「及川せんぱーい!」
「引退おめでとうございますー」
「三年間お疲れさまでしたー!」

 春高予選は最終日翌日。
 引退早々の登校朝から下駄箱前に人だかりが出来ているのを見て、つい今しがた登校してきた岩泉はさすがに固まった。
 その中心部には相も変わらずヘラヘラしながら女生徒に愛想を振りまいている幼なじみの姿が見えて、チッ、と舌打ちしてしまう。
 無視してさっさと校舎に入りたいが、入り口前を占領していて思いの外邪魔である。他の生徒も人だかりを二度見しながら避けるようにして校舎に入っていっている。
 いっそ邪魔だと注意しようかとも思ったが、その後うざったく絡まれるだろう事を思えば腹は立つが放置しておきたい、と葛藤していると後ろから声をかけられた。
「おはよう、岩泉くん」
「あ……、おう。おっす」
 振り返ると、渦中の幼なじみの恋人でもあるがいて岩泉は一瞬焦ったものの、の方は慣れたように「わあ」と感嘆の息をあげている。
「すごいね……! そっか、昨日引退試合だったもんね」
 そうしては自分に「お疲れさま」とねぎらいの言葉をかけてくれ、岩泉は礼を言った。
「しかし、邪魔くせえなアイツ。やっぱ一発ぶん殴ってやる……!」
「た、たぶん下駄箱前で声かけられたとかで故意じゃないと思うよ……」
 腕まくりをして臨戦態勢に入った岩泉をはやんわりと止め、岩泉は再度舌打ちをした。
「お前も――」
 一発くらいアイツぶん殴っても許される、等々続けようとした岩泉の耳にまたも見知った声が聞こえた。
「うわー、下駄箱の前占領しちゃってるじゃん及川」
「あそこの隣、通れないっていうか通りたくないよね……」
 これはアレだ。女バレの「ドン」だな。と、くるりと振り返った岩泉の瞳に、こちらも春高予選で引退したばかりのエースとセッター、元主将と副主将でもある、のコンビが見えた。
「よう」
「あ、岩泉! ちょっとアレなんとかしてよ、通れないんだけど」
 黒髪のポニーテールを揺らしながら元副主将に言われ、岩泉は眉を寄せた。その彼女を宥めるように隣のショートボブが肩を竦める。
「でもたぶん今日でこういうのも一応終わりだろうし……、最後の最後で絡まれるのも何だから関わらない方がいいんじゃないかな」
 にしても、と聞きながら岩泉は思った。
 この場にいるのが渦中の及川の――認めたくないが――幼なじみである自分。何かと及川との関係が噂される女バレのコンビ。そして実際に及川と付き合っている。――こんなパーティで及川とファンの横を通り抜けるのはさすがに勘弁願いたい。
 しかし。及川のせいで自分たちが不便被るのは癪である。と葛藤していると、ポニーテールの彼女の目が岩泉の隣にいたに向いた。
さん、腹立たない? あいつ今も緩みきった顔でヘラヘラしてるけど」
「えッ……!?」
 いきなり話題をふられて戸惑ったらしきは、目を瞬かせつつ少し首を傾げた。
「で、でも……中学の頃からこうだったし……」
「そんな前からこうなの!? さいってい! よく付き合ってられるね?」
「え……ッ!?」
「いくらカノジョとファンサは違うって言ったって、ちょっとね」
 憤ったポニーテールの彼女を抑えつつも元主将がそんな風に言って、はますます戸惑った表情を見せた。
 が、岩泉は女バレ二人の言うことももっともだと首を縦に深く振る。
「そうだぞ。俺はお前がアイツを100万回ぶん殴ってもまだ許されると思ってる」
「そうそう」
「よく言った岩泉」
 3人に言われたはやや引いたような顔で目を何度か瞬かせていたが、しばし「うーん」と唸ったあとに「でも」と少しだけ口元を緩めた。
「及川くん、ファンの子たちに対応するのとプライベートってきっちり分けてるみたいで、私はその辺りは詳しく知らないし……別に大丈夫だよ」
 すると、女バレの二人はいまいち腑に落ちないと言った具合に肩を竦めた。
「心広いんだね」
「まあそうじゃないと付き合ってけないよね……」
 岩泉にしても、実際はなぜ彼らが付き合っているのか詳しくは知らないために口は挟まない。とはいえ、があまりこの手の類に興味がないのだけは本当だろうな、などと感じていると元副主将の彼女が遠目に及川を見やりながら「それにしても」と腰に手を当てた。
「試合中の及川だけは100歩譲ってイケメン扱いも分かるけど、圧倒的にオフの時間のが長いのになんであんなにファンが付くのかな」
 そうして彼女は「あ」と思いついたようにに向き直る。
「でも、さんって公式戦を観に来たことないよね? アイツの唯一イケてる場面見てないのに、どこが良くて付き合ってるの?」
 問われたは、あまり言われている意味が分からないと言った具合に首を傾げた。
「試合中の及川くんは格好いいかもしれないけど……、私にはちょっと、いつもの及川くんみたいじゃないっていうか……」
「は……!?」
 その言い分に聞いていた岩泉は吹き出してしまう。
「確かに。普段のあいつはただのヘラヘラした男だからな」
「えー!? 及川からバレー取ったらどの要素で付き合いたいと思えるの? 顔?」
「バ、バレーやってる及川くんは好きだよ。すっごく練習熱心だし。でも……」
「いやでもアイツ、面倒じゃない? 無駄なことばっかり喋るし」
「う、うん……だいたいいつも及川くんがたくさんメールとかくれるから、お喋りするの好きなんだろうなって思うけど……別に困ることはないし」
「騒がしいし試合以外だと落ち着きゼロだし」
「さ、騒がしい、っていうか……感情表現が豊かだよね。私にはない部分でちょっと羨ましい」
 しばしそんなやりとりが続き、問いかけていた元副主将と見守っていた元主将はさじを投げたように額に手をやって頭を抱え込む様子を見せた。
 とはいえ、と岩泉は思う。コートに立っている及川が好き、でこんなに長く付き合えるわけねえし当然だわな。と、及川の面倒な性格そのものを好意的に捉えているらしきに苦笑いを漏らした。
 にしても。と岩泉は再び下駄箱の方を見やった。女バレの二人もそうだったのだろう。「いい加減校舎入りたい」などという呟きを聞きつつ若干イライラしながらいつもより念入りにファンサービスをしている及川を睨むようにして見やると、ふと、及川の視線がこちらを捉えた。
「あ、及川気づいた」
 元主将の声に呼応するように、それまではヘラヘラしていた表情を彼は一変させた。
 そうして彼は周りのファンに「ごめん、待ってて」とでも言っているようなジェスチャーをしてからこちらに向かって鬼の形相で小走りを始め、「ゲッ」と岩泉と女バレ二人の声が重なった。
 言うが早いかもの凄い早さでこちらに詰め寄った及川は、ファンの前で見せていた表情からは想像も付かないほど眉を釣り上げてこちらをがなりつけてきた。
「ちょっとお前らなにしてんの!? またちゃんに変なこと吹き込んでんじゃないよね!?」
 しかし間髪入れずに女バレの二人も反撃する。
「アンタばかなの!? なんでファンの前でこっちに寄ってくんの!? 最後の最後まで迷惑かけないでくれる!?」
「だいたいアンタのカノジョ、岩泉と付き合ってるとか男バレが噂してたんだけど、おかげでいま変な修羅場みたいな図になってるって分かってんの!?」
 さすがにいつもは若干及川に甘い元主将ですら及川とのあらぬ噂には苦しめられている身とあって激高し、いきなり名指しされた岩泉は思わずと顔を見合わせた。
「わりぃ、根も葉もない噂だ」
「う……うん」
 そうこうしている間にも女バレと及川はヒートアップして互いを罵り合い、痺れを切らせた岩泉は「うるっせえ!」と及川に突っ込みを入れつつ一喝した。
「だいたいオメーが下駄箱の入り口占領してっからこうなってんだろうがよ。ちったあ周りの迷惑考えろや!」
「だって、校舎に入ろうとしてたら声かけられたんだもん! ……あ、岩ちゃんにはそんな経験ないからわかんないよね。ゴメンゴメ――あいたっ!」
 そうして普段通り軽口を叩いてくる及川をシバき倒していると、女バレの二人は心底呆れたような顔をしつつ「今のうちに行こう」「そうだね」とさっさと踵を返してしまった。
「わ、私も行こうかな……。じゃあ岩泉くん、及川くん、またあとでね」
「あッ、まってちゃ――!」
「オイ! もう騒いでやんなよクソ及川!」
 おそらくにしてもファンの前で騒がれるのは避けたかったのだろう。足早に去ろうとする彼女を追おうとした及川を制して岩泉が言えば、及川もグッと思い留まったのかしばらくしたあとに、ふぅ、と息を吐いていた。

「ごめんねー、待たせちゃってー!」

 その後、またファンサービスに戻った及川の横を通り抜けようとした岩泉の耳に小さく彼女らの声が聞こえた。

「岩泉先輩、ひどーい……」
「ねー……」


 チッ、と岩泉は舌打ちをする。どうやら幼なじみを見つけて挨拶に行くも邪険に扱われた可哀相な及川先輩という図が出来上がっているようで、さらにヘラヘラしている及川を見て額に青筋を立てた岩泉は背負っていたカバンを肩から下ろすと思いっきり及川に向けてぶん投げた。

「やっぱりくたばれ、クソ及川!!」

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