直、を注視していたわけではないため全く覚えていない。そうだっけか、と薄ぼんやりつい今しがた見た場面を浮かべつつ肩を竦めた。
「ま、付き合ってんだし離れる理由もなかったんだろ」
「いや……うん」
「……」
「……」
「……やっぱあいつらラ――」
「ねえから!!」
 皆まで言わせず花巻が言葉を被せてきて、松川はもう一度肩を竦めた。
「まあ、もう部活引退したんだし、あれだったら略奪愛とか頑張ってみてもいいんじゃない?」
「そんなんじゃないっての。俺はお前の勝手な妄想に突っ込んでんだし」
「いやでも現実見なきゃ。だいたい……」
 言いかけて松川は「そうだ」とふととある出来事を思い出した。
「そういやさ、ちょうど3年にあがる直前の3月頃、大雨降って停電した日があったの覚えてる?」
「あー……、あったかもな。けっこう夜だったよな。もう部活終わって帰ったあとだっただろ」
 相づちを打った花巻に、そうそう、と松川は頷きつつその時の事を思い浮かべる。
「あの時、及川からLINE来たんだよね。傘貸してくれってさ」
「まあ及川が遅くまで自主練とかいつもの事デショ。つーか停電中に学校いたのかよ、怖くね」
「そう思って俺も同情したんだけどさー……。あの時、あいつカノジョと部室に二人っきりだったらしいんだよね」
「――は!?」
「神聖な部室でナニやってくれちゃってんだろうな、リア充どもはさ」
 言いつつすっかり冷めたコーヒーを口に付けていると、花巻が立ち止まった気配がして松川は振り返る。
「花巻……?」
「……雨宿りしてたんだろ……」
「は?」
「いや、ナニやってたって、雨宿りじゃん?」
 割と必死な形相の花巻を見て、そんなにさっきのが及川にくっついていたのがショックだったのか、と松川は頬を引きつらせた。
「いやいや花巻落ち着いて。もし自分だったら? カノジョと明かり一つない部室で二人っきりで? しかも大雨の閉塞状態で? 仲良く無言で過ごすの?」
「…………」
「つーかさんも割とノリノリっぽかったしな」
 さっきの見る限り、と付け加えると松川は前を向いて歩き出す。
「やっぱアイツらラブ――」
「だから彼女で変な想像すんのはやめろって!」
 そうして再び呟きを遮られて松川は少しだけ肩を揺らした。――おそらく花巻は、好意を抱いた子の相手が及川ですっかり諦めた部分と少なからずホッとした部分があったはずだ。それでもなお、彼女を少しだけ自分の中で綺麗な位置に置いていたいのだろうな、と悟る。
「ま、女バレ情報によると既に親に挨拶済みらしいけどな、あの二人」
「……情報源の信憑性なくね……?」
「筑波大って学生結婚多いって噂あるよな」
「松川お前……、面白がってるだけだろ……」
 これだから受験終了組は、とどうやら振り出しにもどったらしい花巻を見て松川は低く笑う。西公園が見えてきた。
 ――花巻や及川には貴重な息抜きの月曜だったかもしれないが。久々に引退前のノリを思い出した。と無意識のうちに松川は目を細めていた。

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