「あー、及川先輩かっこいいよおおお!」 青葉城西・春の風物詩は場所を問わずどこにでも顔を出す。そう美術部にさえ、だ。 及川が3年になった春に起きた空前絶後の及川フィーバー。それが引き金となったのか、落ち着いていた2年生でさえ1年生に煽られて及川熱がぶり返すほどのフィーバーぶりだ。 そんな――いかに及川がカッコイイか――という雑談は新年度を迎えて以降、部活のたびに小耳に挟んでいる。 しかしながら春の及川フィーバー自体は北川第一の頃から何一つ代わり映えがしないため、としては特に気に留めずに聞き流していた。 が――。 「先輩って及川先輩と同じクラスですよね?」 「普段の及川先輩ってどんな感じなんですか!?」 しばらくして、2年の後輩がこちらに視線を送っていることに気づいたは手を止めた。どうやら自分に話しかけているらしい。 「ど、どうって……」 「やっぱりクラスでも人気者だったりするんですか?」 「え……、うん。いつも女の子に囲まれてるよ」 無難な返事をしたの一言で「やっぱりー!」とまた盛り上がれる彼女たちにとって、おそらく及川は身近なアイドル以上の存在なのだろう。 「けど及川先輩って完璧すぎてなかなか隙が見あたらないんですよねー」 「私のクラス、女バレが二人いるんですけど……二人とも及川先輩の話題になったら沈黙するんですよ。同じバレー部だからって独占するとか酷いと思いません?」 「え……と、別にそういう意味じゃないんじゃないかな」 「じゃあもっと及川先輩のこと教えてくれてもいいのにー」 は彼女らの会話を聞きつつ頬を引きつらせた。女子バレー部が及川を独占したいと目論んでいるなど聞いたこともない。同じバレー部同士で仲は良いらしいが詳しくは知らないため何とも言えないが、などと考えつつ一旦筆を止めてパレットに足す絵の具に手を伸ばしている間にも彼女らの話題は尽きることはない。 「私、聞いたんだけど女バレの主将と及川先輩って付き合ってるって話あるよね?」 「ウソー!? ほんとならショックなんだけど! 私、新入生の超可愛い子の告白受けて付き合い始めたとかって聞いたし何がほんとか全然わからないー!」 聞き流そうにもにわかに目眩がしてきては頭を抑えた。 とはいえ、だ。春先になると及川の話題一色になるのは北川第一の頃からであるし、あと二ヶ月も経てば落ち着くだろう。と過ぎらせていると彼女らの声が再びの方へと向けられた。 「先輩って確か及川先輩と同じ中学ですよね!? そのあたりの情報、なにか知りませんか!?」 「え!? え、と……うん。中学の時もいまみたいに女子バレー部の部長の子とか色んな可愛い子と噂にはなってたみたいだけど……及川くんは誰とも付き合ってなかったよ」 ――それは事実だ。そう告げると彼女たちは驚いたような反応を見せたあとにますます盛り上がって及川を褒め称えた。 「意外ー、でもそれだけバレーにストイックって事だよね!?」 「やばい及川先輩超かっこいい……!」 「私、今度の金曜はぜったいバレー部見学行く!」 「ていうか今もカノジョいないとしたら、みんなチャンスありってことじゃない?」 「えー、あんなカッコいい人のカノジョとか無理ー、隣に並ぶの恥ずかしいよー!」 慣れているとはいっても……いたたまれない。とは黙々と作業に戻りつつなるべく彼女たちの会話を聞き流すことに努めた。 『もうみんなの前で交際宣言しよ!? 俺たち付き合ってますって!』 及川はあんな事を言っていたが――やはり自分にはどう足掻いても無理だ。せめて高校生活は平穏なままで終わりたい。 しかしながらの想いとは裏腹に金曜日。 美術部の二年生数人は宣言通りに男子バレー部見学のために第三体育館に向かう事にしていた。事前に美術室に寄ってスケッチブック等の画材道具を持ち出したのは取りあえずの「あくまで部活動です」風を装うためだ。 「ゲッ、パレットの絵の具が手についた!」 「うわー最悪。このニオイってなかなか落ちないよね」 そんな会話をしつつ準備を済ませて美術室を出、第三体育館を目指す。 基本的にどの部活も見学はオープンであり、体育館の場合はギャラリーにさえ登ってしまえば邪魔にはならないため常に見学者はいる。むろん美術部とて本当にスケッチ活動のためにこの場に赴くことだってある。 「あれ、及川先輩いない……?」 美術部員の一人が体育館を見下ろして首を捻った。体育館にはほぼ全てのバレー部員が集っているが及川の姿が見あたらない。 「あー、及川先輩のクラスって履修科目多いらしいから授業終わってないんじゃない?」 「あ、そっかー、そうだっけ。ウチの先輩と同じクラスだもんねー」 「ソレって及川先輩って勉強もできるって事だよね?」 「ほんと欠点ないよねー!」 話しつつも、いち早く及川がいないことに気づいた彼女はチラリと壁時計を見つつ思った。と同じクラスの時間割りなら15分ほど前に授業が終了したはずだ。ということは、ちょうど着がえてこちらに向かっている最中のはずである。 いま体育館の入り口付近に行けば、もしかしたら話せるチャンスがあるかも……と浮かんだ彼女は他の美術部員らに勢いのままに告げた。 「わ、私、ちょっと見てくるね!!」 及川は声をかければ手を振ってくれるし、差し入れをすれば全て受け取ってくれると聞いてはいる。が。その実――女子バレー部員は別として――誰も及川のプライベートな事は知らないのが実情だ。つまり付け入る隙はほぼないと言っていい。 でも。だからこそ。偶然を装えば、「頑張ってください」くらいは直接近い距離で言えるかもしれない、とソワソワして階段を下り、勢いよく入り口への突き当たりを曲がる。 「――わッ!」 瞬間、壁かと思うほどの堅い何かにぶち当たり、視界が反転した。あまりに勢いがつきすぎて床に激突するのを覚悟した刹那。 「危な――ッ!?」 グイッと腕を引き上げられ、すんでの所で大転倒を免れた彼女の双眸は目の覚めるようなくっきりと整った二重の瞳を間近で捉えた。 「……お、及川せんぱ……ッ!」 「ゴメンね、俺急いでて……、大丈夫だった?」 及川にぶつかったのだと理解した直後。心配そうな綺麗な顔が間近に映って、ピン、と背筋に緊張が走る。ふわりと爽やかなニオイが漂って――及川先輩って香りまでカッコイイ、とブワッと顔を赤らめつつ彼女は背筋を正した。 「だ、大丈夫です! す、すみません私こそ不注意で……!」 「ていうか……、女バレの子じゃないよね? ウチに用事?」 「あ、その、私、今日は見学をさせて頂こうと思って……!」 「あ、そうなんだ。いつもありがとね!」 そしてにこりと笑った及川の笑顔は背景に花でも咲いているのかと見まごうほどに華やかで、すっかり上擦った気持ちでのぼせていると「ん?」と眼前の及川が目を瞬かせた。 「あれ……もしかして君、美術部の子だったりする?」 少し及川が自身の方へ屈んで顔を寄せるようにしてきて、ドキッ、と彼女の心音が高鳴った。 なぜ知ってるのだろう? 美術部とバレー部は特に交流などないというのに。けれども部の活動で何度かバレー部をスケッチした事はあるし、もしかして覚えてくれていたのかも……と淡い期待をして勢いよく肯定すると「やっぱりー」と及川は顔を緩ませる。 「そうだと思った。油絵の具のニオイだよね、ちゃんとおんなじ!」 「――え?」 ちゃん……? と目を瞬かせた時、別の怒声が二人の間に割って入ってきた。 「ゴラ及川! なに油売ってんだ、始めっぞ!」 「あ、ヤッバ! じゃあまたね」 そうして及川は颯爽と去り、残された彼女は呆然と立ち尽くすほかない。 ――油絵の具。の、ニオイ。が、判別できるくらいそばにいられる関係。「ちゃん」。 あ……そういう……。と一瞬のうちに色々悟るもあまり理解したい気分でもなかった彼女は携帯を取り出すと「ごめん帰る」とギャラリーにいる美術部員たちにLINEを打ち、そっと体育館をあとにした。 |