「お父さん、ちょっといい?」

 7月上旬。は夕食後に書斎に籠もった父を訪ね、書斎のドアをノックして中に入った。
 相変わらず所狭しと数々の文献に囲まれた部屋の先のパソコンデスクに座っていた父親がこちらを見やる。
「受験勉強かな?」
「ううん。今日は違うの。ちょっと話したいことがあって……」
 の手にはDVDケースが握られている。及川から受け取ったものだ。
 今日の放課後、及川からDVDを渡された。白鳥沢との決勝の録画だという。――熟考の結果、及川は自分の提案を呑み、父に話を通すことを望んだ。
 が――父はあくまでバイオニクス専門だ。それに一年前の「雑談」がまだ生きているかも定かではない。
「あの……一年前、同級生のバレー部のセッターに上手い子がいたかどうか訊いてきたでしょ? そのことなんだけど……」
「ああ、確か……筑波大の話だったかな」
「そう。うん、そうだと思った……。あのね、それでね」
 記憶を手繰るように目を窄めた父親の話に、やっぱり、と頷き、は説明した。及川の戦歴、受賞歴、そして及川が筑波大への進学を望んでいること。それから現在のおおよその学業成績、性格等々だ。
 一通り聞いて「うーん」と父は考え込む。
「話をしてみることは出来るけど……、取りあえず父さんもまずDVDを観てみるよ。白鳥沢に競っているというのは確かに考慮は可能な要素だと思うけどね」
「う、うん……」
「それから、いずれにしてもその及川君に一度会ってみないことには何とも言えないかな」
 言われて、ドキ、との心音が脈打った。
 まず父自身の目で及川の人となりを見なければならないというのは当然の事ながら、やや気恥ずかしくて取りあえず礼を言ってから書斎を出る。
 そのままパタパタと自分の部屋に戻り、及川にいまのことを伝えようと電話をかけてみた。
「はいはーい。俺です」
「あ、及川くん? あのね、お父さんにDVD渡して話をしたんだけど……」
 そう言っていまの状況を一通り話し、近いうちに家に来てもらうことになると伝えれば、「え!?」と上擦ったような声が携帯から漏れてきた。
「え、ナニそれもしかして俺、ジャッジされちゃう感じ!? 将来の義理の息子的な!?」
「……」
 相変わらずの言い分に肩を竦めるも、父にも立場がある以上は下手な人間を紹介できないというのは当然のことで。
 とにかく普段通りで大丈夫だからと念を押し、電話を切って、ふ、と息を吐く。
 及川は、決勝戦のあとに迷いを見せていたのが嘘のようにあっさりと進路を決めた。
 詳しくは聞かなかったが、ここ一ヶ月あまりずっと悩んでいる様子だったのに――いったい何があったのか。
 とはいえ及川が自分自身でちゃんと決めた事ならばそれが一番いいはずだ。問題は状況が厳しいということに変わりなく、かなりの確率で一般受験を覚悟しなければならないということだが。
 大丈夫なのかな、と案じつつその日はそのまま就寝し、翌日に改めて父に及川を連れてくるよう言われたため、は月曜日を指定した。
 すれば父もなるべく早く帰宅するから、と夕飯を一緒にということになりは来週の月曜の放課後に一緒に家に来て欲しいと登校後すぐに及川に伝えた。すれば、及川はにわかに緊張した面もちを浮かべて息を呑んだ。
「俺、ちゃんとカレシとして認められるかな……?」
「そ、それはあんまり関係ないと思うけど……」
「けど重要だよねそこも!?」
 そもそも及川と交際していることは伝えていないし、と苦笑いをしつつ次の月曜日。
 は及川と一緒に帰路についた。
「ちょっと仙台駅に寄ってっていい?」
「え……?」
「なんかスイーツとか買わなきゃじゃん!」
 及川は手土産を購入するつもりらしく、は気を遣わないよう言ったものの及川としてはそういうわけにもいかないらしく仙台駅でスイーツショップを物色して回る。
「何が良いと思う? ていうかちゃんのお父ちゃんとお母ちゃんって甘いもの好き?」
「うん、2人とも好きだと思うよ」
ちゃんの両親てやっぱ東京の人だよね? じゃあ仙台っぽいのがイイかな?」
 と、チラリと駅ゆえに並べてあった萩の月に目線を送った及川を見ては少しだけ苦笑いを零す。
「でも、もうずっと仙台に住んでるし……」
 しかしながらあまりに高級なものはとしては気が引け、しばし2人で見て回って見つけた仙台らしいずんだ豆のロールケーキを及川は購入していた。少し前にテレビで紹介しているのを見た母が美味しそうだと言っていた事をが零したのが決め手になったらしい。
 としても値段も手頃でホッと胸を撫で下ろしつつ仙台駅をあとにして家に向かう。夕食を一緒に、とはいえこのままでは16時台には着いてしまうだろう。
 母親は家にいるだろうが、どう時間を潰そう、とちらりと及川を見上げるとすこぶる上機嫌で鼻歌さえ歌っている。
「う、嬉しそう……だね」
 言ってみれば、及川はこれ以上ないほどの屈託のない笑みを零した。
「嬉しいに決まってんじゃん。ちゃんちって何度も行ったことあるけど、あげてもらうの初めてだし!」
「そ、そう……だね。でも夕食までまだ時間あるし、なにしようか? あ、私まだ白鳥沢との決勝のDVD観てないから観たいな」
「えー……あれ負け試合なんだけど」
「あ、そうだ。そういえば牛島くんって全日本ユースに選ばれたんだったよね」
 ちょっと前にニュースで見たんだけど、とが言えば及川は一転して顔を曇らせる。
「あああヤなこと思い出しちゃったよ! あいつジャパンだよ腹立つ!!!」
 地団駄を踏む及川を見つつ、やっぱり及川は少し変わったような気がする、とは感じた。確信は持てないが、牛島へ向けていたトゲトゲしさがどことなく減ったような気がする、と感じつつ全日本に選ばれた牛島への愚痴をこぼす及川の言い分に一通り耳を傾ける。
「全日本ユースの代表ってことは、牛島くん海外の大会にも出るってことだよね?」
「そうだよ。だってジャパンだもん」
「凄いね……!」
「ケッ。世界の強豪にボッコボコにやられてくればいいんだよあんなヤツ」
 そうして悪態を吐きつつ及川は空を仰いだ。
「けど……ウシワカでも勝てない相手って世界にはたくさんいるんだよね、やっぱり」
「そりゃ……そうなんじゃないかな。牛島くんだってまだ高校生なんだし」
「やっぱ遠いねえ……」
 しみじみと言う及川の瞳がどこに向いているのか、には分からない。
 分からなかったが、それでも及川は先に進むという答えを自分で出したのだ。だから、これから先は牛島と同じ道を歩いていくのかもしれない。
 それは自分とは違う道――とうっかり意識してしまって、は振り切るように及川の鍛えられた腕をギュッと掴んだ。
「ん……?」
「あ、イヤだった……? 暑い?」
「なワケないじゃん」
 離そうとすると及川は肩を竦めてクシャッと笑い、はドキッとしつつも、ふふ、と笑ってそのまま及川の腕に身を寄せ、自宅までの短い距離をそのまま歩いた。
 やっぱりどんな理由でも及川と帰宅するのは嬉しい、と思いつつも家が見えてくるとやはり少しばかり緊張してしまうものだ。門を越えて玄関前でインターホンを押す時は自分でも分かるほどにドキドキしてしまった。
「ただいまー」
 応答した母親に帰宅を告げて待つこと少々。ガチャ、と扉が開いていつも通り母親が出迎えてくれ、は及川を紹介する。
「ただいま、お母さん。えっと……紹介するね、クラスメイトの及川徹くん」
 すれば及川はいつも通り、いやいつも以上に完璧な女性向けスマイルでいっそ背景に花でも飛んでいるのではないかというほど華やかな笑みを母に向けた。
「ドーモ、はじめまして及川徹です。本日はお世話になります」
「あら……まあ」
 さすがの母もにわかにその眩しさにアテられたのか頬が緩むのが分かった。
「はじめまして、の母です。暑かったでしょう? さ、あがって」
「ハイ。おじゃましまーす」
 ニコニコと一瞬で母の心を掴んだらしき及川にいっそ感心しつつ、も玄関にあがって手土産を母に渡し終えた及川を誘導し二階の自分の部屋に連れて行った。
 エアコンを入れつつ、辺りに座っているよう促す。
「何か飲み物持ってくるね」
「うん、ありがと。にしてもちゃんのお母ちゃん美人だね!!」
 及川は及川で母が好みのタイプだったのかそう言って、は肩を竦めた。
 母は確かに美人だが、自分は父親似で全く似ていないだけに複雑に思いつつ部屋を出て冷たいジュースでもとキッチンに向かう。
 すれば母が既にグラス類の準備をしてくれており、礼を言って冷蔵庫を開けてジュースを取りだしていると母が笑いながら言った。
「すごくハンサムな子ね、及川君。背もとっても高いし、素敵ね」
「う、うん。学校でも女の子にすっごく人気があるんだよ」
 中学の頃から、と呟くと「そうよね」と母が同意しては苦笑いを浮かべつつジュースをグラスに注ぎ、「そうだ」とDVDの事を思い出して父の書斎から持ってくるとそれも持って部屋へと戻った。
「おまたせ」
 ノックをしてから部屋に入り、部屋のローテーブルにグラスを置いて及川の対面に腰を下ろす。
 すると及川は戸棚の方を見やりながら感心したように言った。
「賞状とかメダルとか凄いいっぱいあるね」
 いままで獲ってきた賞の一部を飾ったものだ。頷きつつがDVDを観ようと提案すると、及川はあからさまにふくれっ面をした。
「せっかくちゃんの部屋にいるのに、ウシワカの顔とか観たくないんですケド」
「じゃあ受験勉強でもする……?」
「そうじゃなくてさあ……」
 しかめっ面をしている及川を横目に、机の上からノートパソコンを持ってきてローテーブルに置いて電源を入れた。
 すると及川はピンと来たように、「じゃあさ」とこんな提案をしてきた。
ちゃん、ココに座ってよ。それなら観てもイイよ」
 そうして及川の両足の間を指定され、は頬を引きつらせた。
「それだと及川くん、私が邪魔で観れないんじゃ……」
「そんなことないって。ほら」
 グイッと腕を引かれて半ば強制的に及川の足の間に座らされ、はため息を吐きつつ「まあいいか」とDVDをセットした。
「うん、やっぱこういうのが家デートってカンジじゃない? 例え画面に映るのがウシワカ野郎でもサ」
 上機嫌と憎々しさを混ぜたような声が頭上から降ってきて、は大人しく及川の胸に体重を預けて緩く抱きしめられる形で画面を見やった。
 パッと現れた画面はセンターコートを青葉城西サイドから撮ったものらしく、比較的大きな音で青葉城西応援団のいつもの声が聞こえてくる。
「会場、いつもすごい応援だよね」
「うん、北一ほどじゃないけど青城バレー部もけっこうな大所帯だしね。でも、決勝の日は平日だったからお客さんはそんなにいなかったけど」
「及川くんのファンも来てなかった?」
「んー……、大学生とかは来てくれてたかも。声、聞こえたしね」
「そ、そっか……」
「あ、もしかしてヤキモチ? ヤキモチかな??」
 すれば面倒に絡んでくる及川の声を聞き流して、画面を見やる。見たところ牛島は左利きのようだ。ライトにいる。
「もしかして、牛島くんってオポジット?」
「そ。けどあいつフツーにレシーブできるけどね。ま、とにかく左利きは受けづらいから厄介この上ないのさ。渡っちが責任感じちゃってて、なんかカワイソウだったんだよねえ」
 渡っち、とは青葉城西のリベロの事だろう。いまも三枚ブロックを力業で打ち破った牛島のスパイクを拾えず、項垂れる姿が映っている。
 それにしても、だ。ブロックを打ち抜いてなお観客席まで跳ね上がる勢いの強打を何度も続ける牛島を見てはゴクリと息を呑んだ。
「牛島くん……、ほんとに凄いね……」
 まさに男子バレーの花形とも言うような強力なスパイクに素直な感想を告げると、及川がむくれたような声を漏らした。
「こっちがどんな戦略練って実践しても、あのスパイク一本でねじ伏せられるんだからたまったもんじゃないよね」
 青葉城西はというと、一方的にやられているわけではなくそれなりに競っている。特に及川はよくブロックを振れており、ベストセッター賞もさもありなん、という動きを見せてはいるが――。
 いざ牛島をブロックする時にセンター陣が力不足なのと、何より攻撃の枚数が心許ない。
「及川くん」
「ん……?」
「3回戦と準々決勝を観たときも思ったんだけど、及川くんってスパイク得意だったりする?」
「得意だよ。スパイク苦手だったらジャンサー打てないし」
「そう……だよね。もしかして、セッター別に入れて及川くんは攻撃に専念した方が良かったりする?」
「へ!? なんでさ! 俺はセッターがいいの! そりゃどのポジションもやれるけど、俺はセッター! だいたいセッターはチームの司令塔だよ? 面倒なポジションでもあるけど、やりがいは一番だね」
「そ、そっか……」
 セッターへの想いを語りつつも否定しないということは、やはり及川はチーム内でも一番攻撃的に優れているのだろう。確かにセッターは育成が大変なポジションでもあるらしいし、そうそう代わりはいないか、と思う脳裏に、もしも影山が青葉城西に入っていれば、と浮かんだが。言えばきっと面倒な事になると察して口を噤み、再び画面に集中した。
 及川のサーブの番が来ても、いつもよりも歓声は上がっていない。ということは、やはり平日でファンの数も少なかったのだろう。
 相も変わらず及川のサーブは青葉城西きっての得点源のようで、白鳥沢相手でもエースを取り、受けられても確実に攻撃から点数に繋げている。
「やっぱり及川くんのサーブ、凄いね」
 乱したレセプションからの攻撃できっちりと速攻で点を稼いで画面が沸き、が感嘆しつつ呟くと「へへ」と頭上からは上機嫌そうな声が漏れてきた。
ちゃんが及川さんのサーブ大好きなのは5年以上前から知ってマス」
 そうして及川はキュッと腕に力を込めて来て、は否定はせずに薄く笑うだけに留めた。今さら及川の誤解を解くのも野暮だと悟りきっているからだ。
 それに、やっぱり5年以上観てきた及川の努力とともに進化していっているサーブをこうして試合を通して確認すると、改めて凄いと素直に思う。
 けれども裏腹に徐々に追いつめられていく青葉城西を観ているのは結果を知っていても決して気持ちのいいものではなく、しかしながら及川は何だかんだ見入りながら次への対策を講じている。
 そうして第一セットが終わり、第二セットも終盤に入って白鳥沢のマッチポイントになると露骨に及川の身体が強ばった。おそらくどの攻撃、どのタイミングで負けたかを正確に覚えているためだろう。
 白鳥沢のセッターが牛島にオープントスをあげ、牛島がそれを見事に打ち抜いて笛が鳴り、勝敗が決した瞬間にの視界が暗転した。
「わッ――」
 後ろから及川がの両目を両手で隠すように覆ったのだ。
「俺、このあとめちゃくちゃ情けないから観ないで」
 ぴく、との頬が反応する。そういえば、とは決勝戦の日の夕方に及川が美術室を訪ねてきた時の出来事を思い出した。あの時の及川はこう言っていたのだ。自分が試合を見に行った日、試合に勝ったあとの及川の笑顔が見られて嬉しかったと言ったら、だったら決勝戦は来なくて正解だった、と。
 おそらくは項垂れていたのだろうな、とそのまま大人しくしているとビデオが終わったのかぷつりと音が切れ、ようやく及川も手を離して急にパッと視界が開けた。
 目を窄めつつ少し振り返ると、バツの悪そうな顔をした及川と目があった。
「ゴメンね。笑って優勝だったら良かったんだけどさ」
「で、でも、みんな格好良かったよ!」
「んー……」
 サラッと及川の片手が髪を撫でて、ドキ、との胸が騒ぐ。そもそもがDVDに集中していたとはいえ、長時間に渡って後ろから抱きしめられている状態で……と今更ながらに意識していると及川の唇が、チュ、とコメカミあたりに触れた。
 あ、ちょっと不味いかも――と思ったときには大きな手が顎に添えられて少し後ろを向かされ、及川の唇が唇に重ねられた。
 そのまま一度上唇を甘噛みされて柔らかい舌が入り込んできて、キュ、とは及川の腕を掴んで瞳を閉じる。
「……ッ……ん」
 しばしそのまま互いの熱を堪能しあい、一度唇が離れても追うように再び重ねられての思考回路は次第にぼんやりとおぼつかなくなってくる。
「……ふ……」
 どのくらいの時間、キスしていたかは分からない。が、気づいたときには及川の片足に自分の両膝を乗せて半分向き合うような体勢になっており、熱を帯びた息が首元にかかっては無意識に制服の上から身体を這う及川の右手に自分の左手を重ねた。
「及川……く……ッ」
「なに……?」
「なに、って……ちょっ、と」
 ペロ、と首筋を舐められた感触に瞳を閉じると、自身の左手ごと重ねていた及川の右手が、つ、と少しだけ胸元に触れては反射的にギュッとそのまま及川の右手を掴んだ。
「ま、待って……ね、ちょ――ッ」
 やや抗議をすると、顔をあげた及川の濡れたような瞳と目が合い、瞬間的に言葉を詰まらせた隙に再び唇を重ねられて本格的に言葉が途切れた。
 やっぱり夕飯まで外で時間を潰してくればよかった、なんて過ぎらせたのかもしれない。けれども及川と触れ合っているのは心地よく、振り切れない。母親が下にいるし及川もこれ以上なにかしてくるとは思えないが、でも……とそのまま夢中でキスを続けていると、家中に響き渡るインターホンの音が駆け抜けて、ハッと意識を戻した。
 及川もそうだったのか、ハッとしたようにお互い少し息が乱れたまま見つめ合い、そして苦く笑い合う。
「お父ちゃんカナ?」
「た、たぶん……」
 言いながら及川はから身体を離し、もふっと息を吐いて何となく制服の襟元を直した。
「あ、あの、私……ちょっと見てくるね」
 ともかく確認がてら父であれば及川が来ていることを改めて伝えようと立ち上がると、及川は頷いてやや力なく手を振ってくれた。
 パタパタと部屋を出て下へ降りていくと、案の定インターホンを押したのは父親で、「おかえりなさい」と出迎えつつは及川を連れてきたことを伝える。
 一階には良い匂いが漂っていて母親がすぐに夕飯だと言い、も頷いて部屋に戻ると及川は普段通りに「どうだった?」とジュースを片手に笑いながら聞いてきた。
「うん、お父さん帰ってきたからご飯にしようって」
「う……やっぱり緊張してきちゃったカモ。好青年風で行けばイイ? それとも天真爛漫なカンジ?」
「い、いつも通りでいいと思うよ」
 たぶんどう取り繕ったところで父は見抜くだろうし。とは言わずには胸元に手を当ててやや緊張の走った顔を浮かべる及川を見て苦笑いを漏らした。
 例えば見た目に反していつもきっちり制服を着ているところとか。そもそも外見から受けるイメージに反して人一倍どころか2倍も3倍もバレー馬鹿なところとか。素直に誤りを認めることができる柔軟さを持っていて見栄など張らないところとか。及川には良いところがたくさんあって、やっぱり自分の受けた第一印象のまま、いまも自分は及川が好きで。というのは欲目なのだろうか、と人知れず顔を赤くしつつ部屋を出て下へ向かう。
 ダイニングには和洋折衷の色とりどりのおかずが並んでおり、運動部の男子高校生がいるためかいつもよりボリュームもあって及川も感嘆の声を漏らしていた。
 及川が父に挨拶をして、4人で食卓を囲む。
 料理は及川の口に合ったようで何度も美味しいを連呼する及川を微笑ましく見つつ学校生活や部活の事など雑談まじりに食事を進めていると、父が本題を切り出してきた。
「及川君は……なぜ筑波大を志望しようと思ったのかな?」
 ドキッとの胸が脈打つ。及川もそうだったのか、一度息を呑んだのが伝った。
「まずは……筑波大は関東一部リーグ唯一の国立なので、他の私大と違って有望選手がスカウト入学してくる確率がゼロだからですね」
 例えば牛島みたいな。と続ける及川のあまりの単刀直入さにはやや冷や冷やしてしまう。
「現在の正セッターが卒業したら有力なセッターがいなくなるというのも大きいです。できればいま全国で名の売れているセッターが入るような大学は避けたかったというか……」
「レギュラーになれる可能性があがるからかな?」
「それは……ハイ。全国経験のない俺がおこがましいかもしれないですケド。けど……理由は他にもあって、一番というか最重要視したのはカリキュラムと環境、それに設備です」
 父が一度瞬きをしたのをぼんやり見ていると、及川がこちらに目線を流してきたのが伝った。
「以前、ちゃんに言われたことがあるんです。セッターなら空間認識力を鍛えた方がイイって」
 ね、と言われてはそんなこともあったっけ……、と頬が熱を持つのを感じつつも頷く。
「それまで俺、勉強はあんまりだったんですケド……よくよく思い返せば試合観て相手を研究するの好きだし、いま自己流でやってることがもっと科学的にっていうか……こんな風にトレーニングしたら伸びる、とか、こんな勉強したら役に立つ、みたいなことが筑波だと出来ると思ったんです」
 そう言った及川を見て、これは父にとっては一番の回答だったはず、とは感心しつつ父を見やった。すれば彼はやや口元を緩めて頷いている。
「筑波はスポーツ科学には強い研究所を持ってるからね」
「まあ、俺の頭でついていけるかはわかんないですけど……」
 及川としては自身の現在の学力と筑波大の最低合格ラインに開きがあることを自覚しているのか少し気恥ずかしそうな声を漏らし、父はこう言った。
「確かにそれぞれの大学には入試があるし、筑波には良い学生が多く入ってくると思う。でも大学は学ぶための場所だからね。僕は、学習意欲のある学生は誰でも受け入れたいと常に思っているよ。残念ながらそれは不可能だけど……君がもし筑波大に入れば、一番大事なのはそこで学ぶ意思があるかどうかだからね」
 バレーだけがしたい、というなら行くのは勧めない、とやんわりと父は続けた。
「バレーの実績も学業の実績も自分の遙か上という場所に飛び込もうというのはとても勇気がいることだと思う。仮に現状が辛くて不満だったとしても、人はその状況には慣れることができるからね。それを変えるのには勇気が必要だ」
 及川はどこか図星を刺されたような顔を浮かべ、少しだけ肩を竦めた。
「手遅れでなければいいんですケド」
「なにかを始めようとする事に手遅れなんて事はないよ。それに、君はまだ十分に若い」
 ははは、と父が穏やかに笑い、及川も少しだけ笑みを浮かべた。
 それにしても、とは思う。おそらく及川がいま父に告げた志望動機は本音なのだろう。――バレーのためだと思ったら勉強も頑張れる? なんて言った覚えは確かにあるが、やっぱりどこまでもバレーのことばっかり。と過ぎらせていると及川がこちらを見て、ふ、と笑い、ドキッとの胸が脈打った。
ちゃんとは北一の頃から一緒なんですけど、俺たちそれぞれ第一志望に受かったらまたご近所さんになるねーなんて話したんですよね」
 そうして及川がそんなことを言うものだから、今度は背中から冷や汗が吹き出してきた。
 母は呑気に、これからものことよろしくね、などと言っているが……などとぐるぐる考えているうちに食事も済み、及川の手土産のロールケーキを母が切って出してデザートも済ませてあまり遅くならないうちにと及川が帰宅準備に入った。
 結局、及川は自分と交際していることを両親にサプライズ宣言するなどということはなく、ホッと胸を撫で下ろしつつ両親に挨拶して玄関を出た及川を門まで送っていく。
 ふー、っと及川が肩で息をしたのが伝った。
「俺……ちゃんと話せてたかな!?」
「う、うん。すっごく良かったと思う」
「ホント? でも俺、ちゃんのカレシだって言ってない! もしちゃんのお父ちゃんが今日の俺をダメ判断したら、カレシとしてもダメって事だよね!?」
「……。で、でも、そこは私たちの問題なんだし」
 そもそも父の性格からして自分の交際に口を出してくるとは思えないが。などと考えていると、及川は少し頬を膨らませたのちに切り替えたように息を吐いた。
ちゃん、ありがとね。もしダメでも、俺受験勉強頑張る」
「うん」
「じゃ、また明日学校でね」
 言って及川は、チュ、との額に軽くキスをしてから門をくぐった。も手を振って見送ってから、ふ、と息を吐く。
 しかし、だ。母はどうか分からないが、父には及川と交際をしていることはバレてるような気がする。と思うと少し居たたまれない感じを覚えつつ家に入る。
 リビングのソファで本を読んでいる父親を見つけてやや躊躇したが、やはり及川の印象が気になって声をかけてみた。
「とても……真面目そうな青年だね。なかなか誤解をされそうな印象を受けたけど、父さんはとても真面目な青年だと思ったよ」
「そ、そう……! 及川くん、すっごく真面目なんだよ!」
 父の返答に思わずは興奮して力んでしまい、ハッとする。すると父は小さく笑った。
「それに……をとても好きなことが伝ってきた。きっとあまり隠す気がなかったんだろうね」
 ぎく、との肩がしなる。
もそうなのかな?」
 ――やっぱりバレてた。と目線を泳がせつつ「でも」と漏らす。
「お、及川くんを連れてきたのは、好きだからじゃないよ……! 本当にやりたいことがあるなら、そうしてほしいと思ったから……」
「うん、そうだね。彼にも言ったけど、父さんは学ぶ意思のある学生は全部受け入れたいと思ってるからね。彼が本当に筑波大で学びたいと思ってるなら……それが一番だ。周りの学生との差で苦労するかもしれないけれど、大事なのは入学することだけではないからね」
「うん……」
 頷きつつは改めて思う。及川は自分の進路への答えを出した。それにもともと、自分の将来は決して及川とは交わることのない道。
 そんなことは付き合い始めた瞬間から分かっていたこと。――いまはとにかく及川の希望が叶うことだけを考えよう。と、いずれ来る別れの事が過ぎった脳裏を振り切るようにはギュッと手を握りしめた。



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