9月。新学期。 ほぼ全ての運動部部員が夏の高校総体で引退するため、秋ともなれば余裕の生まれる3年生も多い。 特に普通科の約半分は進学の予定がなく、必死に受験勉強に精を出す必要もなく――いわゆる、その「隙間」に急に恋愛沙汰が入り込む事は3年生2学期の風物詩でもある。 とはいえ、受験組である自分には関係のない話ではあるが。と、花巻貴大は新学期始まって最初の月曜は放課後に廊下を歩きつつ「お」ととある人影を発見し、立ち止まった。 「及川……?」 窓から見下ろせる位置にある中庭の隅を歩く人物。チームメイトの及川――、と、知らない女生徒だ。考える間もなく「ああ」と花巻は察した。 及川は学園のアイドル扱いでモテてはいるが、その大半は文字通りのアイドル扱いでありファンは愛想のいい及川の対応で満足している場合がほとんどである。が、むろん中には本気で及川に想いを告げる女子もいるわけで。今回もそれだな、と花巻は納得して再び歩き始める。 ――運動部に所属していた大半の生徒が引退したいま、彼ら彼女らには恋愛に割ける心の余裕が生まれたということでもあり。今後もいまのような出来事は増えるのだろうな、と過ぎらせつつ購買部に向かう。 シュークリームはまだ残っているだろうか。いやエクレアも捨てがたい。と考えを巡らせているうちにすっかり先ほど見た光景も脳裏から消え、購買部が見えてきて足取りも軽くなった花巻の切れ長の目が突如として見開かれた。 足を踏み入れた購買部のスイーツコーナーに、いま見かけたばかりの及川のカノジョ――の姿が見えたからだ。 とはいえ、どうということはない。むしろ……、と、先月最後の火曜日の出来事――とプールデートをしてきたという及川の寝不足の理由――を思い出して狼狽えてしまう。実はあの件、けっこう気になっている。知りたいような知りたくないような。 にしても、なんつータイミング、と思いつつも平静を装って自身の目的地でもあるスイーツコーナーに向かう。すれば先に彼女の方が気づいて「あ」とこちらを見上げてきた。 「花巻くん。花巻くんもおやつ?」 「ん。てか珍しいね、さんが購買スイーツとか」 「お昼ご飯食べてなかったからちょっとお腹空いちゃって……、買おうか迷ってたの」 へへ、とはにかむ彼女に心をくすぐられて思わず目を細める。やっぱり良いな、と思うくらいはこちらの自由だろう。 そのまま並んでスイーツを物色しつつ、は数枚のクッキーが入った小さな袋を手に取り、花巻は最終的に焼き菓子を数点手に取った。そうして共にコーヒーも手にして購入し、購買部をあとにする。 「花巻くん、今日は部活オフだよね? 勉強?」 「そう。一応受験生だかんね。これから受験まで月曜は集中自主学習」 土日は塾も入れてるしね、と若干肩を竦めながら言うと、大変そうだとこちらを気遣ってくれたを見つつ花巻は何となく足を止める。は美術室に戻るのだろうし、自分も自習室に行くため分かれ道が来る前でないとと話が出来ないからだ。 「そういや、さ。及川と秋保に行ったんだって?」 ――プール、と具体的に言い出せなかった花巻は回りくどい言い方をしたものの、花巻に倣って足を止めたはすぐに「ああ」と笑った。 「うん、プールに行く約束してたの。温泉もあったし、すっごく気持ちよかった」 うっすら頬を染めたに、花巻はさっそく好奇心に負けて聞いてしまった自分を後悔した。――え、温泉? 温泉一緒に入ったのにビキニ程度でアレ? と新たなる疑問が脳裏を駆けめぐるも、そこを探るのはさすがに踏み込みすぎだろう。そして踏み込んだが最後、確実にダメージを受ける。と自嘲する。 にしても……。と思う。及川がのことをスタイルが良かっただの色っぽいだのとぶちまけたものだから、その日の部活後の部室は松川の「あいつの目は節穴」から始まり矢巾の自分は見抜いてた自慢で盛り上がってしまい――むろん及川のカノジョということは伏せてあったが――岩泉もいない状態で収集が付かずにその場をいさめたのは自分だった。けど。改めて言われると嫌でも意識してしまう、とただでさえに目線を合わせていると下がっている目線が更に下がってしまい、慌てて目をそらす。 「どうかした……?」 「あ、いや……。その翌日の及川さ、寝不足だったらしくて目にクマ作ってきてたんだよね」 とっさに取り繕うと、はきょとんとして意外そうに首を捻った。 「そんなに疲れるような事はしなかったけど……」 ――疲れるような事ってナニ? あ、これ曖昧に聞いたらいちいちダメージくらうヤツね。と地味にダメージを受けつつも少ない情報からだと無駄な想像が広がってかえって毒だと花巻は悟った。 そもそも、今さらプールデートくらいであのザマな及川との付き合いとはいったい……。――あ、アレか。プールでうっかり興奮して温泉で二人きりでそういう……。だよな、付き合ってんだもんな。あ、ヤバイかなりキた。ていうかコレ勝手な妄想だしさっそくトラップにかかってどうするよ、と葛藤していると「あー!」と見知った声が響いた。 幻聴でなければこの声は……と振り返った花巻の視界に、予想通り鬼の形相をした渦中の人物・及川がこちらに足早に向かってくるのが見えた。 「ちょっとマッキー! なにやってんの!!」 そうして言うが早いかこちらに辿り着いた及川は自分との間に割って入って立ち塞がる。 「放課後は自主学習とか言ってたよね? ていうかちゃんもなにマッキーとお喋りなんかしちゃってんのさ!」 相変わらずの言動もは慣れているのか、苦笑いをしつつ購買で会った事を告げている。 「それより及川くん……、もう帰っちゃったと思ってたのに。授業終わったあとすぐ教室出ていっちゃったし」 すればカウンターパンチを食らっただろう及川の背中が一瞬だけギクッと揺れたのを花巻は見逃さなかった。が、そこはさすがに及川なのだろう。すぐにいつものヘラッとした笑みに切り替えている。 「ちょっと用事でさ。カバン一式教室に置いたままだったから取りに来たんだよね」 「そっか。……じゃあ私は美術室に戻ろうかな」 二人ともまたね、とは及川の言い分をさして気にも留めず本来の目的地に戻るためにこちらに背を向けた。 その彼女を手を振って見送った及川の首がくるりとこちらに向けて回される。 「あのさぁマッキー、何かにつけてちゃんと接触しようとするのやめてくれる?」 「俺さー、さっき見ちゃったんだよね」 及川の面倒な絡みには答えず花巻が告げれば、「は?」と及川の目が見開かれた。 花巻はそのまま淡々と告げた。 「呼び出されてたデショ」 みなまで言わずとも察しのいい及川だ。その一言で理解したのか、彼は表情を一転させて引き締めた。 「……ちゃんに変なこと吹き込んでないよね?」 「なに、そんなヤバイことだった?」 花巻は少々意地の悪い返しを自覚していた。あれが告白のための呼び出しだったことは自明だからだ。 そんなんじゃないけど、と及川は言い捨てる。 「わざわざちゃんが知る必要性を感じないよね。実際、なにもないんだし俺たちには何一つ影響しないんだからサ」 目を伏せて声のトーンを落とした及川に、花巻はバレンタインでの事を思い出した。女生徒に囲まれている及川をは「慣れているから」と言っていたが、仮に本音で気にならなかったとしても、ゼロということはないだろう。――これは及川なりの気遣いか、と理解しつつ肩を竦めてみる。 「けど、お前が目元にクマ作ってきた話したら驚いてたわ。そんなに疲れてるはずないのに、ってさ」 「――は!? ちょっとマッキー、なに喋ってんのさ!」 「いやお前が彼女のビキニに興奮しまくりでスタイル良くてガン見しすぎて夜中どうのこうの――」 「ちょっと誇張表現!! なんなの!? 俺たちの仲引き裂こうって魂胆!?」 すれば花巻の言葉に被せるように及川が肩を掴んで抗議してきたため、花巻は瞠目して眼前の必死な及川の形相を見つつ小さく吹き出した。 「……って事は言ってねーけど? って言おうとしたんだけど?」 瞬間、眼前の整った顔がピシッと固まり、ついで気が抜けたようにガクッと項垂れた。そして、ハァ、とため息を吐いた及川は捨て台詞とばかりに言い捨てる。 「ほんっとマッキー人が悪い。小細工なんかしたって無駄だからね!」 そうして、んべ、とベロを出して踵を返した及川の百面相を一頻り見守ってから花巻は、ふぅ、と息を吐きつつ窓際にもたれ掛かった。 ――及川のカノジョだと知ってのことはすっぱり諦めたとはいえ、好意まで消えたわけではなく。ゆえに二人の仲がどの程度親密なのか気にならないといえば嘘になるが。 やっぱ深入りはやめとこう。むしろ、知れば知るほど及川が彼女にべた惚れなのだと分かっていっそ清々しい。と渇いた笑いを零した。 『俺、 ちゃんのこと13歳の頃から知ってるから……なんていうか、いきなり18歳のちゃんが目の前に現れたみたいに思っちゃったっていうか。別にちゃんのことずっと13歳のままなんて思ってたわけじゃないんだけど、あんなに可愛かったとか反則っていうか……』 『学校一のモテ男の純情な一面にギャップ萌えとか俺らには一ミリの需要もねえから』 『ヒドイ! 真面目に話してんのに!』 だから及川にはずっとあのテンションのままでいてくれれば「これで良かった」と思えるだろうな。 なんてセンチになったりするのは、やっぱ新学期で受験という節目が本格的に迫ってきた現実逃避かな……と考えつつ、窓から秋の空を見上げた。 |
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